2009-07-11

「教えないの?」

レッスン仲間にポジティブ コミュニケーション セミナーの案内をすると
たいてい驚かれた。
「へえ~、アナタってこういうことしてる人だったんだ」


稽古場でしょっちゅう顔を合わせているのに、案外おたがいの名前も知らなくて、
ましてレッスン以外のところで何をしているのかはわからないことが多い。


私も、はじめのころは「バレエ教師…?」と見られることがよくあったが、
最近では、どうやらバレエ教師ではないらしい、ということは浸透していた。
で、コミュニケーションの仕事をしている、というと「へえ~」なのである。


でも、かなり多くの人が「へえ~」といった後にいうのだ。
「バレエは教えないの?」と。
中には「バレエを教えるんだったら、教わりたいのに」という人までいる。


バレエは教えないの?
バレエは教えてないの?
バレエは…?


あんまり何回も何回もいわれるので、考えてしまった。
バレエ、教えようかな、と。


3年前にパーソナルトレーニングをはじめたばかりのころ、
トレーナーの樋渡さんは毎月私に会うごとにいったものだ。
「踊らないんですか?」


ほんとうに、毎回毎回いうのである。
踊らないんですか?
踊らないんですか?
踊らないんですか? と。


何回もいわれているうちに、また踊ってみてもいいかなあ、と思うようになった。
そのときの樋渡さんの促しがあったからこそ、現在の「踊る私」がいるのである。


「踊る私」が復活すると、樋渡さんのセリフは変わった。
「教えたらどうですか?」


教え、ねえ。
二十歳のころに先輩の代講で何度か教えたことはあったけど、
うーん、考えたことなかったなあ。


樋渡さんに何度もいわれるうち、教えるのもおもしろそうかなあ、と心は動いたものの、
教える場もなく、その思いもなんとなく立ち消えになった。


でも、いま、新たな方向に心は動いている。
教えてみたいな。
だけど、ほかの人とは違ったやり方で。


踊ることをあきらめかけていた私が、カラダを作りなおして復活できたのは、
ひとえに樋渡さんによるトレーニングがあったからだ。
そして、踊りを再開した私が、
あらためてバレエ本来の美しさを追求したいと思うようになったのは、
バレエのラインの美しさを徹底的に説くいまの先生方のおかげだ。


トレーニングとライン。
そのふたつを融合した大人のバレエのための講座。
大人になってからバレエをはじめた方たちが、
自分のカラダがもっている力を高めたうえで、バレエの真の美しさを求めて踊れるように。


プログラム作り、取り組んでみるつもり。

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2009-07-10

偶然が必然になるとき

おとといの夕方、めずらしく弟から電話がかかってきた。
ひとしきりいつものごあいさつ儀式を済ませると、
弟のリクエストで歌いだす前にあることを聞いてみた。


「ねえ、明日何の日か知ってる?」
「知ってる」
「知ってるんだ! 何の日?」
「パパとママの結婚記念日。48周年」


あら、知ってたんだ。
記念日好きの弟が、この日は何もいわないから知らないのかと思ってた。
そう、知ってたのね。


夜、携帯に結婚記念日お祝いメールを打ち込んだ。
遊びに遊んだデコメール。
日付が変わったところで送信しようかなあ、と思ったが、とりあえず保存にした。
結局、私は日付が変わる前に眠りについていた。


翌朝、電源を入れると携帯が受信しはじめた。
メールは母から。
遊びに遊んだデコメール。


「ついにラスト日を迎えました 体調はいかがですか?」
セミナー最終回の、励ましメールだった。


「さあ 最後もびちっとかっこよく!」
送信時刻は日付が変わって間もなく。
母に先を越された。


父と母の結婚記念日のきのう、私は自分が企画したセミナーのシリーズ最終回。
その終了時刻の9時に、携帯がバイブ。
みんなが顔を見合わせる。
みんなわかってる。
携帯をあけると、みんなが思っていたとおり、母からのメール。


「無事 千秋楽の幕が引かれましたでしょうか おつかれさま ご苦労様でした」
そこには、参加してくださったみなさんと、協力してくれた友だちに対する
感謝のことばが綴られていた。
最後に、スタッフとしてサポートしてくれた孫息子へのねぎらいも。


