2009-11-08

究極の美しさ

ちょうど2週間前のこと。


先にスタジオでウォーミングアップしている私に、
後から来た息子が小声でささやいた。
「とんでもないひとが来た、と思う」


とんでもないひと?
だれ?
「思う」ってなに?


その意味深ないい方、気になるなあ、と思っていたら、
にわかにスタジオが入り口のほうからざわめきはじめた。
まるでさざ波が静かに広がるように。


ざわめきのほうを見て、息をのんだ。
凛とした長身の女性。
SHOKOさん。


「やっぱりSHOKOさんだよね」と息子。
チェックインの時に目が合って会釈したのだという。
「ね。とんでもないひとでしょ」


バレエの神さまから思いがけない贈りものをいただいて、
その日私たちはSHOKOさんとレッスンをご一緒することができた。
SHOKOさんはウォーミングアップとバーだけだったが、
同じ時間と空間を共有できたことはほんとうに光栄だった。


踊りのみならず、周りの人たちに温かい気配りをするさまにも強く魅かれた。
ホンモノはむしろえらぶらないもの、と思っていたが、やっぱりそう。
世界のプリマ・SHOKOさんの豊かな人間性を垣間見る気がした。


どうしてもSHOKOさんの舞台が観たい。
私以上に息子が強く望み、今日SHOKOさんの「ロミオとジュリエット」を観ることに。


バルコニーのシーンでロミオにリフトされるとき、息が止まりそうになった。
重量感がまるでない。


空気と戯れる、ってこういうこと。
のびやかな肢体、ってこういうこと。
それは、あえていうならバレエの究極の美しさ。


SHOKOさんの神々しいまでに美しい舞姿に、呼吸すらも忘れた。

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2009-10-28

サプライズ!

ゆうべ、母から電話がきた。


携帯がバイブした時にはてっきりメールだと思った。
だって、夜の9時に電話をよこす人なんて私にはそうそういないから。


ひっきりなしにバイブし続ける携帯を開けて電話に出る。
母がメールじゃなくいきなり電話してくる時は急用だ。


「もしもし」
「明日、どんな予定?」
「『どんな予定?』って、午前中にレッスンに行ったりするけど」
「じゃ、会うのはあさって、かな」
「!?」
「いま東京に来てるのよ」


わ。


携帯を耳に押し当てたまま息子に告げる。
「ばばたち、東京に来てるんだって…!」
「うわ、やりやがった」
息子は聞くなり下品ないい方で答える。


息子も私も、新型インフルエンザに感染したら大変、と
東京への“秋の遠足”は避けるようにいっていたのである。
まさかの事後承諾。


「サプライズ!でしょ」
電話の向こうの母はこともなげにいう。
母の後ろからは、野太い声で私と息子の名前を呼ぶ弟の声。


ちょうど電話が来るまで、録画してあった「裸の大将」を見ていた。
市原悦子さんと、塚地演じる清が踊る姿に大笑い。
いきなり歌い踊りだしちゃう悦子さんに母が、
それにワンテンポ遅れてぎこちなくまねして踊る清に弟が見事に重なり、
ひとり笑いが止まらなかった。


きのう夫と話しながら銀座を歩いている時も、
銀座めぐりが好きな弟や母のことが何度も話題にのぼった。


母と弟が東京に来てることを感じとっていたのかしらね。


さて、今日も私は青空銀座。
今度は母と弟と3人である。
弟のちいさい頃からのライフワーク、「銀座の放送局めぐり」だ。
銀座に集まっている全国各地の放送局の東京支局を回って
タイムテーブルをもらうのである。


「お母さんが歩けなくなったらおしまいだからね」
杖をついてゆっくり歩く母が、大きな弟の背中に向かっていう。
けれど、気分が高揚した弟はわれ関せずでどんどん歩いていく。


それにしても、まあよく歩いた、歩いた。
文字どおり、“秋の遠足”。

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2009-10-26

龍馬という人

来年の大河ドラマは「龍馬伝」。
坂本龍馬が主人公である。
ということは、2010年には龍馬ブームがやってくるのだろうか。


私の中の龍馬ブームはすでに到来済みではある。
さかのぼること20年前、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んだ時だ。


「竜馬がゆく」は、もともと夫の愛読書。
彼がむかし何度もページをめくったという古びた文庫を借りて
息子がおなかの中にいた時に全8巻を読んだのである。


坂本龍馬という人の、なんと大きいことか。
そのとてつもない大きさに激しく心を揺さぶられ、
人として強い憧れの気持ちを抱いた。


もう一度読みたい、読もう、いや読まなければと思った。
しかし月日は流れ、そのうち、自分がふたたび読むより先に
息子に読んでほしいという気持ちのほうが強くなっていった。


あんまり息子にはああせいこうせいといわないほうだが、
彼が高校生になった頃から「【課題図書】として『竜馬がゆく』をかならず読むように」
と何度も伝えた。


耳にタコができるほど両親からそのせりふを聞いていた彼は、
大学生活にようやく慣れた頃、とうとう【課題図書】を読みはじめた。
いま第7巻まで進んでいるそうである。


そういえば、息子が小学2年の時には「龍馬の旅」と称して
京都と高知で龍馬ゆかりの土地をめぐったっけ。
息子はおぼろげにしか覚えていないというけれど、
行く先々で、龍馬がどんな声でしゃべり、どんなふうに笑ったのか、
いつも心に龍馬を思い続けていた旅は、濃密で充実した数日だった。


実際のところ、生身の龍馬がどんな人物だったのか想像するのは楽しい。
残された古い写真や司馬遼太郎の書く龍馬像から、
自分なりにふくらませたイメージもある。


そのイメージにぴったりの龍馬を、最近テレビで見ている。
「仁」というドラマで、私の大好きな内野さん(内野聖陽)演じる龍馬である。


とんでもないほどエネルギーが高くて、とんでもないほど熱くて、
慣習や常識がどうであれ、自分の感覚や信念に忠実にまっすぐで。
人の心を魅了する愛すべき変わり者。


龍馬って、きっとこんな人だったはず!
と、うれしくなっている私である。

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2009-10-17

ロミオとジュリエット

高校生の時、ある有名劇団による「ロミオとジュリエット」を観た。
メタボ間違いなしの贅肉ぶゆぶゆ『おっさんロミオ』に、
鼻にかかった猫なで声の『かまととジュリエット』。
いま思い出しても最悪のロミオとジュリエットだった。


好きな役者がティボルトで出ていたので、
ティボルトがロミオに刺されて死んでしまうと、
あとはどうにでもなってくれ、と寝てしまいたくなったほどである。


シェイクスピアが設定したロミオとジュリエットの年齢は10代。
ジュリエットなんて14歳の若さだ。
それなのに、この役者たちの演じる「若さ」のなんと薄っぺらなことか。
「若さ」を忘れてしまった人たちに「若いということ」を馬鹿にされたようで、
18歳の私は怒りすら感じた。


ほんとうの「ロミオとジュリエット」に出会うのはそれからずっと先のこと。
藤原竜也のロミオと、鈴木杏のジュリエットである。
熱にうかされたような情熱がほとばしるふたりには真実味があった。


さて。
今日、Kバレエカンパニーによる「ロミオとジュリエット」を観た。
芝居とバレエという違いこそあれ、「ロミオとジュリエット」に関しては
「真実味あふれるものが観たい!」という明確なイメージをもっている私。
でも、それはさておき、純粋にバレエを楽しもうと劇場に向かった。


ところが、だ。
素晴らしかったのである。
バレエそのものはもちろんのこと、
清水健太のロミオと荒井祐子のジュリエットがほんとうに素晴らしかったのである。


若さゆえの鬱屈や、未知なるものへのおののき。
そして運命的な出会いにうちふるえるふたつの魂。
手練手管の駆け引きとは無縁の、純粋でまっすぐな心のぶつかりあい。
やがて若さのエネルギーそのままに命の火を一気に燃やし尽くすように
生を駆け抜けていったふたり。


上質なバレエを堪能しているにもかかわらず、
バレエを観ていることを忘れるほどにロミオとジュリエットそのものに引き込まれた。


忘れられない「ロミオとジュリエット」がまたひとつ、ふえた。

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2009-10-10

今日は映画

ちょっとした選択を迫られた。


前々から楽しみにしていた映画が何本かあって、
その公開がよりによってみんな今日に重なったのである。
それも、1本以外は出演者の舞台挨拶つき。


どれを観に行こう?


藤原竜也主演「カイジ」。
内野聖陽主演「悪夢のエレベーター」。
堺雅人主演「クヒオ大佐」。
そして、「パリ・オペラ座のすべて」。


時間を調べたら、3本はしごだってやれなくもない。
ま、チケットがうまい具合に取れればの話だけど。


さあ、どうする。


「オレは『カイジ』。あとはパス」
息子はにべもなく即決である。


うーん。
まあ、よくばらずに1本にしとこうか。


ということで、今日は「カイジ」に決定。
ほかの3本は後日、ということに。


1週間前、インターネットでチケットを取った。
初回が希望だったが、ようやくサイトにアクセスできた時にはほぼ売り切れ。
なんとか2回目のほうを予約した。
一度に2枚までしか取れないので、「オレはあとで観に行くよ」と夫。


さて。
出演者と監督の舞台挨拶があって、映画本編スタート。
結構期待はしていたが、その期待を裏切らないおもしろさだった。
なにより、藤原竜也がいい。


天才・藤原竜也が真骨頂を発揮するのは舞台の上だと思っているので、
実は映像の彼には舞台ほどの関心をもってこなかった。
だから、舞台は絶対欠かさず観に行くが、
映画やテレビドラマは内容に興味がなければ観ないでしまうこともあるのだ。


しかし。
「カイジ」では、舞台でよく見るぎりぎりまで研ぎ澄まされた彼の緊迫した集中力が
惜しみなく映像からあふれ出てきた。
あたかも舞台で演じる彼を生で観ているかのような錯覚を覚えたほどである。


そこにからんでくる香川照之がこれまたすごい。
クライマックスはスクリーンから火花が散ってくるような迫力だ。


「ひさびさに『もう1回観たい!』と思った映画だよ」
と息子も大満足。


「カイジ」、ほんとうにおもしろかった。

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2009-09-23

楽屋で

きのう、「宮城野」の舞台がはねた後、
息子と一緒に民代さんの楽屋を訪ねた。


私は修行時代に1年間彼女と一緒にレッスンしているが、
いま民代さんと親しい交流があるのはむしろ息子のほうだ。
なんたって息子は「Shall we ダンス?」でひと目ぼれをして以来、
6歳の時からずっとファンなのだから。


「おおっ、こんにちは」
のれんをくぐった先に民代さんはいた。
舞台化粧はそのままに、ほっそりしたカラダにまとっていたのは
遊女の着物に代わってグレーにピンクのラインのジャージ。


「今度からはバレエじゃないからね、芝居だからね」
民代さんは元気いっぱいにいう。
さっきまでのせつなくも哀しい宮城野からうって変わり、
実にさばさばしたいつもの民代さん。


楽屋のやりとりはバレエ時代と変わらない。
舞台の彼女は大きな変貌を遂げたけど。


ことばを必要としない踊りから、ことばを介する芝居へ。


ダンサーとしての彼女は数多く拝見してきたが、
舞台女優としては未知数。
そんな危惧を、彼女の宮城野は瞬く間に拭い去ってしまった。
彼女にとって、表現の根本は何ひとつ違っておらず、
表現者としての新たな一歩を着実に踏み出したことを証明して見せた。


ほんとうに素晴らしい舞台だった。
表現者・草刈民代に脱帽である。


ところで。
息子は民代さんに報告をした。
「ぼく、『本格的に』バレエのレッスンはじめました」


「『本格的に』ってなに? まさかダンサーになるつもりじゃないよね?」
民代さんは身を乗り出してあわてた様子。
バレエ、楽しいんですよね、と息子は笑った。


劇場の帰り道、息子がいう。
「ダンサーになるつもりも、ならないつもりも、わからないよね。
だって、これから先、どうなるかわからないんだから」


そうだよね。そのとおりだと思う。
ただ母は、息子に夢中になれることがふえたのがうれしい。
好きで一生懸命やればこそ得られるものが
どれだけたくさんあるか知っているから。


息子は今日もレッスンに行った。
使い慣れないカラダは使うほどにへとへとになるけれど、
それでも彼は行かずにいられない。
帰ってくれば、私を相手に復習する。


自分の心のおもむくままに、夢中になれることをやったらいい。
母は応援するのみです。

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2009-09-22

つらくて苦しくてせつなくて

映画「ココ・アヴァン・シャネル」に
ココが「恋ってどんな気分?」と聞くシーンがある。
それまで恋に懐疑的だったココが
はじめて自分に芽生えた恋心に気づくことを暗示したさりげないシーンである。


「恋は、つらくて苦しくてせつないものよ」
聞かれた女性はそう答える。
うろ覚えだが、だいたいそんなことば。


つらくて苦しくてせつない。
ココは思案げに黙り込む。


恋の、めくるめくようなときめきはそう長く続かない。
せきたてるように訪れる甘美な苦しみ。
いとおしい思いが深まるごとに募るせつなさ。


恋は、つらくて苦しくてせつないもの。
相手を思えば思うほどに。


今日観た芝居にも、恋すればこそのせつなさに苛まれる女性がいた。
かなわぬ恋。
彼女の恋が成就するはずもないことを、彼女自身がよく知っていた。


それでも、せつなさに身も心も絞りつくされながら、
彼女は自分の命を顧みずに相手のために大芝居を打つ。
決して自分のもとには戻らない相手のために。


いとしさが募れば募るほど、情が深ければ深いほど、
自分のことよりも相手のことが先に立つ。
どんなにせつなくても、相手がそれで幸せになるならば、と。


若い男への情愛を見せるうらぶれた遊女の宮城野を、
これが芝居初舞台となる草刈民代さんが演じた。


たとえかなわなくても。
たとえ思いが遂げられなくても。
しょうもない年若い男に対する哀しいまでの愛が
宮城野の全身をちりちりと覆っていた。


矢代静一作のふたり芝居「宮城野」。
せつなさと哀しさが胸にしみた。

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2009-09-07

「舞台女優・市原悦子」

幼いころから、母は私に「舞台女優・市原悦子」のすごさを何度も語って聞かせた。


そのたびに、観たこともなく、また決して観ることのできないオフィーリアを
私はおぼろげながら頭の中に思い描いたものである。
「ママがこんなにいうんだから、『イチハラエツコさん』ってすごいんだなあ」
と素直にそう信じ、そのうちテレビドラマで見る「市原悦子さん」を好きになった。


11年前、はじめて悦子さんの舞台を観た。
江守徹さんとのふたり芝居、「ディア・ライアー」である。


母からずっと聞かされて育ってきたのだ。
観る前の私の頭の中には、「舞台女優・市原悦子」の想像でいっぱい。
でも、私のちっぽけな想像力は
ほんものの「舞台女優・市原悦子」の存在感にあっという間に呑み込まれてしまった。


それ以来、悦子さんの舞台にはほとんど駆けつけるようになったのである。


きのう、楽屋でお目にかかった悦子さんは、開口一番「どんな感想?」とおっしゃった。
「みんな『楽しかった』っていうのよ、まず『楽しかった』って」


そう、歌も素敵だったし、コメディだし、ほんと楽しかった。
去年の「ゆらゆら」とはうって変わって。


「去年はおそろしかったものね」と悦子さん。
「でも、ああいうのが好きなのよ。またやりたくなるのよ」
そういいながら、悦子さんはいたずらっぽい目をして笑った。


じゃ、またそのときには覚悟して観にまいります、と頭を下げた。
「ゆらゆら」を観てから、しばらくは家の中でも暗がりが怖かったほど。
それくらい強烈にこわい芝居だった。


でも。
今日になってきのうの悦子さんとのやりとりを思い出していたら、
なんだかふとまた「ゆらゆら」を観てみたい気がした。
なんだろう、二度とごめんだと思ったのに。


この間、内野聖陽さんの「ブラックバード」を観たときもそうだった。
これっぽっちも救いのない、息苦しい芝居なのに、
一日二日たったらまた観たくなっていたのである。


人間の、それも年を重ねて知らず知らず生きることに激しく執着する人間の、
一筋縄ではいかない業の深さというか。
そういう人間の、底知れぬ心の闇というか。
こわいと思いつつ、自分の奥底にも存在する暗がりの部分が
磁石で引き合うように反応するのかもしれない。


そんな人間の怖さを演じる悦子さんもまた見たい。


やっぱり悦子さんの舞台を拝見したくて、これからも劇場に馳せ参じるのである。

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2009-09-06

悦子さん

舞台を拝見する度に思う。
市原悦子さんという人は、なんて立ち姿が美しいんだろう、と。


すっと立つ姿は凛としていて、そこはかと色香が漂う。
何事にも屈しない強さと、何事も受けとめてしまう柔らかさ。
内に秘めた激しさと、ふと垣間見える優しさ。
かろやかでいながら、重厚でもある。


力みなどすこしもないその立ち姿を見た瞬間から、
舞台に対する期待はいやがうえにも高まる。
これからどんな世界に誘われるのだろう、と。


今日、オペレッタ「紅いリンゴ」を観てきた。
「天国と地獄」で有名なオッフェンバックのオペレッタ。
そのオペレッタに、悦子さんが出演していたのである。
3人のオペラ歌手と悦子さんの織り成す軽妙なコメディだ。


舞台にひとり登場した悦子さんの語りからはじまる「紅いリンゴ」、
せりふと歌で、かつて恋人同士だった若いふたりと、
それぞれのおじとおばの心模様がおもしろおかしく繰り広げられる。


テーマは恋。
それが過去形か現在進行形かはさておき、
きっと誰の心にもある、甘くてせつないやっかいな思い。


他人事だと思えばその滑稽さを笑い、
わが身に照らし合わせればときおり胸にほろ苦さが広がる。


悦子さん演じる“伝説のハウスキーパー”マリーにも、
きっぱり断ち切ったはずの、
実は心の奥底に沈んでいたかつての恋心がほのかに透けて見える。
マリーの発することばからも、立ち居振る舞いからも、
その恋心が彼女の人生に及ぼした影響の重みがたちのぼってくる。


でも、最後には若い恋人同士も、長い歳月を経て再会したふたりも、
肩を組み、歌い踊る。
めでたしめでたしのフィナーレ。


その楽しいフィナーレに手拍子を送りながら、涙がこみ上げた。
どうしてだか自分でもよくわからないけど、
なんだか胸がいっぱいになって私は泣いていた。
終演後、息子は私の顔を見てぎょっとした。
「なんで!?」


