2009-11-06

浦島太郎の想像

ホームレスの人が街頭で販売するビッグイシューの最新号、
特集は「自閉症、その不思議と豊かさ」である。
予告を見た前号から楽しみにしていたが、
きのうやっと読むことができた。


実は私、自閉症の弟と42年も付き合っているけれど、
昨今の自閉症を取り巻く状況についてはかなりうとい。
たまに自閉症についての本や記事を読んでも、
そのたびに浦島太郎状態なのだ。


勉強不足の“浦島太郎”の率直な印象としては、
弟が養護学校に通っていた頃に比べると
ずいぶん解明が進んでいるんだなあ、ということ。


また、「自閉症」という障害についてのとらえ方も
かなり変わってきているなあ、と思う。
知的障害を伴わずに自閉症と診断される人が増えていることは
長いこと知らずにいたし。


ただ、そうやって何か新しいことをひとつ知るごとに
そうかそうかと納得する。


そうか、そうなんだ。


納得して、弟のアタマの中、ココロの中、カラダの中を想像してみる。
私たちがふつうに見ているもの、聞いているものが
彼にはどんなふうに見えて、聞こえるのか。
それをどんなふうに感じて、何を思うのか。


弟はそういうことを自分からは表現できないから、想像する。
想像しても決してわかるはずもないけれど、想像してみる。


「森を見て木を見ないのが一般人だけど、
自閉症の人は木は見えるけれど森全体が見えない」


ビッグイシューの記事の中にあったこのことばには
私のつたない想像力が呼び覚まされた。


木は見えるけれど、森全体が見えない。
単語は聞こえるけれど、文脈がつかめない。
この瞬間は見えているけれど、前後のつながりは見えない。


そういうこと、かな。


彼が突然不機嫌になったりパニックを起こしたりするのは、
そういうことだからなのかな。


42年お気楽に付き合ってきた姉は、
いまあらためて弟の中身を想像してみたりするのである。

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2009-11-05

思い出したひとこと

日経新聞の夕刊で武谷なおみさんという方のインタビュー記事を読んだ。
武谷さんはイタリア文学者である。
日本人と比較しながらイタリア人気質について語っていて、おもしろかった。


いわく、
「イタリア人はマニュアルを持っていない、
横に合わせようという意識がゼロに近い」


それを聞いたわが家の夫は、思わずうめいた。
「うわあ、オレなんか横並び意識が強い典型的な日本人だよなあ」


だとしたら、私は典型的な日本人像から離れているかもしれないねえ。
そう思ったときに、ふとあることばを思い出した。
ずいぶんむかし、アメリカ人の青年にいわれたひとことである。


「Atsukoは日本人じゃないね」


そういわれて、ああ、確かに、と不思議に納得した。


彼は、息子が生まれる前に通っていた英会話スクールの講師。
まだ大学を出たばかりくらいの若さで、
アメリカで覚えてきたというきれいな日本語を話した。
とても厳しい目つきでシビアなものの見方をするかと思えば、
漢字を書きながらおかしなことをいって笑う青年だった。


先のひとことは、クラスで弟のことを話したときにいわれた。
「日本人って、障害があることをそんなふうにオープンにいわないよね」
Atsukoの気質や感覚は日本人的じゃないね、と彼は淡々といった。


彼のことばはなんだかとてもしっくりきた。
ああ、そうか、と妙に納得していた。
確かにそうかも、と。


弟に障害があるということは、一般的に考えると「普通」じゃないのかもしれない。
でも、私にとって弟は障害があろうがなかろうがただひとりの弟で、
それが私には「普通」のこと。
自分や自分たちがほかの人たちとおなじかどうかは
まったくもってどうでもいいことだった。


いまでも「みんなとおなじ」「みんなといっしょ」に価値を見い出さないのは、
子ども時代からのそうした考え方によるのだろう。


物事の良し悪しの根本的な基準は、他人や世間にあるのではなく、
自分の中にある。
それが私にとっては心地よいのである。

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2009-10-29

“秋の遠足”を終えて

18時2分、上野駅で“秋の遠足”の母と弟を見送った。


新幹線に乗り込んだ弟は小山のように大きくて、
たいそうご機嫌ににこにこしながら窓越しに何かいっている。
大きな弟の陰からは、小柄な母がほほえみながら私たちに手を振っている。


楽しかったね。
インフルエンザ、気をつけてね。
息子と私も手を振った。
思いがけなく会えてよかったよ。
パパによろしく。


ホームからすべり出した新幹線が暗いトンネルの向こうに消えるまで見届けると、
息子と私は家路についた。
すっかり夜の街に変わった上野を抜けて、家まで歩いて帰った。


夕食を済ませると、お風呂に入りながら、なんとなく母のことを思い返した。


私が東京でひとり暮らしをしていたはたちのとき、
大竹しのぶの芝居を母とふたりで観に行ったときのこと。


私の生涯でたった一度出演したバレエ団の公演で、
店のオープンと重なってどうしても観に来れなかった母に
3日間公演の舞台がはねるたびに電話したこと。


そんなあれこれをなんとはなしに思い出した。


そういえば。
母と旅行に行く約束、果たしてなかったっけ。
息子が大学に合格したら旅行に行こうといってたのに、
なんだかばたばたしてるうちに立ち消えになってしまっていた。


オリエント急行に憧れてやまない母だから、
ほんとうは本物に乗りに行けたらいちばん。
でも、「絶対母と一緒!」の弟が、これまた「絶対飛行機には乗らない!」といってて、
オリエント急行がだめなら、せめて寝台特急カシオペアに乗ろうか、
なんていってたんだっけ。


だけど、母の憧れの実現に何か手立てはないだろうか、と思ってたら
オリエント急行はこの年内で廃止になるというニュース。
あちゃ。


旅行、計画しなおそう。
母と弟と行けるところ。
心楽しくなれるところ。
まだ息子がちいさかったときに行った「宮沢賢治の旅」みたいな。


「宮沢賢治の旅」はいま思い出してもほんとうに楽しかった。
息子に内緒で、母と弟に仙台から新幹線に乗ってもらって一緒に行った花巻。
偶然と信じて驚き喜ぶ息子の顔と、満面の笑みの母と弟に、
仕掛けた私と夫もすごくうれしかった。
それに、冬の初めの花巻の穏やかさはなんとも心地よかった。


どこがいいかな。


まずは母に聞いてみましょ。

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2009-10-28

サプライズ!

ゆうべ、母から電話がきた。


携帯がバイブした時にはてっきりメールだと思った。
だって、夜の9時に電話をよこす人なんて私にはそうそういないから。


ひっきりなしにバイブし続ける携帯を開けて電話に出る。
母がメールじゃなくいきなり電話してくる時は急用だ。


「もしもし」
「明日、どんな予定?」
「『どんな予定?』って、午前中にレッスンに行ったりするけど」
「じゃ、会うのはあさって、かな」
「!?」
「いま東京に来てるのよ」


わ。


携帯を耳に押し当てたまま息子に告げる。
「ばばたち、東京に来てるんだって…!」
「うわ、やりやがった」
息子は聞くなり下品ないい方で答える。


息子も私も、新型インフルエンザに感染したら大変、と
東京への“秋の遠足”は避けるようにいっていたのである。
まさかの事後承諾。


「サプライズ!でしょ」
電話の向こうの母はこともなげにいう。
母の後ろからは、野太い声で私と息子の名前を呼ぶ弟の声。


ちょうど電話が来るまで、録画してあった「裸の大将」を見ていた。
市原悦子さんと、塚地演じる清が踊る姿に大笑い。
いきなり歌い踊りだしちゃう悦子さんに母が、
それにワンテンポ遅れてぎこちなくまねして踊る清に弟が見事に重なり、
ひとり笑いが止まらなかった。


きのう夫と話しながら銀座を歩いている時も、
銀座めぐりが好きな弟や母のことが何度も話題にのぼった。


母と弟が東京に来てることを感じとっていたのかしらね。


さて、今日も私は青空銀座。
今度は母と弟と3人である。
弟のちいさい頃からのライフワーク、「銀座の放送局めぐり」だ。
銀座に集まっている全国各地の放送局の東京支局を回って
タイムテーブルをもらうのである。


「お母さんが歩けなくなったらおしまいだからね」
杖をついてゆっくり歩く母が、大きな弟の背中に向かっていう。
けれど、気分が高揚した弟はわれ関せずでどんどん歩いていく。


それにしても、まあよく歩いた、歩いた。
文字どおり、“秋の遠足”。

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2009-08-28

胸きゅん

秋が深まったら、東京に遊びに行くつもりでいた弟と母。


だけど、予定を立てたときと情勢は明らかに変わってしまった。
「今回はやめておいたほうがいいわよね」と母が思案げにつぶやく。
「出かけないほうがいいぞ」と父も積極的に止める。
私たちもそのほうがいいと思う。


あとは楽しみにしている弟を納得させるのみ。


なにせ、仙台の家族は新型インフルエンザにかかったら
3人とも重症化するリスクをもっているのだ。
父と母は高齢だし、おまけに父と弟は糖尿病で、母にはすこしぜんそくっ気まである。


絶対やめたほうがいい。


その代わり、流行が落ち着いたころに私たちが仙台に遊びに行くつもり。
もちろん、私たちも感染しないようにしないとね。


きのう買ったPCに入っていたセキュリティーソフトは90日後に切れる。
ということは、11月の半ば過ぎ。
そのころに新しいセキュリティーソフトをインストールしに行きたいな、と思う。


今回のノートPCはVistaなので、XPに慣れた母に息子がレクチャーした。
そうたいして変わらないわね、とか、あらこの操作忘れてたわ、とか、
母はとってもうれしそうである。


いままで使っていたデスクトップは、そもそも私が母にプレゼントしたものだった。
ところが、いつのまにか父と弟が占領して母はなかなかさわらせてもらえなくなっていた。


見かねて、私が使っていたノートPCを母におさがりであげたら、
デスクトップがポンコツになってきたからとまた共用になり、
そのうちなぜか液晶がこわれて使えなくなってしまった。


東京に帰る荷作りをしながら、背中で母と息子のやりとりを聞いていた私は、
母のはずむ声に胸がきゅんとした。
母もPC使いたかったんだな、ひさしぶりに使えてよかったな、とうれしくなった。


大切な家族が心から笑っているのって、なによりしあわせだ、としみじみ思った。


あっというまの4泊5日だったね、おたがいインフルエンザに気をつけようね、
と玄関先で別れたその2時間半後には、東京駅のホーム。
これまたあっというま。


それにしても、なんて人の多さだろう!
めまいがするほどたくさんの人間が、入り乱れながら先を急いでいて、
仙台とは大違い。


思わず気持ちが引き締まる。
ふたたび戦闘モードに突入、といったらオーバーかもしれないけど。


家族が笑顔でいられるように、笑顔でがんばろ。
やっぱりちょっと戦闘モード、かな。

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2009-08-25

仙台でのできごと

きのう私と息子が乗ったのと同じ新幹線で、夫が仙台にやってきた。


「駅に降りたときは涼しいと思ったけど、歩いてきたらさすがに汗ばむね」
駅から仙台の街並みを眺めながら歩いてきた夫は、そういって笑う。
ひさしぶりの仙台は、あまり変わってないや、とも。


「仙台で、きのう『事件』が起きたの、知ってる?」
とおもむろに聞く私。
ニュース番組で何度も報道された、あの『事件』のことだ。


「なに?」
と夫はいぶかしげな顔。やっぱり知らないか。


きのう、ちょっと時間がずれていたらきっと遭遇していたすごいこと。
定禅寺通りのけやきの1本が、突然車道に向けて倒れたのだ。


私たちが帰ってからほどなく帰宅した父が、
車道が通行止めになっていて、何かあったようだという。
なんだろうねえ、私たちが通ったときは何でもなかったけど、なんていってたら、
ニュースを見て驚いた。
樹齢60年のけやきが突然根元から折れて倒れたというのだ。
どうやら根元が腐っていたらしい。


夕方、食事に出かける道すがら、件のけやきの跡を見た。
交通量がすくないわけではないのに、
たまたま車も人も通っていなかったのは幸いだった。


私の大好きな定禅寺通りのけやき並木、
あらためて1本1本眺めれば、幹も太くて実にりっぱな大木だ。
こんなのが倒れてきたらひとたまりもないねえ、驚いちゃうねえ、なんて話しながら
けやき並木をそぞろ歩く。


仙台の家族と東京の家族の6人が顔を合わせるのはかなりひさしぶり。
おいしいものを食べるときはいつもゴキゲンな弟だが、
今日はとりわけうれしそうだ。
義理の兄と『両手を合わせてにぎにぎ』といういつものごあいさつの儀式をして、
あとは終始にこにこ。


窓の向こうに見える燃え上がるような夕焼けにみんなして感嘆の声をあげながら、
再会に乾杯。


家族の笑顔ってこんなにうれしいんだっけ。


こういうのを幸せなひととき、っていうんだろうなあ。
そう思った。

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2009-07-10

偶然が必然になるとき

おとといの夕方、めずらしく弟から電話がかかってきた。
ひとしきりいつものごあいさつ儀式を済ませると、
弟のリクエストで歌いだす前にあることを聞いてみた。


「ねえ、明日何の日か知ってる?」
「知ってる」
「知ってるんだ! 何の日?」
「パパとママの結婚記念日。48周年」


あら、知ってたんだ。
記念日好きの弟が、この日は何もいわないから知らないのかと思ってた。
そう、知ってたのね。


夜、携帯に結婚記念日お祝いメールを打ち込んだ。
遊びに遊んだデコメール。
日付が変わったところで送信しようかなあ、と思ったが、とりあえず保存にした。
結局、私は日付が変わる前に眠りについていた。


翌朝、電源を入れると携帯が受信しはじめた。
メールは母から。
遊びに遊んだデコメール。


「ついにラスト日を迎えました 体調はいかがですか?」
セミナー最終回の、励ましメールだった。


「さあ 最後もびちっとかっこよく!」
送信時刻は日付が変わって間もなく。
母に先を越された。


父と母の結婚記念日のきのう、私は自分が企画したセミナーのシリーズ最終回。
その終了時刻の9時に、携帯がバイブ。
みんなが顔を見合わせる。
みんなわかってる。
携帯をあけると、みんなが思っていたとおり、母からのメール。


「無事 千秋楽の幕が引かれましたでしょうか おつかれさま ご苦労様でした」
そこには、参加してくださったみなさんと、協力してくれた友だちに対する
感謝のことばが綴られていた。
最後に、スタッフとしてサポートしてくれた孫息子へのねぎらいも。


「1回だけの参加でしたが 何回思い出しても愉しかったと
果汁の甘みにも似た思いをかみしめております」


あらためてみんなで顔を見合わせる。
みんな笑ってる。
みんなが母の顔を思い浮かべてる。


父と母がいたから私がいる。
出会いは、偶然の積み重ね。
でも、出会えば偶然は必然になる。


きのうのセミナーで居合わせた顔ぶれもみんなそう。
出会いのきっかけは思いがけない偶然。
でも、知り合ったいまとなってはもう偶然じゃない。


一夜明けた今朝、吹く風は湿気を含んで熱っぽく、空にはまだらな雲が広がっていた。
でも、その雲のすきまからはきれいな青。
その澄んだ空色を見やりながら、すがすがしい気持ちをかみしめていた。


温かなエネルギーを与えてくれたすべての出会いに、心から感謝します。

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2009-06-19

生かされている

夕方、きのうから東京に来ていた母と弟を息子とともに見送った。


このところ不機嫌続きで母を困らせていた弟はとってもゴキゲンで、
新幹線に乗り込んでからもめずらしく私たちににこにこと手を振り続けていた。
小柄な母は大柄な弟の陰から身を乗り出して、
帰ったら電話するね、とジェスチャーをしている。


ありがとう。
来てくれてほんとうにうれしかった。
ありがとう。


母と弟にありったけの思いをこめて手を振った。


母は、ポジティブ コミュニケーション セミナーに参加するために上京したのである。
弟は、思いがけない東京行きに二つ返事でお供してきたというわけだ。


「よかったね、セミナーを開いて」
母はしみじみとそういった。


ほんとうに。
応援に駆けつけてくれた母のありがたさが心に沁みた。


セミナーから一夜明けた今朝、上機嫌でMr.Childrenを歌っていたら
ふいに涙がこみ上げた。
私には感謝したい人がいっぱいいるなあ、と。


セミナーに参加してくださった方おひとりおひとりにも。
深い理解でずっと後押ししてくれた友だちにも。
心が萎えそうになると笑わせて気持ちを盛り立ててくれた息子にも。
「必死なアナタを応援しないわけにいかない」といってサポートしてくれた夫にも。
ひそかに娘を気遣ってくれていた父にも。
曲がったことをしないよう心の基準であり続けたTAP BOYSの存在にも。
私を励まして力を貸してくれた友人たちにも。


感謝の思いでいっぱい。


つくづく思う。
自分ひとりでがんばってるわけじゃないんだなあ、と。


たくさんの人に生かされて、私はここにいる。
そして、こうして生きてること自体が奇跡の連続なのかもしれない、と思える。


「祈るように~生きよう~」
スピーカーから流れる桜井さんの歌声。


私にいつも前向きな力を与えてくれるアナタの歌にも感謝。




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2009-06-11

宇宙人

弟は突然不機嫌になることがままある。
おとといもそうだったらしい。


その日は母の誕生日。
朝早くにお祝いメールを送ったら、ほどなく母から返信があった。
お礼のメッセージの後にちらっと弟のこと。
「パニックって 煩い」と絵文字つき。


あちゃ。
せっかくのお誕生日なのに。
アイツ、なんで騒いでるの?