「1回だけの参加でしたが 何回思い出しても愉しかったと
果汁の甘みにも似た思いをかみしめております」


あらためてみんなで顔を見合わせる。
みんな笑ってる。
みんなが母の顔を思い浮かべてる。


父と母がいたから私がいる。
出会いは、偶然の積み重ね。
でも、出会えば偶然は必然になる。


きのうのセミナーで居合わせた顔ぶれもみんなそう。
出会いのきっかけは思いがけない偶然。
でも、知り合ったいまとなってはもう偶然じゃない。


一夜明けた今朝、吹く風は湿気を含んで熱っぽく、空にはまだらな雲が広がっていた。
でも、その雲のすきまからはきれいな青。
その澄んだ空色を見やりながら、すがすがしい気持ちをかみしめていた。


温かなエネルギーを与えてくれたすべての出会いに、心から感謝します。

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2009-07-09

ポジティブ コミュニケーション セミナー最終回

問いかけは、時として驚くほど大きなエネルギーをはらむ。
投げかけ方によっては、人を崖っぷちまで追い込むし、
逆にどん詰まりの闇にひとすじの光を放つこともある。


ネガティブなニュアンスの問いかけは関係をより悪化させるが、
ポジティブな問いかけは人生観を変えることさえある。


今日はポジティブ コミュニケーション セミナー、シリーズ最終回。
「ポジティブに問いかけて関係を深める」がテーマ。


正直にいう。
問いかけは、むずかしい。


気持ちに寄り添い共感しながら相手の話に耳を傾けるのも、
相手のよいところに焦点を当てて認めるのも、
感性のおもむくままにできるところがある。


でも、問いかけは、それに加えて相手を客観視したほうが
相手の心にすぽんとはまることが多い気がする。


自分の顔は自分で見えないのと同じように、
自分のことが自分でよくわからなくなることってある。
そんな相手の視点を変えたり、視野を広げたり、考えを整理したりするには、
客観的なスタンスで問いかけていくのがいいのである。


客観的に状況が見えていると、ついそれを伝えたくなるけれど、
本人自身が気づくに越したことはない。
そのほうが本人の納得性も高まるから。
だから問いかけるのだ。


とはいえ、そんな問いかけを繰り出すのは思いのほかむずかしい。
参加者のみなさんも、エクササイズではすこし苦労していた。
(「いいんです、ここは練習の場ですから」と何度か助け舟を出したが)


だけど、ひょいっと投げかけた問いかけが
相手の心に劇的な化学反応を起こす瞬間は、文字どおりドラマチックだ。
自分ひとりでは見えなかったことに気づく、目からウロコの瞬間である。


そして、投げかけたほうも、何かに気づいた相手の反応を見ることで
視野が広がる。
ポジティブな気持ちになるのだ。


毎回毎回思ったことだが、コミュニケーションの化学反応はおもしろい。
とりわけ、ポジティブなコミュニケーションは
相乗効果でエネルギーが上がって格別だ。


さて、どきどきの緊張の中ではじまったセミナーも、
振り返ればあっという間の3週間。
シリーズ最終回ということで、
参加してくださった方々とはとても名残惜しかった。


コミュニケーションってとっても楽しいよね。
温かな実感をもって、しみじみそう思う。

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2009-07-08

充実の補講

水曜は、息子にとってバレエの授業がある日だ。
前期最後に作品を踊るとかで、今日は先週に引き続き振り付け。


帰宅した息子は、へとへとながらも楽しげな雰囲気である。
どんな感じだったのかなあ。
息子が話し出すのをわくわくしながら待つ私。


先週は30人ほどの人数を4つに分けて、
グループごとにちょこちょこ振付をはじめたということだった。
曲は「白鳥の湖」第1幕のオープニング。


バレエをやっていたら
「白鳥の湖」はちいさいころから耳にタコができるほど聞き込んでいて、
舞台を観る回数もほかの作品より多いはず。
1幕のオープニングは私も踊ったことがあるし、振りもすぐ出てくる。
わからないことはなんでも聞いて、って感じ。


グループ内で一応役柄も決めたそうで、息子は王子ということで即決。
なにせ男子は彼ひとり。
30人のクラス内でも、3人いた男子がいまや彼ひとりなんだという。
ま、そりゃ王子だ。


今日はその振り付けが終わったそうで、
彼は自分のパートを踊って見せてくれた。
「最後はシャンジュマンが4回で、ピルエット回ってひざついてポーズ」


ほほう、なるほど、どれどれ。
さっそく曲を流して私も踊ってみる。


うわっ、このテンポでシャンジュマンはきつい。
ゆっくり過ぎて跳んでられない。
なんだかんだいってキミも男の子なんだね。
初心者とはいえ、私も男の子のジャンプ力にはかなわないよ。