あとで楽屋に訪ねた悦子さんご本人も「どうして!?」とびっくり。
「楽しいお話なのに!?」


なんだろう。
うまくいえないけど。


単に涙腺がゆるくなってるわけじゃなく、
すごく大切なことが私の心を揺さぶった気がする。
悦子さんの歌い踊る姿が私の心のスイッチを押したのは間違いないんだけど。


やっぱり、重なり合ったマリーと悦子さんの生き様に感激したってことかなあ。

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2009-07-23

「ブラックバード」を観て

まいったな。


世田谷パブリックシアターをあとにしながらそう思った。
心のうちを飛び交っては消えるこのさまざまな思いを
どうことばにしたらいいだろう、と。


刺激的な問題作、とは聞いていた。
栗山民也演出、内野聖陽・伊藤歩出演の「ブラックバード」。
上質な芝居をひととき堪能する、なんて悠長に構えることなど
許されない芝居だった。


それは唐突なせりふではじまった。
はじめ、ふたりの状況がよく飲み込めない。
しかし、時にいらつきながら、次第にふたりのやりとりに引きずられていく。
休憩なしの2時間、時間を追うごとに濃さを増し、はりつめていく空気。


エキセントリックなことばが投げつけられ、
また受けとめられないままに放り投げられ、
かみあわないことばが舞台上にどんどんちらばっていく。
舞台からこぼれ落ちたことばのかけらが突き刺さり、
そのたびに心が痛みを感じながら揺さぶられる。


「無理にことばにしなくていいのよ」
ずいぶん前に、舞台がはねた後の市原悦子さんにいわれたことがある。
「何かを感じたならそれでいいの」と。


心の中に次々と浮かぶさまざまな思い。
それらは、ことばに変えてすくいとろうとすると、
たちまち霧の中に見えなくなってしまう。


なんだろう、この思い。
たくさんの思いが交錯して、絡み合って、
とんでもないヤツだとか、なんて酷すぎる状況だとか思いつつ、
それでもなぜかせつなくなったり、深く共感したりしている。


伝えなければ、伝わらなければ、
相手にとってその思いは存在しないに等しい。
でも、伝えなくても、伝わらなくても、
それを抱えるものにとって思いは心のうちで脈打ち続ける。


ああ、せつないなあ…


今夜のこの思いをうまくいい表わすことばは見つからないけど、
ひとつだけ確実にいえることがある。


内野さんはうまい。

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2009-06-28

ルイジ

息子と新国立劇場に「ローラン・プティのコッペリア」を観に行った。


今夜スワニルダを踊ったタマラ・ロホとコッペリウスのルイジ・ボニーノは、
草刈民代さんのラストステージに登場したダンサーである。
そのときの印象が鮮烈で、また観たいと思っていたところに
タイミングよく新国立劇場への出演。
迷わずすぐにチケットを取った。


「プティのコッペリア」、実は子どものころにテレビで観ている。
コッペリアのストーリーはそのままに、設定も衣装も振り付けもかなり斬新で、
オーソドックスなバレエしか知らない少女には、とても刺激的な映像だった。
ドリーブの音楽にぴったりはまった独特の振りは以来ずっと覚えていたほどである。


さて、その期待の舞台。
予想をはるかに上回る素晴らしさで、どれだけ拍手したことか。
タマラにしろ、ルイジにしろ、フランツを踊ったホセ・カレーニョにしろ、
深い洞察と確かなテクニックには興奮させられっぱなし。


殊に、スワニルダの傲慢なまでの若さとその残酷さ、
そして年老いつつあるコッペリウスの哀愁の対比が際立ち、胸に迫った。
以前は「コッペリア」の陽の部分にばかり目を奪われていたことを考えると、
この感慨は、自分が年を重ねたせいだろうと思う。


幕切れの、コッペリウスの深い喪失感。
通り一遍のハッピーエンドに終わらない「プティのコッペリア」のすごさを感じた。


さて。
終演後、楽屋口でルイジを待った。
民代さんのラストステージ後のパーティーで、息子はルイジと写真を撮っている。
そのときにことばもすこしだけ交わし、温かくオープンな人柄にますます惹かれた。
今日は、そのときの写真を渡すつもりだった。


楽屋口に本人が出てくるまでしばらく待ち、
出てきた後もたくさんのファンにサインやら写真撮影やらするのを待って、
ようやく会えたときは終演からかなりの時間がたっていた。


タクシーに乗り込むルイジに息子が声をかけると、
ルイジは息子の顔を見つめてしばらく思案顔になり、
「キミのこと、覚えてる」といった。
「どこで会ったんだっけ?」


「『エスプリ』で」
「ああ! いまも踊ってる?」
「はい、タップを」
「そうそう、タップを踊ってるんだっけね」
「バレエも最近習いはじめました」
「それは素敵だ!」


素敵なのはルイジ、あなたのほう。
一流の芸術家で、そのうえ一流の人間性。
なんという温かさ、なんという親しみやすさ。


じゃあ、またね、バイバイと手を振るうちにタクシーが走り出し、
ルイジの笑顔は見えなくなった。


「ああ、オレ、もっと英語のボキャブラリーふやそう」
息子が真剣な面持ちでつぶやいた。




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2009-05-24

キーパーソンとの出会い

今日のみずがめ座の運勢。


「あなたの才能を高めてくれたり、
将来を左右するようなキーパーソンとの出会いが訪れそうです」
「前から興味を抱いていたことにチャレンジすると運気がアップしますよ」


うん、なかなかぴったりだと思った。
みずがめ座は息子である。


息子は今朝、私の受けるレッスンの見学に来た。
母の踊りを見るのが目的ではなく、先生のレッスンを見るためだ。


私は気づかなかったが、
先生は窓の向こう側で見ている息子に手を振ってくれたという。
レッスンが終わって先生はスタジオを出ると、笑顔で廊下の息子に手を差し伸べた。
男同士の握手である。


「ひさしぶり。どう?」


実は、息子は1年前にも先生にお会いしている。
「一度見学においで」という先生のおことばに甘えて、
あの時も先生のレッスンを見学したのである。


当時は浪人することが決まっていたので
すぐにバレエが習える状況ではなかったのだが、
息子にすれば、大学に入ったらバレエをはじめようかな、
というイメージはもてたかもしれない。


先生は今年息子が大学に合格したことも、
大学でバレエをはじめたことも喜んでくださり、
「またおいで」と声をかけてくださったのである。


1年前との決定的な違いは、
息子がまがりなりにもバレエをはじめた、ということだ。


レッスン後の廊下で、先生はうんうん、と息子の話に耳を傾けてくださった。
なまじ母からいろいろ聞かされている分、
アタマではわかっていてもカラダがついていかないこと、
カラダががちがちにかたくて困っていること、
ふくらはぎがぱんぱんで筋肉痛がすさまじいこと、などなど。


息子の話をひととおり聞くと、先生はお陽さまみたいな笑顔でおっしゃった。
「心配ないよ。まだ19歳でしょ? これからだよ」


私はそばで会話を聞いていて、心からうれしくなっていた。
先生はやっぱりすごい。
ほんとうにオープンマインド。
ほんとうにあったか。
ほんとうに前向き。


私の尊敬する先生に、息子は夏から弟子入りする予定である。
バレエ人としてはもちろんのこと、人間的にも魅力的で素晴らしい先生から
彼はどれだけたくさんのことを学ばせてもらえるかしれない。
まさに先生はキーパーソンなのだ。


とてつもなくプレッシャーだといいながら、うれしそうな息子である。




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2009-05-05

一本通った軸

熱い人、ってきらいじゃない。


「きらいじゃない」といささかあいまいなのは、その人によるから。
「熱い」といってもいろいろあるし。


なんというか、うまくいえないけど共感できる熱さってあるのだ。
一見クールでも、内にまっすぐな熱さを秘めているとか、
自分の信念を通すためには熱い血潮をたぎらせるとか、
要するに、一本気で軸がぶれない、ってことかな。


そういう熱い人が好きだし、自分のなかにある熱い部分も好きだ。
(息子には時々「熱苦しい」とうっとうしがられるが)


でもその一方で、飄々とした人にも憧れる。
力の抜けた自然体。
その力みのなさは、いい具合に伝播して周りをくつろがせる。


タモリ、ってそういう人じゃないかな、と思う。


今日、「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに
大橋のぞみちゃんが出てきた。
ゲストとしては最年少だということだった。


のぞみちゃん、大人気。
今日はこどもの日でもあるし。
彼女はけれんみがなくて、年相応の礼儀正しさがあって、純真無垢で、
見ていてほんとうにうれしくなる。


そののぞみちゃんが相手でも、
きっとタモリはいつもと変わらないんだろうなあ、と思っていたが
やっぱりそうだった。


いつものように飄々と、いつものようにいい具合に力が抜けてて、
9歳の女の子が相手でもいい意味でタモリはタモリ。


のぞみちゃんを変に子ども扱いなんかしなくて、
それがあたりまえみたいにおなじ目線で話している。
決めつけることも押しつけることもなく、
ごくごく自然に会話を楽しんでいるふうだった。
対するのぞみちゃんもとても楽しそうに話していた。


そういうのいいなあ。


相手によって態度を変えないタモリも、
軸がぶれてないってことなんだろうな。


熱くても、飄々としてても、大事なのは一本通った軸、ってこと。

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2009-04-30

がんばる人は報われる

お昼を食べながらなんとなくテレビを見ていたら、
「スタジオパークからこんにちは」にエド・はるみさんが出てきた。


この人をはじめてテレビで見たとき、激しく度肝を抜かれたっけ。


年の頃は私とおなじくらいに見えるが、いままで見たことのない顔だ。
ってことは、まさか新人…?
まずそこで興味を惹かれた。


きれいな顔立ち。
張りのある声と、なめらかな語り口にも引き込まれた。
でも、そこから一変する、
いまではおなじみのあのすさまじい形相にはのけぞった。


うわ…


ちょっとした拒絶反応だった。


その後、彼女はまたたくまに売れっ子になった。
あのすさまじい形相を目にしない日はないほどになったが、
私にはなかなか慣れることができなかった。


彼女が時の人になってまもなく、彼女の半生を描いたドラマが放映された。
相変わらず彼女の芸風にはなじめなかったものの、
本人による再現ドラマにはすこし興味があった。
何とはなしに途中から見たら、結局最後まで見てしまった。


はあ…
すごい…


並々ならぬ覚悟と決心でお笑いの世界に飛び込んだ彼女。
そのひたむきさと努力には、ただただ脱帽するのみ。
ドラマが終わる頃には、彼女のことが好きになっていた。


今日、インタビューを聞いていて、
あらためて彼女のきまじめさと、人生に対する前向きさを見た。


決して順風満帆だったわけではなく、むしろ逆だったといったほうがいいかもしれない。
それでも彼女は夢を胸に前に進むことをやめなかった。


若者に混じってお笑いの勉強をはじめる時には、
傷つくかもしれない、いやな思いをするかもしれない、とさすがに躊躇したという。
でも、あえて行動することを選んだ彼女。
傷ついても、それを逆手にとりながら前に進み続けた彼女。


あっぱれである。


がんばる人はちゃんと報われるのかなあ、とあたたかな気持ちになった。
涙で潤んでいたのか、前をひたと見据えてきらきら輝いていた大きな瞳が印象的だった。


ああ、私もがんばろう。
そう素直に思えた。

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2009-04-24

ラストステージ

「草刈民代」という人は、
ふりかえってみれば私にとって特別なバレリーナだった。


涙をこらえて懸命に笑いながら拍手に応える舞台の彼女を見て、
胸いっぱいになりながら、ふと思った。
そう思ってみると、そのことにずっと気づかなかったことがとても不思議だった。
そして、あらためて彼女は私にとって特別な存在だったと、しみじみ思った。


「バレリーナだった」と過去形なのは、
彼女が今夜の舞台をもってバレエ生活に終止符を打ったからである。


彼女の踊る姿を見るのはこれが最後。
客席の誰もが万感の思いで拍手を送っていた。
鳴りやまない拍手の中、何度目かのカーテンコールで感極まった彼女は
泣き顔を両手でおおった。
私も涙がこみ上げた。


彼女と「出会って」から28年がたつ。
私が出演する仙台の発表会に、
東京の本校の彼女たち精鋭が賛助出演したのが「出会い」である。


彼女をはじめて「見た」ときの衝撃は忘れない。
18歳の私は、客席から舞台上のリハーサルを見ていた。
数名で踊るコールドバレエ(群舞)なのに、
彼女にだけスポットライトが当たっているように見えた。


彼女はひとりだけきわだって輝いていた。
圧倒的な存在感。
15歳にして、まさに稀有な存在だった。


その後、私は1年間彼女と同じクラスで毎日レッスンをすることになる。
おなじ舞台にも立った。
「バレエは選ばれた人が踊るもの」と思い知らされた1年間だった。


思い返してみると、
あれからずうっと彼女は私の心の中に強い光を放って存在し続けた。
垣間見る真摯さやまっすぐさには心を揺さぶられ続けた。


ラストステージ。
舞台の上には、白く光り輝く彼女がいた。
そして、ドラマ。
彼女のドラマに引き込まれ、酔いしれた。


終演後に出席したパーティーで、
舞台化粧を落とした彼女はほの白く透きとおった光をまとっていた。
とても美しかった。


彼女にはどれだけ魅惑的なドラマを見せてもらってきたことだろう。
そして、これからはどんな新しいドラマを見せてくれるのだろう。


民代さん、いままでほんとうにありがとうございました。
新しいステージ、期待して待っています。

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2009-03-06

おもしろかった!

雨の外出はおっくうだ。
靴もバッグも雨にぬれるし、かさの分荷物は多くなるし。
「なんかめんどうだねえ」と息子も浮かぬ顔。
「あそこ遠いしさあ」


「遠いしさあ」という今日の目的地は、彩の国さいたま芸術劇場。
池袋から埼京線で約30分、さらに駅から歩いて7分。
どうしてこんなところに劇場があるの?って感じのところに建っている。
ここに行くのは今日で3度目だが、なぜかいつもお天気が悪い。


観に行くのは、「ムサシ」。
井上ひさし作、蜷川幸雄演出、藤原竜也・小栗旬主演の話題作で
おととい初日を迎えたばかりである。


藤原竜也の宮本武蔵、小栗旬の佐々木小次郎ときたら
絶対に見逃すわけにはいかない。
新作なので筋立ては皆目見当がつかないが、
とにかくどんな舞台になるんだろうと楽しみにしていた。


ただ、上演時間を調べたら、休憩を含めて3時間半だという。
「長い…」
息子がまたまた浮かぬ顔をする。


先週観た「パイパー」の2時間で腰が痛くなった彼である。
悪いことに、風邪をひいて鼻水が止まらないという思わしくないコンディションでもある。
私のほうも、おとといの晩ひさしぶりにめまいの発作を起こして頭痛状態。
どうしてふたりしてこんなときに、といささかうらめしくなったが、
「だいじょうぶ?」「そっちこそだいじょうぶ?」といたわりあいながら出かけた。


ところがしかし!
3時間半の芝居が終わったあとの私たちには力がみなぎっていた。
「なんかさあ、元気になったよ、オレ」
「うん、私も」


「ムサシ」、すごくおもしろかったのである。
これぞ極上のエンターテインメント。
芝居ってこれだからいいよね、と素直に楽しめた。


「これ、DVDになったら絶対、買い!」と1幕が終わったところで息子がいったが、
私とて異論なし。
意外な動きに笑い、ことばのあやに感心し、思いもよらない展開に驚き、
普遍的な真理にほろりとする。


役者たちもみなうまかったし、さすが井上ひさし、さすが蜷川幸雄、と思った。
とにかく、文句なくおもしろかった。


すっかり元気になって劇場をあとにした私たち、
強い雨風をものともせず、今度は有楽町めざしてまっしぐら。
急遽夫と待ち合わせて3人で映画を観ることにしたのである。


有楽町の映画館で今日が最終日の「二十世紀少年 第二章 最後の希望」、
これまたおもしろかった。

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2009-02-26

「ピーターラビットと仲間たち」

すりきれ息子(&母)のリハビリ第2弾。
今日は、Kバレエカンパニーの「ピーターラビットと仲間たち」を観た。


私がこのバレエを映画で観たのは、仙台の少女時代。
そのリアルさと楽しさにどれだけ胸がわくわくしたことか。


まるでビアトリクス・ポターの描いた動物たちが
絵本からそのまま抜け出てきたかのようなのである。
さしずめ、「実写版『ピーターラビット』」。
なにがすごいって、リアルなウサギやカエルやブタがバレエを踊っているのだ。


この映画がのちに英国・ロイヤルバレエ団で舞台化され、
今回Kバレエによって日本初演されることになったのである。


いやあ、楽しかった。
観ている間中、ずっと顔が笑っていた。
たぶん、観ていた人はみんなそうだったはず。


しょっちゅうあちこちでくすくす笑いが起きるのだ。
だって、なんともいえず可愛らしいのだから。
可愛らしくて、ほほえましくて、顔はずっとほころびっぱなしだった。


ほんわかと幸せな気分に浸れるこのバレエ、これから何度でも観たいと思った。
フィナーレなんて、幸せ気分のせいで手拍子しながら涙がにじんだくらい。
知らない人は一見の価値あり。見なくちゃ損だ。


それにしても、リアルな着ぐるみとマスクであれだけの踊りを見せてくれるとは
さすがKバレエカンパニー。
すごいなあ、と何度も舌を巻いた。


さて、幸せ気分をたっぷり満喫したところで、息子とひさびさの出待ちをした。
待っていたのは、時々日曜朝のクラスでご一緒する神戸里奈さんである。
今日は、はちゃめちゃにいたずらの限りを尽くすネズミをチャーミングに踊っていた。


「神戸さん、」と声をかける。
「時々日曜のクラスで…」といいかけると、私を思い出してくれた。


「ブログ、」と彼女がいう。
え? 何のブログ? 誰の?
「母が偶然見つけて、読みました」
もしかして、私のブログ?
「私のこと書いてくださって、とてもうれしかったです」


わあ。
ご本人に読んでいただいてたなんて。
(1月に「美しいバレリーナ」と題して神戸さんのことを書いていたのである)
私こそうれしい。
ネットってつながってるんだなあ、としみじみ思った。


神戸さんにサインしていただき、また日曜朝に、と笑顔をかわしてお別れした。


幸せ気分いっぱい。
うれしいきもちを胸に抱いて、いつまでも笑顔が消えなかった。

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2009-02-25

「パイパー」

すりきれ息子と、ややすりきれ母のリハビリ第1弾。


ひさしぶりにふたりしてよそゆきで出かけた。
向かった先は渋谷Bunkamura。
野田秀樹の新作「パイパー」を観るためである。


「パイパー」情報が最初に耳に入ったのは、確か去年の秋だ。
宮沢りえと松たか子が主演と聞いて、息子は色めきたった。
「ぜぇ~ったい、チケットとってよ!!」


受験で疲れきった心を癒すのに
大好きなふたりの女優が主演とはまさにうってつけだと思った。


さて。
息子は癒されたのかというと、あまりの刺激的な舞台に圧迫感を覚え
疲れを増していた。


確かに癒される芝居ではない。
しかし、すごかった。
豊かな語彙と表現があるなら
その「すごさ」をどれだけのことばで表すことだろう。
だけど、私はただただ馬鹿のひとつ覚えみたいに
「すごかった」と繰り返すことしかできない。