早くおさまりますように、と祈る。
ママの誕生日なんだから、陽気にお祝いしようよ、と弟の心に念じる。
なんでかなあ、なんでだろう。
彼の不機嫌の原因、わからないけど。


夜、母に電話をした。
弟はなんとか落ち着いたと聞いてほっとする。
突然、弟の野太い声が聞こえてくる。


「オカアサンニ、シャンパン、ノマナイノ~?」
「はいはい、飲みますよ」と母。
「オカアサンニ、シャンパン、ノミマス」
「『お母さん、シャンパン飲みます』でしょ」


父が「お母さんに『シャンパン飲まないの?』って聞いておいで」
といったのだろう。
その伝言をそっくりそのままで問いかける、自閉症ならではの聞き方である。


弟がどうして不機嫌になったりパニックを起こしたりするのか
因果関係が推測できることもあるが、想像や理解の範疇を超えていることも多い。
それは弟と暮らす母や父にとっても、また弟本人にとっても、
まるで降ってわいた災難だ。
弟にしたって、何がどうなって自分が不快なのか説明できないのだから。


「わからないのよ。『宇宙人』だから」と母がいう。
「自閉症は『星の子』ともいわれてるんだって」と私がいうと、
母は感心したように「やっぱり『宇宙人』ね」と笑った。


もっとも身近にいる母でさえわからない自閉症を、
世間の人はもっとわからないことだろう。
自閉症の姉を42年やっている私にしても、
自閉症が医学的にどこまで解明されているのかといった客観的な事情に関しては
勉強不足で追いついていってないし。


それでも、弟を例にあげながら
「こういう人もいるんだよ」っていうことは伝えられるのかな、
と思ったりする。


世の中にはさまざまな人がいて、
たまたまそういう特性をもって生まれてきちゃったこういう人もいるんだよ、と。




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2009-01-23

思いがけない電話

「森のくまさん」が流れてきたのは、お昼すこし前のことだった。


自宅用の電話は、登録してある番号からかかってくると
「森のくまさん」のメロディで呼び出すようになっている。
誰からだろう?
画面で確かめようとしているうちに、留守番電話に切り替わる。
と同時に電話は切れた。


急いで着信履歴を見る。
母の携帯からだ。
ってことは、もしかして間違い?


携帯からなら、家族で契約している私の携帯にかければ無料である。
きっと押し間違いだな、と思っているうちに、また「森のくまさん」が流れ出した。


あれ、やっぱり母の携帯だ。
出ようと受話器に手をかけたところでまた切れた。


なに?


すぐに携帯からかける。
5回ほど呼び出し音が鳴って、つながった。


「…ん、もしもし」


あら、予想外。
出てきたのは弟。
「サバダバオープニングテーマ」
さっそくお気に入りの歌を私に歌えとリクエスト。


そっか。
私に歌ってほしくてかけてきたんだ。
弟からかけてくるのはひさしぶり。
で、母の携帯からかけてくるのははじめて。


彼のリクエストに従い、
携帯に向かって「11PMのテーマ」やら「秘密のアッコちゃん」やら歌う。
しばらく歌ってから弟に訊く。
「ママは?」
「洗面所」


なるほど。
母は洗面所で洗濯かなんかしているのだろう。
そして、弟が自分の携帯で電話しているのも知らないのだ、たぶん。


しばらく弟とやりとりしながらなおも歌っていたら、
受話器の向こうから母の声が聞こえてきた。
「あらっ! どうしたの? 誰?」
明らかに母はうろたえているのに、弟はわれ関せず。
ちょうど潮時と思ったのか、満足そうな声をあげながら母に携帯を渡した様子。


「もしもし」
けげんそうな母の声にかぶせるように「私よ」と答える。
母は「ああ、なんだ」と安堵の声を漏らす。
私は出かける時間が迫っていたので、母とはすこしだけ話してバイバイ。


ひさびさの、弟とのへんてこりんソングタイム。
私、弟に必要とされてるのねえ、なんてちょっとうれしかったりして。

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2008-12-11

人と違うということ

宮本亜門さんの子どもの頃を回想する番組を見た。


亜門さんは、仏像鑑賞が趣味だとは誰にもいえなかったという。
みんなと違うこと、自分が変わっていることを十分認識していたし、
そんな自分は受け入れられないものと思っていたからだそうだ。


一緒に見ていた息子がいう。
「ドミンゴが好き、とか江守さんが好き、とかいってる中学生も
相当変わってると思うけどね」


私のことである。


確かにそのとおり。
アイドルの話題できゃあきゃあ盛り上がるクラスメートを尻目に
世界的テノール歌手や新劇界の渋い天才に熱を上げていたのだ。
いうまでもなくかなりの少数派で、話なんか合うはずもない。


だが、そのせいで孤独感を深めた記憶はないのである。


そもそも水の合わない中学だった。
バレエをやっていることを異端視された時点で居心地がいいはずもなく、
卒業するまで好きになれない学校だった。
とはいいながら、なんとなく話をする友だちや胸をときめかす男の子もいて
それなりには過ごしていたのだが、
「みんなとおなじ」を善しとする雰囲気にはいつも違和感があった。


あんなの、どこがいいのかな。
みんなでわあわあいってるけど、興味ないや。
私には自分が好きだと思えるものがあるからいい。
みんなと好むものが違ってたって別に気にならない。
だって、私は私だもの。


…とわが道を行くふうに毅然とした中学生だったかどうかは定かでないが、
人と違うことに恐れを抱いたことがないのは確かだ。


それはたぶん、弟の影響が大きいのだと思う。
自閉症という障害を持った弟の存在である。


私にとっては唯一無二の弟。
弟との関係だけが私にとってのきょうだい関係。


しかし、障害のあるきょうだいがいることが一般的でないというのは、
早い段階で理解していた。
でも、世間で一般的かどうかにかかわらず、
私にとってはそれがあたりまえのことなのだとも認識していた。
否定しようのないこととしてすんなり受け入れていたことが、
実は人と違っていた、というただそれだけのこと。


人と違うことに違和感を覚えないのは、弟の存在が原点なのだろう。


「人とおなじはいやだ」といってはばからない息子も、
おじの存在を受けとめつつ、伝統を引き継いだのかもしれない。

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2008-10-20

母の憧れ

きのうから母と弟が上京中。


今回の東京は母にとって特別な意味を持っている。
なぜなら、長いこと憧れ続け、
このうえなく愛してやまないミレイの「オフィーリア」を見るために来たのだから。


ほんとうは母にひとり心ゆくまでゆっくり見てもらおうと
私は弟を別の場所に連れていこうかと思っていた。
しかし母は、「『オフィーリア』だけ見られれば十分」という。
それに弟も母と一緒に見たいというので、3人で会場に入った。


母が杖をつきながらゆっくり歩を進める。
「あの人だかりがそう?」
「ううん、もうすこし進んだ右手。…ほら」


人込みを縫い、ゆっくりゆっくり前に進んだ母がふいに立ち止まる。
一瞬息をのみ、私のほうを振り返る。


「案外ちいさいのね…」
ため息にも似た声でささやく。


私の後ろでは弟がぶつぶつつぶやいていた。
「『はい』『はい』、おおきな声でいっちゃだめ、『はい』『はい』」
会場に入る前に私に注意されたことを繰り返し繰り返しぶつぶつぶつぶつ…
彼のつぶやきを背中に聞いてうん、うん、とうなずきながら、私は母の背中を見ていた。


オフィーリアに会うために、とバラをモチーフにした優しげなブラウスを着た母。
人垣にはばまれ、「オフィーリア」を遠巻きに見つめている。
あれでは小柄な母が絵の全容を見られるとは思えない。


「だいじょうぶ。かならずいちばん前の真ん中で見られるから、そこから見て」
そうささやいて、母を促す。
あんなに憧れていたんだもの、あんなに待ち焦がれていたんだもの、
どうぞオフィーリアを間近で見つめて。


人のかたまりがなんとなく崩れ、母はなんとかいちばん前に進むことができた。
私は相変わらずやまない弟のぶつぶつを聞きながら、
すこし離れたところから母の背中と「オフィーリア」を交互に見つめた。


何度見てもせつなさに胸が苦しくなるオフィーリア。
母はどんな思いで見つめているのだろう。


身じろぎもせずに絵を見上げている母の背中は
かすかに震えているように見えた。


どれくらい時間がたったか、
母は絵のそばから静かに離れ、私たちのところに戻ってきた。
その顔はすこし放心したようにほほえんでいた。


「生きててよかった… 
ほんものの『オフィーリア』を見られてほんとうによかった…」


母は会場を後にしてからそうつぶやいた。

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2008-09-13

留守番の半日

きのうから仙台に来ている。


今日は弟とふたりで半日過ごした。
母に出かける用があり、私が留守番役を買って出たのだ。


弟はゆうべからちょっと不機嫌だった。


彼の不機嫌はいつも突然降って湧いてくるし、
その理由もよくわからないことが多い。
ものすごく楽しそうににこにこしている一瞬後に
灰色のガスを吐き散らすようにぶつぶつ呪文みたいなことばを繰り返していたりする。



何かが彼の中の秩序を乱すと不機嫌になるのだろう。
その不機嫌のもとが私たちにはよく見えないし、
彼もまたそれを伝える術を知らない。
彼の中の嵐が通り過ぎていくのを待つのみで、
常々忍耐強くそれを実践しているのが母だ。


それでも、今回の不機嫌の主な原因は母の外出なんだろうな、と推測できた。


やれやれ。
ここはまさにエンターテイナー姉の出番ね。
とにかく半日姉弟ふたりで楽しく過ごそうじゃないの。


なかなか眠りにつかない弟のぶつぶつつぶやく声を聞きながら
ゆうべそう心に決めた。


今朝、父は仕事に、母も自分の用事に出かけた後、
弟とふたりで朝食をとることから一日が始まった。


弟のペースを尊重しつつも、伝えるべきところは伝えながら事を進める。
お茶碗ひとつの受け渡しにも彼のペースがあるので
リズムを崩さないような配慮が必要だ。


それをわかっていながら、時々弟をからかってみたくなるのは
子どもの時からの悪い癖だ。
グラスを片づけるとき、彼には持ち方や指の置き方にこだわりがあったのに
強引に違う持ち方をした。
なかなか片づけさせてくれない弟にややしびれをきらしたせいもあったのだけど。


弟の態度は豹変。
自分の指を噛んで怒りながらうなりはじめた。


まずい。
パニックを起こしかけてる。
ごめん。


彼のいいなりに、ということではないけれど、
けっして彼を否定することなく気長に待つことが原則なのだ。
その原則を破っちゃいけない。


その後の半日は原則を守りつつ、弟の好きな歌を歌い、好きなフレーズを紙に書き、
たくさん笑って過ごした。


でも、思った。
相手を否定しないでありのままを受け入れる。
それって、大きな安心感のもと。


自閉症の弟のみならず、人間関係の原則だよね、と。

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2008-08-31

晴れ男と雨女

このところ、雨の降らない日はない。
雨と関係あるのか、気温もそう上がらず。


急に気温が下がった時は、まさかこんなに長く続くとは思わなかった。
9月過ぎまで残暑の間は夏気分、と思っていたのにあてはずれ。
私にしてみれば、大好きな夏が予告もなく唐突に打ち切られた気分。


ところで、母と弟が2泊3日の滞在を終えて、今日夕方仙台に帰った。
弟のキライな雨、それもどしゃ降りが何度も降った3日間だったが、
ふたりはなんとか雨にぬれずに帰っていった。
それも、ふたりが外を歩いている時は不思議とよく晴れていた。


「レインマン」という映画がある。
ダスティン・ホフマンが自閉症を演じた名作。
その中で、ダスティン演じるレイモンドは雨が降ると絶対外に出ない。
絶対に。


レイモンドにかなりそっくりな弟は、そこまで極端ではないけれど
雨の外出を嫌う。
1月の骨折以来、杖をつくようになった母ももちろん雨の外出は避けたいところ。
だけど、この3日間予報は雨。
「時々」とか「一時」とかであったにせよ、雨マークであることに変わりはない。
せっかく東京に来ても、ホテルから出られずじまいになるかもなあ、と思っていた。


ところが。
初日はずっと晴れていたのである。
そのおかげで、弟は自分が行きたいところにみな行くことができ、大満足。


その日の夜、息子と私はふたりが泊まるホテルの部屋を訪れた。
話をするうちに雷鳴が聞こえ始め、窓の外は雨。
それでも、雨も雷も予想の範囲内。
傘ももちろん持っているし、じゃまた明日ね、と部屋をあとにした。


ホテルを出ると、そぼ降る雨。
母と弟が雨にぬれなくてよかった、と話しながら歩いていると
突然雨が激しくなった。
え? と思う間もなく、雨が滝に豹変。
遠くでごろごろいってた雷も、あきらかに近くでごろぴしゃどかーん! と鳴り響いた。


一駅地下鉄に乗り、わが家にたどり着いた時はふたりとも足全部びしょぬれ。
道はほとんど小川と化し、靴はすっかりずぶずぶ。
でも、私たちが帰ってほどなくすると雨も雷も小康状態に。
どうやら私たちはいちばん悪いときに外に出てしまったらしい。


今日も、母と弟と3人で外を歩いている時は強い陽射しに照りつけられたのに、
ふたりを見送って駅から出た途端雨が降り始めた。


まったく。
わが身の不運を嘆きながらも、それでも母と弟が雨に見舞われなくてよかったと思う。


それにしても。
青い空はやっぱりいい。
日本橋でお陽さまのまぶしさに目を細めながら空を見上げた。


でも、空はもう秋の色だった。

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2008-07-12

弟との電話

きのう、母に近況報告&ご機嫌伺いのメールをしたら
今朝返信がきた。
午後にでも電話しようと思っていたので、前倒しで母の携帯に電話。


弟が出てきた。


弟は以前よく固定電話にかけてきたものだが、
最近ではぱったり途絶えてとんとご無沙汰。


でも、待ってたのかな。
私からの電話。


弟が電話をかけてくるのは自分の気が向いた時だけ。
彼の気がのらない時にこちらからかけても喜びはしない。
むしろ迷惑そうな声を出される時もあるほどだ。


ただ、今日は「姉の電話に出てもいいな」という気分だったんだろう。
上機嫌で出てきたのだから。


「イトーソースケじいさん」
弟がいった。


あ。
そうだったね。
今日はおじいちゃんの命日だ。
中学3年の夏だったから、今日で31周忌。


「31周年記念日」と弟がいう。
そうだよね。
記念日には違いない。


私が生まれる前に脳卒中で倒れた祖父は、ことばを失っていた。
おなじようにことばのなかった弟を、祖父はこのうえなく愛した。
初孫だった私と、ことばをもたない弟。
私たちきょうだいは、優しい祖父にたっぷり愛情を注いでもらった。


この間、ある人に「あなたはたくさんの守護霊に守られている」といわれた。
そういうことにいままで全然興味がなかったのに、
いわれるとなんだかとてもうれしかった。
守護霊さんの中には大好きな祖父もいるかなあ、なんて
なんとなくななめ後ろを仰ぎ見たりする。


電話の弟にはすこし歌を歌い、ほどなく母が替わった。
母は自分の寝室に場所を移し、おたがいにああでもないこうでもないとおしゃべり。
そのうち、弟の声が聞こえてきた。
母のところにわざわざ彼も移ってきたようだった。


「替わりたいの? どうぞ」と母。
もっと私に歌ってほしかったんだね。
はいはい、とことんつきあいましょう。


「鬼太郎の目玉おやじ風11PMのテーマ」とか、
「タラちゃん風鬼太郎の目玉おやじ」とか、
弟のへんてこりんなリクエストにこたえつつ携帯に向かって熱唱。


はからずもきょうだいで、私たちきょうだいらしいやりかたで
祖父を偲ぶことができたのかもしれない。


なんかよかったな、と思う。

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2008-05-27

おいしかった

今日は、母・弟と銀座松屋で待ち合わせ。


先に来ていた夫が私を見つけて「こっち、こっち」と促す。
母はストールを買い物中で、弟はにこにこしながら母の近くをうろうろしていた。


遠目からだと、母も弟もよりほっそり見える。
「なかなかやせられないのよ」とため息をついてることが多かった母だけど、
やせられてほんとよかった。
おなかのぽっこり感と全体の重量感が軽減して、ふたりともずいぶんすらりとした。


いつものコースで、銀座松屋から日本橋高島屋に移動。
恒例の「おけい寿司」でお昼を食べるためだ。
銀座にも日本橋にもおいしそうなお店はたくさんあるのに、
弟はきまって「おけい寿司」に行きたがる。


「おけい寿司」では何年来と顔なじみのお店の方たちが
「あららら、おひさしぶりです! いらっしゃいませ!」と笑顔で迎えてくれる。
母と弟がわざわざ仙台から来ているのを知っているのだ。


「おけい寿司」にはじめて来たのがいつなのか弟に聞いたら、
1980年、彼が13歳の時だそうだ。
28年も通い続けてるのか…、とその長さに驚き、
また相変わらずの弟の記憶力に舌を巻く。


「おけい寿司」の店内はそば処「萱場」と一緒になっていて、
お寿司とおそばを一緒に注文することができる。
どちらも上品なお味に量少なめで、どちらもおいしい。
弟はいつも鉄火重と天せいろを堪能していた。