「あれ? 意外だね。男だと跳べるもんだね」
息子は俄然気をよくしてシャンジュマンを跳ぶ。
いやいや、滞空時間が私とは比べものにならない。
跳ぶねえ。


「それくらい跳べるんだったら、アントゥルシャカトルもできそう」
といって、私が違うのをやって見せる。
ジャンプしながら空中で足を交差して打ちつける。


ええ~っ、といいながらやってみると案外すんなりできる息子。
いいじゃないいいじゃない、アントゥルシャカトル。できたじゃない。


それとね、そこのポーズは軸足に重心のせて、
振り向くときはこんなふうにめりはりつけて、
ピルエット回るときは回ろうとしないで立つだけ。
それからそれから、…


次から次から私の実演つきコーチ。
息子も教えられたとおりに動いてみる。
夢中になって踊って、気がつけばふたりとも汗だくだく。
ああ、やっぱりバレエはいいでしょ?


「オレ、5歳のときからバレエやりたかったから」
汗をぬぐいながら息子がいう。


いまからでも全然遅くないよ。
あのときかなわなかった願いをかなえられてよかったよね。
私がしっかりコーチするからね。

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2009-07-07

街頭取材

ビッグイシューの発売日は1日と15日。
夫がリビングのマガジンラックに手を突っ込んで、「新しいの買った?」と聞く。


まだ。
だって、このごろちっとも見かけないのだ。
たぶん雨降りのせい。
雨のときは、となりの駅の屋根の下で売るんだといってたから。


今日はひさしぶりに傘なしの外出。
青い空に大理石模様みたいな雲が広がっている。
この天気だったらいるかもしれない。


交差点に向かうと、横断歩道の向こうに販売者のよっしーが見えた。
「よっしー」というのは、彼からはじめてビッグイシューを買ったときに
もらった名刺に記されていたニックネーム。


いつもなら「帰りに買いますね」と声をかけてあいさつだけで通り過ぎる。
レッスンやトレーニングに行く道々に買うと、
薄いビッグイシューはバッグの中ですぐよれよれに曲がってしまうのだ。
でも、今日は先に買っちゃおう。
バッグの中にはクリアファイルが入ってるからだいじょうぶ。
右手に小銭を用意して信号が青に変わるのを待った。


横断歩道を渡っていくと、よっしーは誰かと話をしている。
先客?
だったら帰りにしちゃおうかな。
結構急いでいるし。


でも、私が横断歩道を渡り終えるころには、彼は話を終えて販売態勢に入っていた。
「こんにちは」
私はiPodのイヤホンを片方外して、300円を差し出しながらよっしーに近づく。


すると、さっきまでよっしーと話をしていた男性が
おもむろに大きなビデオカメラを肩にかついで私に向けた。


え? なに?


ちょっと面食らいながらよっしーとやりとり。
「暑いから気をつけてね」とかなんとか。
カメラはその一部始終を収めている様子。
地元のケーブルテレビでの紹介か何かかな。


じゃあね、とあいさつを交わしてふたたびイヤホンを耳に戻すと、大股で駅に向かいはじめた。
と、すこし歩いたところで、誰かが私の肩をたたく。
振り向くと、さっきカメラを向けていた男性だった。


「NHKですが、すこしお話を伺わせていただいてもよろしいですか?」


あら。
NHKの人がよっしーを取材してたんだ。
長くかからないならいいですよ。
そう答えた途端、男性はまたカメラを私に向け、
陰に隠れていた小柄な女性が長ーいマイクをぬっと差し出した。


いつも買ってるんですか、とか、中にはさまっている紙を知っていますか、とか、
3つ4つインタビューされた。
中にはさまっている紙は、よっしー手書きの手紙のコピーのこと。
もちろん知っている。


寒い日も、今日みたいな暑い日も、彼は交差点に立ち続けている。
その姿を見るたびに、ああ、がんばってるなあ、私もがんばろう、と思う。
がんばってる姿を見れば、応援しようと思う。
彼の姿が紹介されて、応援する人が増えるといいなと思う。


ところで、何の番組で紹介されるんだろう。
聞けばよかったな。




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2009-07-06

「数」にとらわれない

何げなく腕時計に目をやって、あっと思った。
今日は6日だ。


誕生日まで1ヶ月切ってる。


地下鉄の窓に映る自分の顔を見る。
そこにいるのはもうすぐ47歳になるはずの私。


47、ねえ。
ちっともピンとこない。


子どものころには、47歳なんてとてつもない数字だったと思う。
そんな年齢に自分がなるなんて想像もつかなかった。


子どもだって少女だって1年たてば誕生日がめぐってくるのに、
それでも自分の年を重ねた先に40いくつという数字が訪れるとは
思いもよらなかった。


あらためて自分の年の「数」に向き合ってみると、
単純に驚いてしまう。


誕生日がやってくれば年はひとつ増える。
その事実に変わりはなく、ひとつ増えたからと何かが大きく変わるわけでもない。
そんなふうに、いつからか私はあまり自分の年齢に頓着しなくなった。