とにかくすごかった。
とりわけ、ふたりの女優が手をつないでひたと正面を見据えたまま
おそろしいほどの速さで掛け合いのようにセリフをいいあうシーンは圧巻だった。


機関銃のように飛び出すおびただしいことば、ことば、ことば。
ことばだけで生々しいまでのイメージを呼び覚ますすごさ。
胸元まで迫ってくる宮沢りえと松たか子の強烈な存在感。
そのすべてを観客に突きつける野田秀樹のすごさ。


圧倒され、わけもわからず涙がこみ上げた。


やっぱりすごい。野田秀樹。
そして、思った以上にすごすぎる宮沢りえと松たか子。


劇場をあとにし、ふたりでお茶を飲んだ。
「私もね、アナタが生き延びるためならあの母親とおなじことをするよ」
母親はわが子のためならどんなことだってするのだ。


息子は「大倉孝二がよかったねえ」といった。


Bunkamuraロビーラウンジのホットチョコレートはやみつきになるほどおいしかった。

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2009-02-19

直感の力

人のいうことを鵜呑みにしないタチである。


評判、噂話、とりあえず耳に入れる。
「ふーん、なるほど」くらいに。


○○さんってとってもいい人だから会ってみるといいですよ、とか、
△△ってつまらないから行ってもしょうがないよ、とか、
人はいろんなことをいう。


ふーん、なるほど。
そうなんだ。


ただ、それはアナタの価値観からそう思うこと。
私がどう感じるかはわからない。
周りの評価はそういうことになっているかもしれないけど、
私にとってはどうなのかな。


人から聞いたことは参考にとどめておく。
だって、いいかどうか、好きかどうかを判断するのは私。
自分の目で見て、耳で聞いた感覚をいちばんに信頼しているから。


とりようによっては、頑なで可愛げのない性質だ。
でも、私には私自身の感覚がもっとも信用できるのだ。
私の体内に埋め込まれたセンサーの反応とでもいうか、
そのセンサーが送ってくる信号が誰の助言よりもいちばん自分にしっくりくるのである。


それは「直感」といいかえてもいいかもしれない。


とても感覚的なことだから人に説明するのはむずかしいが、
そもそも感覚的な人間なのだろう。


コーチングの勉強中、
相手の話を理屈で聞こうとしている仲間に違和感を覚えることがあった。
「コーチングは目的をもって相手の話を聞くことだ」といわれると、
それはそうなんだろうと頭では理解しても、私にはそぐわない聞き方だと思った。


相手の心に添うようにしながら、あらゆる感覚を研ぎ澄ませて聞く。
そこに込み入った理屈は存在しない。
センサーだけが頼り。


もちろん、感覚だけがすべてとは思わない。
コーチングであれ、踊るのであれ、しかるべき技術は不可欠である。
感覚だけに走るとひとりよがりになる恐れもある。


ただ、自分にとっての感覚、直感は何より大事にしたい、と思うのである。


私の好きな脳科学者・池谷裕二さんがいっている。
「ひらめきや論理性のみを重んずる社会よりも、
言葉にできない直感を大切にする社会の方が、より人間の本質に根ざした社会である」と。


そう聞いて、かなりうれしくなった私である。

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2009-02-08

青臭さとまっすぐさと

はじめてその人を舞台で観たのは、高校1年の終わりだった。
舞台は「マクベス」。
その人が演じていたのは魔女と暗殺者。


なんて妖しい魅力をたたえた人だろう。
それに、踊っている時のえもいわれぬ雰囲気。


16歳の私は、ひと回り上のその人にすっかり引き込まれてしまい、
以後、夢中で舞台を観続けることになる。
その人とは、劇団俳優座の堀越大史さんである。


あの出会いからちょうど30年。
今日、ひさしぶりに堀越さんの舞台を拝見した。
ただし、役者としてではない。
堀越さんの演出家デビューの舞台である。


「夏光線」。
社会人になっても草野球を続けている元高校球児たちの話である。
大人になったいまと、部活に追われていた高校時代と、
時が交錯しながら芝居は進む。


楽しく野球をやりたい補欠組と、
勝つことを何よりの目標にするレギュラー組。
双方の反目は、
どちらも自分たちの立場なりに熱くまっすぐな思いを抱えているだけに
かみ合わないことが見ていてやるせない。


彼らは甲子園に出られるわけでもなく、ましてプロに進めるわけでもなく、
いってみれば野球の神さまには選ばれなかった野球少年たちである。
そのかつての野球少年たちが、さまざまな事情や思いを抱えながら
社会人になってもそれぞれのスタンスで野球に向き合っている。


どうして野球をやっているんだろう?という問いかけ。
お金になるわけでも、誰かのためになるわけでもないのに。


でも、それぞれにそれぞれの思いがあるのだ。
高校時代の青さと熱さを胸に抱えたままに。


青年たちに共感できる芝居だった。
高校生の青臭さとひたむきさも、
大人になってからの痛みを知った優しさとせつなさも、
私自身の中にも息づいていると思った。
それはそのまま、堀越さんのまっすぐな思いでもあるのだと思った。


「なんかなつかしい感じでしょ」
舞台が終わった後、堀越さんは私にそういって笑った。


青春のノスタルジー、ってことですか?
いえいえ、私にとっては青臭さもまっすぐさもいまだに現在進行形です。
「いまも“熱苦しく”生きてますから」
そういって私も笑った。


帰り道、ミスチルを聴きながら自分の青臭さと、青春真っ只中のTAP BOYSを思った。


家にたどり着くと、青春&受験真っ只中の息子が第2戦を終えて帰ったところだった。

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2009-01-26

ことばの持つ力

11年前、1年間勉強して社会保険労務士の資格試験に挑んだ。


社会保険労務士の何たるかも知らないくせに、
夫に勧められただけで決めたチャレンジだった。
ビジョンも何もなく、あるのは「とったろうじゃないの」という勢いと意地だけ。


夢や希望を見出せないままゴールに向かって走らなければならないのは、
苦しいことだ。
資格を取った後の自分をイメージしたほうが勉強にも身が入るだろうと、
社労士として活躍する自分を思い浮かべようとしたが、何も浮かばない。
漠然と「なんかちがうなあ」と思いつつも、
負けず嫌いの気性を頼りに走り続けるだけだった。


その勉強中、自分を鼓舞するためにF-BLOODの「SHOOTING STAR」をよく聴いた。
藤井フミヤ・尚之の兄弟ユニットの曲。メインボーカルはフミヤである。


とにかく前に進もう。
苦しくても進み続ければ願いはかなう。
フミヤの歌を聴きながらそう自分に言い聞かせた。
「SHOOTING STAR」を聴くと心底勇気づけられて、なけなしの力も振り絞れた。


結果的に試験には合格。
本番の1ヶ月ほど前には心身ともに限界だったのか体調を大きく崩したが、
直前の追い込みが功を奏したのだろう。
試験後にはからだを壊して、2ヶ月病床に伏せることになってしまうのだが。


ただ、資格は取ったものの、結局社労士としての活動はせずじまいである。
「自分にはがんばる力がある」と自信がもてたことと、
「がんばりすぎて自分に無理を強いる傾向もある」と自覚したのが収穫といえば収穫。


いまは、心からかなえたい夢に向かって進むつもりでいる。


思うのは、夢なり目標なりをカタチにするには、意志の力が不可欠だということ。
でも、意志を持ち続けるためには、ことばの力が必要になる。


夢に向かって進むための、力強いことば。
目標に向かう道はけっして平坦ではないから、
乗り切るためにことばの持つ力にすがりたいと思うのである。


いま、ミスチルの歌を繰り返し繰り返し聴いている。
人の心って普遍的なんだな、と思いながら、
その普遍的な心情を綴ったことばにおおきく揺さぶられる。
ことばと、それを歌う桜井さんのハートが私の中でおおきく反響する。


勇気づけられ、力づけられ、私は空を見上げて深呼吸。
そして、やっぱり前に進み続けよう、と思うのだ。

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2009-01-19

美しいバレリーナ

先生が「おはよう」と稽古場に現れると、
床でストレッチをしていた何人かが立ち上がった。
壁掛け時計の針は、開始数分前をさしている。


彼女がふわりと稽古場に入ってきたのはその時だった。


今日は彼女と一緒にレッスンできるんだ…
ひそかに胸を高鳴らせたのは私だけではなかったはずだ。


彼女は床に座ってささっとシューズをはくとバーについた。
「はいっ!」と先生が声をかける。
きのうの朝の上級クラスはこうしてはじまった。


日曜朝の上級クラスは、時々プロのダンサーが受けに来る。
彼女もいままで何度かご一緒したことがあるが、
きのうはひさしぶりだった。


私のバーの位置から彼女のところは遠かったけれど、
それでもレッスン中に彼女の姿がふと視界に入る時があって、
その度にとてつもなくおおきな安心感を覚えた。


なんて美しいんだろう。
あれこそが、ほんとうのバレエ。
満ち足りた気分が心にあふれた。


センターでは、彼女のとなりで踊った。
彼女の波動を間近に感じながら、私も心を込めて踊ろうと思った。


30年近く前の私がなりたかったのは、まさに彼女みたいなバレリーナだ。
華奢で、ピュアで、端正なバレリーナ。


レッスンが終わって、私は彼女に近寄った。
「『コッペリア』、素敵でした」
せっかくご一緒したんだもの、と思い切ってお声をかけた。
去年の10月に観た彼女のスワニルダは、
お茶目でほんとうにチャーミングだったのだ。


「観にきてくださったんですか」
彼女はすこしはにかんだような笑顔を見せた。


ああ、やっぱり動きはその人そのものを表すんだな、と思った。
ほんのすこし話しただけだが、ピュアで端正な彼女の人柄が伝わってきた。
彼女のことがますます好きになった。


またご一緒する時にはよろしくお願いします。
その時を楽しみにしています。


神戸里奈さん。
ほんとうに美しい憧れのバレリーナである。

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2009-01-15

興味そそられるドラマ

先週の金曜だったか、銀座に行った。


地下鉄をおりてエスカレーターに乗ると、
ある新番組のポスターが脇の壁にずらりと貼られていた。
エスカレーターに乗っている間、否が応でも目に入る。


これがなんとも興味をそそるポスターなのだ。
出演者たちが意味深な表情で前を見すえているのだが、
上手くて好きな役者揃いなのである。


江口洋介に小日向文世、北大路欣也に谷原章介、佐々木蔵之介ときた。
きわめつけは堺雅人。
これは見ないわけにいかない。


どうやらミステリー仕立てのドラマらしく、
ポスターからは本格派の香りさえ漂ってくる。
地下鉄の駅構内でドラマや映画のポスターはよく目にするが、
ここまで興味を惹かれることはめったにない。


なんとしても見なくちゃ。
いつから?


ポスターに目を走らせて愕然。
開始1月6日だって。


時すでに9日。
もう始まってるじゃない…


1回見逃しちゃったからやめとこうか。
そもそも息子の受験も追い込みだし、ドラマどころじゃないよね。


と思ったが、やっぱり見たい。
最近は開始間もなく初回の再放送をすることも多いから
案外すぐに見られるかもしれないし、
でなければHPであらすじ読むだけでもいいや。


ということで、今日、火曜に録画した第2話を見た。
「トライアングル」。
思いのほかおもしろかった。


さまざまな要素が絡み合ったドラマだが、
そのひとつには「誰かの代わりではなく、自分の人生を生きる」
ということもテーマになっているらしい。


誰かの身代わりでもなく、誰かのためでもなく、
自分のための自分の人生を生きること。
それは、シンプルでいて案外むずかしいことだったりする。


「トライアングル」。
しばし目が離せない。

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2008-12-27

受験後のお楽しみ

ホリプロオンラインチケットからメールがきた。


「抽選の結果、当選となりました」


よかった!
チケット取れた。
「ムサシ」――来年3月に藤原竜也が主演する新作舞台のチケットである。


4日前にはファンクラブから全く逆のメールがきて愕然としたばかり。
てっきり当選を知らせるものと気軽に開いたら、
「抽選の結果、落選となりました」
とあってびっくり。


ええ~っ、そんなことってあるの?
4年前に「ロミオとジュリエット」ではじめて彼の舞台を観て以来、
ひとつたりとも欠かしたくないと思ってファンクラブに入会したのである。
実際、ファンクラブなら確実にチケットが取れるし、
たいてい驚くほど前のほうの席。
「さすがファンクラブ」と安心していたものだ。


それなのに、第3希望まで出して落選だなんて… 
そんなのはじめて。


幸い、ホリプロオンラインチケットでも抽選予約の受付中だった。
ファンクラブでだめなのに、一般で取れるんだろうか、と思わないでもなかったが、
すがる思いで予約の申し込みをした。
とにかくチケットを手に入れなければ、という一心。
で、めでたく当選したというわけである。


席は1階の後ろから2番目。
オペラグラスは必須だが、とにかく取れただけ良しとしよう。
日時も第1希望が通ったので、よかったよかった。


この舞台、3月初めから4月半ばまでとずいぶん長いこと上演する。
ほんとうは、楽日近くの芝居が熟成した頃に観るのが好きなのだが、
今回は「3月初めに」という息子のたっての希望を聞いたカタチになる。


試験日程がすべて終わって進路が決まったら
しばらく羽を伸ばして遊びたい、と息子はいう。
行きたいところもあちこちあるし、
どんなふうに過ごすかはその時になってみないとわからない。
だから、なるべく予定をまとめて空けておくためにも
お芝居の日程は早めにして、ということだったのだ。


実は、「ムサシ」の前の週には
野田秀樹の新作「パイパー」も観に行くことになっている。
こちらは松たか子と宮沢りえという息子の大好きな女優ふたりが主演で、
受験が終わったら絶対、絶対、絶対観たい! といわれていた。
これもチケットが取れるかどうか心配だったが、
1回目の抽選予約ですんなり取れた。
こちらのほうは、楽日ぎりぎりである。


受験後のお楽しみはすでにふたつ用意された。
晴れやかな気持ちで息子と劇場に行けることを願うばかりである。

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2008-12-14

いいライバルの存在

宿命のライバル、ということばが
これほどふさわしいふたりもいないのではないだろうか。


浅田真央選手とキム・ヨナ選手。


この世に生まれたのはわずか20日違いの同い年。
背格好も似通っていて、
ともに顔小さく、手足細長く、プロポーション抜群の容姿端麗。
持ち味の違いこそあれ、実力は拮抗。


どちらが勝ってもおかしくない白熱した試合に、何度鳥肌が立ったことか。
グランプリファイナル出場選手6人のうち、ふたりがあまりにも群を抜いていて
ほかの4人はすっかりかすんでしまったような印象すら受けた。


周りはすべてライバル、というのが個人競技の世界だろうが、
彼女たちふたりのライバル関係はとりわけ際立って見える。
同い年、おなじような背格好で美少女、そして実力伯仲。


周りも何かとふたりを比較するが、当のふたりにとっても
おたがいの存在がほかの選手以上に刺激になっていることだろうと思う。


いいライバルの存在は、否が応でも自分を成長させるものだ。
自分にないものを相手に見いだし、自分も追いつき追い越そうと努力する。
その一方で、相手と自分の違いに気づけば、自分の強みを認識することにつながる。


本質的には自分との闘いにほかならないのだが、
ライバルと切磋琢磨することで自分が磨かれていくことは確かだ。


私にも少女時代ライバルがいた。
バレエをはじめて間もない10歳から17歳まで、
彼女とはずっと一緒に踊り、いつもライバルだった。


年こそ彼女のほうがひとつ上だったが、背格好は似ており、名前も酷似。
私は「あつこ」で彼女は「えつこ」。
申し合わせておなじレオタードとおなじ髪型にしていると
「どっちがあっちゃんでどっちがえっちゃんだかよくわからない」
といわれたほどだ。


発表会では、ふたりで踊る役かソロのダブルキャストをいただくことが多かった。
時々「私はあっちゃんの踊りのほうが好き」とか「私はえっちゃん」なんていう声が
耳に入ってくることもあったけど、ほとんど頓着しなかった。


ただ、周りから比較されるまでもなく
成長とともにおたがいの持ち味の違いはおたがいに自覚するようになる。
どんなに背格好の似た私たちでも、持ち味はまったく違うことに気がつくのだ。


年齢が上がれば上がるほど、彼女の踊りを意識するようになったが、
自分の持ち味で勝負するしかない、という思いも強くなっていった。


彼女がいたからがんばれた、というところはある。

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2008-11-29

表れる人間性

NHK杯女子、浅田真央選手が見事な優勝を果たした。


技術にしろ表現にしろ申し分なし。
期待どおり、いや、それ以上である。
素晴らしく芸術的な演技だった。


観る人の心をわしづかみにして思い切り揺さぶる迫力に
一時も目が離せなかった。
どれだけ鳥肌が立ったことか。


天才少女時代からもちろんすごい選手ではあったけれど、
ここに至ってぐん、ぐん、とさらなる成長を遂げているような印象がある。
人間的な深みや厚みが彼女の魅力を増している、という気がする。


滑走前の憂いを帯びた表情から、そんなことを感じた。


数年前の真央ちゃんは、無邪気で天衣無縫。
まさにこわいもの知らずの強さで快進撃を続けていた。
「憂い」なんてまだ知らなかったはずだ。


ところが、やがておとなの階段をのぼりはじめて、こわさを知るようになる。
それまで経験のなかった恐怖や不安にどんなに身のすくむ思いをしても、
誰も助けてはくれない。


しかし、こわさと闘うことで感情のひだは細かになり、深みを増していく。
その内面の深みが、演技にも表れる。
演技や表情とは作るものではなく、結局その人そのものが出るのだから。


いや、ほんとうに素晴らしかった。
グランプリファイナルでのキム・ヨナ選手との競演が見モノである。


ところで、人間性が表れるといえば、実況アナウンサーにもそれがいえる。
NHK・刈屋アナウンサーの落ち着いた実況は非常に安定感があり、
品格さえ感じた。
さすがNHK、フィギュアの実況かくあるべし、と思った。


民放にも聞きやすい実況をするアナウンサーがいないわけではないが、
ひとりよがりなのに媚びたような声音を聞かされたりすると、
いらだって音声を遮断したくなる。
お願いだから黙ってて、とさえ思う。


それぞれの局のカラーもあろう。
でも、最終的にはその人の人間性がアナウンスに表れるのではないだろうか。
民放にも品格ある実況を望みたいものである。

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2008-11-28

フィギュアスケートに思うこと

レッスン前のウォーミングアップ中に、
誰かが「今日はNHK杯観に行くの」と話しているのが聞こえて
私はテレビで観戦するわよ、と心の中でつぶやいた。


大好きなジェフリー・バトルが突然引退してしまったので、
今シーズンのフィギュアスケートにはあまり情熱を傾けないかも…と思っていた。
ところが、開幕してみればなんの、やっぱり引き込まれて見てしまう。