でも、今回からはもちろんどちらかひとつ。
弟は鉄火重を頼み、私たち3人はいつもの定番、ちらし寿司。


おしゃべりしながら4人してゆっくりゆっくり食べる。
本来食べるのが早い夫も、私たちに合わせてゆっくりゆっくり。
かつて大食い番組を見て、自分も出たいといった弟もゆっくりゆっくり。
がつがつと流し込むんじゃなく、ひと口ひと口いとおしむようによく味わって食べる。


「やっぱりここのちらし寿司はおいしいね」
誰ともなくことばにすれば、満足感とともにみんなしてうなずく。


私は、筋力トレーニングで消耗したカラダに
じわじわとちらし寿司がしみわたっていった感じ。


なんだかいつもよりなおいっそうおいしく感じられたのはなぜだろう。


味わえる、ってありがたい、という単純なことを
素直に思うことができたからだろうか。




★朗読「不安な気持ち・いやな気分がラクになる本」、更新しました。

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2008-04-17

41歳の春

子どもの頃に見て、いまも見たいなあと思うアニメがいくつかある。
「天才バカボン」はそのひとつ。
(「元祖天才バカボン」ももちろん)
バカボンのパパのナンセンスさがすごく好きだった。


平成になってからリメイクもされたようだけど、
バカボンのパパの吹き替えが違っていたのでダメ。
バカボンのパパはやっぱり雨森雅司でなくちゃダメなのだ。
(雨森さん、ずいぶん早くに亡くなってしまったので仕方ないんだけど)


ところで、バカボンのパパは41歳である。
「元祖天才バカボン」のエンディングでも
「41歳の春だから~ 元祖天才バカボンの パ~パ~だ~か~ら~」
と歌われている。


ということは、弟はバカボンのパパと同い年になったのだ。
今日は弟の誕生日。
まさに41歳の春なのである。


弟宛てにバースデーカードは送ってあったが、
朝、母の携帯にお誕生日おめでとうのメールを送った。


ほどなく母から返信。
弟はゆうべ突然「乱気流」に突入、おなじことを繰り返しぶつぶついっているという。
原因は不明。
「なにか気に入らないことがあるんでしょうね」と母は綴る。


まあ。
せっかくの誕生日だというのに。
彼は時々、突然不機嫌になって家族を惑わせる。
理由はなにかあるんだろうけど、それは家族でもなかなかわからない。


夜になって、母の携帯に電話した。
(ドコモで4月から家族間通話が無料になったので、最近もっぱら携帯ばかり)
よく行くレストランでお祝いディナーをしてきたという。


弟の機嫌はすっかり直ったというからよかった。
お店のご好意でバースデーケーキが登場し、
皆さんの拍手の中、弟はろうそくを吹き消したそうだ。
思いがけないよそさまのお心遣いに胸がいっぱいになった、と母。


父と母と、お気に入りのシェフとスタッフの方々に囲まれて
弟はさぞかし誇らしかったのではないだろうか。


41歳か。
見た目はたしかに41歳だけど、年齢はあってないような弟。
ま、私たち年齢不詳のきょうだいだよね。


41歳の春、おめでとう。




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2008-03-29

心からの笑顔

笑顔っていいな、と思う。


殺伐とした事件がこれでもかこれでもかと続き、
自分や家族の身にも
いつ危険がふりかかってくるかしれない恐怖と隣り合わせの世の中、
邪気のない笑顔には心からほっとする。


笑顔は伝染する。
目の前の人が心から笑っていれば、
それを見てるだけでうれしくなってこちらも笑顔になる。


この間、仙台から母と弟が遊びに来ていたとき、
弟はよく笑っていた。


「こんなに笑って」と母がほほえむ。
「ふだんはあんまり笑わないのよ」
携帯をとりだし、息子にかざしてシャッターを押す。
待ち受け画面には弟のとびきりの笑顔。


見送りのホームで、
大柄な弟を見上げながら彼のお気に入りのことばで笑わせていたとき、
はっと思った。


いま、私はきっと無邪気な笑顔でいる。
とても無防備で、年齢も立場も関係ないまっさらな自分になって笑っている。
ここにいるのは、40年前から変わらない5歳違いの姉と弟で、
ただただきょうだいで笑い合っていることがうれしくて笑っている、と。
そう思ったら、なんだかますますうれしくなった。


笑顔が素敵な人はそれだけでしあわせだ。
だって、それはその人にとって大きな財産だから。


「おはようございます」とあいさつするときのやわらかな笑顔。
「こんにちは」と声をかけてくれるときの元気な笑顔。
くもりのない笑顔の人に会うごとに、心のエネルギーがあがる。


時々、意地悪な形相で人の悪口をいい散らかしている人に出会う。
なるべく触れ合わないよう、耳に入れないよう心がけているけれど、
そういう人がそばにいるだけでエネルギーは奪われていく。


思いがけなく消耗して辟易しているときに、
心からの笑顔に触れると癒される。


笑顔はやっぱりいい。




★朗読「不安な気持ち・いやな気分がラクになる本」、更新しました。

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2008-03-26

余韻

仙台から遊びに来ていた母と弟を、ゆうべ上野駅で見送った。


新幹線に乗り込んだ弟が、指定席の窓際に座る。
大きな弟に隠れている小柄な母が、身を乗り出して私たちに手を振る。
弟がにこにこと満面の笑みをこちらに向けて、手を振っている。


「ご機嫌だね」
「楽しかったんだね」
息子とそう話しながら手を振るうちに、ホームから新幹線がゆっくりすべり出した。
ふたりの笑顔は、まもなく新幹線とともに見えなくなった。


たいてい弟は、新幹線に乗り込むとこちらに見向きもせずそっけない。
母に促されて、申し訳程度に手をひらひらするくらい。
ずーっとこちらに笑顔を向けていたのは、よっぽどご機嫌だった証拠だ。


駅で見送った2時間後、実家に電話をすると、すでにふたりは無事帰り着いていた。
「いろいろお世話さまでした」
「いえいえ、楽しかったね」
母と話していると、後ろで弟の声が聞こえる。
「あら、出るの?」と母がいったかと思ったら、弟が替わった。


「だばだ~だ~だ~だばだ~だばだ~」
弟が歌いだす。
さっきまで一緒に歌ってさんざん笑いあった「ネスカフェゴールドブレンド」のCM曲。
私も歌いだすと弟がうれしそうに笑う。


弟がみずから電話に出てくることもめずらしい。
彼にとってよっぽど楽しい3日間だったんだろう。
その余韻を楽しみたくて、電話にも出てきたんだと思う。


それが楽しければ楽しいほど、心に深く思いが刻まれれば刻まれるほど
いつまでも余韻にひたっていたくなる。
こんなに味わい深い思いをするのはこれが最後かもしれない、という
せつなさに似た感情がどこかに潜んでいるせいで、
いっそう余韻をいとおしく思うのかもしれない。


息子のクラスメートたちが卒業の余韻から抜け出せず、
メーリングリストに思いのたけをぶつけ合ったり、
みんなで学校に集まったりしていた。
おなじクラスで3年間過ごした仲間同士だから、離れがたい思いが強いのだろう。
来週にはお花見の招集がかかったようだ。


心に刻まれたいとしい思い出は大事にするといい。
自然に消えていくまで余韻も楽しんだらいい。


そういう思いが心を豊かにしてくれるんだから。




★朗読「不安な気持ち・いやな気分がラクになる本」、更新しました。

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2008-03-04

録音と声

弟がまだよくしゃべれなかったころ、
彼の声をカセットテープにずいぶん録音した。


自閉症の弟からことばらしいことばが出てきたのは
彼が養護学校小学部に入学した直後だったと思う。
「イチタイヨー」というのがはじめてのことばで、
彼は玄関で「行きたいよー」といったのだった。


それ以降、弟の口からはことばが次々に出るようになるのだが、
「カキクケコ」は「タチツテト」に、「ン」は「ウ」と発音された。


そんな弟の発音を矯正すべく、
小学校6年生の姉はことば教室の熱心な家庭教師を買ってでた。
絞り出すような甲高い声で苦しげに発声する弟に
正しい発音をして聞かせ、ふたりで何度も練習を重ねた。


いまになって思うと、私はうれしかったんだと思う。
ことばが出ようと出まいと可愛い弟に変わりはないと思っていたものの、
ことばが出てみれば、やりとりする情報量は格段にふえた。
どんなにつたなくても、弟の発することばは情報であり、意思だった。
弟とことばをかわせる喜びが私を優秀なコーチにしたのだろう。


弟がいっしょうけんめい単語を羅列したり、
覚えたての歌を歌ったりすると、
すぐにカセットデッキの録音ボタンを押した。


録音したテープはどこにいっただろう。
いまもうちのどこかにあるのなら、弟の高く幼い声の歌が聞けるはずだ。
そして、女の子にしてはちょっと低めの私の声も。


少女時代からいままで、自分の声は女性にしては低いほうだとずっと思ってきた。
でも、ひさしぶりに録音した自分の声を聞いて案外高めなのに驚いた。
それと、すこし鼻にかかっているのはかなり意外だった。


さっき息子と話していたら、
彼も「ナニヌネノ」で鼻にかかることにはじめて気がついた。
ヘンなところが似るものである。


風邪ひきでもないのに鼻にかかる感じをなんとかしようと
声の出し方をいろいろ試している。
思いっきり声を下にひっぱってみたり、
腹式呼吸で声を張り上げてみたりすると、すこしは緩和されるみたいだ。


なるほど。
やっぱり腹式呼吸と発声練習って基本なのね。
30年の時を経てはじめて実感。


30年前、私は高校の放送部に所属していたことがある。ほんの2ヶ月ほど。
屋上での発声練習とか腹筋、グランドのランニングなんかも
部活っぽく毎日やった。
ほんとは続けたい気もあったんだけど、
1年上の先輩たちが理不尽すぎるのとバレエが忙しいのとであえなく退部した。
(というか、私を含めた1年生全員の一斉退部だった)


いまマイクを前に自分の本の朗読をしてみると、
あのころ1年上の先輩から憎々しげに注意されたことを思い出す。


たった2ヶ月だったのに。
経験、って生きるものなんだなあ、と思う。




★朗読「不安な気持ち・いやな気分がラクになる本」、更新しました。

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2008-01-21

「左の手首と足、治ったら」

おととい、仙台の実家の鍵を開けたら
チェーンがかかっていてドアが開かなかった。


インターホンを鳴らして待つことしばし。
ゆったり出てきた父がチェーンをはずし、私はやっと中に入ることができた。


父の後ろには弟がいた。
探るように私の背後に目をやると、息子の名前を口にした。


「ごめん。来てないよ。今日はおねえちゃんだけ」


私と息子は弟にとってほとんどいつもセット。
その片割れがいないのを知って、弟はのっそりリビングに戻っていった。


予期せぬ姉の突然の訪問を彼はどう捉えているのだろう。
とりたててうれしそうでもなく。
甥が来なかったことにも、とりたてて落胆するでもなく。


あとからリビングに入った私はあらためて弟に声をかける。
「こんばんは」


「ママ、左の手首と足、治ったら」
弟が突然いい出した。
「なんかねえ、しつこくなってるのよ」と母。


「ママ、左の手首と足、治ったら」
「治ったら?」
弟は行きつけの床屋さんとカレー屋さんの名前をあげた。
要するに、母が治ったらそこに行きたいということなのだった。


「2月上旬」
「2月上旬に治るかって? うーん、もうちょっとかかるよね」と私。
「2月中旬」
「んー、もうちょいじゃない?」
「3月上旬」
「2月下旬かもね」


弟は母に近寄ると、手をとり顔と顔を寄せ、つぶやいた。
「ママ、左の手首と足、治ったら。2月上旬」
「かならず治るからね」
手をとられながら母はいった。


私がいる間、弟は「左の手首と足、治ったら」を何度も何度も繰り返した。
彼の希望としては2月上旬。
先の予定が見えないのは彼にとって不安なこと。
母の怪我について納得はしているけれど、
なるべく早く治って一緒に出かける予定を立てたいという彼の切なる願いなのだった。


今日、様子伺いで母に電話した。
病院に行き、1週間は安静にするよういわれたという。
「ママ、左の手首と足、治ったら」
弟がつぶやく声が聞こえてきた。

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2008-01-17

繰り返し繰り返し

息子が日本史を勉強しながら
「前に定期テストで高得点とったところはやってておもしろい」
というようなことをいった。


一度苦労して記憶しているものを掘り起こしてやればいいわけだものね。
掘り起こせば宝の山がざっくざく。
やりがいもあるというものだろう。


最初に覚える時は大変だ。
うちの弟みたいに見ただけで記憶しちゃう稀有な人もいるけれど、
ふつうはそうじゃないから。
(自閉症の弟のコンピューターばりの記憶力はほんとうにすさまじい。
ただし、本人の関心があることに限られるが)


何度も何度も読んだり書いたり声に出したり、
繰り返し繰り返し読んで書いて声に出して。
ふつうの人はそうやって頭に叩き込んでいく。


なんでもそうだよね。
そういう積み重ねだよね。
バレエなんかもまさにそうだとつくづく思う。


この間、レッスン前に「バレエがうまくなるにはね、」
と話している人がいた。
聞くともなしに耳に入ってきた次のことばは「知識よ」だった。


意外な発言だった。
「知識」とくるとはちょっと予想外。
どうやらその人は大人になってから始めた人のようだった。


ちがうよ。
それはテクニックの裏づけとして解剖学的な知識はあったほうがいいに決まっている。
でも、その「知識」がうまくなるための一番目であるはずはない。


正しいポジションを何度も何度も繰り返し繰り返しカラダに叩き込み、
美しいラインを飽くなき探究心で模索していくこと。
アタマで考えずともカラダがぽん、と反応するまで叩き込むことだ。


基礎の反復。
そこに尽きる。
地味だけど。


基礎なくしてうわべだけをまねても、しょせん付け焼刃。
本当の力にはならない。


基礎の習得は地味ゆえにつまらなく思うこともあるけれど、
(かくいう私もかつては「クラスレッスンなんかいいから
1年中発表会のリハーサルだったらいいのに」と思っていた少女だった)
いったん身につければ強いことこのうえなし。
ちょっと掘り起こしてやればカラダが思い出してくれる。


繰り返し繰り返しの基礎作り。
何においても大事なはず。

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2007-11-25

電話とメール

弟から電話がきた。


はじめのあいさつが済むと、私は唐突に歌い始めた。
ほがらかに笑い声を上げる弟。


彼は笑いたくて姉に電話をしてくる。
だったら存分に期待に応えなくちゃ、と思う。
いろんな声音で弟のお気に入りの歌を次から次にじゃんじゃん歌う。


ふと受話器の向こうが静かになった。
何かごそごそしている感じが伝わってきて、ほどなく「はいはい」と母が出てきた。


満足して受話器を置いたのね。
いつもは母に「そろそろ」とせかされても母のことばをさえぎるように弟は歌う。
もっと姉に歌わせたくて、力強い声で歌う。
でも、時々今日みたいに満足しきると受話器を置いてふいっとどこかに行ってしまうのだ。


母に替わって今度は落ち着いておしゃべりした。
母とは電話で話したいと思っていたので、
夕方あたりにこちらからかけるつもりでいたから、よかった。


電話で話したいことがあっても
お互いの時間が合わなくて断念することはよくある。
どちらかが仕事中だったり、移動中だったり、入浴中だったりすれば、
残念ながらおしゃべりはまた今度、ってことになる。


でも、なかなか電話ができなくてもメールはできる。
思い立ったら電車でもキッチンでもすぐに携帯を開いてメールする。


しばらくすると返事がくる。
母のメール。
私は好き。


ことばのひとつひとつに母らしさがにじんでいる。
母独特の味わい深いことばの数々。
そして、ことばとことばの間にも母の思いが詰まっている。
母の思いをかみしめたくて、何度も何度も読み返す。


そういえば、文化庁の研修生でひとり東京に出ていたときも
母からの手紙を同じように何度も読み返したっけ。
部屋に電話などなく、もちろん携帯電話なんかない時代だった。
私もせっせと手紙を書いたものだった。


ことばにはその人らしさが出る。
メールもそう。


電話でも、メールでも、やりとりするのはことばであり、心でもある。

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2007-10-02

視聴打ち切り

ついこの間録画していた2時間ドラマ。
10分ぐらい見たところでやめた。


一緒に見ていた家族も同じ思いだったらしく、
やめることに誰も異論はなかった。


結構楽しみにしていたんだけど。
もう見ることはないだろうとハードディスクから削除した。


実話を基にした自閉症のドラマだった。
自閉症の主人公を演じている若手俳優の力量が高いのは
はじめの10分間でわかった。
彼の迫真の演技を見続けたい気持ちもあったし、
ドラマのクライマックスはきっと感動的なものなんだろうと想像もできた。


しかし、逆にいうとそのクライマックスに至るまでの道筋は
すでに透けて見える気がした。
そこに至るまでなんとなく居心地の悪い思いを抱いたまま見続けることは
苦痛だと思った。


「どうしてさ、こういうドラマでは
『障害者のきょうだいは親にないがしろにされる』
ってパターンなんだろうね」
と息子がいった。


母親が自閉症の兄に気を取られ、
そんな母親に弟がことばをのむシーンがあった。
弟はいかにも「母が自分のほうを向いてくれないからさびしい」という顔をし、
母親は弟のそんな様子にこれっぽっちも気づいていないふうだった。