そのせいか、46歳という年齢と自分の実態がマッチしているのかどうか
よくわからない。
「年相応」ということばが具体的に何をさすのかもよくわかっていない気がする。


開き直り、というのとは違うのだが、
「いいじゃない、別にいくつでも」と思ってるところはあるかもしれない。
46歳であれ、47歳であれ、たいした意味はないと思っているのかもしれない。


今日も、もてる力をせいいっぱい振り絞って踊ってきた。
こんなにも一生懸命踊るのは、そこに命を燃やす私が存在するから。


命には限りがある。
その現実はやっぱりこわくて、ふだんは考えないようにしている分、
ふと思い出すと愕然とする。


でも、限りがあるからこそ、「数」にとらわれずに生きていきたいと思う。
そうするのが私らしい気もするし。

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2009-07-05

「くねくね」じゃなく

子どものころ、
ロシア(いや、当時はソ連だった)のバレエを観に行った後は
きまって友だちと稽古場でまねをしたものだ。


憧れのバレリーナのまねをすれば、すこしでもうまくなれるような気がして、
記憶をたどりたどり踊るのである。
とりわけ、ダイナミックで表情のあるアームスはまねのしがいがあって、
あらん限りの情感をこめた。


アラベスクのときには前のアームスを思い切り高く上げて、
手首はかくんと折って。
その特徴的なアームスこそバレリーナの象徴のような気がした。


ところが、レッスンでそんなアームスをすると先生に注意される。
つまらないほどにすっと伸びたアームスに直されて、
「どうしてだめなの?」と内心疑問に思いながらも先生には従うしかなかった。


実際、アームスをくねくねさせると、感情移入がうまくいったような気になる。
すごく気持ちよく踊れているような錯覚に陥るのだ。


でも、それがおそろしいほどの錯覚だと気づかされたのは
高校の終わりのころだ。
「くねくね」と「めりはり」はまったくの別物で、
アームスの使い方もまったく違えば、美しさにも格段の差があるのだと
新しい稽古場で新しいスタイルを叩き込まれながら痛感した。
当然、一流のバレリーナたちのアームスは感情のこもった「めりはり」だった。


まず土台にあるのは基礎。
きちっとした基礎があってこそ、そこに情感が加わって表現がふくらむ。
基礎から逸脱したカタチに情感だけが先走れば、
ひとりよがりな崩れたラインにしかならないのである。


いま、稽古場で一緒にレッスンするのは、
プロのタマゴもいれば大人からはじめた人もいる。
どんなレベルであれ、クセのない、素直な動きの人は見ていてほっとする。


一方で、どんなに脚が上がっても、どんなにテクニックをもっていても、
カラダの中心がずれてしまうほどくねくねしている人は
とてももったいないと思う。
クセがある動きは見ていて引っかかる。
もっとシンプルなラインを求めて上品に動いたら素敵なはずなのに…
と残念でならない。


かくいう私はといえば、
自分の動きを踊りながら客観的にチェックすることはできないので
ただただ自分に言い聞かせながら踊るのみだ。


できうる限りバレエ本来のラインを求めて。
そのラインにもてる情感をこめて。
でもひとりよがりにならないよう自戒をこめて。


素直で、シンプルであること。
求めるのは、そういうこと。


踊りだけじゃない。
人としてもおなじかも。




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2009-07-04

顔は心の窓

顔は心の窓。


脳科学者・茂木健一郎さんのことば。
「化粧する脳」のなかで、読んだ瞬間に気に入った表現だ。
とても印象的で、しっくりきた。


もって生まれた目鼻立ちは
大々的な整形でもしない限りなかなか変えられるものではないけれど、
顔が「心の窓」ならば、
まさに自分の心がけ次第でいかようにも変えられるはず、
と希望がもてる。