ジェフやランビエールが引退してしまったのはさびしいけれど、
いままで関心外だった(というか、情報がなかった)選手から
魅力的な逸材が上位に上がってきて目が離せないのはうれしい誤算。
ジェレミー・アボットとかパトリック・チャンとかは、好きなタイプのスケーターだ。
(息子は「ジェフ以外、男子選手は興味なし」とつれないが)


高度なジャンプやスピンが決まればもちろん文句なし。
だけど、それ以上に心奪われるのは上体のやわらかさや、詩情豊かなアームス。
音楽を奏でるがごとく、歌うように滑るさまは、まさに踊りそのものだ。


その点で、キム・ヨナ選手は群を抜いている。
彼女の表現は、もはやスポーツを超えて芸術の域だ。
本人の熱心な研究や努力の成果ということもちろんあるだろうが、
そもそも彼女に備わった天性の資質があってこそということは疑いようもない。


今シーズンも、登場するなりそのすごさには舌を巻いた。
技術、叙情あふれる踊りともに、ますます磨きがかかっている。


だから、「踊る」ということに関していうと、
キム・ヨナ選手に比べれば真央ちゃんはすこし分が悪いかも…
と思わないでもなかった。


ところが。
今シーズンの真央ちゃんはどうだ。
なんとも魅惑的に踊っているではないか。


あまりの素晴らしさに、見る度に鳥肌が立つほどなのである。
あんなに情熱的な上体とアームスの動きを見せられたら、
ぞくぞくしないほうがおかしい。
ほんの何年か前の天真爛漫、無邪気な少女時代を振り返ると、
人はこんなにも大きく成長するものか、と実に感慨深い。


成長というなら、彼女のインタビューの受け答えもなんと洗練されたことか。
美しく落ち着いた日本語が耳に心地いいほどだ。
おとなになったなあ…と、端正な顔立ちを見ながらしみじみ思う。


今日のショート「月の光」はほんとうに美しかった。
真央ちゃんがドビュッシーを美しく滑るなんて、これまた感無量である。


明日のフリー「仮面舞踏会」が楽しみだ。

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2008-11-16

思考派、直感派

「宮本亜門のバタアシ人生」は、
亜門さんと「11名の人生を謳歌する人達」との対談、
それに亜門さん自身の半生について書かれた本である。


さらさらっ、と読み進むのはもったいない気がして、
一言一句かみしめるように読んだ。
自身の生き方や想いについて語るそれぞれのことばには、
簡単に読み流すことのできない重みと真実味があった。


ところで、11名の対談者の中に、須藤元気氏がいた。


私は格闘技にまったくもって興味がないけれど、
彼はプロの格闘家だった頃からちょっと気になる存在だった。
たぶん新聞か雑誌で彼のことばを読んだのだろう。
本質を突きながら、ひねたところのない素直な考え方に共感を覚えた。


さて、亜門さんとの対談の中で彼はこう語っている。
「直感に従っていけば間違いないと感じています」


彼はいう。
目標や夢を実現するために、人は考えてしまう。
考える、というのは損得勘定で判断すること。
それよりも、面白い、楽しいと思うものを感じるだけのほうがうまくいく、と。


ああ、なるほど。
私のおなかにすとーんとはまることばだった。


割と長い間、私は自分を「思考派」に変えようとしてきた。
物事は論理的に考えなければ。
何かを判断する場合にはまずメリット・デメリットを列挙しなければ。
よりよく思考するための技術も身につけなければ。
とにかく、フルに考えなければ、頭を使わなければ、と自分に強いてきた。


しかしここ最近、実はそれが私という人間にとってはキツイことだと
うすうす勘付きはじめていた。
時に、計算高く駆け引きしなければならない場面ではお手上げである。
できないのだ、私には。


須藤元気氏のことばを読んで、そもそも自分は「直感派」なのだと再認識した。


基本的な判断基準は、自分の直感。感性。心の声。
好きか、嫌いか。
いい感じか、やな感じか。
人の話を聞くときも、自分の直感に従って耳を傾けていくのが私本来のスタイル。
踊る時だって、音が流れ始めれば魂を解放し、感性に導かれるまま。


そうか。
そうだよね。
もともと直感で判断するほうが性に合ってる。


苦手なことにチャレンジし、努力するのは悪いことではない。
「思考」するのも大事なことだ。
しかし、無理はよくない。


考えるよりも感じること。
はじめから、そのほうが好きだったのだ。
だったら、素直にそれでいけばいい。

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2008-11-09

陽気だけれど…

陽気な友だちがいる。


冗談はいうし軽口はたたくし、いつも目が笑ってる。
つられて笑えば、からだの中から温度が上がる。
会うといつだってエネルギーをおすそ分けされる。


友だちをよく知らない人の中には、
上っ面だけ見て「軽いヤツ」と勘違いする人もすくなくない。


でも、私はよく知っている。
友だちがけっしてへらへらした軽薄人間じゃないってことを。
軽薄どころか、根は硬派なんだってことも。


そんな友だちが私には何人かいる。
みんなポジティブで、楽天的に物事を考える愉快な友だちだ。


でも、友だちは“脳天気”ということではない。
むしろ、繊細で傷つきやすい感受性の持ち主たちである。


そういう友だちにひさしぶりに会う。
会って楽しいひとときを過ごし、しばらくしてからはっとする。


へらへら笑って話してたけど、あれってものすごく深刻な状況だよね、と。
よくよく考えてみたら笑えない話。
それを、なんでもなかったみたいに軽やかに話していたことに思いが至って
ふいに胸が衝かれる。


たぶん、渦中にあったときは苦しかったはず。
ひとりつらい思いをしたはず。


でも、後日談になっているときにはすでに友だちの中では消化済み。
どこかの笑い話みたいに話して聞かせるのだ。
泣き言をいう代わりに笑い話にして、前に進む糧にしている。


そんな友人たちの親玉みたいなのが宮本亜門さん。
…と、私は勝手に思っている。


お陽さまのような亜門さんの明るい笑顔と輝かしいキャリアからは、
彼の波瀾万丈な半生はなかなか想像できない。
登校拒否、自殺未遂、引きこもり…
悩み、苦しみ、あがき、もがいた日々があったと知ったときには
大変な衝撃を受けた。


今日、その亜門さんの新刊本を買った。
「宮本亜門のバタアシ人生」である。


読むのはこれからだ。
亜門さんの「突き抜けた強さ」の根源に触れられるはずだと
期待している。

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2008-11-04

亜門流

TAP BOYSに振付をするとき、彼らに訊いたことがあった。
「『宮本亜門』流でいく? それとも『蜷川幸雄』流?」


答えは3人揃っておなじ。
「『宮本亜門』流でお願いします」


私自身、彼らの答えを聞くまでもなく亜門流でいこうと決めていた。
というか、私には亜門流以外無理、と思っていた。
万が一、蜷川流でやってくれと要望されたら、私がきつかったろうと思う。


そんなことを思い出したのは、雑誌で宮本亜門さんのインタビューを読んだから。
亜門さんは「出演者と一緒に参加しよう」というスタンス。
ある役者さんに「もっと厳しく、悪いところは怒ってください」といわれた亜門さん、
「悪いけれど、僕は一生怒らないよ」と笑って答えたとか。


一方、蜷川さんは心臓病で倒れて以降ずいぶんソフトになったそうだが、
それまでは「馬鹿やろう!」と役者に灰皿を投げつけるとかで有名だった。
もちろん、役者憎さにではなく、それが蜷川さんのやり方、スタイルということなのだろうが。


どちらが良くて、どちらが悪いということではない。
スタイル、タイプの違いだし、ゴール設定の違いゆえかもしれない。


私だったら、TAP BOYS相手でなくても亜門スタイルだろうな、と思う。
一緒に考えていこう、一緒に作っていこう、というスタンス。


伝えるべきことがあれば、もちろん伝える。
でも、感情的にではなくニュートラルに。
こちらから伝えるだけじゃなく、相手の考えも促す。
相手にできないことがあれば、できるようになるまでそばでじっくり付き合って。
変化や進化が見えたら一緒に喜んで。
相手も成長すれば、自分もともに成長する。


それが理想。


ともに成長の道を歩んでいくとき、基本的に怒ったり怒鳴ったりする必要なんてない、と思う。
威嚇や挑発が時にはカンフル剤として必要だってこともわかるし、
あまりにも失礼な態度を取る相手には厳しく接しなければならないけれど、
ベースのスタンスは「一緒に」。


ただ、仲良しクラブ的にもたれあうような「一緒に」ということではない。
あくまでもそれぞれが自立し、自分の頭できちんと考えている同士の「一緒に」なのだ。


でも、「一緒に」歩んでいくには、なにより信頼関係が大前提。


亜門さんにお目にかかったことはないけれど、
あのぽかぽかの陽だまりみたいな笑顔こそ信頼関係作りのもっとも大事な要素かもしれない、
と亜門さんの写真を見て思った。

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2008-11-02

なつかしい本

私のデスクの両脇にはスチール製のラックがある。
その左側のラックには、下2段に書類のファイル、
上3段にありとあらゆる種類の本が並んでいる。


石田衣良さんや角田光代さんの文庫も、
ジョン・エヴァレット・ミレイの展覧会の図録も、
解剖学の骨単・肉単も、
シェイクスピアや草刈民代さんやイチローや市原悦子さんも、
そして自分の著書も、ごちゃごちゃに。


本はほうっておくとどんどんふえていくが、収納できるスペースには限りがある。
時々、手放してももう胸が痛むことのない何冊かとお別れする。
そのお別れの儀式を何度も繰り返した中で、
長年どうしても手放せなかった本たちはリビングの書棚におさまっている。


今日、ひさしぶりにリビングの書棚のガラス扉を開けた。
いちばん上の奥に、森瑤子さんの単行本が数冊。
どれかにサインがあったはず、と取り出して表紙をめくってみる。


あった。
「Dear Atsuko   Yoko Mori  森瑤子 1988 3/22」と。


20代の前半、森瑤子さんの本が好きだった。
小説も、エッセイも、新作の単行本でも文庫でもかたっぱしから読んだ。
感情の機微を書くのがほんとうにうまいのよ、とよくいっていた母の影響だった。


正直にいおう。
20代はじめのまだまだ青臭い私には、
実のところ、森瑤子さんの描く大人の女性は遠い存在だった。
成熟した女性ゆえの微妙な感情の揺れも、複雑な気持ちの変化も、
その頃の私にはいまひとつわかりえなかった。
精神的に自立した女性に憧れて、
多分に背伸びして読んでいた、といわざるを得ない。


それでも、私は森瑤子さんに救われている。


あることに長く深く悩んでいたとき、
森瑤子さんの小説のことばによって迷いが吹っ切れたのである。


「やらなかったことを後悔するより、してしまったことを後悔するほうがいい」


なんという小説のどこに書いてあったか覚えていないのだが、
確かこんなことばだった。


おなじようなことばを、その後ほかの人が何人も書いているのを読んだし、
話しているのを聞いた。
でも、私にとってはあのタイミングで、森瑤子さんが書いていた、
ということが重要なのだった。


あるホテルで森瑤子さんのお話を聞く会があった。
私は講演が終わるやいなや宴会場を脱兎のごとく抜け出し、
会場をあとにする森瑤子さんに声をかけた。


息を弾ませながら、私は感謝を述べた。
ずっと迷いの淵に漂っていた私を救ってくれたことばと、
それを書いた森瑤子さんに。


5年後の7月、私は森瑤子さんの訃報を新聞で知った。
衝撃と喪失感にことばもなかった。


今日、ひさしぶりに森瑤子さんの本を読んだ。
「感情の機微を書くのがほんとうにうまいのよ」という母のことばが
はじめてしっくりはまった。

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2008-10-29

気の強さ

柴崎コウがいい。


いま「ガリレオ」の再放送を見ているのだが、
彼女の強い光を放つまなざしにどんどん惹かれていく。
あの気の強い感じ、たまらないなあ。


「ガリレオ」の第5話に出演していた大後寿々花もよかった。
なんとも骨のある中学生を演じていたが、
柴崎コウといい勝負の気の強さだった。


いいねえ、ふたりとも。
いかにも獅子座な感じで。


彼女たちどちらも誕生日は8月5日、獅子座なのである。


実は、私もふたりとおなじ8月5日が誕生日。
気の強さもおなじ…? とちょっとうれしくなったりして。


気が強いといえば、おととい見ていたテレビで相田翔子が
「『気が強い』といわれます」といっていた。
元Winkの、あの相田翔子である。


一見もの静かな印象だが、さもありなんと思った。
芯は強そうだ。


しかし、恋人とのけんかのエピソードはさすがに意外だった。
彼に「本性を現したな」といわしめるほど口汚く罵倒するなんぞ、
あの楚々とした雰囲気からは想像がつきにくいじゃないの。


どんなことばを吐いたのか興味津々だったが、
マネージャーたちから口止めされた、と淡々と語り、内容についてはいわない。


そりゃそうだ。
イメージこわすもんね。


でも彼女、その後については少々困惑しながらも披露してしまった。
「本性を現したな」といわれた後に「車から降りろ!」といい放ち、
ラーメン屋の前で大げんかを繰り広げたんだそうだ。


それってかなりすさまじい。
すさまじいけど、妙に彼女に親近感がわいた。


ま、いくらなんでも私は彼女ほどすさまじくないけどね。
(息子よ、何もいうな…!)


でも、一見女性らしい女性の女性離れした気の強さ、って
なんだか好きなのである。


(あ、私は女性らしくない…? 失礼しました)

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2008-10-27

スケートシーズン到来

フィギュアスケートシーズン到来。


今季は大好きなジェフリー・バトルが引退してしまったので
あまり気持ちが盛り上がらない。
ノーミスで優勝した世界選手権が結果的に最後の試合だったんだよなあ。


それにしても、あの優勝はほんとうにうれしかった。
ジャンプのたびに転ばないよう祈り、成功するたびにどきどきし、
結局一度も転ばなかったことに驚き、彼の美しいスケートに酔いしれた。
彼自身が音楽になり、まさに「踊っていた」ジェフリー。
ほんとうに美しかった。


そもそも私は、フィギュアスケートをスポーツとしてというより
バレエに重ね合わせた見方をしているので
ルールもジャンプの種類もよく知らない。
それがいいかどうか別として、私が好きなのは「美しく踊っている」スケート。
技がどんなに高度でも、「ほー、すごい」と感心しこそすれ
音とひとつになって踊っていなければ興味がないのだ。


ジェフリーが引退したあと、
そんな私が好きなスケーターはキム・ヨナをおいてほかにいない。
(同い年の息子がまた彼女の大・大・大ファンなのである)


きのう今日と見たスケートアメリカの彼女は素晴らしかった。
情感あふれる演技力について評価の高い彼女だが、
あれは努力して身につく類のものではないと思う。


天性の素養、もってうまれたセンス。


そういう人がさらに研究して極めようとしたら鬼に金棒。
誰もかないっこない。


ところで。
中野選手と安藤選手のフリーがふたりともバレエ音楽「ジゼル」。
立て続けにおなじ「ジゼル」の前奏曲からはじまったのでびっくりした。
中野選手のほうは衣装がいかにも「ジゼル」の1幕、って感じだったので
容易に想像できたけど。


ただ、曲の構成はかなり違う。
安藤選手のほうは音楽の流れに破綻がなくて聴いてて違和感がなかった。
それに、演技そのものも「ジゼル」のドラマチックな部分を表現していて印象的。
今後どんなふうにすべりこんでいくのか楽しみだ。


一方の中野選手。
バレエ人間としては、耳なじみのあるバレエ音楽が
ぶつぶつ細切れにされるのを聴くのは忍びない。
(以前「シンデレラ」で演技していたときにもおなじように感じた)
音楽とストーリーをセットにして覚えている人間にとっては
音楽が細切れなばかりか、音と表情に整合性がないと違和感ばかり。


それと、ジゼルのソロの有名なステップを取り入れていたのが
パロディーみたいでなんだかヘン…


結局どうでもいいことにばかり気をとられて、
中野選手がどんなふうにすべっていたのかちっとも見ていなかった私である。

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2008-10-25

最後の最後

きのうの「私生活」のプログラムに出演者に向けて24の質問が載っていた。
それぞれの答えが興味深い。


質問は「好きな色」にはじまり、「好きな格好」「好きな情景」…、と
好きなものをあれこれ訊いている。


私だったらなんだろう。


好きな色――ワインレッド、ターコイズブルー。
好きな格好――ジーンズとコットンのカットソー。(内野さんとほぼおなじ)
好きな情景―― …うーん、そうだなあ…


…なんて他愛もなく考えながら(結構考え込んじゃうものだ)休憩に読み進んでいると、
橋本じゅんさんの「好きな絵画」に目がとまった。


「作者は知らないが、水面に浮かぶオフィーリアの絵」。


じゅんさん!
それ、ジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」です!
いま東京に来ています!
わあ、教えてあげたい!