なんだかステレオタイプな捉え方。
そんなものなんだろうか。


「うーん、すくなくとも私はないがしろにされたことないけどね」


私の母がそう心配りしてくれていたおかげ、ということだろうか。
自閉症の家族を持つ家庭なんて
自分のところしか知らないから正直よくわからないけど。


この手のドラマは、「お涙頂戴」の意図がちらっとでも見えると
嫌悪感と拒絶感を覚えてしまう。


障害ある者とない者との対比を誇大にクローズアップすれば
見ている人にはわかりやすい。
障害の内容を知らない人にすこしでも知ってもらうためには
それが有効な手段だということも理解できる。


でも、障害が「感動」だの「涙」だのを喚起させるための手段なんだとしたら
いやだな、と思う。

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2007-08-18

よかった

昼下がり、ちょっと眠くなったので
「すこし寝るねー」と声をかけて横になる。
携帯のアラームは20分後にセット。


目をつぶって3分くらいたった頃、
リビングのほうから「森のくまさん」が聞こえてきた。
うちの電話は登録している番号からかかってくると
「森のくまさん」が流れる。
夫と息子が同時に電話にダッシュしたようだった。


弟じゃないかな。
だったら出なくちゃ。


受話器を取ったのは夫で、
その独特の口ぶりからやっぱり弟だとわかった。
はいはい、ちょっと待ってね。
いま出ますよ。


「もしもし」
「おねえちゃんです」


「おねえちゃんです」といったのは弟のほう。
電話に出てきたのがおねえちゃんだからその事実を述べた、
といった感じ。


「元気になってよかったね」
「です」


「です」は、「よかったです」の略。
彼との会話は実に簡潔。


3日前、私が留守にしていた時に電話をかけてきたと聞いていたので
今日は出られてよかった。
ほとんどの場合、私からかけたのではダメなのだ。
下手するとかえって機嫌をそこねることさえなきにしもあらず。
あくまでも、弟が「ちょっと姉のヘンな歌を聴いて笑いたいなぁ」と思ったその時に、
というのが肝心なのだから。


朗らかに笑っているのを聞いて安心した。
ほんとうに元気になったんだね。
よかった。


私もすっごく元気。
おたがいによかったね。


病気や怪我って、思いも寄らない時に襲われる。
それもたいてい突然に。
それはそれで仕方のないことだったりするけれど、
やっぱり元気がいちばん。


ほっとしてふたたびひと眠り。

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2007-07-28

弟その後

咳は止まったかなあ、すこしは元気になったかなあ、と
電話して聞こうと思っていた矢先、向こうからかかってきた。


「もしもし。ちょっと待ってね」と母。


あれ、弟が出てくるのかな。
電話に出られるほど元気になったならよかった。


「もしもし」


案の定弟が電話に替わった。力のないくぐもった声だ。
ここでいっちょ元気づけよう、なんてサービス精神出しちゃだめだぞ、
と自分にいい聞かせる。
弟には反射的に「おもしろいこといって笑わせよう!」と思うけど、
笑って咳が出たら大変。
元気な時にさえ笑いすぎで咳き込んで苦しがったことがあるんだから、
今日は絶対ダメダメ。


「もしもし、咳は止まった?」
いつもはおちゃらける姉も、今日は神妙に聞く。


「止まった」と答えるそばから、弟は咳き込み始めた。
受話器から激しい咳と、苦しそうな息遣いが聞こえてくる。
「あらら、だめだわね」と母がまた替わった。
「さっき起きてきてね、『電話する』っていうから」


今日、母は店を休んだという。弟をひとりにはしておけない、と。
弟は咳き込んだ時にちょっとけいれんをおこしかけたんだそうだ。


後ろにそっくりかえって痰を詰まらせてはあぶない、と
弟の巨体を支えながら背中をさすったのは父。
すると、咳がおさまった弟の口から出てきたことばは、
「パパ、介護さん」


相変わらずおかしなことをいうんだから、もう。
父も「まったく、逆だろう」といってたそうだ。


「大食い大会に出たい」というほど食べることが大好きな弟が
おかゆさえもよく食べられず、
私が送ったお気に入りの雑誌(それも7月号と8月号の2冊!)さえ手に取らず、
ただただ寝ているというんだからかなり具合は悪いのだ。
熱も出たらしい。


咳が止まらないのはほんとうに苦しい。
私も肺炎の時に大変な思いをしたからよくわかる。


早く元気になってよ。
そしたらまたおかしな歌たくさん歌ってあげるからね。

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2007-07-27

もぞこい

きのう母に2回メールを送った。
1回目は朝のごあいさつで、2回目は用事。


あいさつメールは読んでもらうだけでいいし、
用事のほうも了解してくれればそれで問題ない内容ではあったけど、
2回とも返事がないのはヘンだと思った。


ケータイ置いて出かけた?
それとも電源入ってない?
まさか、ひっくりかえった…?


このところ仙台も東京並みに暑くなっているようで、
暑さに弱い母のこと、むし暑さにあたっちゃったってことはないだろうか。
気になったので夜になってから電話した。


「はい」
いかにも寝てました、って感じの弱々しい声。
やっぱりひっくりかえってた?


「ううん、私じゃない」と母。
「『巨人倒る』だったの」
ひっくりかえっていたのは、母でもなければ父でもなく、弟だった。


きのう、弟は突然呼吸困難になりそうなほど激しく咳き込み始め、
その咳が一日止まらなかったんだそうだ。
あまりの咳の激しさに体力を消耗し、起き上がれなくなったほどだというからよっぽどだ。
悪いことは重なるもので、店のほうではちょっとしたトラブルが発生しており、
母は睡眠不足状態だったという。


実は似たような事態がちょうど1週間前にも起きていた。
この時は弟の『大嵐』が先に発生し(一晩中ぶつぶつ騒ぎ続け、母を一睡もさせなかった)、
そのすぐ後に店にトラブル発生(店のトラブルなんてそうそう起きるものじゃないのに!)。
気丈な母がさすがに疲れきっていた。


「見た目はオジサンだけど、中身は赤ん坊よね」と母。
「『痛くない?』って聞くと、『いたくない、いたくない』とはいってるけど、
眉根にしわ寄せて寝てるから、どこか苦しいのよね」


幸い咳は止まったらしいが、
起き上がる力もなくした弟は大きなからだをただただ横たえているという。
弟の好きな東京限定の月刊誌をきのう送ったところだったのだが、
手元にあるのに「明日見る」といったそうで、それを聞いてよほど具合が悪いんだと思った。


「自分の状態をうまく説明できなくてね…
『憎らしいな』って思うときもあるけれど、なんだか『もぞこい』わよね…」


母が弟を「憎らしい」と思うことなんてめったにないと思う。
ただ、1週間前の『大嵐』にはそう思ったんだろうな。


『もぞこい』か。
「いじらしい」っていうような意味だけど「可愛い」というニュアンスもある仙台のことば。


もぞこいよね…

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2007-06-24

ピュアな人

ドキュメンタリーで見た自閉症の少年・松元伸乃介くん
とても素敵な動物のイラストを描く。


彼の描く動物たちは実に人間臭くて、
いまにも動き出しそうなくらい生き生きしている。
笑ってたり、怒ってたり、踊ってたり、それはそれは表情豊かだ。


またそのイラストを
下絵なしにまるで一筆書きのようにするする描いてしまう。
その様子は見事としかいいようがない。


伸乃介くんは似顔絵も描く。
それももちろん動物だ。


これがまたまたおもしろい。
相手によってウサギだったり、野牛だったり、トカゲだったりするんだけど、
対象になる人の特徴を的確にとらえている。


直観力のなせる技なんだろうな。
ピュアな分だけ余計なものにわずらわされることなく
本質を見抜くことができるんだろう。


たぶん弟も同じだと思う。


こういう人たちの前では、表面だけ取り繕ってたって意味がない。
すべてお見通し。
見透かされてしまうのだ。


ちょっとこわいけど、どんなふうに描いてもらえるだろうね。
ドキュメンタリーを見た後、ひとしきり家族で話題になった。


伸乃介くんだったら弟をどんなふうに描くだろう。
かなり興味があるな。


※こちらのブログで伸乃介くんのイラストを見ることができます。
伸乃介の愉快な動物たち

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2007-06-23

母は強し

この前、18歳の自閉症の少年とお母さんのドキュメンタリーを見た。


息子と同年代の少年は、体型もしぐさも反応の仕方も弟にそっくり。
どうしてこうも特徴が似るんだろう、とおかしくなってしまう。
だからこそ、街で自閉症らしき人に出会うとすぐわかるんだけど。


私と同年代のお母さんはとてもさばさばしていて、
底知れぬ強さを感じさせる方だった。


少年には兄がいた。
お兄さんはダウン症で、6歳にガンで亡くなっている。
その後に、少年は自閉症だと診断されたのだという。


お母さんはいう。
「私に『そういう子どもを育てなさいよ』と神様が授けてくれているんだろうから
それならそれでどんと受けましょう、と。落ち込みはなかったです」


母は強し、というけれど、
障害のある子どもを持ったお母さんの強さは並大抵のものではない。
私が身をもってそう痛感したのは、自分が母親になってからだ。


自分が母親になってみてはじめて、
子どもが障害を負っていることの重みと、母親としての責任の重さが
想像を超えたものなのだとわかった。
弟が病院で自閉症だと診断された後の帰りの車の重苦しい空気をあらためて思い出し、
20年以上もたってやっとその意味を理解した。


父も母も、見えない未来にどれだけ不安は大きかったことだろう。


私の母も強い。
その強さの源のひとつは、まちがいなくわが子に対する愛情の深さだ。
70を過ぎてなお現役で仕事をしながら、息子の楽しみのために歩く。


この母を超えることはとてもできそうにない、と思う。
わが母ながら、ほんとうに頭が下がる。


夜、母からメールがきた。
弟がすこぶる機嫌よくしているという。
「満足度が高かったんだなぁ」と母。


息子の元気が母の元気。
それは私もそう。むかしも今も。


ただ、やっぱり母にはかなわない。

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2007-06-21

ささやかな幸せ

父の日に送ったeカードが今日やっと開封された。


やっぱり削除してなかったんだね。
誕生日に送った時も何日後かに開封していたから
きっとそうだと思ってた。
それと、弟がいないからだな、とも思った。
今日、弟は母と一緒に東京に来ているから。


このところ、デスクトップの前にはもっぱら弟が座り込んでいるらしい。
受動的にテレビを見ているばかりより、
能動的に自分で何かを調べようとするPCのほうが
知的好奇心を刺激するんではないかと父は思ったようだ。
息子に場所を明け渡して見守っているのだという。
背中を丸めている息子に「時々背伸びをするんだよ」なんて
声をかけたりしているんだって。


今日は久々にPCの前でゆっくりしている父だろう。


さて、弟・母とは恒例のビュッフェで夕食。
あそこのビュッフェもちょっと飽きちゃったわねぇ、と私や母が思ってても
弟にとっては東京に来た時のお楽しみのひとつ。
やっぱり外すわけにはいかないね、ということで東京ドームホテルのピアビューへ。


食べている時の弟はほんとうに幸せそうだ。
眉が山の形に上がっていたら最高に喜んでいる証拠。
朗らかな笑顔でおいしそうに食べている弟を見てると、
こちらまでうれしくなる。


おなかいっぱい食べて満足したところで、お部屋へ。
パジャマに着替えはじめた弟の体型はまちがいなくメタボリックだ。
「ちょっといい?」と弟に断りを入れてから、大きなからだに手を回す。


樽。
大木。


「すこし運動もしないとね」と私。
「自転車こぎ」と弟。
「そうだね、自転車こぎしてね」
私がプレゼントしたエアロバイク、隅に押しやられてるものね。


ごろんとベッドに横になった弟は、次の瞬間には寝息を立てていた。
弟のいびきをBGMに私たちはしばらくおしゃべりを楽しんだ。


そろそろ帰るね、じゃ、と立ち上がったら、弟もむっくり。
目をしょぼしょぼさせてセントバーナードみたいな顔をして
私たちといつものお別れの握手。
じゃね。また明日ね。


ささやかな幸せをかみしめたひととき。

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2007-05-30

敏感であること

自閉症の弟は音に敏感である。


…とずっと思っていたが、
自閉症の本を読むと、そのいい方はどうやら正しくなさそうだ。
「特定の音に敏感である」といった方が実態に近いかもしれない。


弟が小さい頃、当時住んでいた港町・酒田の家には
時々行商のおばさんがやってきた。
そのおばさんの大きな声に弟は必ず泣いたという。


ライオンの吠え声はむかしもいまも絶対にだめな音のひとつだ。
吠え声はおろか「ライオン」という単語にすら弟は過剰に反応する。
「ら、い」と聞いただけで、「ううう」とうめきながら両耳をふさぐ。
それからロート製薬のCMソングもNG。
テレビのチャンネルを変えるのが間に合わないと、
耳をふさいだまま逃げていく。


どうしてそれがきらいなのかわからない。
本人が説明しないからわかりようがないし、推測することもむずかしい。
だって、ライオンはだめで、トラは吠えてても大丈夫だったりするから。


理由は本人にだってわかっていないのかもしれないし、
なにより弟にはうまく説明することができない。


何かに敏感だということは、その能力をうまく開発・活用すれば強みになるが、
そうでないと当人にとっては結構苦しいことも多いんではないだろうか。


前に、階段から落ちると人の心のことばが聞こえるようになる、
という荒唐無稽な設定のドラマがあった。
実際にはありえないことなのに、「そんなことになったらノイローゼになりそうだな」
なんて本気で考えたりした。


自閉症の弟ときょうだいであることと関係があるかどうかわからないけど、
私も音に敏感なほうかなぁ。
センサーが即座に反応してキライな音を拾いあげてしまうようなところがある。


そんなところに敏感にならなくてもいいよ。
ヘンなことにエネルギー使わなくていいってば。
自分にはそういい聞かせてるんだけど、なかなか。


弟よ。音に敏感だってことはつらいねぇ。
アンタに「ライオ~ン」って歌っていたずらしたバチが当たってるんだね、きっと。
いまさらながら、ごめんなさい。


(きっと弟は「ライオン」という文字を目にしただけでびくっとするから
姉の謝罪を読むことはできないと思うけど)

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2007-05-09

裸の大将

最近は仙台に帰ってもちっとも行ってないけれど、
むかしはよく「とんかつ大町」に連れて行かれた。
仙台の老舗とんかつ屋さんだ。


とんかつ大町には山下清の色紙があって、
ぶたの絵とサインがしたためられていた。
(…はずだと思ったのでネットで検索してみたら、あった。
とても素朴なぶたと、几帳面な感じの署名。
お店のサイトじゃないので、リンクできないのが残念)


「山下清さん、よくここに来たらしいのよね」と母がいったとき、
山下清、ってほんとうに実在する人だったんだ…、
と不思議な感じがしたのを覚えている。


いまは亡き芦屋雁之助が
「裸の大将」としてテレビで山下清を演じ始めるのは昭和55年。
私は18歳になろうという頃だ。
(京都の舞台では昭和41年に演じているそうだが)


記憶の中では、もっと前から「山下清=芦屋雁之助」というイメージが
できあがっていたような気がするんだけど。
ただ、舞台を観ているはずもないし。
単なる記憶違いなんだろうなぁ。


このところ山下清に関心をもって本を読んでいた折も折、
「裸の大将」がドラマで復活するという話を聞いた。
ドランクドラゴンの塚地が清を演じるんだそうだ。


芦屋雁之助も、昭和33年に映画で清を演じた小林桂樹も、
清本人に会って役作りのために山下清そのものを研究している。
でも、塚地はきっと雁之助さんへのオマージュとして演じるんだろう。
「ビデオで勉強し直した」といってるし。


清本人は、他人が自分の特徴を誇張することに抵抗があったそうだ。
コンプレックスに思うどもりをことさらオーバーに演じられることも、
おもしろおかしく脚色されたウソの部分も、快く思わなかったという。


ただ演じる側も、本人のそうした思いを感じとりながら
「山下清」を演じていたのではないだろうか。
単なる憶測に過ぎないが、そう思いたい気がする。


すでに「裸の大将」は実在した山下清からひとり歩きしている。
そして、私もひとり歩きした「裸の大将」をずっと山下清として見てきた。
山下清の甥・山下浩氏の「家族が語る山下清」を読んでつくづくそう思い知らされた。


本人を知らない塚地の清は、山下清本人からは離れたものになるのかもしれない。
まあそれはそれとして、新「裸の大将」、けっこう楽しみにしている。

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2007-05-05

新規契約

仙台に電話すると、母が出てきた。
「いまね、私のパソコン見てたの」


私のパソコン、か。
いいねぇ、いい響き。
どんどん触ってどんどん慣れてくだされ。
聞けば、弟は弟で例のごとくデスクトップで検索中とか。
いいじゃない、みんなでじゃんじゃん活用してね。


ところで、母に相談。
実は今日、携帯の新規契約をしてきた。弟に持たせる携帯の。
でね、母のらくらくホンを弟に持たせて母が新しいの使ってみない?