感情がつい顔に出てしまう、と悩む人がいる。
顔に心がストレートに投影されるということだから、
それだけ正直な人なのだろう。


ただ、その人が悩むのは
好悪どちらの感情もすべて表に出てしまうことだ。


目の前の相手に露骨にネガティブな表情を見せれば、
そこにはどうしてもネガティブな化学反応がおきやすい。


人のもつエネルギーの影響力ってほんとうに大きいのだ。
ことに自分のエネルギーが落ちているときにネガティブなエネルギーの影響を受けると、
思う以上にダメージを受けてしまう。


人間だから、否定的になったり後ろ向きになったりすることはある。
でも、習慣的にネガティブな感情に支配されていれば
顔つきも感情に連動してネガティブになっていくものだ。


ああ、もったいない。
ネガティブな感情にとらわれていたら、いいことなんかない、ってこと。


自分の心がけ次第で変えられるんだったら、変えちゃおう。
ここは手っ取り早く、笑顔で。


顔つきが感情に連動するなら、実は感情も顔つきに連動する。
ためしに鏡の中の自分に笑いかけてみるといい。
気持ちがきゅっ、と持ち上がるから。


苦しいときやつらいとき、くやしいときにも、あえて笑ってみる。
ふっと力が抜けて、眉間のシワもこわばっている心もゆるむはずだ。


ポジティブだから笑顔になれるし、笑顔だからポジティブになれる。
なにより、笑顔は周りを巻き込んであったかな空気を作り出す。
その幸せな気分が自分をますますポジティブにしてくれる。


顔は心の窓。
そして、心も顔によって育まれるのである。




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2009-07-03

風邪と不思議なこと

きのう、おとといは鼻をかんでもかんでもすっきりしなくて、
デスク脇のくず入れがみるみるうちにティッシュでいっぱいになった。


1週間前になんとなくひいた風邪。
そのまま“風邪気味”程度で消えてくれそうだと思ったのに、
水・木でいきなり症状が加速した。


鼻炎薬を飲んでも鼻水はおさまらないし、
咳は出はじめると胸が痛くなるほどげほげほ続くし、
耳はなんだかつまっている感じがして聞こえが悪いし、
声は明らかにヘン。


熱は… 出てたのかもしれない。
でも、もし出てるとわかったら気持ちが萎えてしまいそうで、
体温は測らなかったけど。


2年ぶりにかかったが、風邪ってやっぱり不愉快。
なんたってかからないようにするのがいちばんである。


きのうのセミナーはこんな状態で迎えたので、
聞き苦しい声で参加者の方々には申し訳なかった。
ただ、セミナーの間は咳も鼻水もなりをひそめ、
カラダもキモチもいつもと変わらず。
風邪なんか吹き飛ばすほどにみなさんと一緒にエネルギーを上げた。


そのセミナーがはじまる前のこと。
私は友だちに不思議な話を打ち明けた。


この間、炊飯中の炊飯器の電源が落ちたのだ。
こわれたのかと思ってコンセントを入れ直すと復活する。
でも、しばらくすると私の目の前でまたすーっと電源が落ちる。
もう一度コンセントを入れ直したら、今度は問題なくごはんが炊けて、
それ以降は何の問題もなく使えている。


それだけではない。
その日は、お風呂も適温に温まっていなかったのである。
「お風呂が沸きました」というお知らせコールが聞こえたので入ってみると、ほぼ水風呂。
追い炊きにしても温まらない。
温度設定を上げて何度か追い炊きをしてなんとか適温になり、
それ以降やっぱり何の問題もないのである。


今回は炊飯器とお風呂だったが、
突然携帯電話がフリーズし、時を同じくしてiPodもフリーズするということが
いままでに何度かある。


単なる偶然? それとも機械の不具合?
たいてい私自身の調子がよくないときに起きているような気がするけれど。


「よくあるよ」
友だちがこともなげにいった。
「私も炊飯器の電源がすーっと落ちちゃったことあって、
停電かと思ったら違うのよね。携帯もおなじようなことある」


あらま。
やっぱりそう?
ヘンなエネルギーを出しちゃってたってこと?


自覚は全然ないんだけどねえ。
そうだとしたらちょっとびっくり。


ココロもカラダも健全なエネルギーで満ちてないと、電化製品にまで影響しちゃうのかも。
なんであれ、元気がいちばん。
妙に納得。




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2009-07-02

ポジティブ コミュニケーション セミナー第3回

少女時代、私にはキライな人がいなかった。


純真といおうか。
子ども心にウマが合わないなあ、と思う子もいたけれど、
それでも積極的に誰かをキライとは思わなかったのである。


あのころの私は、性善説の中に生きていた。


ところが、大人になって、ある時期人を信じられなくなった。
めまぐるしい日々に追いかけられながら、
時間的にも精神的にも余裕をなくした私は、性悪説に傾きかけていた。
人間不信にしろ人間嫌いにしろみずから好んでそうなったわけではないが、
それが現実だとあきらめている私がいた。