…と、ひとり客席でちょっと興奮。


どなたかがすでに教えてさしあげてればいいんだけど。
ついでに、渋谷まで足を伸ばしてほんものをご覧になってればいいんだけど。


そのジョン・エヴァレット・ミレイ展もとうとう明日で閉会。
きのう、これで最後の最後、と思って見てきた。


ふたたび「オフィーリア」の前に立ち、母のことばを思い出す。


「見ている人みんな、きっと自分に重ね合わせていることでしょうね。自分の純粋さに。
人は誰だって純粋だった時がかならずあるんだから」


純粋さゆえの、繊細さゆえの悲しいまでの美しさに、やっぱり涙がこみ上げる。
どうしてこんなにもせつなくなるかなあ…


でも、惹かれるのだ。
純粋さと、繊細さに。
そして、自分の中の傷つきやすさと不器用さが重ね合わさって。


だけど。
いいのかな。


けっして要領よく小器用になんか生きられないけど、私は私。
それでいいのかな。
そう思った。


4回通ってオフィーリアの前に立って、そう思えた。

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2008-10-24

「私生活」

夏の終わりからゲリラ的どしゃ降りに遭遇する確率のなんと高いことよ。
今日も、私が駅から出た途端にじゃばじゃばと雨が激しくなり、
ついでに風もびゅうびゅう。
おかげでまたもや靴もジーンズも見事なまでにずぶずぶ。


そのずぶぬれのジーンズがやっと乾きかけた夕暮れ。
ほんのすこしだけ小雨が残る中、日比谷のシアタークリエに出かけた。
ずうーっと楽しみにしていた内野さんの芝居「私生活」を観るために。


内野さん、と呼ぶのがいちばんしっくりくる内野聖陽さんの舞台を観るのは
「裸足で散歩」以来9年ぶり。


これまでも彼の舞台は観たい観たいと思いつつ、
なかなかチケットが手に入らなかった。
大河ドラマ「風林火山」を1年間通して見て、やっぱり舞台の内野さんが見たくなり、
で、意を決して(ってほどの大げさなものでもないが)ファンクラブに入会。
今回、前から5番目の席で念願の内野さんとの再会(!)を果たしたわけである。


この芝居、共演陣も実に素晴らしい。


寺島しのぶさん。
  (「ヴェニスの商人」で、映像とは違った芝居の上手さに舌を巻いた)
中嶋朋子さん。
  (「オレステス」で見せた、華奢なからだから発せられるエネルギーは圧巻!)
橋本じゅんさん。
  (「ロープ」での軽妙な演技でファンに)


3人ともたっちゃん(藤原竜也)の舞台で見ていた演技派ばかり。
なんとも贅沢。


さて、舞台。
ものすごく楽しみにしていたその期待感はまったく裏切られることなく、
むしろおつりがくるくらい素敵な舞台だった。
上質なラブコメディである。


どたばたなやりとりに笑い、役者の上手さと色気に見とれ。
ことに、内野さんと寺島さんの歌のデュエットはうっとりするほど。
内野さんの弾き語りときたら絶品。


あんまり素敵で、帰り道は夢見心地。
ああ、きっと今夜はいい夢見られそう…

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2008-09-29

メッセージ

きのうは悦子さんの舞台「ゆらゆら」の楽日。
開演前の劇場に手紙を届けに行ってきた。
スタッフの方にお渡しするつもりで。


期待どおり悦子さんのマネージャーさんが入り口にいらして、ごあいさつ。
お会いするのは久々だったが、すぐにわかっていただけてほっとする。
手紙は悦子さんにいつもついてらっしゃるスタッフのタナカさんにお渡しした。


「今日はお元気そうでよかった!」とタナカさん。
「この間は相当『きちゃってる』感じでしたものね」


見られてましたか…
もうすっかりだいじょうぶです。


悦子さんの舞台の成功をお祈りして劇場を後にした。


悦子さんは私にとってほんとうに特別な存在である。
その悦子さんに「ゆらゆら」の感想と感謝の思いを伝えたかった。
感想はブログの文章をプリントアウトして、感謝の気持ちを手紙に書いた。


どんなことばなら悦子さんに届くだろう。


正直な自分の気持ちをしっかり見つめて、ことばを選り分ける。
そして、自分の心にいちばん添うことばに思いを凝縮させて短くしたためた。
自分がもらってうれしかったメッセージを思い出しながら。


心からうれしいことばって、実はとてもシンプルだ。
なにより相手を思うこと。
それに尽きると思う。


表面的には相手のことを思っているふうでいながら、
実のところは自分のことしか考えていないメッセージに遭遇することがある。


ああ、要するにメッセージの送り先は単なるついでなんだよね…
相手がどう受け取るかなどおかまいなしに
自分の思いを一方的に吐き出したいだけ。


ごめん。
そういうの受け取れない、ってときもある。


「どうぞおからだに気をつけて、
いつまでも私たちにしびれるような舞台をお見せくださいませ。」


私の思い、悦子さんにまっすぐ届いていますように。

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2008-09-24

終演後のひととき

きのう、「ゆらゆら」終演後、
劇場を出ると予備校帰りの息子が待っていた。


「だいじょうぶ?」
息子が心配そうに顔をのぞきこむ。
「だめ」
私は息子のそばに寄り、思いきり深呼吸した。


「なに?」と戸惑う息子。
鼻の奥にこびりついた魚の生臭さを早く消し去りたかったし、
なにより人の温かみを感じたかった。


すさまじい舞台だった。
嗅覚も視覚も聴覚も揺さぶられどおし。
そして、悦子さんの凄み。


悦子さん演じる静香に近寄れば
誰だって強力な負のエネルギーでぐちゃぐちゃにされるだろう。
しかし、舞台の悦子さんは
どんなに邪気に満ちていようとしびれるほどにかっこいい。


すこし心を落ち着けて、ふたりで楽屋に伺った。


あ。
悦子さんのなつかしい笑顔。


こわばっていたからだがゆるむ気がした。


「テレビ、見た?」
悦子さんがおかしそうに息子に聞く。
息子がビデオをお借りして見られたと話す。
あったかなやりとり。


ついさっきまで目にしていた毒でいっぱいの怪物はもういない。
目の前には大好きな悦子さん。
でも、私のからだの芯はまだ衝撃の余波でふるえていた。


「さわってもいいですか?」
私は悦子さんの手に触れた。
「おそろしかったでしょ? だいじょうぶよ」
悦子さんはやさしくほほえんだ。


それから私は悦子さんの手に触れたまま、話をした。
悦子さんの手はやわらかで、あったかくて、触れているだけで安心した。
心に刺さったままの破片も、やっと溶けて消えた。


「将来ある身なんだから、三度でも四度でも挑戦したらいいのよ!」
“大学二度目の挑戦”の息子に悦子さんは力強くおっしゃり、記念撮影。
「アナタが真ん中よ」
と息子を真ん中にして。


至福のひととき。


悦子さん。
私たち、また大いなるエネルギーをいただきました。

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2008-09-23

ゆらゆら

闇の中で2時間、ずっと身をこわばらせていた。
鼻腔にこびりついた血なまぐさいにおいに嫌悪しながら。


時にいいようのない感情に襲われて涙があふれる。
闇の中で孤独感にさいなまれながら。


市原悦子さん主演「ゆらゆら」。
今日、拝見してきた。
鐘下辰男氏作・演出の作品は3年前の「ヒカルヒト」に続き、2作目である。


「ヒカルヒト」を観た時、私は「これほど観ていて苦しかった芝居はない」
と感想を残している。
だから今回も覚悟を決めていった。


でも私の覚悟などちっぽけなものだったと、芝居がはじまってすぐに思い知らされた。


38歳の男が犯したことばにするのもおぞましいほどの猟奇殺人を軸に、
その息子をかばう母親、神経症的におびえ続ける父親、
家庭と社会の間で揺れる弟、精神鑑定を行う精神科医が残酷なまでにぶつかり合う。


芝居の冒頭、台の上でぴちぴちと跳ね回る魚がさばかれる。
胴体から切り離されたばかりの頭は、自らの死を受け入れられないかのように
長いこと口をぱくぱくさせてあえいでいた。
それはすさまじいまでの生への執着にも思えた。


それから2時間。
芝居はどんどん激しさを増していく。
救いもなく、出口もなく。


精神の覆いがはがれてしまったとき、人はこんなふうに壊れていくものか。
むき出しの感情の破片が飛び散り、私の心にも容赦なく突き刺さる。


異常なまでに怪物化した母親も壊れている。
しかし、壊れようがひとりぼっちであろうが、彼女は生きることに執着する。
なんのため?
なぜ?


それは人間だから。


そういうことなんだろうか。


いくつもの破片が刺さったまま、私はよろよろと劇場をあとにした。

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2008-09-20

ウッチャン

ウッチャンこと内村光良が、みずから司会をする「ザ・イロモネア」で
チャレンジャーとして出てきた。
これ、先週予告を仙台の実家で見て、
「絶対に見なくちゃ!!」と携帯にメモまでして楽しみにしていたものである。


「ザ・テルヨシ」としてウッチャンが登場すると
それだけで期待感をあおられて私はうれしくてしょうがない。
ネタを披露する前から笑う準備万端である。


ひさびさに彼がお笑い芸人として勝負しているのを見て、
これでこそウッチャン、と大いに笑った。
やっぱりおもしろいよ、ウッチャン。


「ウリナリ!!」の頃からのファンである。
まだちいさかった息子とよくウッチャンのものまねをして笑ったものだ。
(いまも息子はウッチャンのものまねが得意だ。特に「大嵐浩太郎」は絶品)


ウッチャンが悪魔、ナンチャンが天使になって出没する企画が流行った時には
たまたま出かけた上野動物園にウッチャン悪魔とナンチャン天使を発見し、
あまりの偶然に感動で胸が震えた。


また、「ウリナリ!!」から誕生した音楽ユニット、ポケットビスケッツが
息子の通う小学校校庭にいたのを知った時はショックだった。
日曜の校庭開放でロケをしていたのである。
小学校は当時のわが家から徒歩3分。
どうして教えてくれなかったんですか!? と教頭先生に詰め寄ったほどだ。


たまたま知り合った「気分は上々。」のスタッフにスタジオに招かれて
収録見学をしたこともあった。
ちいさかった息子と生のウッチャンをわくわくして眺めたものだ。


それほどまでに私たちはウッチャンのファンなのである。
しかし、ここ最近のウッチャンはいまひとつ盛り上がらず、残念に思っていた。
私たちはけっしてイヤミでなく下品でない彼のあったかい笑いを見たいのに。


さっきインターネットのニュースで知ったのだが、
これまたウッチャンのかつての人気番組「笑う犬」が30日に一夜限り復活するという。


見なくちゃ!!
もちろん携帯にすぐさまメモ。


俳優としてのウッチャンも悪くない。
司会もそつなくこなしている。


でも。
でもでも。
ウッチャンの最大の魅力はコントをしている時にこそある。
それこそがウッチャンの何よりの強みなのだ。


強みで勝負している時が人はいちばん輝いている。

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2008-09-16

遅ればせながら知ったこと

いまよりもっともっとのんきに過ごしていた頃、
いくつかのきまったサイトをチェックするのが毎朝の習慣だった。


いまとなってはそんなに熱心にアクセスしていたサイトが何だったのか
よく思い出せない。
ひとつだけ覚えているのは、荻原健司・次晴兄弟の応援サイト。


その頃はネット上でさえいまほどには情報がなくて、
尊敬するキング・オブ・スキーがいま現在どんな状況にあるのかを知るには
応援サイトの書き込みを見るぐらいしか方法がなかったのだ。


中にはファンだといいながら誹謗中傷の類を書き込む人もいて
目にすれば不愉快になったし、一方で有名になると大変だなと同情もしたが、
たまに本人からの書き込みがあったりすると
「元気にがんばってるんだな」とうれしくなったものだ。


いまは誰かのサイトを毎日まめにチェックすることはない。
たまに気が向いたときにのぞいて更新されていれば御の字、という感じ。


以前ならテレビ欄もくまなくチェックしたものだけど、
いまでは興味ある番組が運よく見られればしめたものだし、
見逃してしまったらそれはそれ、と思っている。


ただ、そんな状況なので肝心の情報を取りこぼすこともある。
悦子さんの「はなまるマーケット」出演情報はまさにそれ。
知った時にはすでに過ぎ去って数日。
録画ビデオを貸してくださる方がいらしたからよかったようなものだけど。


実は、今日も遅ればせながら知ったことがあった。


ジェフリー・バトルが引退したという。


2週間前に公式サイトをのぞいたときは
本人の誕生日を迎えたばかりだというのに何の更新もなかったのだ。


引退発表は10日。
ああ、1週間近く前にそんな重大なことが起きていたとは。


スポーツ選手でもダンサーでも、いつかは現役を退く。
決めるのは本人だし、本人が決めたことならそれは尊重すべきことだ。


でも、さびしい。
ファンとしてはさびしい。
引退か。


アイスショーには出るのかな。
彼の美しいスケーティングをまだ若さの勢いがあるうちに生で見たい。


荻原健ちゃんの現役時代、試合をじかに見ることはかなわなかったが、
サマーコンバインドの大会でサマージャンプとランニングを間近に見られたのには
とても興奮した。
シーズンではなかったにせよ、健ちゃんの勇姿を見ることができて
ほんとうによかった、と思った。


ジェフリーの試合を生で見るチャンスは現役復帰でもしない限りないけれど、
いつか彼のほんもののスケーティングは見たい。


ジェフリー・バトル。
私のもっとも好きな美しいスケーター。

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2008-09-14

いつも一緒だよ

きのう、どこからか音楽が聞こえてくるので
なんだろうと窓を開けてから思い出した。
定禅寺ストリートジャズフェスティバルをやってるんだったっけ。


仙台でもっともけやき並木がきれいな定禅寺通り。
実家はその定禅寺通りからひょいと曲がったところにある。
聞こえてきたのはフェスティバルの演奏だったのだ。


今日、母と弟と三人で定禅寺通りのイタリアンにランチを食べに行った。
窓際の席で、ジャズを聴きにやってきた人々の流れを眺めながら
とびきりおいしいピッツァをほおばった。


おしゃべりとごちそうでおなかいっぱいになってお店をあとにすると
けやき並木の下を三人でそぞろ歩いた。
うっそうと生い茂るけやきのトンネルを見上げたら
心が吸い込まれそうな気がした。
やっぱり仙台はいいな、と思った。


日が暮れかかる頃、弟と母と父と握手をしてまたね、と家を出た。
人のすくない新幹線に乗り込むと、ふともの悲しい気分に襲われた。
もっとちょくちょく仙台に帰ろうかな、と思った。


東京のわが家に帰ると、息子と夫が笑顔でお出迎え。
「重いね~、この荷物」
息子がベルボーイよろしく私のボストンバッグを運んでくれる。


早くえっちゃま見せて。
きのう送っていただいた悦子さんの録画、すごく楽しみにして帰ってきたんだから。


テレビに映った楽しげに話をする悦子さん。
ふと見慣れたぷにぷにわんこの写真がアップになる。
可愛らしい三輪車にのっかったおそろいわんこだ。
その写真の余白には悦子さんの字で息子の名前、そして「いつも一緒だよ」。


悦子さんは息子の名前を呼んでからおっしゃった。
「伝えたくて。私はいつも一緒だよ、って」


胸がいっぱいになった。
大好きな悦子さんが「いつも一緒」だって。
単純にとらえれば、わんこが一緒、ということだけど
わんこを通じて悦子さんが心の中でいつも一緒、とも聞こえた。
そして、そうだったらうれしいな、と思った。


だけど、そういうものなのかもしれない。
心の中で思っていれば、心を通じていつも一緒なのだと。


仙台にいる父と母と弟とも、
悦子さんとも、
遠い空の下でがんばっている友だちとも。


会えたらそれがいちばんうれしい。
でも、たとえ会えなくても心の中ではいつも一緒。


いつも一緒だよ。

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2008-09-11

とりもつ縁

市原悦子さんの「衝撃発言」映像、録画をお借りできることになった。
やった!


悦子さんの後援会会長さんに息子が事情を説明してお願いしたところ、
録画していたファンの方が快く貸してくださることになったのだ。
会長さんは放映をご覧になっていたものの
ご自分が録画していなかったから、とわざわざ探してくださったのである。


サイトを時々拝見してはいたものの、実は会長さんとは面識がない。
それなのに、悦子さんのファンつながりということだけで
唐突にわがままなお願いをいい出した私たちにお寄せくださったご好意。
しみじみありがたく思う。
貸し出しを快諾してくださったファンの方にも心から感謝!である。


今日、とてもなつかしい方からはがきが届いた。
前のマンションで同じ階だったおばさまである。
突然どうしたんだろう、と不思議に思ったが、読んで思わず笑ってしまった。
「テレビを見ていたら、息子さんの名前を聞き、『!?』と思いました。まさか…」
とあったのだ。


ああ、悦子さん、ほんとうに息子の名前をおっしゃったんだなあ…


尊敬する大好きな悦子さんの心の中に、
息子の存在が名前とともに息づいていたんだと思うと
たとえようもなくうれしい。


さて、はがきをくださったおばさまにはさっそく電話をした。
同じマンションに住んでいた当時、息子はアンパンマンが大好きで
よくアンパンマンのヘルメットとマントをつけて悦に入っていたものだ。


「『アンパンマン』の彼ももう大学生の年頃よねえ。元気?」


とってもひさしぶりだったので、悦子さんのことやら近況報告やら
話が弾んであっという間に時間が過ぎた。
「ふだんは『はなまるマーケット』見ないのに、
好きな市原悦子さんが出るからたまたま見てたの」
もしや、と思ったのよ、やっぱりね、とおばさまはうれしそうにいった。


誰かとあったかい交流を持つたびに、心が満たされていく。


悦子さんのとりもつご縁、かな。

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2008-09-10

出会い

いまやレッスンをすることは
呼吸をするのとおなじくらいなくてはならないことになっている。


踊ることは私にとってかけがえのないこと。
踊りを封じ込めていた頃の私はちゃんと生きていたんだろうか。
そう思うほどに私にとって踊ることは生きることにつながっている。


20数年のブランクを経て踊ることに戻ってきた私に
もったいないほどの素晴らしい先生方。
中でも、日曜朝の上級クラスで月に2度ほど教えていただいている先生は
稽古場に一緒にいることだけでも光栄なほどだ。


名ダンサーだった。
確かな技術と深みのある表現には圧倒された。
私が神とあがめたモーリス・ベジャールの信望も厚かったと聞く。


そんな方に教わってもいいの? と
はじめてのレッスンではどきどきがなかなかおさまらなかったほど。
いまでは名前を覚えていただき、レッスンのたびに先生の魔法にかけられ、
からだも魂ものびやかになっていくのを感じる。


今日、レッスンを終えてフロントで掲示板のタイムスケジュールを眺めていたら
後ろのソファーに誰か座っているのを感じた。
それも、男性。
めずらしいな、とふと振り返ると
「ああ、やっぱりそうだ」と先生が私の顔を見て笑った。
「そうじゃないかな、と思ってたんだよ」


あれ? 先生、クラスじゃないですよね? めずらしいですね。
「うん、打ち合わせ」と先生は人待ち顔。


私はとても気分が高揚して先生に夢中で話をした。
どれだけ先生のレッスンが素晴らしいかを。


踊ることを再開して、こんな出会いが待っているとは夢にも思っていなかった。
けっしてえらぶらず、温かな心で人の気持ちをほぐし、
踊ることも生きることも楽しむように促してくださる。
バレエだけでなく、人としても心から尊敬できる先生との思いがけない出会いに
感謝してもしきれない。


溝下司朗先生はにこにこしながらしばらく私と話をしてらしたが、
「あ、来た」とソファーを立った。


そこには打ち合わせの相手、熊川哲也さんが来ていた。

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2008-09-08

えっちゃま~!

わが家に衝撃が走った。
6日も前にびっくりぎょうてんなことが起きていたのを
今日になってはじめて知ったのである。


事の発端は知人からのメールだった。


いわく。
――9月2日放映のはなまるマーケットに出演していた市原悦子さんが
お宅の息子さんのことを話していましたよ。


ええ~っ!?


――しかもフルネームで。


ええ~っ!!??


どうやら、悦子さんは息子がさしあげた黒いわんこのぬいぐるみについて
話されたようなのである。
そして、贈り主の息子について
「こんなちいさい時から観にきてくれて…」と
名指しで話されたそうなのである。


うそ。
そんなことがあるなんて。


黒いわんこは4年前のお誕生日に「狂風記」というお芝居を観に行った時に
お贈りしたものだ。
ビーズクッションのたまらなく感触のステキなぷにぷにわんこ。
大のお気に入りのこのわんこ、
うちには悦子さんとおそろいの黒くて大きいのと、ちいさくてベージュのがある。
TAP BOYSのメンバーもこのわんこが大好きで、
うちに来るとずーっとぷにぷにさわって離さないくらいだ。


終演後の楽屋でお渡しした時の悦子さんの反応といったらなかった。
「あらやだ! なあにこれ! ふにゃふにゃしてへんなの!」
それはそれは無邪気に喜んでくださって、私たちもすごくうれしかった。


あのおそろいわんこ、ちいさな木製の三輪車に乗せられて
悦子さんに大事にされているらしい。
それよりなにより、息子のことをうれしそうに話してくださっていたなんて…


見たかった!!!


