アレルギー
高校時代、クラスで「ゲロ」と呼ばれている子がいた。
「ひろみ」が転じて「ゲロミ」。ゆえに「ゲロ」もしくは「ゲロちゃん」。
これを知った担任が眉をひそめた。
「何かほかに女の子にふさわしい呼び方はないのかね?」
トップで入学した成績優秀な彼女は、さばさばした性格でみんなに好かれていた。
私たちに彼女を馬鹿にするつもりなんかこれっぽっちもなく、
なにより当のゲロちゃんがまったく気にしていなかった。
だから担任がいくらやきもきしても、「ゲロ」という呼び方は変わらなかった。
でも、いまになってみれば、あのときの担任の困惑は理解できる。
雅な古文を愛してやまない先生にとって、
「ゲロ」という響き、語感はなんとも耐えがたかったに違いない。
ましてそれが15、6の花もはじらう乙女の愛称とは、
先生の感性が許さなかったのだろう。
私があのときの先生の立場だったら
そのことばがもたらす印象にやっぱり不快感をもっただろうと思う。
あれは、先生にとって明らかに「違和感を覚えることば」だった。
もしかしたら、「口にするのがはばかられることば」
といいかえてもいいかもしれない。
「ハリー・ポッター」の中で、
多くの人々が「ヴォルデモート」という恐怖の対象を口にすることができないけれど、
どうしてもことばとして口に出せないものってあるのだ。
「やばい」ということば。
私はこのことばにアレルギーがある。
自分の口にのせることはおろか、女性が口にするのを聞くのもだめだ。
小学生のとき、テレビか何かで耳にしていたのだろう、
何げなく「やばい」と口走った私を母がたしなめた。
「『やばい』なんて女の子が使うことばではありません」
そのいい方が、叱責調だったのか諭すふうだったのか覚えていない。
しかし、「使ってはいけない」ということだけはきっちり刷り込まれた。
二度と使ってはいけない、決して。
以来、私はそのことばをどうしても使えないし、使いたくもなくて、
そのうえ、ほかの女性が使っているのを聞くのもだめだ。
背中がぞわぞわと総毛立つようになる。
だめだめだめ、使っちゃだめ、と。
その響き、その語感にアレルギーなのである。
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