有楽町のビックピーカンに行ったらGWキャンペーンをしていて、
うまい具合に「新規契約1円」が出ていたのだ。
それもこの春の新モデルが何種類も。
その中から、弟の大きな手でも使いやすそうなのを選んで契約してきた。


「でもさ、」と息子。
「これ、むしろばばに使ってほしいよね」


確かに。
この新しい携帯だったらオサイフケータイ対応だからナナコも入れられる。
デコメールもできるし、画像だってもっときれいなのが撮れる。
らくらくホンは30万画素だけど、こっちは130万画素だもの。


母はらくらくホンを最大限活用していて、
メールは絵文字、顔文字を駆使して楽しいのを送ってくるし、
目にとめた素敵なものはお花でもわんちゃんでもカメラですぐパシリ。
この間見たら、待ち受けは弟の笑った横顔だった。
でも、チャレンジ精神旺盛な母だから、きっと新しいのも使いこなせるはずだ。


「そうねぇ、じゃそうしようかしら」


そして、らくらくホンを弟に持たせようよ。
この間みたいにふっと消えちゃった時のことなんかを考えると
やっぱり持ってたほうがいいよね。
捜して歩き回らなくてすむもの。


「首からぶら下げて持たせればいいわね」


うん、ネックストラップも買ってきた。一緒に送るから。
楽しみに待っててよ。


実をいうと、弟に携帯を持たせられないかとずーっと思っていた。
もちろん、緊急時に連絡を取るためということもあるけど、
弟とメールのやりとりができたらいいな、と思って。
コミュニケーション手段がふえたらおもしろいんじゃないかなぁ、と。


ま、それは追々試してみるとして。
弟の携帯を用意したことで、ちょっとほっとした私たちだった。

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2007-05-03

奮闘の3泊4日

いつも仙台に帰るとあっという間に感じるが、
今回はことさら短かった気がする。
実はこの3泊4日にはいくつかの目的があった。


ひとつ、冷蔵庫の受け取り。
ひとつ、母に私愛用のノートPCを贈り、使い方の復習をする。
ひとつ、デスクトップとノートのセキュリティを万全にする。
ひとつ、無線ルータの設置。


余裕でできるとはいわないまでも、滞在中にきっちりこなすつもりでいた。
ところが、奮闘もむなしく時間切れ。


息子とPCに張りついて、やれるだけのことはやった。
手を尽くした。
それでできなかったんだから、しょうがないよね。
息子とはそう話しながら帰ってきた。


両親にとって管理が面倒でないように、と
プロバイダー提供のセキュリティセットを利用することにしたのだが、
ノートのほうが何をどうしてもインストールが完了しないのだ。
それと、無線ルータもなかなか接続できない。


結局、セキュリティセットは完璧に入らないままだし、
ルータも有線でつなげることで妥協し、無線の意味なし。


こういう時、サポートセンターに電話したくないのだ、私も息子も。
まず、困った状況をうまく説明する自信がない。
相手はプロだからそこらへん上手に聞き取ってくれるのかもしれないけど
なんだかおっくう。


ということで、ぎりぎりまで自力で打破を試みた私たち。
ああ、こういう時に専門家がそばにいてちゃちゃっと見てくれたらねぇ…
とふたりしてため息をついた。


でも、仙台の家族は喜んでくれた。
とりわけ、母はノートPCが自分専用になってうれしそうだった。
息子が操作方法を母と復習し、ノートにも簡単にまとめて進呈した。


「だんだん思い出してきた。きっとすぐに慣れるわね」と母。
そのとなりで弟が「インターネット!」とのたまう。


弟は、前回私たちが仙台に行った時に一緒にネット検索をして以来
すっかりはまっているのだった。
(レコード会社とか銀行の支店なんかを熱心に調べている)
父も、知的好奇心を満たすのなら、と弟がPCを見ている時には
場所を譲ってくれる。


結果的に喜んでもらえたならそれが何より。
私たちの奮闘も報われたかな。

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2007-05-02

ありがたいこと

出かけていた母と弟が思いのほか遅く帰ってきた。
どうしたのかと思っていたら、デパートで弟がいなくなったのだという。


「顔なじみの店員さんにお別れをいって、ふっと見たらいなかったのよ」


その売り場を後にする間際まで一緒にいたのに、弟は消えてしまった。
どこに行っちゃったのかしら、と心当たりを捜す母。
別館? それとも地下の食品売り場?


閉店時間は迫り、ま、最終的にはひとりで帰ってこられるわね、と思った矢先、
店内放送で母の名前が呼び出された。


「お連れ様が6階でお待ちです」


6階は弟が消えたフロア。
いったいどこへ行っていたのかと思えば、7階のお手洗いだって。
6階にふらっと戻ってきたのを見た顔なじみの店員さんが
知らせてくれたのだという。


やれやれ。
人騒がせだね。
当の本人はいたってけろっとしてるけど。


なににせよ、顔見知りの店員さんたちが
弟に理解を示して親切にしてくれるのがありがたい。


今日ランチで行ったレストランでもそうだった。
弟の習性をよく知っていて合わせてくれる。


まず、弟に名前で呼びかけてくれるのがうれしい。
そしてお皿を受け取るのを待ってくれたり、
サラダのお皿を選ばせてくれたり(どれも同じなのに弟は吟味するから)。


そこには、お客におもねるようなべたべたした感じはなく
自然に心に沿ってくれる温かみを感じる。


ありがたいです。
そういう方たちの温かさはほんとうにうれしいです。

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2007-04-29

山下清と弟

おとといだったか、テレビの美術番組で山下清が取り上げられていた。
久々に彼の話を聞いていて、「この人、自閉症だよなぁ」と思った。


山下清はあまりにも有名な人で、
でも「自閉症の山下清」とは聞いたことがなくて、
それでも私は「この人、自閉症っぽいなぁ」と思っていた。


彼が放浪した先で見た数々の風景を
帰ってから記憶をもとに貼り絵にしたというのは有名な話だ。
その記憶力のすごさは、弟と一緒。


弟は絵は描かないけど、地図は一度見たら頭の中に入る。
想像するに、見たままを写真にしたような状態で
覚えているんじゃないかと思う。


今回テレビではじめて知ったエピソードは、
「決まった時間がきたら、貼り絵の作業はやめる」というものだった。
「時間を忘れて作業に没頭する」ようなイメージを持っていた番組出演者たちは
とても驚いていたが、私たち家族は妙に納得して笑ってしまった。
時間に忠実という点で弟と共通するから。


弟は何か次の動作(たとえばチャンネルを変えるとか物を手渡すとか)をする時に
自分で決めた時間にならないと動かないことがある。
じっと時計を見つめて、その時間が来るのを待つ。
周りのものは、彼の儀式をじっと待つ。


気短な父は時々せかすし、
小意地悪な姉(つまり私)はとぼけたふりしてチャンネルを変えようとしたりするけど、
それで彼の動作が早まるわけではない。
どのみち彼の決めた時間が来るまで待たなければならないことのほうが多い。


本棚から久しぶりに作品集「みんなの心に生きた山下清」を取り出してみた。
確か10年ほど前に旅先で偶然開催されていた「山下清展」で買い求めたものだ。


買った当時、私は貼り絵のページばかりを眺めていたようだ。
その証拠に山下清の研究家・式場俊三氏の文章に記憶がない。
あらためて読みはじめると、
山下清はやっぱり自閉症だったんだろうなぁ、という思いが強まる。


じっくり読みすすめてみよう。
それと、アマゾンで注文した「家族が語る山下清―夢見る清の独り言」が
届くのが楽しみだ。
家族だけが知る山下清として、
「驚異的な記憶力と超がつくほどの几帳面さ、オシャレで負けず嫌い」とあった。


私のよく知る誰かにそっくり。

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2007-04-23

こだわりの人

おととい出席した「自閉症を学び直す」の講演会で痛感したのは、
社会に自閉症を受け入れてもらうことの重要性だ。
と同時に、家族も心から認めることが大切だ、ということ。


「自閉症には強いこだわりがあります。
でも、そのこだわりにもいいこだわりがあると思うんです」


講師の市川先生が自分のお子さんの例を挙げてお話しくださった。
「うちの子には『食事が終わったら片付ける』というこだわりがあります。
ただし、困ったことにファミレスに行っても片付けますが」
会場からは笑いが漏れた。


弟にもヘンなこだわりがいろいろある。
テーブルを拭く時は必ず右回りでなければならないとか、
人から物を渡された時には差し出されたものとは別のほうを受けとるとか、
(たとえば飲食店で渡されるおしぼりや、出される飲み物、お料理などなど)
本・カタログ・CDなどのコレクションは立てずに平積みするとか。
そのパターンを無視しようものなら、いつまでもしつこくぶつぶつこだわる。


前に、弟の雑多なコレクションを本人の了解を得ながら整理したことがある。
よかれと思って縦にしたら、これがとんだ災難のもとだった。


きちんと片付いたと喜ぶ私をよそに、弟はだんだん不機嫌になった。
縦にしたのがよほど気に染まなかったようで、
まあ、その後のしつこいことしつこいこと。
何度も私の顔をのぞきこんでは「おねえちゃん、縦」と言い募った。


結局もとの平積みに戻して、機嫌も回復。
はい、平積みはアナタのこだわりだと認識していなかった私が悪うございました…
取りにくかろうと、ごたついていようと、それが彼のこだわり。
言い換えれば、彼の好み、だ。


自閉症、と一口にいっても、それぞれの症状は千差万別。
そのことを先生の話を伺って改めて認識した。
あちらが大変で、こちらが大変でない、ということはない。
どちらの家族も悩みを抱えながら日々を生きている。


ただ、自閉症を根本的に治す方策は見つかっていない。
原因すらもはっきりとは解明されていない。


だとしたら、受け入れて、認めること。
先生はそうおっしゃっているように感じた。

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2007-04-21

「自閉症を学び直す」

日本自閉症協会東京都支部の講演を聴いてきた。
テーマは「自閉症を学び直す」。


自閉症の弟とはもう40年のつきあいだから
弟のことはとりあえずわかっているつもり。
(「とりあえず」というのは、家族でもよくわからないことが多いから。
「どうしてここでそういうことにこだわっちゃうんだろう」などいまだに疑問はいっぱい)


でも、「現在、自閉症の研究がどこまで進んでいるのか」とか
「自閉症という障害の捉え方がどう変わってきているのか」とか
あらためて考えてみると知らないことだらけ。


ということもあり、1年前に自閉症協会東京都支部の賛助会員になった。
正会員は自閉症児者・発達障害児者の保護者、および発達障害当事者で、
それ以外で支部の活動に賛同する人は賛助会員になれる。
今日は会員としてはじめて支部活動の場に出席したことになる。


講師は都立梅ヶ丘病院院長の市川宏伸先生。
勉強不足で知らなかったのだが、
梅ヶ丘病院は日本最大規模の小児精神科の専門病院。
また、市川先生のお子さんも自閉症だという。


講演の内容は、「障害」の中の自閉症の位置づけにはじまり、
自閉症に対する考え方の変遷、医療・教育・司法と自閉症との関係、
最近の研究で発見された遺伝子異常についてなど多岐に渡り、
興味の尽きない2時間15分だった。


最後の質疑応答はとりわけ印象深かった。
「わが子が自閉症と診断されて、
今後について不安に思っている保護者に何か助言を」
という求めに対して、先生は
「子どもと一緒に困ってください」といった。


「どうしても『どうしたら自閉症をなくせるのか』とか
『どう良くしてやろうか』ということに関心がいきがちだけれど、
自閉症の立場に立って一緒に困ってください」と。


「それと、同年齢の子どもと比較しないでください。
その子なりに変化していることを認めるんです。
自閉症は連続体です。変化します。
それに、自閉症もいうなれば行動特徴のひとつですよ」


思わず深くうなずいた。


マスメディアによる誤解の多い報道についての質問には、
「メディア、と一言でいってもいいものもあれば悪いものもある。
メディアは要するに『はさみ』、使いようです。
まず我々が自閉症について理解してもらえるようにすることが先決です」


外見からはわかりにくい障害だけに理解されにくいということがあるけれど、
できることからやればいいのかな、と思った。
たとえば、すこしずつでもこうして文章にすることとか。


また協会主催の講演には行こうと思う。

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2007-04-17

弟の誕生日

今日は弟の誕生日。記念すべき40歳。
彼が40なんて不思議というか、ヘンな感じ。
「ちっとも変わってないけどね」とは甥である息子の弁。


プレゼントは母の提案で電子辞書。
いままで使っていたのがこわれたからもうちょっとグレードの高いのを、
ということで、仙台に帰っている時に本人の希望を聞きながらネットで捜した。


弟の希望条件その1―「カシオ製品であること」。
いままでのがカシオだったから、というこだわりだろう。


弟の希望条件その2―「広辞苑が入っていること」。
いままでのは国語辞典で物足りなかったそうで(by 母)、
かといって大辞林ではだめで、あくまでも広辞苑にこだわる。


最初はシンプルな機能のものにするつもりが、
カシオのHPであれこれ見比べるうちに
最新機能満載の新製品がいい、ということに。
手書きパネルや音声機能もついていて、収録コンテンツは100。
私のよりずっとすごい。


さっそくネットで注文。
私たちが東京に帰った翌日には仙台に届いた。


弟はバレンタインのチョコレートだろうがクリスマスプレゼントだろうが
事前にもらっていても当日が来るまで包みを開けない。
それが、今回に限って届くなりさっさと開けていたそうだ。
誕生日には2週間も早かったのに、
自分で説明書を見ながら早々と操作していたというから、めずらしい。


よく私や息子の電子辞書で熱心に検索していた弟だから
きっとすぐに使いこなせるようになるだろう。
かなり彼の知的好奇心も満足するんじゃないかなと思う。


日曜に投函したバースデーカードは今日届いたそうで、
私たちが書いたおもしろフレーズにひとりで笑っていたという。
弟がゴキゲンなら私たちもうれしい。


電話は弟の場合、自分からかける分にはいいけれど、
かけられても気がのらなければかえって不機嫌になるので
母に言付けるつもりで電話した。
ところが、母の話しぶりで私からの電話と気づいたようで
替わりたそうにしていたらしい。


母に促され、時計を見ながらきりのいい時刻になったところで弟が受話器に出た。
「ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー」
ひとしきり歌う私。
歌い終わると「カードありがとう」と棒読みにいう弟。


どういたまして。
「どういたしまして」と弟。
そうだね、「どういたまして」じゃなくて「どういたしまして」。
「どういたしまして」と弟がまたいう。


40歳おめでとう。
いくつになっても、私の弟。

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2007-04-02

仙台ももうすぐ春

玄関で母と弟と握手を交わし、
(息子は父ともした。私はなんだか照れくさくて結局せずじまい)、
マンションの5階のベランダから手を振る母と弟に手を振り返し、
(父は部屋の中。照れ屋だから)
私と息子は仙台のうちをあとにした。


きのうの予報では、仙台も東京も雨&低温だったのが
今日になったら雨マークがはずれて予想最高気温も上がっていた。
途中で買い物もしたいし、仙台駅まで歩いてっちゃおう。


風は吹いていたけど、この間のように冷たくはない。
ふとのぞいた路地の奥に、色鮮やかな桜の木が見えた。
曇り空に似つかわしくない濃いもも色に一瞬どきっとしたが、
仙台の街にも確実に春がやってきている証だな、とうれしくなった。


一番町で寄り道をして息子の服を買う。
東京にもあるブランドなのに、いつも仙台のこの店で買う。
接客をしてくれたのは盛岡出身の男の子で、
東京はいま桜が満開だと話すとびっくりしていた。
「盛岡だと桜はゴールデンウィークの頃なんですよね」と。


ゴールデンウィークには定禅寺通りのけやき並木が芽吹き始めていることだろう。
やっと半袖で街を歩けるのがうれしくなる季節。
私のいちばん好きな仙台。


弟は頭の中のスケジュール表にゴールデンウィークの予定を書き込みたくて
私に何度も確認を求めた。
毎年のことだが、ゴールデンウィークには姉と甥が来るものだと決めている。


「5月初旬!」
「うーん、どうかな。4月下旬かも。でも未定」
「4月28日!」
「未定」
「4月29日!」
「未定」
「4月30日!」
「未定」


たぶんそのへんでまた仙台に帰るつもり。
大好きな新緑の仙台へ。


そして今度帰った時には絶対KENZOのレーズンフリアンを買う。
この間からずーっと食べたかったのに、
藤崎の地下でKENZOを発見して喜んだのもつかの間、
「レーズンフリアン完売です」だって。
ああ。

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2007-04-01

弟孝行

私にとって仙台に帰ってくる大きな目的のひとつは弟孝行である。


といっても、特別なことは何もしない。
どこかに連れて行くわけじゃないし、
おいしいものを作って食べさせるわけでもない。
ただ一緒にいるだけ。


一緒にテレビを見て、ことば遊びをして(彼は掛け言葉やだじゃれがうまい)、
愉快な歌を歌って、音楽が終わる時にお互いの手を「ちゃーん!」と打ち鳴らして、
姉弟として一緒に暮らしていた時と同じようにするだけ。
昔と違うのは、そこに大好きな甥っ子が加わっているということ。
息子は私たち姉弟の伝統を受け継いで、同じように歌うのだ。


今日は、弟と一緒に長いことPCの前にはりついていた。
私がPCに向かいはじめると、かならず大きなからだでそっと忍び寄ってくる。
自分の興味あることをネットで検索してほしいから。


はじめは、弟が指定するままに損害保険会社の所在地だとか、
むかし童謡を歌っていた歌のお姉さんだとかを延々と検索していた。
これは私には退屈極まりなく、
そのうちいすから転げ落ちそうなほどの睡魔に襲われはじめた。


眠いよ。もっと面白いもの見ようよ。
You Tubeのサイトに飛んだ。


それから弟は夢のような思いをした。
You Tubeでカタリーナ・ビットの「カルメン・オン・アイス」と
ジェマ・クレーブンの「シンデレラ」を見ることができたのだから。


カタリーナ・ビットは84年、88年オリンピックの女子フィギュア金メダリスト。
弟の最も好きな美しいスケーターで、当時私も彼女のカルメンにはうっとりした。
「カルメン・オン・アイス」は、「カルメン」をバレエさながらに
ストーリーに沿ってスケートで演じている作品だ。
You Tubeでは細切れにはなっていたものの、
作品そのものの面白さは十分伝わってきたし、
いま見てもカタリーナ・ビットはやっぱり美しかった。


そして、ジェマ・クレーブンの「シンデレラ」。
これは1976年公開のミュージカル映画で、弟の大のお気に入り。
なのに、残念ながらビデオにもDVDにもなっていない。
その幻の作品が、これまた細切れながらYou Tubeで見られたのである。


弟は大きなからだを折り曲げるようにしてPCの画面に見入っていた。
ふぅー、と何度かため息をつく。
「まあ、シャツの端っこをつかんで。気に入ったときの癖よ。
ちいさいときから変わらないのねえ」
と母がうれしそうに笑う。
「『お気に入り』に入れといていつでも見なさい」と父。


私もひさしぶりに見て心が躍った。
こんな秀作がDVDにならないなんて。


でも、今日ほどYou Tubeがありがたかったことはない。

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2007-03-05

飛行機はこわい?