息子は予備校から帰宅後、悦子さん所属の事務所に電話をかけた。
名前を名乗ると、スタッフの方が覚えててくださったらしく
すぐにマネージャーさんに替わってくれたそうだ。


「はなまるマーケット、見た?」とマネージャーさん。
ひさしぶりなのに覚えててくださったことに息子はどぎまぎ。
見逃しちゃったので録画があれば…と切り出すと、
「録りそこねちゃった」。
あちゃ。


いったん電話を切った息子、
これはやっぱり直接悦子さんに会いに行くしかないだろうということになった。
予備校のスケジュールがぎっしりなれど、とにかく終演後のご挨拶だけでも、と。
で、また電話。


「会いに来たらいいんじゃないですか?」
とスタッフの方にあっさりいわれ、きまり。
悦子さんにも伝えててくださるということだった。


それにしても。
見たいなあ、はなまるマーケットの映像。


どなたか録画していませんか!?

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2008-09-07

えっちゃま

「メントレG」に市原悦子さんが出ていた。


TOKIOの青年5人を相手に悦子さんがうきうきとても楽しそうで、
テレビを見ている私たちもすごくうれしくなった。
悦子さんはバラエティ番組の類に時々しか出演しないけれど、
いままでに見た中でいちばん和気あいあいとしていたような気がする。
とにかく朗らかによく笑っている“えっちゃま”であった。


私も無性にナマ悦子さんにお会いしたくなった。


実は、今月悦子さんのお芝居を観に行く。
悦子さんの舞台に伺うのはほぼ3年ぶり。
去年もおととしもどうしても日程が合わなくて観に行くことができず
悔しい思いをしていたので、いまからとても楽しみにしている。


「忘れられてるかもよ~」と息子。


ああ、確かにね。


いつもかならず一緒の息子が今回は同行できない。
ちいさい時から観に行っている息子は
ロビーで悦子さんのマネージャーさんにお会いしても
「おお、少年」とすぐわかってもらえて楽屋に連れてっていただけるが、
私ひとりだと思い出していただけないかも。


でも、お芝居を拝見したらやっぱりご本人に直接感想を伝えたい。
といっても、悦子さんを前にするといつもそれだけで胸がいっぱいになるんだけど。


悦子さんにはじめてお会いしたのはちょうど10年前。
「ディア・ライアー」というお芝居の後に、どうしてもご本人に感想をいいたくて
小学3年生の息子と楽屋口でずっと待った末のことだった。


ちいさい頃から母に何度も聞かされた「舞台女優・市原悦子」。
“伝説”をとうとう目の当たりにした衝撃は大きかった。
母の話はほんとうだった。
映像とは違う悦子さんの深みのある存在感にただただ圧倒された。
その感激をご本人に伝えたかった。
ご本人を前にしたら、緊張で口がうまく回らなかったけど。


以来、私たちは悦子さんの大ファンだ。
息子が悦子さんと誕生日が同じということもあり、
楽屋でもあったかいことばをかけていただきいつも感激する。
時に含蓄のある、時におちゃめな悦子さんのことばは
私にとって大切な大切な心の宝物だ。


ああ、ほんとに楽しみ。
悦子さんのひさしぶりの舞台。

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2008-08-14

フェンシング熱

中2の秋に江守徹主演の「ハムレット」を観た。


どこでどう知ったのか、どうして思い立ったのかいまとなっては記憶にないが、
無性に観たくて母に頼み込み、チケットを手に入れてもらったのだった。
(演劇鑑賞会主催の公演で、会員以外が観るのはむずかしかったのだ)


それまでにバレエの舞台はもちろん観ていたし、
劇団四季のこどもミュージカルなんかも観たことがあった。
でも、大人向けのストレートプレイを観るのははじめて。


私はすっかりハムレットの魅力にとりつかれてしまった。


目の前に繰り広げられたのは、バレエとはまた違う魅惑的な世界。
江守さんの流れるようなセリフに14歳の私は酔いしれた。
いまでこそハムレットの揺れ動く心情に思いがいたるけど、
当時は「シェイクスピアの世界」そのものに心を奪われたのである。
印象的な場面を何度も思い出し、繰り返しイメージしては心躍らせた。


その印象的な場面のひとつに、
クライマックスに行われるフェンシングの試合がある。


なんてかっこいいんだろう!
剣を交える時の姿勢にも、剣の重なる独特の音にもしびれた。
うちでも学校でも何度もまねをしたし、やってみたいとさえ思ったほどだ。


高3の文化祭で「ロミオとジュリエット」をバレエでやった時、
マーキューシオとティボルトの決闘はちゃんとフェンシングでやった。
マーキューシオ役の女の子に男子校のフェンシング部の友だちがいて、
剣を貸してもらい、指南も受けたのだった。
(シロウト女子高生に剣を貸してくれるなんて、なんとも太っ腹)


ふたりが剣をカシカシと交わすのを横目で見ながら、
ああ、私もやってみたい、と思ったのはいうまでもない。
でも、私はジュリエットを演じるのと演出・振付に忙しく、
結局フェンシングごっこはできずじまい。
残念至極。


これだけ興味がありながら、
いまままで本格的なフェンシングの試合を見る機会がなかった。
ただ、中2のハムレットとの出会い以来
「フェンシングはかっこいい」とずーっと思い続けてきたし、
スポーツとしてやってみたい、とさえ思っていた。


そのフェンシングで太田雄貴選手が銀メダルを獲得した。
テレビで試合の様子を見たが、かっこいい!
かっこよすぎる!


やっぱりフェンシングはとびきりかっこいい!


日本でもこれを機にフェンシング熱が高まるのではないだろうか。
(私はふたたび高まりました)

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2008-08-04

わからないこと

45年生きてきたが、わからないことは多い。


いや、わかっていることなんてほんのほんのすこしで、
わからないことのほうが圧倒的に多い。


たとえば、人の心とか.。
そして、自分の心の動きさえも。


たぶん、それは死ぬまでそうなのだと思う。


だから、「わからない」ということははずかしいことではない。
むしろ、知ったかぶりのほうがよっぽどみっともない。


いいふりをして知ったかぶりをしたときに限って詳しく知っている人がいたりする。
知ったかぶりを指摘されれば恥をかくし、そうでなければ信頼をなくす。


「ぼくは死んだことがないので、(死ぬ人の気持ちが)わかりません」
とは息子の友だちの迷言。
でも、まさにそのとおり、という点においては名言ともいえる。


わからないことに関して想像力を働かせることは大切。
だけど、無理に自分に引き寄せてひとりよがりになるのはこわい。
あくまでも「わからないものはわからない」。
そういうスタンスでいいのではないかと思う。


大好きな市原悦子さんのお芝居を観に行った時のことを思い出す。
悦子さんのお芝居は何度か拝見しているが、その時の内容はかなり難解だった。
うまく説明できないけれど胸に強烈な何かが残る芝居だった。


「いいのよ、無理にことばにしなくても」
訪ねた楽屋でお目にかかった悦子さんはそういった。
「何かを感じたなら、それでいいの」


私はきっと、感じたことをどう表現しようかと
ことばの出口を求めて困り果てたような顔をしていたんだと思う。
尊敬する悦子さんに気のきいた感想をいわなければ、という力みもあっただろう。


でも、「なんだかよくわからないけど、すごく心に響いた」
という正直な思いを伝えることのほうがよっぽど誠実なのかもしれない、
と悦子さんのことばから思った。
肩の力が抜けた。


わからないのにわかったふりをしたり、
わかったように思い込んだりすることは不誠実だ。
そして、そんな態度で他者の境界線に踏み込むことを「僭越」という。


わからないはわからない、でいい。
よくわからないのにわかった風なことをいう必要なんてないのだ。

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2008-08-03

オーラ

この間、ひとまわり下の友だちに
「オーラ!オーラ!!オーラ!!!」という本をプレゼントした。


「意外です」と彼女。
「そういうのに全然興味なさそうだったから」


それは当たってる。
ついこの間まで、オーラとか守護霊とかまったく関心なかったもの。
でも、知り合いに
「あなたはたくさんの守護霊に守られているわよ。オーラが見える」
といわれてから、俄然興味がわいたのだった。


本を受け取った彼女、「私は大好きです」とにっこり。


もしかしてそうじゃないかと思った。
私たちにも人のオーラが見えたら素敵だよね、と話が弾んだ。


「オーラ!オーラ!!オーラ!!!」の著者は、木津龍馬さん。
バレリーナ・草刈民代さんのメンタル&フィジカルトレーナーである。
木津さんのことはつい先日民代さんのHPで知ったのだが、
すでに10数年にわたって民代さんをサポートしているという。
特に、食事療法における影響力はかなり大きかったようだ。


そうしたトレーナーである木津さんはまた、ヒーラーでもある。
オーラが見えて、いわゆる「癒し」を行う人。


ふーむ。


結構納得。
半年前の私なら「?」「?」「?」だったけど、いまは「ほう」という感じ。


カラダのコンディショニングに関わると、
究極のところは精神的なところとか、人のもつエネルギーそのものにいきつくのかな、と。
ホリスティック・コンディショニングの勉強でもずいぶんその部分に触れたし、
再三いわれたのは「考えるより感じよ」ということだったし。


私に「守護霊」のことをいってくれたのも、ホリスティックの仲間だった。
ひとまわり上のその方は、病の人を大勢見てきた治療系の方である。


「どうやってオーラが見えるようになったんですか?」
と聞いたら、たくさんの人を見るうち感じるようになり、見えるようになったという。


「『気』なのよ。『気』。目の力や肌のつや、声にも『気』は表れるの」


なるほど。
オーラそのものが見えるか見えないかは別として、
その人のもつエネルギーを感じとるんだということはわかった気がした。


確かに感じることがある。
強力なプラスのエネルギーも、どんよりよどんだようなマイナスのエネルギーも。


むだなものをそぎ落とし、シンプルになればなるほど感覚は研ぎ澄まされ、
研ぎ澄まされていけばいくほど、感じる力も敏感になっていく気がする。


マイナスのエネルギーに振り回されず、
力むことなくプラスのエネルギーを高められたら理想的。


シンプルであれ。
考えるより感じよ。

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2008-07-21

まっすぐな熱さ

めずらしくお昼時に家にいたので、ひさしぶりに「いいとも!」を見た。
「今度のテレフォンショッキングに堺さんが出るわよ」
と母から教えられていたせいもあるんだけど。


サンドイッチをほおばりながら、堺(雅人)さんの登場に喜び、
彼の最新映画「ジャージの二人」の話を聞いては
先週末の舞台挨拶付上映にやっぱり行けばよかったなあ、と思ったり。
舞台の彼も観たいもんだなあ、と思ううちに次のコーナー。


思いがけなく織田裕二が出てきて、これがすごくおもしろかった。
もともと「踊る大捜査線」の青島なんかは大好きだけど、
ドラマ以外で彼を見ることはあまりない。


この人、ずいぶん正直なんだなあ、というのがいちばんの印象。
自然体の飾り気のなさに惹かれて、今夜からの新番組が無性に見たくなった。


で、見てしまった。
「太陽と海の教室」。
織田裕二演じる櫻井が非常に熱苦しくて、かなり笑った。


でも、共感できる熱苦しさなのだ。
ああいうの、すごく好きだ。


彼が演じるのは進学校の高校教師。
ちょっとはすに構えたような高校3年生に熱苦しく迫っていくんだけど、
ちっとも上から目線じゃない。
押しつけがましくもない。
うん、いいぞ。


彼がいうのだ。
一生懸命やった努力が無駄になることもある。
がんばったからって必ずしも夢がかなうわけでもない。
でも。
胸に何かは残るよ。
そんなようなことをいっていた。


自分の心に問いかけろ、ともいってたかな。
自分が胸をはって生きているかどうか。
誇りをもって。


そうそうそう。
そうだよ。
私もそう思う。


ドラマの状況設定にいろいろ疑問はあったけど、
織田裕二演じる櫻井のまっすぐな熱さ見たさにこれから毎週見てしまいそうだ。

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2008-07-07

クライマーズ・ハイ

私は「大きな組織」に属して仕事をしたことがない。


社会人デビューが両親の経営する店の店長だったこともあり、
仕事をする上では「鶏口となるも牛後となるなかれ」をモットーにやってきた。


後に第三者として「大きな組織」にかかわって仕事をするようになり、
そこが自分の想像をはるかに超える場所だと知った。
知ったことで、ますます私自身が「大きな組織」に属することはむずかしいと思った。


曲がったことがキライ。
長いものに巻かれたくない。
負けず嫌い。
自分の納得したことしかしない。


そんな私が「大きな組織」のコマになって仕事をするとしたら、
それは自分に大きな無理を強いる、かなり不自然なことだと思えた。


それにしても、「大きな組織」のありようを垣間見て
どれだけむなしさとくやしさを感じたことだろう。


正しいことや良いことがかならずしも受け入れられない理不尽さ。
上の人間の過去の栄光や古い考え方、力関係の変化の前では
熱い正論も、強い信念も、紙くずのように扱われてしまう。


今日、「クライマーズ・ハイ」を観た。


23年前の夏、御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落した。
540名もの命が散った未曾有の航空機事故。
その大惨事を報道した地元新聞社の興奮と緊迫の1週間を描いた映画である。


ねたみやエゴがどす黒く渦巻く真っ只中で、
自分の信念を貫くことがどれだけ厳しいことか。
映画の登場人物に感情移入して
何度憤りを感じ、どれだけくやしさを覚えたかしれない。


それでも、主人公は自分の信念を貫く。
異常な状況下で、
自分が正しいと信じる道を熱い思いで進み続けることは、
けっして捨ててはならない誇りを持ち続けることとおなじだ。


熱い思い。
信念。
誇り。


捨てちゃいけないと思った。


ところで、県警キャップ・佐山役の堺雅人の強い目がいい。
2000年の朝のドラマ「オードリー」から注目しているが、
ますますはまりそうだ。

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2008-07-04

かもめ

心は誰のものでもない。
誰に縛られるものでも、所有されるものでもない。


誰に恋焦がれようと、何に憧れようと、
心で思うことはその人の自由だ。
心はその人自身のものなのだから。


求めてやまなかったものをつかんだときの心の輝き。
何かに共鳴した時のうち震えるような心のざわめき。
心の高揚が生きる喜びを激しく実感させる。


でも、心は思いもよらない一瞬で変わってしまう。
自分自身にさえ予測できない自由さで、
自分自身も戸惑うような化学変化をおこす。
どうしてそうなったか説明なんてできるはずもない。


自分でさえ自分の心の変化に戸惑うのに、
周りの人間に何がわかろう。
それも、心がふれあえたと思っていた相手ならなおさらに。


どこかずるくなっている大人は心の変化に鈍感かもしれず、
適当にごまかしたりまるめこんだりして
自分が傷つかないよう、相手も傷つけないよう
どうにかこうにか折り合いをつけるすべを知っている。


だけど、純粋で不器用であるほど無惨なまでに傷つく。
傷つくし、傷つけもする。
たとえ相手が傷つくことがわかっていても、残酷なまでに傷つけてしまう。


誰が悪いわけでもないのだけれど。
さっきまで好きだったのに次の一瞬でそうでなくなってしまうのも、
自分を好きでなくなった相手をきらいになれずに思い続けるのも。


栗山民也演出の「かもめ」を観て、そんなことを思った。
交錯してはかみ合うことのない登場人物たちの心。
切ない芝居だった。


席は前から2番目、ど真ん中。
手を伸ばせば届くような目の前に藤原竜也が立っている。
彼の繊細で激しい心のおののきがびりびりと伝わってきた。


ニーナの美波、素晴らしい。
彼女のオフィーリアで藤原竜也のハムレット再演を観たいものだと思った。

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2008-05-14

T.K.

16歳の彼をはじめて映像で観た時の衝撃は忘れない。
「日本にもとうとうこんな男の子が現れたか!」と。


1989年、いまから19年前のローザンヌ国際バレエコンクール決勝の
テレビ中継である。


彼はいまや日本でもっとも有名なバレエダンサーだ。
世界的に素晴らしいダンサーとして名を馳せているのはもちろんのこと、
バレエを観たことのない人でも彼の名前を知っているという点で類まれである。


今夜、私ははじめて彼の舞台を観た。


彼が素晴らしすぎるのは19年前からわかっていた。
この19年の間に伝え聞いたエピソードの数々からも、
時々映像で垣間見た舞台姿からも、
天才の名をほしいままにした稀有な存在であることは否定のしようがなかった。
映像だけでも、彼は息をのむほどすごすぎるのだから。


でも、いままで彼を生で観る機会を作らずにきた。
なぜだか自分でもうまく説明できないけど。


今夜、私は上野・東京文化会館の5階席にいた。
倍率の違うオペラグラスをふたつ手にしながら。
舞台からどんなに遠くても、
彼を生で観なければ、という思いに突き動かされていたのだった。


しかし、結局ほとんどオペラグラスをのぞくことはなかった。
というか、オペラグラスが必要なかった。


彼にはドラマが詰まっているのだ。
そう思った。
全身にドラマが詰まっていて、彼の動きのひとつひとつに意味がある。
オペラグラスでいちいちクローズアップしなくても、
動きのひとつひとつが胸を揺さぶる。


もちろん、彼は右に出るものがないほどのテクニシャンなのだが、
ジャンプにも回転にもドラマがあるのだ。
あんなの見せられたらのけぞるしかない。


鳴りやまない拍手の中で、彼は5階席にまで視線を上げてお辞儀をした。
いちばん遠い席だけど、一体感を味わった瞬間だった。


熊川哲也。
一見の価値ある、天下一品のダンサーである。




★朗読「不安な気持ち・いやな気分がラクになる本」、更新しました。

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2008-03-24

自信、傲慢、そして謙虚

ある天才ダンサーが、いった。
「踊ることで苦労したことはない」と。


それを聞いて、そうだろうな、と妙に納得した。
彼だったらそうなんだろうな、と。


バレエをよく知らない人が聞いたら「なんて傲慢な」と反発するかもしれない。
字面だけ見たら「なんて思いあがり」と眉をひそめる人がいるかもしれない。


でも、そのことばを聞いたとき、
彼は自分のことをありのままに語ったまでだろう、と思った。
傲慢でも、思いあがりでも、自信過剰でもない。
神さまに選ばれた、稀有な天才だけに許される感覚をいったまで。


だからといって、彼が日々の精進なくして踊っているわけではないのだと思う。
たゆみなく稽古をし、鍛錬を重ねて舞台に立っているはずだ。
ただ、そうした一般的に「努力」といわれることが苦ではない、ということであって。


神さまに与えられた天分に自信と誇りをもち、
一方で常に質の高いものを観客に提供しようとする謙虚な姿勢。
自信と謙虚さの絶妙なバランスを、私は彼に感じる。


イチローや中田英寿にもそれとおなじにおいがする。
彼らは一見傲慢そうに見えて、実は奢ることなく淡々としており、謙虚だ。


そうしたタイプとはまた別に、
ぎらぎらした自信を前面に押し出すことなく、
秘めた誇りと確信を胸に謙虚な姿勢を崩さない人も、私は好きだ。
藤原竜也しかり、ジェフリー・バトルしかり。


彼らの印象に通じるのは、無心。
ひたすら心をまっさらにして自分の信じるものに身を捧げる。
胸のうちでひとりひそかに闘志を燃やしているのだろうが、強い自意識は表に出ない。
周りに惑わされず、謙虚な真摯さで自分に集中する。


この人たちにもまた、謙虚さと自信のバランスを感じる。
謙虚さに裏打ちされた自信とでもいうか。


それに比べ、謙虚さが感じられないばかりに
どんなに素晴らしい技術をもっていても傲慢さが鼻についてたまらない人もいる。
自分が、自分が、と前に出ているうちはいいけれど、
優位に立っていると思っていた自分が不利だと見るや、見苦しいまでに顔色を失い、
あげくに自分の負けを素直に認めず、負け惜しみ。


自信と謙虚さのバランスを欠くと、こんなにも傲慢なものか、と思う。
「奢れるものは久しからず」ということばを知らないんだろうか。


知らないんだろうな。




★朗読「不安な気持ち・いやな気分がラクになる本」、更新しました。

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2008-03-23

うれしいまさか

ジェフリー・バトルが優勝してしまった。
私の大好きなジェフリーが、世界フィギュア男子でチャンピオンになってしまった。
ジェフ!