合わない人がいてあたりまえ。
キライな人がいてあたりまえ。
そんなもん。


そのうち、自分にとって合わない人やキライな人と接することは苦痛でしかなくて、
コミュニケーションはやっかいだと思うようになった。


あるとき、友だちがいった。
コミュニケーションってむずかしいよね。
でも、とっても楽しいよね、と。


楽しい?
合う人や好きな人となら楽しいに決まってるけど、
そうでないなら手放しに「楽しい」とはいいきれない。
「とっても楽しい」ってどうしてそういえるんだろう?


「とっても楽しいよね」
そのことばは長いこと心の奥で引っかかっていた。


あれからずいぶんたつけれど、いまなら私はこういえる。
コミュニケーションってむずかしいよね。
でも、とってもおもしろいよね、と。


今日はポジティブ コミュニケーション セミナーの第3回。
テーマは「みんな違ってあたりまえ!―行動傾向の4つのタイプ」。


人はどうしても自分と違うことを異端視して排斥しようとする。
なるべくおなじような人と集って安心しあう。
もちろん、そのほうが居心地がいいわけだけど、
違うことをただ単に「違う」と認識してみるだけで世界が広がることを実感すると、
違っているのも悪くないかも、と思えてくる。


自分が正しくて相手が間違ってるわけじゃないし、その逆でもない。
ただ「違う」だけ。
自分と「違う」人が違う価値観で一生懸命生きているのを感じれば、
人っていいな、と思えたりする。
みんな一生懸命生きてて、いとおしいな、と。


違うもの同士がおたがいに主張したり譲ったり調整しながらつきあうのはむずかしい。
でも、違うもの同士だからこその思いもよらない化学反応もまたおもしろい。
今日のセミナーでも随所で化学反応が起きていた。


人っておもしろい。
そして、コミュニケーションっておもしろい。




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2009-07-01

白いシャツ

しばらく前に、よく行くデパートの催事場で紳士服バーゲンがあった。
息子の好きなブランドもセール品が出ていたので、
忙しくて出向くことのできない息子に代わってあれこれ物色した。


彼がほしがっていたのは、Tシャツとちょっとしたはおりもの。
なかなかよさそうなのはないなあ、と思いながらぶらぶらしていると
白いシャツが目に入った。


真っ白のワイシャツ。
1枚持っててもいいかなあ。
ちらっとそう思った。


このシャツを着るときは、
入学式みたいにきちんとネクタイを締めて、ジャケットを着込んで、
ちょっとしたフォーマルな場面だ。
そのシャツはワイシャツと呼ぶより、スタイリッシュなドレスシャツだった。


しばらくそういう機会は訪れそうにない。
タンスの肥やしになるだけだから、いまはパス。
結局白いシャツは買わずじまい。


そのときは、まさかこんなに早く
白いシャツとジャケットの出番が来るとは思わなかったから。


その知らせがあったのは、日曜から日付が変わるころだった。
「先生の奥さんが亡くなったんだって。いまメーリングリストが来た」
高校の担任の先生の奥さまの訃報だった。


白いシャツを急ぎ調達しようかとも思ったが、
夫の裄丈長めのシャツでなんとか代用できた。
腕の長い息子でもつんつるてんにならずに済み、
黒いネクタイを締めて息子はきのうお通夜に出かけた。


「オレたちが現役の受験生だったときから患ってらしたんだって」
お通夜から帰って暑そうにジャケットを脱ぎながら息子はつぶやいた。
夫から借りたシャツは汗で色が変わっていた。


先生は入学から卒業まで3年間担任してくださり、
いつも悠然と変わらぬ態度で生徒たちを見守ってくれた。
TAP BOYSもほんとうにお世話になった。
先生がそんな状況にあるなんて、みんな知らなかった。


思いもしなかったことでかつてのクラスメート14人が顔を合わせ、
先生の奥さまのご冥福を祈った。


「オレがバレエはじめた、っていうと、みんなわざと『バレーボール?』っていうんだよ。
わかってるくせにさ」
大学では本気で「バレーボール?」と聞かれて、「バレエ」と知ると驚くんだという。
「誰も『バレエ』だからって驚かないんだよ。話が早いよね」