息子は今日から学年末試験。
5日間の試験が終わると、翌日から3泊4日で沖縄に修学旅行。
連日連夜必死で勉強して、翌朝の羽田空港集合は早朝6:40。
これから先、結構強行スケジュール。


クラスメートには今回が飛行機初体験組が何人かいて、
中には漠然と不安を感じている子もちらほらいるらしい。
何度乗っても飛行機は不安、という人も実際いるからね。
夫も飛行機は苦手なほうだもの。
出張で否応なしに何度も乗ってだいぶ慣れたようではあるけれど。


私ははじめて乗った時、わくわくしてはしゃいだのを覚えている。
24歳だって子どもみたいにうきうきするんだから
息子たちの飛行機もさぞかし盛り上がるんだろうな。


母も飛行機に乗ったことがなくて、一度は乗ってみたいと思っている。
これまたそれ以上に乗ってみたいと思う寝台特急カシオペアで北海道に行き、
飛行機で帰ってくれば一石二鳥だ。


ほんとうはこの春にそういう旅をしようと予定していたのだが、
計画が二転三転し、結局あきらめることになってしまった。
弟が飛行機に乗らない、といったのが発端だった。


母は、カシオペアに乗って旅情も味わいたいけど、
息子が喜ぶようにもしたいと思っている。
弟はカシオペアには乗りたいけど、飛行機には乗りたくないという。
帰りも寝台特急で、それも趣向を変えて北斗星に乗る、と。
(映画「レインマン」の自閉症・レイモンドもかたくなに飛行機を拒絶してた)


うーん。


やっぱりこの旅行は決行しよう。
ただし、1年後に。
ちゃんとカシオペアの予約取っとくから。
みんなで旅情味わおう。


でね、帰りは飛行機組と北斗星組に分かれる。
飛行機組は母と息子の祖母&孫ペア。北斗星組は私と弟の姉弟ペア。
(ちなみに、一緒に行こうと誘っても父はのってこないので留守番組)
これでどう?


今日東京に来ていた弟に提案した。
どうだ、名案でしょ?


「ね」


彼の答えは「ね」。
なんとも答えようがないときには「ね」。
よくよく聞いてみると、母と一緒に北斗星で帰ってくる、という。


いいじゃない、たまには姉弟水入らずで。
ずーっと歌い続けて帰ってくるのも悪くないと思うよ。
だって、飛行機乗りたくないんでしょ。


飛行機、やっぱりダメかなぁ…

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2007-01-13

おもしろいひと

母と弟が東京に遊びに来た。


弟はこのところ情緒不安定気味だったらしい。
夜中にぶつぶついうことが多くて、ゆうべもほとんど寝てなかったとか。


「どてあばれしない」と突然弟がいう。
「『どてあばれ』って、なに?」と息子。
「仙台のウチの造語よ」
実際に暴れるわけではなく、欲求不満で当り散らしているようなイメージ。


「どてあばれしない」弟がまたいう。
ぶつぶつぐちぐちいう弟を両親がそういってたしなめたんだろう。
「どてあばれしない」
「はい、どてあばれしないね」と私。


弟のたっての希望で銀座の山野楽器に行った。
彼の気のすむまで店内をくまなく巡り、「銀河鉄道999」のDVDを買って外に出た。


「さて、次はどこに行くの?」
銀座の歩行者天国を歩きながら弟に聞く。
「はぁ~あぁ~い、はぁ~い」
すぐそばで演奏していたアンデス音楽のメロディに合わせて彼は返事をした。
演奏中の曲ははじめて聞く曲。
お見事。


三越本店に行くというので、銀座から日本橋に向けて歩く。
途中の信号待ちで、向こう側のビルの上に「アサヒペン」の大きな看板が見えた。
そういえば、CMソングがあったっけ。


「『なんとか塗料の』アサヒペン」
「なんとか」が何だったか思い出せないが、メロディは合ってる。
と、間髪入れずに弟が歌う。
「家庭塗料はアサヒペン」
ああ、そうか、「家庭塗料」ね。そうだったそうだった。
「『なんとか塗料の』アサヒペン」弟がうれしそうに歌う。
「家庭塗料はアサヒペン」弟はさらに続けて歌う。はい、そっちが正解。


日本橋三越内の本屋さんをこれまたくまなく眺め(彼の定番コース)、
さすがにブレイクしましょうとコーヒーショップに入った。
「『なんとか塗料の』アサヒペン」
弟が私の顔を覗き込みながら歌った。
「家庭塗料はアサヒペン」またも歌う。
しばらく続くんだろうな、これ。


「どてあばれしない」
あ、今度そっちですか。はいはい、どてあばれしないでね。


おもしろいひとです、弟は。

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2006-12-20

ほろり

僕の歩く道」が終わってしまった。
来週は「のだめカンタービレ」も最終回を迎えるし、
毎週観ていたドラマが終わっちゃうのはさびしい。


「僕の歩く道」は結構地味なドラマだったと思うが、
案外視聴率は高かったようだ。
やっぱり草彅人気の影響だろうか。
なんであれ、自閉症という障害があるんだということを
ひとりでも多くの人に知ってもらうきっかけになったのならうれしい。


最終回ということで、感動してくださいといわんばかりの
大仰な作りだったらやだなぁ、と危惧したものの、
いつもどおりあっさりした感じだったのはよかった。


きのうの「笑っていいとも!」で「僕の歩く道」が話題になったとき、
梨花が「最終回、泣ける? 泣ける?」と騒いでいたが、
障害をもった家族がいることでそんなにそんなに泣けてたら身がもたないよね。
あまのじゃくはついへそを曲げる。


でもね。
弟のことでほろっと泣いた思い出はもちろんある。
彼が養護学校小学部に入学してはじめての学芸会のことだ。


1年生は「開会のことば」でトップバッターだった。
数人のクラスメートとともに弟が舞台に現れた。
ひときわからだが大きくぷくぷくした弟は舞台の上でゆらゆらしている。
どうするんだろう、と思っていると、スピーカーから弟の声が流れ始めた。


「きょうは、ぼくたちの、がくげいかいです」


たどたどしいことば。
あらかじめ録音してあった弟の「開会のことば」だった。


弟の口からことばらしいことばが出るようになったのは、
小学校に上がってからだ。
自宅の玄関で甲高い声で「イチタイヨー」(行きたいよー)といったのがはじめ。
それをそばで聞いたときの興奮といったらなかった。
駆け出してって「『行きたいよー』だって!」と両親に報告したのを覚えている。


「イチタイヨー」からはじまった弟が、開会のことばを読めるようになったなんて。
思わず熱いものがこみ上げた。
それは母も同じ。
父は、…どうだったのかな。きっと内心では同じだったと思う。


いまやひっきりなしにしゃべるようになった弟の数少ない泣けた話。

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2006-12-13

きょうだい

1週間ぶりに弟から電話がかかってきた。


弟だとわかると同時に彼の好きな歌をばんばん歌いはじめる。
バリエーション変えて、じゃんじゃんアレンジして、怒涛のように歌う。


予期せぬ奇襲攻撃に、受話器の向こうの弟は咳き込みながら笑う。
今日は咳き込むほどの大笑いが2回出て、かなり満足したらしい。
弟はいつもより早く受話器を母に渡した。


笑いたいんだよね、彼も。
誰だって笑うのは好きだものね。


ちいさいころから弟がどんなことで喜ぶのか、どんなことで笑うのか研究したっけ。
弟は替え歌やことば遊びが上手で、へんてこりんな歌をふたりして歌うのは
子どものころからの慣わしだ。


喜ぶことをする一方で、私はたまに弟の嫌いな歌を歌ういじわるな姉でもあった。
弟が耳をふさいで逃げていくのを見て、「どうしてかなあ」と不思議に思いながら
また歌いたくなるのだ。
でも、いじわるした後には弟も仕返しに私の嫌いなことばを口にした。
私の困った顔を見て弟はにやりと笑うのだった。


私たちはこんなだけれど、障害をもったきょうだいとの関係も
きょうだいによってそれぞれなんだろうなと思う。


ドラマ「僕の歩く道」では、自閉症の輝ちゃんは兄と妹との3人きょうだい。
妹・りなちゃんはとてもいい。
障害をもつ兄をまるごと受け入れていて理解も深く、いつも自然体。
(もちろんいじわるもしない)


ところが、秀治兄さんのほうはちょっといただけないこともたびたび。
この兄さん、一事が万事押しつけがましいのだ。


今週のドラマでは、自分のイライラを輝ちゃんにぶつけて
いってはいけない暴言を吐いていた。
あとで輝ちゃんに謝ってはいたけれど、輝ちゃん相当傷ついただろうな、と思った。
うちの弟だったら、一生覚えてて事あるごとに蒸し返すぞ、きっと。
(私だってそうかも)


秀治兄さんが弟のことや家族のことを思ってるのはわかるんだけどね。
相手の話も聞かないで一方的に自分の言い分だけを通そうとしてもダメだよ。


それは相手が障害をもっていても、そうでなくても、同じだよね。

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2006-12-06

輝ちゃんは笑わない

自閉症のドラマ「僕の歩く道」、最近とみに展開が楽しみになっている。


劇的な変化があるわけではない。
主人公の輝明と彼を取り巻く人々との間の化学反応は実にゆるやかだ。


輝明自身、できることがふえて可能性が広がり、
周りの人たちも彼とのかかわりによって幅が広がっている。
そういう展開はドラマのストーリーとしてある程度予測はできたけど、
見ているほうとしてはやっぱりうれしい。


輝ちゃんと弟、周りの人々と私たちを重ねたり比較したりするのも
またおもしろい。
「あんなこと輝ちゃんにいうなんて無神経な兄貴! 私だったら絶対いわない!」
などと時に熱くなったりしながら。


それにしても、輝ちゃんはあまり笑わない。
アルカイックスマイルのようなほほえみはたたえるけど。


社団法人 日本自閉症協会 ASJニュース いとしご」の最新号101号でも
このドラマに触れつつ、
「でも、主人公の無表情が気になる。弾けるような明るい笑顔を見たいものだ」
と述べている。
やっぱりちょっと気になるよね。


笑わない代わりに、来週の予告で静かに涙を流していたのは大いに気になる。
いったい輝ちゃんに何があったというのだろう。
そもそもうちの弟は涙なんか流すことがあるだろうか。


「笑いすぎたとき」と息子。
ああ、そうだった。
私が弟の好きな笑えるネタをこれでもかこれでもかとたたみかけたら、
弟は咳き込んで呼吸困難になるほど笑いすぎて、涙を流していた。


それと、くしゃみが止まらないとき。
もともと粘膜が弱いから、空気がひゅっと冷たくなったりすると
てきめん鼻水ズルズル、くしゃみ連発。
目もぐしゅぐしゅになって涙を流していたっけ。


…って、輝ちゃんの涙とは全然違うみたい。


泣かない代わりに弟はよく笑う。
笑いたいときには私に電話をよこす。
私は弟が大笑いして満足するまで「11PMのテーマ」や「徹子の部屋のテーマ」を
いろんなバージョンで歌い続ける。


弟が笑ってるのはうれしい。

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2006-11-30

食べたいもの

いま、無性に食べたいものがある。
それは…


焼きいも。


ドラマ「僕の歩く道」で、このところ毎回焼きいもを食べるシーンがある。
草彅くん演じる自閉症の青年・輝明が
幼なじみの都古ちゃんと仕事の帰り道に焼きいもを食べて以来、
かならず同じところで焼いもを買うのだ。
(弟もそうだけど、1回前例を作るとパターン化しやすいのね)
そして、公園のベンチに腰かけて食べる。


やけどしないように(一度あまりの熱さにやけどしている)ふぅふぅさましながら
無心に食べる輝ちゃん。
かなり大ぶりのおいもで、1本食べたらお夕飯にさしさわりそうなくらい。
でも、おいしそう。


輝ちゃんにつられて今週は勤務先の動物園の園長さんも
一緒に買って食べてた。
おいしそうだ。


以前なら迷わず買いに走ってた。
うちの近所をおいしい焼きいもを売るおじさんが回ってたから。
おじさんは寒い季節だけおいもを売りに東京に出てくるのだと
聞いたことがあった。
おじさんの「おいも、おいも、おいも~」という声(実際には録音テープだけど)が
聞こえてくると、もうそんな季節になったんだなと思いつつ、
おいもが食べたくなったものだった。


おじさんの声が聞かれなくなって何年になるだろう。
おじさんはもう来ない。
どんな事情があったのかわからないけど、
素朴な笑顔のおじさんからほくほくのおいもを買うことはもうできない。


他の焼いもやさんも近所を回ってはいるけれど、
めったに姿を見たことがない。
おじさんはリヤカー風の車を押しながらゆっくり歩いていたから
匂いと音を頼りに探し当てることができたけど、
いまの焼きいもやさんは車でさーっと通り過ぎてしまうから
つかまえることもできない。


でも食べたいなぁ、焼いも。
自分でさつまいも買ってきて焼くしかないか。


ほんとは石焼いもがいいんだけどな。

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2006-11-18

乗れる? 乗れない?

生まれてこのかた、一度も日本を出たことがない。


なんだか知らないけど海外にじゃんじゃん遊びに行っているイメージがあるらしく、
人に話すとひどく驚かれるけど、ほんと。
(「自転車に乗れない」というとこれまた驚かれる)


人が他人に抱くイメージっておもしろい。
なぜか「紅茶にスコーンにジャム」なんてイメージをもたれることが多いが、
実際には「日本茶におせんべに梅干」派。


いままで海外に行きたくなかったわけではまったくないし、これからだってそうだ。
現代バレエの巨匠、モーリス・ベジャールに傾倒していたころは
当時彼が本拠地としていたベルギーに行きたいと思って
ガイドブックをよく眺めていた。
結婚間際にはひとりでエジプトに行きたいと思った。
(婚約者つまり現在の夫に猛烈に反対されて断念。
ピラミッド見ながら考え事したかったのに)


結婚後、夫は海・山方面に行きたがり、私は文化・芸術の街に行きたくて
どちらも譲らず。
結局めんどくさくなっていまに至っている。


同じく海外未体験の母の夢はオリエント急行に乗ること。
連れてってあげたいなぁと思いつつ、いまだ実現ならず。
そのうち母は「国内の寝台特急で雰囲気味わうだけでもいいな」といいだした。


それならすぐにも実現できる。
オリエント急行とまでいかなくても、せめてカシオペアで旅情を味わってもらおう。
仙台から札幌までカシオペアに乗って、帰りは空路。
短時間ながら飛行機の旅も味わえる。


問題は弟だ。
飛行機に乗れるかどうか。
映画「レインマン」では自閉症のレイモンドがひどく飛行機を嫌って
パニックを起こす場面があった。
弟が小さかったころ、船に乗り込むのに大泣きしていたのを覚えているけど、
飛行機はどうだろう。
夫は、母と私と息子が一緒だったら大丈夫じゃないの、というが
本人がいやだとなれば事はそう簡単じゃないはず。
直接本人に聞いてみるしかない。


「飛行機、乗れる? 乗れない?」
「乗れない」
「飛行機、乗りたい? 乗りたくない?」
「乗りたくない」
「飛行機、乗る? 乗らない?」
「乗る」
「あ、乗るんだ」
「乗らない」


だめかも。

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2006-11-14

叔父と甥

草彅くんが自閉症の青年を演じる「僕の歩く道」、録画で見ている。


しばらく見なくて、録画ばかりが何週分もたまった時期があった。
「見るの、見ないの、どっち? ハードディスクの容量が減っちゃうから
見るなら見てよ。オレは見なくていいからさ」
と息子にせっつかれ、見なくてもいいかなぁとさんざん迷ったあげく、
結局家族で見ている。


ドラマの展開はだいたい読めている。
はじめは自閉症のことを知らなかった周囲の人たちがだんだん理解を深めるうち、
自閉症の青年との間に温かいものを通わせあう…
って感じ。


ただ、わかっていても、始めの部分は見てて結構つらかったりする。
無理解ゆえの誤解を受けるところなんか特に。
いたたまれない気持ちになってイライラしては、怒り出したりする。
ドラマだってわかってるんだけど。