トリノオリンピックで彼の美しいスケートの虜になって以来、
毎シーズン楽しみに観てきた。
ジェフリーの、音楽とも空間ともひとつに融けあうような
彼ならではの美しさが何より好きだった。


フィギュアスケートが競技であり、彼が選手である以上、
パフォーマンスがむずかしい技をどれだけ決めるかにかかっているのは重々承知しながら
私は流れるような彼の美しい動きが見られればそれで満足だった。
たとえジャンプで転んだとしても。


もちろん、転ばずに滑り終え、演技終了後に首を傾げる彼を見ずにすむなら
それに越したことはないにきまってるんだけど、
(私が観ている時に限ってかもしれないが)ジェフリーは転び、首を傾げるのだった。


とにかく、怪我がなく多くの観客の前で滑ってくれればそれでいい。
日本の無欲な一ファンは、そう願いつつ世界フィギュアの彼の出場を心待ちにした。


ところが、ふたをあけてみればジェフリーがショートプログラム1位。
映像を観れば、ノーミス。完璧。
ぎゃー。


しかし、去年の世界フィギュアでもショートは絶好調だった。
だけど、最終滑走のフリーでは重圧に押しつぶされたかのようにことごとく失敗。
あんな苦しそうなジェフリーを見るのは、ファンとしてもつらかった。


今回もジェフリーは最終滑走だという。
試合はライブでテレビ放映。
夜な夜な祈る思いでテレビの前に座った。


リンクに登場したジェフリーの表情には、心なしか余裕が見えるような気がした。
彼自身にとって満足のいくスケートができますように、とただただ祈る。


ジェフリーがジャンプの体勢に入るたびに心臓が激しく脈打つ。
その直後、ジャンプが決まるごとに一緒に見ている息子と大きく息をつく。
こんなにジャンプが跳べてるジェフリーって、私ははじめて見るかもしれない。


ああ、それにしてもなんて美しいんだろう。
空間をすべて自分のものにするかのように大きく広げたアームス、流れる動き。
全身にざわざわと鳥肌が立つ。


最後のジャンプを成功させた後、ジェフリーが滑りながらガッツポーズをした。
完璧なまでの美しさに圧倒され、息を詰めて見つめる中、スピンからフィニッシュ。
終わった。


感極まったジェフリーが氷を叩いた。
興奮と歓喜が爆発して彼の内側から一気に噴き出してきた。
こんなジェフリーを見たのははじめてだ。


結果はジェフリーの圧勝。
こんなにも喜びに打ち震えるジェフリーを見られるなんて、ファン冥利に尽きる、と思った。
ほんとうによかった。素晴らしかったもの。感動した。


ジェフ、ほんとうにおめでとう!
私もすごくしあわせな気分。




★朗読「不安な気持ち・いやな気分がラクになる本」、更新しました。

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2008-03-20

身毒丸、舞台とDVD

雨のしけ寒い昼下がり。
ひさしぶりにDVDを観た。


「身毒丸 ファイナル」。
ずいぶん前に買っておきながら、今日の今日まで一度も観ていなかったDVDだ。


きのう劇場で観たのは「身毒丸 復活」。
DVDは、藤原竜也衝撃の初舞台映像ではなく、2002年に再演したもの。
劇場に行く前に観よう観ようと思いつつ、結局順番が逆になってしまった。


でも、結果的にそうしてよかったと思った。
おかげで、きのうは何の先入観もなく、まっさらな状態で舞台を観ることができたし、
今日は、舞台の余韻にひたりながらあらためて芝居の輪郭をなぞることができたから。


舞台映像というと、単なる舞台中継という趣のものが多いと思う。
客席後方中央に据えたカメラで淡々と舞台全体を映し、時にアップにする程度の。


ところが、「身毒丸 ファイナル」の映像はちがう。
さまざまな角度から舞台や役者を捉え、
場面によってはあえてピントをずらして幻想的な雰囲気を醸し出し、
DVDそのものが独立した映像作品になっている。


それはそれでいいのだ。
でも当然のことながら、客席から一観客として観るのとはおのずと温度が異なる。


劇場で芝居を観る、というのは日常から切り離された特別な行為である。
閉じられた劇場という空間が、芝居が始まった瞬間から無限の空間に変わり、
凝縮した時間が流れ始める。
目の前に立つ生身の役者からはりつめた波動をびりびり感じる緊張感は、
リビングルームで観るDVDではけっして味わえないライブ感だ。


きのう舞台を観に行けて、ほんとうによかった、とあらためて思った。


ただ、映像だからこそ見逃してしまった19歳の藤原竜也を観ることができるのであって、
DVDには感謝、感謝。
できることなら15歳の伝説の藤原竜也も観たいものだと思った。


それにしても、藤原竜也はすごい。
きのうの舞台でも、今日のDVDでもあらためて感服した。


これからも、彼がどんなふうに演じていくのかひとつたりとも見逃すまい。




★朗読「不安な気持ち・いやな気分がラクになる本」、更新しました。

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2008-03-19

藤原竜也、身毒丸

藤原竜也は舞台でこそ特別の光を放つ俳優である。


幕開きからほどなくして彼は登場した。
薄暗がりの舞台をさまよい歩く彼が
舞台中央で客席の暗闇をじっと見据えて凛と立ち尽くしたとき、
藤原竜也がどれだけ特別な俳優かを改めて思い知らされた。


今日、彩の国さいたま芸術劇場に「身毒丸 復活」を観に行った。
11年前、弱冠15歳の藤原竜也がロンドンで初舞台を踏んだ作品の
リバイバルである。


藤原竜也が天才的だ、という評判を耳にしていながら
彼の舞台をはじめてこの目にしたのは、2004年の「ロミオとジュリエット」だ。


衝撃的だった。
噂に違わぬ、いやそんなことばじゃ生ぬるい。
魂をわしづかみにされ、激しく揺さぶられた。
舞台上の藤原竜也は想像をはるかに超えていたのである。


それまでの舞台を見逃してきたことをすさまじく後悔した。
以降、彼の舞台は欠かさず観てきた。


歌うような台詞回しのシェイクスピアの藤原竜也も好きだが、
狂気をはらみ、全身全霊で自身を舞台に叩きつけるような激しい役柄も好きだ。


身毒丸の藤原竜也は、まぎれもなく舞台上で激しくいのちの火を燃やしていた。
炎が激しすぎて、彼自身が燃え尽きてしまうのではないかと思うほどに。
強く生きすぎて、いのちがすりきれてしまうのではないかというほどに。


彼は、芝居の神の前に身も心も投げ出しているのだった。
そこには嘘のかけらもなく、ひたすら純粋な魂が舞台に捧げられているのだ。


カーテンコールに出てきた彼は、放心していた。
華奢なからだは、魂が抜けきって寒さに打ち震えているように見えた。
繊細な彼の目が光って見えたのは、涙だったのだろうか。


藤原竜也。
彼はやっぱり特別な舞台俳優である。




★朗読「不安な気持ち・いやな気分がラクになる本」、更新しました。

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2008-03-02

執念の力

周防正行監督が「それでもボクはやってない」で芸術選奨を受賞した。


公開直後から社会的に高い評価を受けていた作品だったので
どんな賞をもらっても当然と思っていたが、
ひとつでも多くカタチで認められればファンとしてもうれしい。


周防さん、おめでとうございます。
ほんとうによかった。


数年前、草刈民代さんの公演後のパーティーで周防さんと話をする機会があった。
「映画はお撮りにならないんですか」という私たちの無邪気で単純な質問に対し、
「いろいろ考えてはいるんですよ」と静かに答えてくださった周防さん。
いまになって思えば、当時は「それでもボクは~」の取材に奔走していた時期と重なる。


そんなことも知らず、私たちは「どんな映画かなあ」と想像をふくらませた。
コンビニエンスストアを舞台に撮ってくれたらいいのにねえ、と
コメディ仕立てのストーリーを勝手に作り上げては、勝手に盛り上がった。
周防さんだから、当然くすっと笑えて、ほろりとさせる映画だと決めつけていた。


だから、まさかあんなに苦しく救いのないストーリーだとは思いもよらなかった。
これが現実なのだ、直視せよ、という周防さんの怒りがひしひしと伝わってきた。
前作から11年の時を経て、いままでのスタイルをかなぐり捨ててまで
周防さんが世に訴えようとした執念を感じた。


11年という時間を(そのすべてではないにせよ)、
自分が信じたものを伝えるために突き進んだその精神力にはただただ脱帽するばかり。
周防さんはやっぱりすごい。


さて、今日、息子の受験結果が出た。
もう1年、彼は目標に向かってがんばることが正式に決まった。


受験した彼自身の感触から、きっと再チャレンジになるだろうと予測していた。
だから、本人はいたってさばさばしたものだった。
しかし、私のほうは結果を聞いてからしばしの間息苦しい感覚に見舞われた。
母親ってこんなものなのかな、と思った。


あと1年。
彼のめざす高い山に向かって、どれだけ執念を持ち続けるかにかかっている。
自分が良しとするものを信じる気持ち。
周防さんにならうとすれば、そういうことではないだろうか。


私も周防さんにならおう。
自分のめざすものに向かって、自分を信じて、ひたすら突き進もう。

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2008-01-26

脳のゆらぎ

小学校1年生のことである。
入学から間もない頃だったと思うが、
私は時が一瞬止まったように思う経験をした。


教室中のざわめきを背中に感じながら私は座っていた。
子どもたちはみな出席番号順に席についていた。
出席番号1番の私は左隅のいちばん前の席。


いちばん前というのは圧迫感にも似た緊張を強いられるものだ。
なんだか自分だけ孤立しているような疎外感を覚えながら
私はつくねんと座っていた。


クラスの子はほとんどが知らない子ばかり。
ましていちばん前の隅っこに座っていては
どんな子がいるのか見回すこともできない。
心細さがつのるけど、私はじっとおとなしく座っていた。


でも、なぜだか私は振り向いた。
誰かが大きな声でもあげたのか、
寂しさに耐え切れなくなったからか覚えていないが、
とにかく私は右に首をねじって教室全体を見た。


そして、私の視線はひとりの男の子の上で止まった。
時も一瞬止まった。


その子のきれいな横顔から視線をはがすことができないまま、
私は胸がどきんと鳴るのを感じた。


――こんな子、いたっけ…?


はじめてのひとめぼれ体験。


のちに男の子とは親しく遊ぶようになった。
それでも一緒にいれば相変わらずどきどきし、
ほかの女の子を「可愛い」というのを聞けば悲しくなった。


こんなほほえましくも鮮烈な記憶がよみがえったのは
「脳はなにかと言い訳する」(祥伝社)という本を読んでいたから。
池谷裕二さんという素敵な脳科学者が書いたわかりやすくおもしろい本だ。
池谷さんの人柄が反映されているようなやさしい文章が読みやすい。


この本によれば、私たちの行動選択には絶対的な根拠などない、という。
自由意志、だとか選択、だとか、とことん突き詰めていくと
行動を決定する神経細胞のゆらぎが決めていたにすぎないのだ、と。


神経細胞には電気活動としてのゆらぎがあって、
細胞膜の電気がノイズとしてとくに理由なくゆらぐのだそうだ。


だから、人間の行動は根拠があるようで、基本的には深い根拠はない、という。
誰かを好きになったとして、その理由はひとつ。
「脳がゆらいだから」。


こんなふうに要約して書いてしまうと乱暴に聞こえるかもしれないが、
池谷さんの本を順を追って読んでいると「ほう」と納得できる。


6歳の私の時を止めたのも、きっと脳のゆらぎだったに違いない。

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2007-12-23

マーゴット・フォンティーン

この頃、レッスンの中で先生の口から何度か
「フォンティーン」の名前が出てきた。


「『フォンティーン』のアラベスクみたいに」
「『白鳥(の湖)』の2幕で『フォンティーン』はこんなふうにして…」


マーゴット・フォンティーン。
イギリスが生んだ名バレリーナ。
存命ならば88歳だが、1991年に亡くなっている。


私がフォンティーンの舞台を観たのはいつだっけ、
と昔のプログラムを何冊かめくってみたら
実は観ていなかったことがわかり、愕然とした。


実際に観たような気になるくらい記憶が鮮明なのは、
大きな劇場でフォンティーン主演「ロミオとジュリエット」の映像を観たからかもしれない。
それと、テレビで放映したガラコンサートをリアルタイムで観たような気もする。


一度見たら忘れられない魅惑的な笑顔と、
独特のアラベスクをする人、という印象があった。
稽古場で「フォンティーン」といいながらアラベスクの真似をした記憶がある。


ただそれ以上に、当時の私には「年のいった人」というイメージが強かった。
たぶんガラコンサートのフォンティーンは60前後。
10代半ばの人生がまだ始まりかけたばかりの少女にとっては、
その芸術性よりも脚がどれだけ上がってどれだけ跳べるかのほうに
関心が向いても仕方なかったかもしれない。


そういえば、と書棚から古びた写真集を取り出した。
「フォンティーンとヌレエフ ―愛の名場面集―」。
確か20歳の誕生日に大叔父から贈られたものだ。


フォンティーンは引退がささやかれていた43歳に
ソ連から亡命したルドルフ・ヌレエフに出会い、バレリーナとして再起する。
ヌレエフは当時24歳。
その後、ふたりは長きにわたって
バレエ界において伝説的なパートナーシップを誇るのである。


何年ぶり、いやもっと長い時を経てひさしぶりに写真集を開いて息をのんだ。
フォンティーンの、なんとチャーミングなことか。
そして、19歳年下のヌレエフとなんと素敵に調和がとれていることか。


若い時には見えなかったものがいまは見える。
私は夢中になってページをめくり、文章を読み、写真を見つめた。


フォンティーンの気品ある美しさにあらためて敬意を表すると同時に、
勇気をもらったような気がした。

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2007-12-16

「うまい」ということ

大河ドラマ「風林火山」。
この1年間、1回も欠かすことなく最終回を迎えた。
最後の最後まで勘助・内野さんの演技から目が離せなかった。


内野さんが主役というので見始めた大河ドラマだったが、
毎週期待以上のものを見せてもらった。
見ごたえがあった。


知性に裏打ちされた理知的な演技には
朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」から注目していた。
舞台も「裸足で散歩」というしゃれたコメディを観たことがあるが、
こちらはまたチャーミングな魅力全開の素敵な芝居だった。


だから、内野さんが「うまい」ことは十分わかっていた。
でも、「勘助」のこの1年で円熟味を増したというか、
内野さんの演技はますます深みのあるものになった。


「うまい」人の芝居には感情移入ができる。
どれだけ勘助に肩入れしたことか。


逆にへたくそだと一気に現実に引き戻されて興ざめする。
今日も出てた、そういう役者。
緊迫感に満ちたシーンなのに、のんきな台詞回しに身の入っていない顔つき。
気が抜けるからこういう人起用するのやめて、って思う。


「うまい」ってことは技術に長けているのはもちろんなんだけど、
うますぎるがゆえにわざとらしさがなく、とても自然なことが多い。
「うまい」ことがごくごくあたりまえのような。


あまりに自然なので「自分にも同じようにできちゃうかも」
と浅はかに考えたら大間違い。
自然にさりげなく見せることも、これまた「うまい」ことの条件なのだから。


今朝、新聞を読んでいて「うまい」文章に思わずうなってしまった。
角田光代さんのエッセイだった。


実にさりげない。
さりげないんだけど、決してすいっと出てくるはずのない表現たち。
さすが。


声に出してあらためて読んでみて、ことばのきらめきに再度舌を巻く。
うまい。


芝居も文章も「うまい」のはいい。

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2007-12-03

何にせよスクワット

しばらく前から、地下鉄最寄り駅のエスカレーター前に
オーランド・ブルームのでっかいポスターが貼られている。
ジムに行く時にはクールなオーリをちらっと横目で見てから
エスカレーターに乗る。


今朝もオーリを眺めてから、といつもの場所に目をやったら、
そこにいたのは歯をむき出してにっかり笑う加藤浩次だった。
かなりがっかり。


気を取り直してジムへ。
今日は1年ぶりにレッグプレス40㎏に挑戦した。


Push!!!