先生のもとで3年間育んだ仲間としての絆は強いんだな、と思った。
いいクラスだった。


それにしても、白いシャツの出番は早すぎた。
奥さまも、残された先生もまだお若いのに。
心からご冥福をお祈りいたします。




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2009-06-30

シンプルなラインをイメージする

不覚にも風邪をひいた。


あ、あぶないな、と思ったときにケアを怠ったのがまずかった。
風邪なんかこのところほとんどひいたことがなかったから、
油断していたかもしれない。


症状はのどだけで、時々咳がこんこん出る。
気温のアップダウンが激しいのがちょっとからだにこたえていて、
自律神経はすこしやられているかも。


踊ったほうがすっきりするかな。
ちょっと迷ったが、レッスンに行った。


行く道々、おととい観た「コッペリア」を思い出していた。
私の何列か前に座っていた女の子がお母さんに話していたっけ。
「ピルエットをゆっくり回ってたよ」


いいところ見てるじゃない。
タマラのゆっくりしたピルエット。
軸がまっすぐ取れていれば、勢いつけて回ろうとしなくても
するするするっと3回、4回回れてしまう。


「回ろうとしなくていい、ラインだけ守って」
先生にそういわれて意識すると、私でもするするっと回れるものね。
大事なのは軸とライン。


バレエの動きは実はとてもシンプルで、
余計な装飾がないシンプルなラインこそ真に美しいのだと思う。
そのシンプルなラインに人間性や感情をのせて、
その人だけのほんとうの美しさになる。


イメージ、イメージ。
ラインを守って、ゆっくり。
余計なことをしないで、シンプルに。


ああ、回れる。
世界のプリマに比べるべくもないけれど、私だけのラインで。


でも、イメージどおりにするするいったのは最初だけ。
あとは残念ながら総崩れ。
ピルエット、調子悪いな。


ま、今日の不調は風邪のせいっていうことにしといて、
今夜はゆっくり休みましょ。




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2009-06-29

しあわせなこと

大学生活がはじまってからほぼ3ヶ月の息子。
クラスメートと思わず話が合って盛り上がった、なんて話が
ぽつぽつ聞かれるようになったこの頃である。


でも、新鮮味あふれる新しい友だちも、
気心の知れた高校時代の仲間たちにはまだまだかなわないらしい。
携帯メールのひんぱんなやりとりも、PCでのチャットも、テレビ電話も、
相手はやっぱり高校時代の友人たちだ。


その仲間たちがきのうひさびさにわが家に集まった。
息子を含めたTAP BOYSの3人と、その仲間の計4人。
山形の大学に行っているTAP BOYSのメンバーが
親戚の法事で帰省したということで、急遽集結したのだ。


TAP BOYSはもちろんのこと、集まった誰もが私にとっても友人みたいなもの。
はじめは外で待ち合わせ、といっていたのが、
うちに来ればばたばたしている私も彼らに会えるから、
ということでわが家に集まってくれたのである。


TAP BOYSのメンバーたちとは月の初日にかならずメールのやりとりをするし、
もうひとりの友だちとは
息子がPCのテレビ電話で話をしているときにちょっとだけ加わったりして、
私もそれぞれになんとなくつながっている。


でも、直に会って、それもみんなが集まって、というのは全然趣が違うものだ。
直接会ったときの温度感は、
メールのやりとりだけでは味わえない特別な感覚である。


それぞれが思い思いに近況報告なんかをして、いちいち盛り上がる。
ひとつひとつの話題がそれぞれの頭の中のスクリーンに
生き生きと映像化されているみたいだ。
みんながおたがいにわかり合えてる感じがする。


私には片づけなければならないことがあれこれあったので、
うちの中をあちこち移動していた。
でも、どこにいても、彼らのどっと沸く歓声が聞こえてくる。


わっ、と盛り上がり。
わっ、と笑い。


すごく健康的で、すごく明るさに満ちた男の子たちの笑い声。


彼らの笑い声が沸き起こる度に、私もつられて笑う。
うち中に希望の波動が広がる。


しあわせだなあ。
そうしみじみ思う。


いい友だちに恵まれるって、ほんと、しあわせだなあ。




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2009-06-28

ルイジ

息子と新国立劇場に「ローラン・プティのコッペリア」を観に行った。


今夜スワニルダを踊ったタマラ・ロホとコッペリウスのルイジ・ボニーノは、
草刈民代さんのラストステージに登場したダンサーである。
そのときの印象が鮮烈で、また観たいと思っていたところに
タイミングよく新国立劇場への出演。
迷わずすぐにチケットを取った。