でも、また見始めたのは、「温かいものを通わせあう」展開を見届けて
ほっとしたいからかもしれない。
また、そうであってほしいと願ってもいる。


再開してからは、弟と対比しながら見るのがおもしろい。
弟だったらこういう状況の時にどんな反応をするかな、とか
弟もこういう場面では同じようなことをするな、とか。


ドラマには、小学6年生の甥が登場する。
自閉症のことをよく知らず、はじめは敬遠していた甥が
交流するうちに叔父を彼なりに受け入れる、という展開がほほえましい。


「オレなんかさ、自閉症だとかなんだとかっていう前に
『そういうもんだ』って思ってたもんね」と息子。


生まれたときからすぐそばにいた叔父が
自閉症という障害をもっていると知った時、息子はひどく驚いた。
「えぇっ、それって『障害』なの?」と。
息子にとっては、叔父の存在自体があたりまえのことだったから。


弟は甥が大好きだし、息子も叔父に対して深い理解をもっている。
息子がよく弟の相手をしてくれるのはほんとうにうれしい。


弟はきのう今日、母とともに東京に遊びに来ていたが、
見送りの姉と甥にめずらしく笑顔で手を振り、ご機嫌で仙台に帰っていった。

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2006-10-11

自閉症ドラマ

きのうからの新ドラマ「僕の歩く道」を録画で見た。
主人公は自閉症の青年。


地下鉄の中吊りでこのドラマのポスターを見かけたとき、
実は首をかしげた。


主人公を演じるSMAPの草彅くんのほのぼのとした表情。
コピーは「生んでくれて、ありがとう」。


うーん。
うちの弟だったらいうかなぁ。
いわないなぁ。
というより、そういう表現ができないよなぁ、きっと。


障害・病気ものにありがちなお涙頂戴型のドラマなのかな、これも。
だとしたら見たくない。
わざとらしい演出にはうんざりだし、
現実はもっとキビシイんだぞ、と反発するのがオチ。


とは思ったものの、見ないでどうこういうのはアンフェア。
とにかく一度見てみましょう。


ということで、家族揃って見たわけ。


うん。いいんじゃないの。
すくなくとも、自閉症がなんなのかまったく知らない人たちに
わずかばかりでも理解を求める役割は担ってくれそう。


私も弟とは39年の付き合いになるが、
彼が年齢とともに変化していることもあって
家族とはいえわからないこと、理解しがたいことはたくさんある。
自閉症の研究自体途上にあり、その分家族も手探りの部分が多い。


私たちだってそうなんだから、わからない人がほぼ大半という事実も
ある意味致し方のないことかもしれない。


でも、わかってほしいと思う。
「そういう人なんだ」と理解してほしいと思う。
同情はいらないから。


ところで、きのうの日経新聞夕刊に「自閉症・不登校を防ぐには」
という記事が載っていてびっくりした。
小児神経学の年配医師にインタビューする形の記事だったが、
異常なサインに母親がいち早く気づいて対処することが重要、
と結論付けていた。


それって、裏を返せば「自閉症になるのは母親の育て方のせい」と
いってるのと同じだよね。


呆れてものもいえない。
(といいながら、激怒して新聞片手に怒鳴り散らしていたけど)


自閉症は先天的な脳の機能障害。
原因はいまだ不明。
まずは医者から理解を進めないといけない現実かも。嘆かわしい。


それにしても、多くの母親たちを傷つけるような記事。ゆるせない。

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2006-10-06

自閉症に対する無理解

おととい、「自閉症の男の子を持つ両親が小金井市と教師らを相手取り
賠償提訴した」というニュースを読んだ。


一昨年、当時8歳の男の子が担任教師に体育館脇の倉庫に閉じ込められ、
パニック状態になって倉庫の窓から転落。
奥歯を5本折り、あごを15針縫う重傷を負った。
両親は「原因は学校の自閉症への無理解」と主張している、というもの。


事故の詳しい内容や、提訴に至る経緯については報道記事に譲るとして。
記事を読み、心の底から怒りがこみ上げてきた。
ゆるせない、と思った。


意志の疎通がうまく図れずパニックになった男の子の恐怖は
如何ばかりだったろう。
深刻な怪我もさることながら、心に負った傷は
今後癒えることがあるんだろうか。


自閉症に対する無理解、偏見と差別。
傷ついたり悲しく思ったりする前に、怒りを覚える。
子どものころからそうだったけど。


6年生で転校した学校の1年の普通学級に、自閉症の男の子がいた。
ご両親は障害のない子どもたちと一緒に学ばせたいという意向だったらしい。
でも、1年生の教室をのぞくと、よく担任の中年女性教師が男の子に
きぃきぃヒステリックな金切り声を上げているのを目にした。
何をどう考えても自閉症に対して理解が深いとは思えなかった。


男の子も私の弟と同じように養護学校に行けばいいのに、と
子ども心に思った。


ただ、弟の通う養護学校には子どもの私の目からもいい先生が多かったけれど
もっと自閉症について詳しくご存知だったらいいのに、と感じたのも事実。
後に、自閉症専門の学校があることを知った時には
弟もそこに行っていれば彼にとってもっとよかったに違いない、と思ったものだ。


ところで、息子が小学校に上がった時、自閉症の兄を持つ同級生がいた。
お兄ちゃんは同じ学校の障害児学級に通っていた。
最初の保護者会で、お母さんは涙ぐみながら自閉症の息子への理解を求めた。
私の弟が自閉症だと話すと、彼女は砂漠でオアシスを見つけたような顔をして
また涙ぐんだ。


その障害児学級の子どもたちが学芸会で楽器演奏をした時のこと。
別の自閉症の男の子がそれは見事にキーボードを弾きこなしたのを聞いて
私の後ろの席にいた母親のひとりが感嘆の声を漏らした。
「たいしたものねぇ!うちの子なんかよりよっぽどすごいわ」


なんだ、その言い方。
悪気はないのだろう。でも、思わず本音が露呈したのだ。
障害児は下で、障害のないうちの子はなんであれ上。
何たる傲慢さ。


無理解からくる悪気のない傲慢さには心底腹が立つ。


(無理解から引き起こされるあらゆる悲劇について
社団法人日本自閉症協会・東京都支部毎日新聞の記事が転載されている)

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2006-06-16

母と弟とそして

きのう東京にやってきた母と弟は、今夜仙台に帰っていった。
母と弟の笑顔を乗せた新幹線が
上野駅ホームのカーブを曲がって見えなくなるまで
息子とふたりで見送った。


次に会うのは仙台だね。


今日も、いつもの場所で待ち合わせをして、
いつものところでランチを食べて、
いつものようにおしゃべりをして、
いつもと同じくケーキセットでコーヒーを飲んだ。
そして、いつもどおり息子が駅に駆けつけ、
東京の最後の時間をともに過ごした。


母と弟と私たちのかけがえのないひととき。


でも、きのうはいつもと違っていた。
私たちのいつもの食事会にTAP BOYSが加わった。
「乾杯!」とグラスを合わせると、弟はすかさず「パーティー」といった。


弟が甥っ子の友人たちと食事をともにするのははじめて。
一方、TAP BOYSのふたりにとっても弟との出会いは
いってみれば「未知との遭遇」だったと思う。


弟と初対面のふたりはとっても自然体で、
いつもどおりほがらかだった。
弟のほうも大好きなご馳走に満面の笑みを浮べ、
いつもどおり終始マイペース。


弟はまったく見てないようで実は見てるし、
聞いてないようで実はポーカーフェイスで聞いている。
そんな彼はとりたてて感想を述べることはないけれど、
自然な空気に居心地はよかったはず。


こういうのって、すごくうれしい。
ほんと、うれしかったし、楽しかった。

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2006-03-31

GWは「未定」

今日で3月も終わり。
スケジュール帳を見ていたら、弟が「4月下旬」といった。
次に私たちが仙台に来る日程のことをいってるのだとすぐわかった。


「未定」と私。
「5月上旬」と弟。
「未定」とまた私。


ゴールデンウィークに仙台に来ることは、恒例行事だ。
すでに私も息子も5月のアタマに来る心づもりでいる。
でも、あえて弟への返事は「未定」。


たぶん、弟はゴールデンウィークが近づくにつれ、
姉と甥が何月何日に来るのかとじりじりするだろう。
来てほしい日程を不機嫌な口調で繰り返しては
両親をいらだたせもするだろう。


でも、次回はぎりぎりまで伝えないでみよう、ということになった。
母の要請で。


今回、私たちが来る前々日あたりに弟は不機嫌きわまりなかったという。
機嫌が悪いとき定番のフレーズが一晩中エンドレス。


私たちに来てほしくないわけではなくて、むしろ逆なのだ。
弟は楽しみにしているスケジュールの前にかえって不安定になることが多くて、
どうしてそういうことになるのか家族にもよくわからない。


私たちが仙台にいれば、アホみたいな歌を一緒に歌って楽しそうにしている。
だからこそ、時間があればこまめに仙台に帰ってきたいと思う。


とにかく次回は実験。
どのタイミングで伝えるのがいいのか。
弟は日々変わってきているし、その時その時の状態も関係するから
正解はない。
手探りで模索、だ。


家族でさえ彼の心のうちがわかりえないときは、まいったなぁと思う。
(とくに、ともに暮らす母と父は私なんかの比ではないはずだ。)
でも、弟本人がいちばん苦しいんだろう。
どうしていいかわからなくて。


彼がいつもゴキゲンでいたらな、と思う。

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2006-03-14

ほんとうの接客

弟と一緒にショッピングして歩くと、
店員さんのほんとうの接客力が浮き彫りになるなぁ、と感じる。


弟の風変わりな言動に店員さんがはっと身構える様をこちらは敏感に察知する。
緊張感って伝わりやすいものなのだ。
人目を引きやすいからさもありなん、と私は気づかないふりをするけれど。


でも、そのあと急にべたべたと馬鹿丁寧な接し方をされたりすると、
なんだかみえみえでちょっとなぁ…とややうんざり。
内心でまずいっ、と思ってるんだろうなぁ、なんて興ざめする。


一方で、弟が風変わりであろうとなかろうとすんなりと受け入れ、
気持ちのいい接し方をしてくれる店員さんもいる。
そういう人たちに共通するのは、自然体だということ。


肩の力が抜けていて、ゆとりがある感じ。
そういう人の笑顔は温かくて魅力的。
決してとってつけたような人工的な笑顔ではない。


そんな店員さんのいるお店は、心から迎え入れられていると感じる。
こちらもほっと肩の力が抜け、くつろげる安心感。
何かいいものあるかなぁ、と楽しんで見て回れる。


付け焼刃でない、心からお客を遇する接客。
カタチだけじゃダメで、やっぱりこころです、こころ。


そういうお店にはまた行きたくなる。
日本橋三越新館のFURLA、また行ってみよう。

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2006-02-22

まずは知ること

あらためて考えてみると、弟とのやりとりはおもしろい。


今日、弟から恒例の電話がかかってきたので
「11PMのテーマ」を歌う合い間に質問をしてみた。


「村主章枝さんの誕生日はいつ?」


弟はむかしからフィギュアスケートを見るのが好きだ。
間髪を入れず彼は答える。
「12月31日」
「何年生まれ?」
「1980年」


「じゃ、荒川静香さんの『生年月日』はいつ?」
「1981年12月29日」


ほぉ~。
『誕生日』と聞かれたから月日で答え、
『生年月日』と聞かれたから年月日で答える。


う~む。彼から正しい情報を得ようとしたら、
的確な質問をすることが不可欠だ。
まさにコンピューターと同じ。


ところで、今日息子は保健体育の研究発表で自閉症を取り上げた。
テーマ自由のグループ研究で、オリンピックの歴史あり、
水質調査あり、応急処置の実演付き寸劇ありと、内容はさまざま。


息子たちの発表をみんなはしんと静まり返って聞いていたそうだ。
息子のほうは叔父の特徴やくせについて話したときに
笑いがおこることを期待していたようだけど、
反応はいたってまじめだったという。


クラスメートの叔父さんを笑ったりしたら不謹慎だと思ったんだろうな。


それはそれでいいんじゃないの。
みんな知らないんだもの。
まずは知ることが大事。


ひとりでも多く「そういう人もいるんだな」と理解してくれたら
それでいいと思う。
今日がきっかけになってくれたらね。

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2006-02-19

サヴァン症候群

おととい観た「レインマン」のプログラムに見慣れぬ言葉を発見。


「サヴァン症候群」とはなんぞや?


プログラムの解説によれば、
「知的障害を伴う自閉症患者の中には、突出した記憶力や表現力に
恵まれた人々が実在するのだ。『サヴァン症候群』と呼ばれる
彼らの脳にはコンピュータなみの情報がインプットされていて、
ひとつの質問から芋づる式にデータが引き出されたりもする。」
(舞台「レインマン」プログラムより)とのこと。


「レインマン」のレイモンドはまさにサヴァン症候群。
ネットで検索していろいろ調べたところ、
サヴァン症候群の少なくとも半数は自閉症だが、
サヴァンに該当する自閉症は10人に1人の割合だという。


へえー。
知らなかった。


じゃあ、うちの弟はまちがいなくサヴァンだ。
彼は歩くカレンダーで、「○月△日は何曜日?」と聞けば
ぴたりと言い当ててくれる。
今年でも、過去でも、未来でも。


また、歩く電話帳、歩く地図、歩く時刻表でもある。
「レインマン」の中で、レイモンドが初対面のウェイトレスの
電話番号を言い当てて相手を困惑させるシーンがあるけれど、
それは電話帳を“読んで”覚えていたから。
弟も電話帳を“読む”のが好きだ。


ほかにも、古いテレビ番組の放映開始年月日やキー局、出演者等々、
ありとあらゆることを記憶している。
歩く年鑑、歩く雑記帳。


そうだ。
弟にスペイン語の辞書を贈ろう。
なぜか子どものころからスペインが好きな彼。
よくテレビのスペイン語講座も見ている。


自分の興味あることなら瞬時に記憶してしまう弟だから、
好きなスペイン語の辞書なら喜んで“読む”ことだろう。


弟に「スペイン語の辞書、いる?」と聞いたら「いる」と即答。
さっそくネットで注文した。

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2006-02-17

舞台「レインマン」

東京グローブ座で「レインマン」を観た。


自閉症の兄をダスティン・ホフマン、弟をトム・クルーズが演じ、
アカデミー賞を受賞したあの名作の舞台化(「世界で、初」だそう)。
兄レイモンドを橋爪功、弟チャーリーを椎名桔平が演じた。


映画「レインマン」がヒットした時、
「これでひとりでも多くの人に自閉症を正しく理解してもらえる!」
と、なによりそれがうれしかった。
それだけあの映画は自閉症を正しく忠実に描いていた。


舞台化に関しては期待半分、不安半分。
「映画に劣らない完成度でありますように」という期待と、
「安っぽいお涙頂戴のお芝居だったらどうしよう」という不安。


結論からいうと、そのどちらでもなかった。
役者はうまかったし、照明も舞台装置も美しかった。
音響も抜群の効果をあげていた。
なかなかいい舞台だったと思う。


でも。
大変残念ながら、自閉症を正しく描いてはいなかった。
役者の問題ではない。橋爪さんはよかった。
ひとえに、脚本家と演出家(同一人)の自閉症に対する理解不足。


例を挙げればきりがないけど、
自閉症は(というか、少なくとも「レインマン」に描かれているレイモンドは)
自分の気持ちや考えを論理立てて述べたりしない。
(というより、できない)
だから、会話の中で接続詞は使わない。
セリフのひとつひとつに違和感を覚えた。


自閉症を正しく理解してきちんと描くことをしないなら、
あえて自閉症という障害を持ち出す必要なんかないのに。
わざわざ自閉症を引き合いに出さなくても、
「家族の絆」は表現できるよね。


演出家にうちの弟を1週間くらいお貸ししたかった。
本物の自閉症(弟とレイモンドにはかなり共通点がある)に接していたら
もうすこし違ったものになったんではないだろうか。
もしくは、レイモンドのセリフを私に校正させてほしかったな。
とにかく、不自然だった。


グローブ座からの帰り道、「よかったね~、感動した」という声を
何度も耳にした。


ああ。
そうだよね。
いい舞台だっただけに、もったいないと思う。詰めが甘いというか。


みなさーん、いまいちど映画「レインマン」を観て。
コミュニケーションをとることがこのうえなくむずかしい自閉症の兄と、
紆余曲折の末、兄を次第に理解するようになる弟の、
心が触れる本当の瞬間が見えるから。

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2006-02-06

きょうだいのカタチ

2週間ほど前に録画していた「たけしの誰でもピカソ」を見た。


ゲストはノーベル賞作家・大江健三郎さんと
奥さまのゆかりさん、そして息子の光さん。


光さんの障害は自閉症ではないけれど、
弟と似ているところがいくつかあって、以前から親近感があった。
ぽちゃっとした体型とか、指先のちょっとしたしぐさとか、
茶目っ気のあるところとか。


きょうだいの存在、という点でもそうかな。
こちらは姉で、あちらは妹さん、弟さんだけど。


番組の中で光さんの日常を紹介していたが、
テレビアニメ「おじゃる丸」が好きで毎日見ているんだそうだ。
(私も好き。この間、久しぶりに見た。それも、ひとりで)


で、おじゃる丸が終わると妹さんから電話がかかってくる。
光さんは妹さんとひとしきり「今日のおじゃる丸」について語り合う。
妹さんがお嫁に行ってから8年間毎日、この電話は続いているという。


私たちきょうだいの場合、電話は弟の気分任せ。
あくまでも弟が「電話したい」と自発的に思ったとき、というのが基本。


今日、その電話がひさしぶりにかかってきた。
いつものように弟のリクエストに従って
「11PMのテーマ」とか「きょうの料理のテーマ」とか
「徹子の部屋のテーマ」とかを歌う。


おもむろに私は狩人の「あずさ2号」を歌いだす。
(今朝からなぜか頭から離れなかったので)


弟も歌う。
電話で交互に「あずさ2号」を熱唱する43歳の姉と38歳の弟。


おじゃる丸について語り合うのも、
あずさ2号を共に歌うのも、
どちらもきょうだいのひとつのカタチ。

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2006-01-19

30年ぶりのシンデレラ

弟はなぜか知らないけど「シンデレラ」が好きだ。
(好きなことに理由なんてないのかもしれないけど)


その弟がよく「ジェマ・クレーブン。シンデレラ」と口にする。


1976年、私が中学2年の時に
イギリスのミュージカル映画「シンデレラ」が公開された。
その主演が可憐で美しいジェマ・クレーブン。


音楽も衣装も、もちろん登場人物たちも夢のように甘く美しい、
それはそれはうっとりするような映画だった。


サントラ盤をもっていたわけでもないのに
いまでも主要なメロディを口ずさめるし、
ビデオをもってるわけでもないのに
印象的な場面を思い浮かべることができる。
それほど少女心を魅了した素敵な映画だった。


その映画を観た前年に
自分自身シンデレラを演じていたせいもあるかもしれない。


そうだ。
あのシンデレラが観たい。
きっとDVDが出ているはずだ。
買って弟と一緒に観よう。


インターネットで調べたら、DVDはおろかビデオ化さえされていない。
なんと。
ネット上では「あんな秀作がDVD化されていないのはなぜ?」
という意見が数多く見られた。同感。


DVDがないならせめてサントラだけでも、とアマゾンで注文。
CDがきのう届いた。


30年ぶりに聴くのに、覚えてるものよねぇ。
なつかしさとうれしさに胸に甘いものが広がる。


iTunesとiPodに入れたらCDは弟にプレゼントしよう。
どうかDVDも出ますように。

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2005-11-16

自閉症でない弟…?