「プティのコッペリア」、実は子どものころにテレビで観ている。
コッペリアのストーリーはそのままに、設定も衣装も振り付けもかなり斬新で、
オーソドックスなバレエしか知らない少女には、とても刺激的な映像だった。
ドリーブの音楽にぴったりはまった独特の振りは以来ずっと覚えていたほどである。


さて、その期待の舞台。
予想をはるかに上回る素晴らしさで、どれだけ拍手したことか。
タマラにしろ、ルイジにしろ、フランツを踊ったホセ・カレーニョにしろ、
深い洞察と確かなテクニックには興奮させられっぱなし。


殊に、スワニルダの傲慢なまでの若さとその残酷さ、
そして年老いつつあるコッペリウスの哀愁の対比が際立ち、胸に迫った。
以前は「コッペリア」の陽の部分にばかり目を奪われていたことを考えると、
この感慨は、自分が年を重ねたせいだろうと思う。


幕切れの、コッペリウスの深い喪失感。
通り一遍のハッピーエンドに終わらない「プティのコッペリア」のすごさを感じた。


さて。
終演後、楽屋口でルイジを待った。
民代さんのラストステージ後のパーティーで、息子はルイジと写真を撮っている。
そのときにことばもすこしだけ交わし、温かくオープンな人柄にますます惹かれた。
今日は、そのときの写真を渡すつもりだった。


楽屋口に本人が出てくるまでしばらく待ち、
出てきた後もたくさんのファンにサインやら写真撮影やらするのを待って、
ようやく会えたときは終演からかなりの時間がたっていた。


タクシーに乗り込むルイジに息子が声をかけると、
ルイジは息子の顔を見つめてしばらく思案顔になり、
「キミのこと、覚えてる」といった。
「どこで会ったんだっけ?」


「『エスプリ』で」
「ああ! いまも踊ってる?」
「はい、タップを」
「そうそう、タップを踊ってるんだっけね」
「バレエも最近習いはじめました」
「それは素敵だ!」


素敵なのはルイジ、あなたのほう。
一流の芸術家で、そのうえ一流の人間性。
なんという温かさ、なんという親しみやすさ。


じゃあ、またね、バイバイと手を振るうちにタクシーが走り出し、
ルイジの笑顔は見えなくなった。


「ああ、オレ、もっと英語のボキャブラリーふやそう」
息子が真剣な面持ちでつぶやいた。




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2009-06-27

ほめられてうれしくないとき

おとといのセミナーで、「ほめたとき・ほめられたとき」について
参加者のみなさんと話し合った。


ほめられたり認められたりすれば、もちろんうれしい。
逆に誰かをほめたり認めたりしてよかったな、と思うこともある。
でも、「ほめられたのにうれしくなかったこと」や
「ほめたつもりなのにぎくしゃくしたこと」はないだろうか。


こちらは相手のいいなと思うところを伝えているつもりでも、
素直に受け取ってもらえなくて
せっかくの好意のことばが宙にぷかんと浮いてしまうことってある。
なんとなく気まずい空気が流れて、ちぐはぐな雰囲気。


どうしてだろう。
検証してみると、なにかしら原因は思い当たる。


言い出し方が唐突だったり、
こちらの見方と相手自身の認識にギャップがありすぎたり、
相手が自分に自信をもてないために好意のことばを受け取れなかったり。


自分自身のことを思い返してみても、
自分の身にそぐわないことをいきなりいわれたら、
たとえそれがどんなに素晴らしいほめことばだとしても不審に思うだけ。
単純に手放しでは喜べない。


評価が過小で認められないのは悔しいし、腹も立つ。
でも、突飛に過大なことをいわれるのもうれしくないのである。


たまに、相手の実態をよく見ずに自分で虚像を作り上げて
それを相手に当てはめる人がいる。
手の届かない雲の上のスターならまだしも、
よくよく観察すれば実像を知ることができる相手に対して、だ。


そんな捉え方をされて悪い気がしない人もいるかもしれない。
でも、私だったらいやだな。


あくまでも自分は自分。
卑下することもないし、ことさら大きく見せる必要もない。
その等身大の自分を
違う角度からフィードバックしてもらえたらそれはとてもうれしいけど、
拡大鏡で引き伸ばされたような虚像をあがめられたとしたら戸惑ってしまう。


とくに、相手にぶら下がろうとするがために虚像を作り上げているのだとしたら、
スターとファンという関係でもない限り、
実体の伴った対等な人間関係は成り立ちにくい。


ほめよ、認めよ、とはいうけれど、
大事なのはちゃんと心の目を開いて相手をよく見ること。


それが大前提。




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