夫の夢にわが弟が出てきたそうだ。


夫が運転する車の助手席に座る弟。
いつもとなんら変わらない弟らしい様子。


ところが、口を開いたら
「お義兄さん、そこは曲がるんだよ」とかなんとか
とてもフツーの話し方をするのでびっくり。


…という夢だったそう。


夫の夢の中で弟はどんな話し方をしてたんだろう。
想像つかないなぁ。


息子ともよくそんな話をする。
もし障害がなかったら、
どんな話し方をして、どんなふるまいをするんだろう、と。


でも、全然想像できない。


息子は学校に上がるころにはじめて
叔父に自閉症という障害があることを知らされ、
とても驚いていた。


息子にとって叔父は生まれたときからそばに存在していた人。
ふうがわりな話し方も、しぐさも、
「そういう個性」としてあたりまえのように受け入れていたんだろう。


叔父の存在をまるごと受け入れていたから
障害だとかなんだとか幼い彼には関係なかったんだと思う。


それは私も同じこと。


でも、ありえないことと知りつつ、
弟が自閉症でなくなったらどんな話し方をするのかなぁ、
と時々想像するのだ。

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2005-11-13

弟のごあいさつ

弟と母が仙台から遊びに来た。


再会してすぐ、弟はまず夫に両手のひらを向けて近寄る。
心得ている夫はすかさず自分の手のひらを
弟の手のひらと合わせ、にぎにぎ。
弟、ごあいさつにたいそうご満悦。


次に息子とも両手のひらにぎにぎ。
にこにこ大満足。


「ぜったい私のところには来ないよね~」
とぶぅぶぅいうと、ついでみたいな顔してやってきて
ついでに私とにぎにぎ。


昔からそうなんだ、彼は。
女の人にはけっして自分から親愛のごあいさつをしない。
初対面でも、自分に親愛の情を示してくれそうな男の人には
みずから手をさしのべてスキンシップを求める。
なぜだか知らないけど、昔からそう。


でも、1回だけ例外がある。
知り合いの女性にばったり会ったとき、
弟は初対面の彼女に手をさしのべたのだ。


めずらしいこともあるもんだね~、
こんなことはじめてだよね~、
と母や夫とわいわいいいながら、はたと思い当たった。


「ねぇ、」
私は弟に聞いた。
「いまの人、男の人? 女の人?」


彼の答えは予想どおり。
「おとこのひと」


ショートカットにノーメーク、黒ずくめのパンツスタイルの彼女を
男性と間違えたのね。
やっぱりごあいさつは男の人となんだ。


それにしても、どうしてなんだろう。
この性癖。

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2005-10-11

新レパートリー

ひさしぶりに弟から電話がかかってきた。


「ひさしぶりに~かかってきた」というのは正しくないね。
これまでも何回かかかってきてたのに
私が留守にしていて出てあげられなかっただけだから。


かといって、私から弟にかけても彼は喜ばない。
弟が自分から「電話したいな~」と思う意思がないところに
よかれと思って電話しても、うっとうしがられるだけなので。


だからこそ、弟からかけてきたときには
最大限彼の希望に沿いたい。


「おひさしぶりですね」と私があいさつすると
彼も「おひさしぶりですね」とあいさつ。
あいさつはそれくらいにして、さっそく「11PMのテーマ」を歌う私。


「尺八風11PMのテーマ」とか
「サンバ風11PMのテーマ」とか
かなりとんでもないリクエストに応えなければならないが、
だいたいパターンは決まっているので臨機応変に歌う。


ところが、今日はまったく新しいリクエスト。
「オペラ風タブー」だって。


「タブー」って、もしかして、カトちゃんの「ちょっとだけよ」ってやつ?
なんでいきなりそんな突拍子もないものを?
ドリフの番組でも見たの?


とにかくソプラノ・セリフつきで歌ってみたら、弟大笑い。
やっぱりカトちゃんでよかったのね。


そのあとも「鬼太郎の親父風」「タラちゃん風」などなど
無理難題をふっかける弟。
ひとりで歌っててもさすがにはずかしいよ。


さんざん私に歌わせて満足すると、
ゴキゲンにはなうた歌いながら受話器を母に渡す弟。


今日の収穫は、なんたって新しいレパートリーがふえたことです。

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2005-08-23

理解する、受け入れる

今朝、NHKの生活情報番組に
自閉症の男性とそのお母さまが出演していた。


そのことに気がついたのは夫だった。
「『あれ、しぐさが似てるなぁ』と思ったらやっぱりそうだね」
その声に反応してすぐ画面に目をやると
ほんとだ、うちの弟と同じようなからだの動かし方をしてる。


出演していた彼は32歳、うちの弟の6歳下。
お母さまが話すには、できないところを特訓して克服するよりも
地域の人たちに自閉症の特性を理解してもらえるよう
心がけてきたという。


そうだね。
私も子どものころからずっと思ってた。
「障害があるのね」と同情するんでなく、
「どんな障害なのか」と理解してほしい、と。
だから、弟をそのままに受け入れて一緒に遊んでくれる友だちは
とりわけ大好きだった。


ダスティン・ホフマン主演の「レインマン」がアカデミー賞を取ったときは
すごくうれしかった。
これで自閉症に対する世間の理解が深まるはず、と思った。
ダスティン・ホフマンの演技はおそろしいほどに真に迫っていて、
アメリカの自閉症も日本の自閉症と変わらないのね~と
私はずいぶん笑った。


でも、友だちの友だちが「レインマン」を見て
「最後のシーンは弟と自閉症の兄が心通わせた証拠に
見つめあったらもっとよかったのにね」
といったというのを聞いたときは激怒した。


ありえないんだよ、そんなこと。
「レインマン」は自閉症の姿をそのままに描いてるからこそ秀作なの。
どうしてそれをありのままに受け入れられないのかなぁ?


自分の知らないことを理解して受け入れるのは、
なかなかむずかしいことなのかもしれない。

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2005-06-24

いつのころからかわが家に定着したならわしに「握手」がある。
たとえば、「いってきます」「いってらっしゃい」で握手、
「がんばってね」「ありがとう」でも握手。
今日、上野駅のホームで母と弟を見送ったときもお別れは握手。


母と私がいつものセレモニーを始めたら、弟が割り込んできた。


あわてふためきながら母と握手し、
あいた手で甥(私の息子)と手をつなぎ、
またまた別の手で甥と握手しなおし、
なんてことをわたわたとやっている。


だけど、なんで私はそっちのけなの?


そう言うと、最後の最後にお義理っぽく手を差し伸べてきた。
おかしなやつ。


彼の行動はひとつひとつがへんてこでおもしろい。
弟はそういうヒト、とはなから思ってるのでさして不思議に感じないけど。


でも、よくよく考えてみると不思議なことばかりなんだよね、実は。


最近、「自閉症とマインド・ブラインドネス」という本を読み始めた。
著者はアメリカで自閉症研究の第一人者といわれている人。


自閉症については解明されていないことがまだまだ多く、
研究の途上だという。


「自閉症じゃない弟」を息子と想像してみたんだけど、ダメ。
「姉貴もあんまり無理しないほうがいいよ」とか
甥っ子に「高校は慣れたかい?」なんて言ってる弟、全然想像できない。


弟は弟。
おそろしいほどの記憶力の持ち主で、仕切りやで、大食漢で、etc、etc…
私は彼をよく知ってるつもり。


でも、「自閉症」を客観的にとらえておくことも大事かなと思った。
本、読み進んだら目からウロコかも、と期待している。

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2005-04-17

弟の誕生日

今日は弟の誕生日。
きのう速達でバースデーカードを送ったんだけど届いたよね?


「えっ、きてないわよ」と母。
――うそ!? それじゃ速達の意味ないじゃない。
届いてるよ、と後ろから父。
――でしょ? だよね。ああ、よかった。


「あらぁ、ちっともいわないんだもんねぇ」と母が笑う。
きっと弟はひとりでカードを見て私たちのメッセージに笑っていたんだと思う。


私たちが電話で話している間、弟は黙々とピザを食べていたようだ。
弟にとってイベントの時はなんたって好物のピザときまってる。
結局私と息子が母とさんざんしゃべり、
最後に「『おめでとう』と伝えといてね」と電話を切った。
弟は、自分が電話したいと心から思った時以外は電話に出ないのだから。


彼は一見ポーカーフェイスを装っているように見えるが
実は人の会話をよく聞いているし、目ざとくいろいろと見てもいる。
今日だって、姉がちゃんと自分の誕生日を覚えているかどうか、
お祝いの気持ちを届けてくれるかどうか、
敏感にセンサーを働かせていたはずだ。


自閉症の原因が何なのか、いまだにはっきりとは解明されていないし
遺伝的要素が関与するのかどうかわからない。
でも、私たち姉弟はよく似てるよねぇ。


自閉症の弟と、そうでない姉。
体型こそベクトルが全く逆で、顔のサイズもまるで違うけど
気質に共通点は多いよね。


若いころは気づかなかったけど最近とみにそう感じる。

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2005-04-05

くつろぎのランチ

母と弟が日帰り「遠足」で東京にやってきた。


花冷えのきのうとは打って変わって
今日はスプリングコートを脱ぎたくなるような春の陽気。
咲き始めた桜と、若葉の緑が目に鮮やか。


10日ほど早い弟の誕生日とあさってに控えた息子の入学を祝って、
ランチに乾杯をする。


今回のランチは趣向を変えてはじめてのお店に母と弟を案内した。
息子の卒業祝いに訪れて気に入ったお店。
期待どおりのおいしさと感じのよさに一同満足した。


弟には変わった性癖があって、
サービスの方にお皿やグラスをどこに置くか指さして仕切ったり、
目の前に置かれた自分のお皿を母や私のとチェンジしたり、
いろいろめんどくさいことをする。


相手を困らせないように私たちもフォローはするが、ちょっとはらはら。
そのくせ、サービスの人の表情がちょっとでも曇ろうものなら
見逃すことができずに、内心むっとしたりもするんだけど。


でも今日行ったお店は、弟の風変わりなしぐさやことばにも
笑顔でゆったりと対応してくれた。
実に自然で気持ちよく、おかげで私たちも心からくつろぐことができた。


こういうお店だと、また行こうと思う。

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2005-01-31

自閉症と「闘う」?

今夜、自閉症の子どもを抱える家族の姿を追ったドキュメンタリー番組が
放映される。


「こういうのって、ナレーションなんかで余計なこというからやなんだよね」
と息子。
「お涙頂戴、っていうかさ」
自閉症の叔父をもつ甥っ子の率直な感想。


たしかにね。
もっと淡々と事実だけを抽出して見せてくれたらいいのにね。
同情ひいてどうするの?
障害を持った者の家族がほしいのはむやみやたらな同情じゃなくて
正しい理解のほうなんだけど。


朝刊のテレビ欄に番組のことが紹介されていた。
「自閉症と闘う家族の姿に密着」
自閉症と闘う…?


番組を見ることなくどうこういうのがフェアじゃないのは承知の上。
だけど、このフレーズには違和感を覚えずにはいられない。
「自閉症と闘う」というフレーズに。


もちろん、自閉症という障害を持った家族がいるのは大変なこと。
だけど、だからって「自閉症と闘う」なんていうかな。
自閉症とともに生きる、とは思ってるけど。


私は姉という立場だから、両親よりずっとお気楽だと思う。
だからこんなことがいえるのかもしれないけど。


でもね、なんかぴんとこないよね。「闘う」なんて。
もし闘ったとして、勝てるのかな。

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2004-11-10

秋の遠足

弟が東京に来るときは最近雨ばかりだったけど、今日はめずらしく晴れ。
汗ばむほどの秋晴れ。


弟が上京する目的は、ずばり「銀座の放送局めぐり」。


銀座界隈には全国の放送局の東京支社が集まっている。
弟は銀座のどこのビルにどこの放送局があるか全部頭に入っていて、
地図を見ることなく渡り歩く。
行って何をするかというと、番組表をもらう。それだけ。
仙台にいて人からもらうのでは意味がないのであって、みずから銀座に出向き、
自分で集めて満足するのである。


いつから放送局めぐりが始まったか私はよく覚えていないけど、
ひところは銀座を端から端まで何時間も母を連れまわしたものだ。
母が病気をしたときに放送局めぐりはいったん「卒業」になった。
でも、弟の数少ない楽しみのためにといつしか復活となった。
ただし、「今回は○軒だけ」と制限つきで。
それでも、いつか同行した息子が音をあげたほどの強行軍ではある。


「今朝はずいぶんご機嫌だな」と留守番隊の父が目を細めていたそうだ。
終始にこにこ笑顔でうれしそうな弟。
母もせっかくの銀座で歌舞伎でも観たいだろうに、ただひたすら息子のために
歩く。


来年は京都旅行をしようね。風邪ひかないでね。
握手を交わし、息子と見送った上野発19:02のはやて。
弟と母の、秋の遠足でした。

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2004-10-24

大地震への不安

「新潟県中越地震」と名づけられたきのうの大地震。
一夜明けてみれば、想像以上に被害は甚大だった。
立て続けに震度6で揺さぶられるとこういうことになるのか。
テレビの中の惨状にただただあ然とするばかりだった。


東京でも、実家のある仙台でも、近いうちに必ず大きな地震が起きると
いわれている。
東京の自分たちのこともさることながら、私には仙台の家族のほうが
気がかりでならない。


両親が仕事にでていて、弟がひとり家にいるときに地震があったら?
家族三人一緒にいたとして、もし避難生活になったら?


自閉症の弟が、非常時に心穏やかでいられるかどうか。
それよりなにより、非常時に障害をもった弟に接する周りの人々が
心穏やかでいるかどうか。


テレビに映し出される新潟の避難所では、誰もが疲れきった様子だった。
疲労と不安と空腹のせいか、いらだって声を荒げる人もいた。


もし仙台に大地震が起きて、家族が避難生活を余儀なくされたら
私はどうやって救出に行こうか。
あれこれ考えて一日が過ぎた。


それより、東京の家でも非常時に対する備えをしておかなくちゃ。
明日水買ってこよう。

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2004-09-26

弟への熱唱

時々仙台の弟から電話がある。
今日も3日ぶりにかかってきた。


5歳下の彼は、3歳になる前に自閉症と診断された。
自閉症だろうがなんだろうが、たったひとりの弟。
私にとっては「きょうだいってこんなもん」と思ってともに育ってきた。


彼からの電話では、リクエストに応じて私がひたすら歌う。
リクエストといってもいつもだいたい決まってる。
はじめは必ず「11PMのテーマ」。
さばだばさばだばさばだば、ふぃーさばだば、どぅーわっ、
とぅっとぅっとぅっとぅ、さばだば…


ノーマルバージョンで歌ったら、
今度はお好みに合わせて「尺八風」で歌ったり、「鬼太郎のおやじ風」で歌ったり。
あとは「天才バカボン」とか「いなかっぺ大将」も定番。
20分でも30分でも、彼の気がすむまで熱唱は続く。


弟の後ろで父が「ばかきょうだい」とからかう。
弟はすかさず「りこうきょうだい!」と応酬。
私も「『失礼な!』って言ってやって!」と口をはさむ。
弟はすぐさま「失礼な!」と返す。


弟が満足しきってほがらかに笑うとき、私も満足。

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