全然問題なし。
15回の2セット、難なくクリア。
結構脚力戻ってるなあ。
チェストプレスも先週から2.5㎏上げて慣れてきた。
いい感じ。


何たって、お茶出しにも筋肉は大事なんだから。
マナーの先生が新聞にそう書いていた。


その先生は「低いテーブルでのお茶の出し方」について
よく質問を受けるのだという。
先生ご自身はそういう場合、片足を引き腰を落としてお茶を置くのだとか。
ただし「モモの筋肉を鍛えないときれいな動きに見えない」から、
立った姿勢からひざをすこしずつ時間をかけて折る練習を毎日せよ、
とおっしゃる。


要するにスクワットだよね。
お茶出しにスクワットか。
意外なつながり。


私もスクワットやってきた。
「2週間もやれば慣れる」といわれたあのスクワットを
右左10回ずつの2セット。


トレーナーに注意されたことをひとつひとつ守りながら
ゆっくりゆっくりていねいに回を重ねる。
鍛えられればもっと踊りは安定する。
それが何よりの励み。


いいじゃない。
慣れてきたのかも。
いい感じ。


しかし、うちに帰ってきたら口も利けないほどへろへろに。
このスクワット、あとからくるんだなあ。

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2007-11-24

ベジャール

きのうの朝刊でモーリス・ベジャールの訃報に接した。


ベジャールが死んでしまった。


すこし前になるが、このブログに「ベジャール 入院」
という検索フレーズでアクセスがあった。
きっとそういう事実があるんだろう、と思っただけだった、その時は。
まさか、亡くなるなんて思わなかった。


あらためて「人はかならず死ぬ」という事実を突きつけられた気がした。


私にとってベジャールとの出会いは衝撃的だった。
こんなにも人間の生な姿や生な感情を押し出すなんて…!と。


ロマンチックな形式美・様式美による古典バレエの世界にいた私は
はじめ困惑した。
困惑しつつ、それを受け入れたいとも思った。
そして素直に受け入れてみると、私の感情は熱狂に変わった。


時間とお金の許す限り、劇場に足を運んだ。
といってもお金はなかったから、上のほうの、それでもって後ろのほうの席で、
あるいは立ち見で食い入るように舞台を見つめた。


愛する人間を亡くしているベジャールは、死と生を対比して見せた。
でも年若い私は、死が落とす暗い影よりも
若さが象徴するのびやかな生に心を奪われた。


私もあんなふうに踊りたい。
生きる喜びを全身で表現する踊りを。


ベジャールのカンパニーには
女性よりも男性に際立ったダンサーが多かったので、
「次は男に生まれ変わって踊りたい」と思ったほどだった。


上野の文化会館で公演があった時、
楽屋口から出てきたベジャールとジョルジュ・ドンを見た。
鷹のような顔つきのベジャールは取り巻くファンに笑顔を向けながら
私の目の前を通り過ぎた。


近寄れなかった。
「サインをください」なんていえるはずもなかった。
ベジャールもドンも私にとって神さまだったから。


ドンが逝ってからこの30日で15年になる。
そしてベジャールも逝ってしまった。


神さまなのに、死んでしまった。

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2007-11-04

オペラ「道化師」の音楽

本格的なフィギュアスケートのシーズンが始まり、
うわさに聞いていたジェフリー・バトルの新しいショート・プログラムも
やっと観ることができた。


曲目は「道化師」。
私がはじめて出会ったオペラで、
14歳の私の心を揺さぶった忘れることのできないオペラだ。


予想では、有名なアリア「衣裳を着けろ」の歌を除いたアレンジだろうと思っていたが、
実際にはもっとレベルの高い素晴らしい編曲だった。


滑り出しの部分は前奏曲と全く同じ。
そこから「衣裳を着けろ」の哀切なメロディーにつながり、
フィニッシュはこれまたオペラの劇的な幕切れ部分と同じ。
聴かせる。


昨シーズン、中野友加里さんがプロコフィエフの「シンデレラ」を使っていたが、
無残なまでにぶつぶつと曲を切り、無造作につなげている印象があった。
滑っている彼女に罪はないんだけど、「シンデレラ」の音楽に愛着がある身としては
聴いていて非常につらかった。


そう考えると、ジェフリーの「道化師」の音楽は素晴らしい。
何度も何度もからだにしみこむまで聴き続けたオペラ「道化師」をありありと思い起こさせて
鳥肌が立った。


彼の衣裳もオペラそのものを彷彿とさせる。
カラダにぴったりした白い衣裳が彼に似合うかどうかは別として、
胸の部分の顔はまさにオペラの主人公カニオが道化師に扮した時の顔だ。


オペラ「道化師」の筋立ては、およそ14歳の女の子にはふさわしくないもので、
旅一座の座長カニオが若妻で一座の女優ネッダの駆け落ち計画を知り、
芝居の最中に現実と芝居の区別がつかなくなってネッダとその恋人を刺し殺してしまう、
というなんとも血なまぐさいお話。
(2行で書いてしまうとかなり身もふたもない話…)


でも、孤児だったネッダを育てて妻にし、愛したカニオの思い。
裏切られてどんなに絶望していても幕が開けば道化師を演じなければならない宿命。
パリアッチョ(道化師)の切ないほどの苦しさが14歳の心をわしづかみにしたのだ。
なにより、プラシド・ドミンゴの力強い歌声と迫真の演技にすっかり圧倒されてしまった。


そんな切なくも苦しい道化師を、ジェフリーは情感たっぷりに滑っていた。
つまずいたり転倒したりしていたけれど、彼の叙情性を観られただけで満足。
これから滑り込んでいく中で、彼ならより切ないパリアッチョを見せてくれるだろう。


「それにしても、中学生でそんなものにはまるなんてさ」と息子。
「話の合うのがいないわけだよ。オレだって合わないよ」


いや、いいんです。
話が合う子は確かにいなかったけど、
感受性の豊かな中学生の時に
オペラとドミンゴに出会えたのは幸せなことだったんだから。


そしてその思い出深い「道化師」をジェフリーが表現するのを観る幸せ。

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2007-10-07

アリス

真帆さんのミニ個展に行ってきた。


水野真帆さん
私の「不安な気持ち・いやな気分がラクになる本」に
とっても素敵な挿絵を描いてくださったイラストレーター・立体作家。


私の本の挿絵はみんな「不思議の国のアリス」だ。
不安な思いに背中を丸めるアリスだったり、
鏡に向かって涙をこぼすアリスだったり、
イライラして当り散らしているアリスだったり、
ページをめくるとストーリーの主人公たちと同じ思いを抱えたアリスが現れる。


私にとって「真帆さん=アリス」というイメージ。
今回のミニ個展は「童話の国の雑貨展」と題して
アリスと「星の王子さま」がテーマだというので、
どんなアリスに出会えるかと楽しみにして出かけた。


所狭しと個性的な雑貨が置かれた不思議な雰囲気のお店の一角に、
真帆さんワールドはあった。


繊細なミニチュアボトルや、
温かみの伝わる豆本や、
アリスのおしゃべりが聞こえてきそうなキュートなイラストや、
作品のひとつひとつを見ていると
彼女の顔や文章が思い浮かんで自然と顔がほころんだ。


使うのがもったいないなーと思いつつ、
アリスのメモ帳2種類とポストカード数枚を買った。
レジではわざわざ本を出して「私の本に挿絵を描いてくださったんですよ」
と話した私(ちょっと誇らしげ)。


「そうですか」とお店の方がほほ笑んだ。
「描き方のバリエーションが広い作家さんですよね」


真帆さんに「行ってきました」とメールをするとほどなくお返事。
彼女によれば、私の本は「アリスを描かせていただいた最初で最後のお仕事」とあった。
外からの依頼によるアリスは私の本だけってことだなんて、知らなかった。
すごく光栄。
(依頼してくれた編集のイワサキさん、ありがとう!)


★「童話の国の雑貨展」は10月16日までイリアスで。
★水野真帆さんのHPはこちら
★ほんわりしたブログはこちら
 

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2007-09-30

彼の絵

いま、毎日更新を楽しみにしているブログがある。


ブログといっても、アップされているのは文章ではない。
絵だ。
毎日1枚ずつ絵が更新され続けている。


色調もタッチもやわらかで、
繊細な雰囲気を漂わせながら、時に強さも感じさせる。


そう書いてみてあらためて気づいた。
絵は描いている人そのものを表している。


彼に出会ったのは10年前。
息子がタップの稽古場をいまの先生に変えたときだ。
生徒はほとんど女性ばかりの中で、
同じ先生の違う稽古場で大学生のお兄ちゃんががんばっていると聞いた。
そして、まだ初心者の域を出ない彼を先生の公演で見た。


その後、舞台で見るたびに彼はめきめきタップがうまくなっていった。
「うまくなった」というより、「いいダンサーになった」という感じ。
まっすぐで、繊細で、力強くて。
私は彼の踊りが好きだった。


踊っていないときの彼は、物静かな雰囲気の青年だった。
清潔感にあふれ、誠実で。
息子もこんな青年に成長してくれたらいいな、と思った。


2年前にTAP BOYSを結成してメンバーの靴が必要になったとき、
彼にお借りできないかと思いついた。
息子がメールするとすぐに返事がきた。
「ちょうどよかった。フランスに発つ直前だったから、まだ靴を貸すことはできるよ」


あの時に借りた靴はずっと借りっぱなしになっている。
「使ってくれてていいよ。そのほうが靴も喜ぶから」
息子にはそんなメールが来た。


日本には1年で帰るように聞いていたけど、
どうやらそのままパリで絵を描き続けているらしい。


彼のダンスも、絵も、彼そのもの。
私は彼の絵が好きだ。

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2007-09-29

シンプルさの力

高3の終わりに、ある劇団の「ロミオとジュリエット」を観た。


ぶゆぶゆのロミオと、かまととのジュリエット。
実にひどいロミオとジュリエットだった。


このふたりを演じていたのは
当時30くらいのそれなりに名の通った俳優たちだったが、
10代の私からすれば「きもちわるい」のひとことだった。


ジュリエットとのベッドから身を起こしたロミオの
ぶよぶよ贅肉のたるんだなまっちろい上半身なんて、誰が見たいだろう。
興ざめ以外の何物でもなかった。


それよりなにより、ジュリエットの作った少女らしさはもっとたちが悪かった。
鼻にかかった甘え声でしなを作るそのさまのなんときもちのわるかったことか。
ついこの間ジュリエットの年齢を通り過ぎたばかりの私には、
その極端なほどの幼稚な媚態は若さへの冒涜に映った。


3年前、藤原竜也と鈴木杏のロミオとジュリエットを観て、
やっと決定版に出会えたと思った。
若さの情熱で生を駆け抜けていく恋人たちの姿は、
等身大のふたりにぴたりとはまった。


でも、と思う。
ロミオの藤原竜也はそのままに、
ジュリエットは芸の力で見せる女優で見たかった気もする。
たとえば、宮沢りえとか、毬谷友子とか。


その人の存在感や雰囲気、実力によっては
役柄と実年齢のギャップは十分に飛び越えられる。
逆に、年齢を重ね、芸を深めてこそ、
余計なものがそぎ落とされ、感性も研ぎ澄まされた
シンプルな芸の力を見せてもらえるのではないか、と思う。


そんなことを今朝の日経新聞の記事を読んでふと思った。
女優の森光子さんが87歳にして新作に挑戦するという。
いまだに刺激を求め続け、一方でどんどんシンプルになっていく大女優の姿が
そこにはあった。


年を重ねるに伴って余計なものを抱え込んでいくのか、
または自分の軸を見極め、シンプルになっていくのか。


私は後者でありたいと思う。

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2007-09-28

「ヴェニスの商人」に思うこと

「ヴェニスの商人」はずいぶん昔に一度観ている。


ある老舗劇団によるものだが、
どんな舞台だったかほとんど記憶にない。
ひいきの俳優の出番以外は
つぁらつぁらーっと流して観ていたような気がする。


そんなだったから、
大体の筋こそ覚えていたものの
きのうは何の先入観も持たずに劇場に足を運んだ。


一方、一緒に行った息子は
夏の初めぐらいにアル・パチーノ主演の映画で「ヴェニスの商人」を観ている。
ジョセフ・ファインズが出ているこの映画、
いつか観ようと思っていながら息子に先を越されたわけだが、
「なんだかやたら暗い映画だった」というのが息子の感想。


さて、きのう観た舞台。
そもそも正親さんがシャイロックを演じるということからして
おもしろくないわけがない、という期待感はあった。


いやいやなんの。
期待以上の素晴らしさだった。
うまい役者揃い(正親さん、たっちゃんはもちろんのこと、
おなじみの西岡徳馬さんも、すごく好きな横田栄司さんも、
はじめて観た寺島しのぶさんも、みなうますぎる)だったことも大きいし、
独特の解釈がおもしろかったこともあり、非常に堪能した。


それにしても、
「ヴェニスの商人」ってこんなにもメッセージ性の強い芝居だったんだ。
あまりにも強い力で訴えかけられ、時に胸が苦しくなるほど圧倒された。


なぜ人はこんなふうに他者を差別するんだろう。
どうして「違う」ということで人は偏見をもつんだろう。
何の権利があって人は他者の心や魂を束縛しようとするんだろう。


なんて残酷で、なんて悲惨な。
シェイクスピアの時代もいまも変わらない人の性。


誰でも自分らしくありたい、自分らしく生きたいと願う。
それが公序良俗に反しない限り、その願いは守られてしかるべきものだ。


心も魂もその人自身のものであり、誰か他者のものであるはずもない。
心と魂の自由を他人が束縛していいはずなどない。


シャイロックの悲しみが私の胸を突き刺した。

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2007-09-27

「ヴェニスの商人」の藤原竜也

天王洲に「ヴェニスの商人」を観に行った。


市村正親のシャイロック、藤原竜也のバサーニオ、
寺島しのぶのポーシャ、西岡徳馬のアントーニオ。
9ヶ月ぶりの「たっちゃん」の舞台である。


やっぱり藤原竜也は舞台でこそ魅力を全開にする。
それも、シェイクスピアがいい。
私の個人的見解に過ぎないかもしれないが、
藤原竜也はシェイクスピアにはまるなぁ、とつくづく思った。


必然的に早口にならざるを得ないたくさんのセリフを
彼は実に聞かせる。
ことばが決して上滑りすることなく、
ひとつひとつがいままさに彼の心から発せられたかのように語る。
詩的なフレーズも、大仰ないやらしさやわざとらしさなどみじんもなく
まるで歌のように聞かせる。


彼が舞台俳優として豊かな才能に恵まれていることを
あらためて実感させられた。


今回の舞台で特に見ものだったのは、
ポーシャに求婚するモロッコ大公とアラゴン大公を
藤原竜也がバサーニオと兼ねて演じていたことだ。


血にはやり剣をぶんぶん振り回す何事も大げさな黒人のモロッコ大公、
歯をがくがくさせながらしゃべるよぼよぼじいさんのアラゴン大公。
そのおかしさといったらなく、
「お願いだからもうこれ以上笑わせないで、いや、もっと笑わせて」
ってくらい笑った。
ここだけ映像をiPodに入れて毎日笑いたいくらい。


やっぱり藤原竜也はいい。
うまい。
「ヴェニスの商人」はできることならもう1回観たかったところ。


DVDにならないかな。

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2007-09-13

応援歌

むかしむかし、スタローンの「ロッキー」がヒットした時、
周りの男の子たちはみなロッキーにかぶれた。
気合いを入れるときはロッキーのテーマを聞くんだ、と
誰もが口を揃えていった。


そんなもんかなぁ、と男の子たちの熱狂を私は無関心に聞き流してたっけ。


私は「ロッキー」シリーズをひとつも見ていない。
見ていないくせに「ロッキーは男らしくない」という偏見があった。


どうして何かとすぐに「エイドリアーン」と恋人の名前を叫ぶんだろう。
なぜ自分ひとりでふんばってがんばろうとしないんだろうか、と。


「ロッキー」を見ていない私が
なぜそんなことを知っているんだろう、と不思議ではある。
断片的な情報から勝手に思い込んでいるだけなのかもしれない。


もしかしたら、ちゃんと見てみたら
それは誤解だったと判明するのかもしれないけど、
だからってわざわざ見る気にはならないんだな。


ただ、気合いを入れるために音楽を聴くっていうのは私もする。
特にこの頃は朝に必ず聴く曲がある。


F-BLOODの「SHOOTING STAR」。
藤井フミヤ・尚之の兄弟ユニットの曲。
フミヤ・作詞、尚之・作曲で、メインで歌っているのはフミヤ。
長野オリンピックの時、NHKのテーマソングだった。


私にとってこの歌は、目標を胸に前に進もうとする時、
まちがいなく力づけてくれる。


目標に向かって進むのは自分ひとり。
失敗や苦しいことだっていい経験。
願いをかなえるためにはとにかく前に進むだけ。


この歌をがんがんに聴くと力がみなぎって、
今日も一日がんばろう、という気になる。


私のいちばんの応援歌。

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2007-09-06

パヴァロッティ

あらしの夜に悲しい知らせを聞いた。
ルチアーノ・パヴァロッティが亡くなった。


キング・オブ・ハイC。
トランペットのようにきらめく高音。
張りと艶のあるのびやかな声。


大好きだった。


そもそも声楽を聴くようになったきっかけはプラシド・ドミンゴで、
私がテレビでドミンゴを知ったときにホセ・カレーラスも共に来日していた。
そのドミンゴとカレーラスがのちに「三大テノール」として一緒に歌うことになり、
もうひとりがパヴァロッティだった。


三大テノールの最初のコンサートはたまたまテレビで観たんだったと思う。
パヴァロッティのことはもちろんうわさに聞いて知っていたが、
ドミンゴばかり聴いていた私は
その時はじめてパヴァロッティの歌声に触れたのだった。


――なんてきらめくような声なんだろう。
それが第一印象だった。


その後、三大テノールのコンサートはビデオでほとんど観た。
日本でコンサートが行われたときには、
たいそう高額なチケットだったけど迷うことなくへそくりをはたいて駆けつけた。


三人とも声の持ち味も風貌も全く異なり、それぞれに大スターだった。
おそらくライバルでもあったはずの大スターたちが
ひとつの歌を三人のパートに分かれて和気あいあいと歌う様子は
思わず笑みがこぼれてしまうほど素敵なものだった。


パヴァロッティが得意の高音を長々と伸ばしてみせると、
ドミンゴとカレーラスも負けじと声を張り上げ応酬。
パヴァロッティは「やられたな」なんて顔して笑う。


ほかの人のパートなのに間違えて歌ってしまうのもパヴァロッティ。
またまた茶目っ気たっぷりに笑う。


三人の歌声を生で聴いたあの夜は、幸せで胸がいっぱいになった。


パヴァロッティが引退すると聞いたときにはやっぱり寂しかったし、
トリノ・オリンピックの開会式で「トゥーランドット」のアリアで登場したときには
鳥肌が立つほど感動した。


まさか、こんなに早く亡くなるなんて。


いままでありがとう、パヴァロッティ。

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2007-08-25

道化師!

ひさしぶりにジェフリー・バトルの公式ページをのぞいたら、
カナダのマリポサ・チャリティー・ガラで新しいショートプログラムを披露した、
とあった。


ほほう、どれどれ、と読み進むと、曲はオペラ「I Pagliacci」から、とある。


I Pagliacci! パリアッチ! 道化師!


私がはじめて好きになったオペラ「道化師」じゃないの。
30年前の中3の夏、何度繰り返し聴いたかしれない。


どの曲だろう。
あの曲だよね。
きっとそうだ。


勝手に独り合点しつつYouTubeで検索してみると、それらしいのが1件ヒット。
観客がきゃーきゃーいいながら携帯かなんかで撮影した実に粗い映像ながら
音楽は聞き取れたし、かろうじてジェフリーがすべっているのも見えた。


やっぱりそうだった。
もっとも有名なアリア、「衣裳をつけろ」。
名テノール、プラシド・ドミンゴの十八番のひとつだ。


14歳の初夏、私ははじめてオペラに夢中になった。
「NHKイタリア・オペラ」としての来日公演で、
演目は「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」
「シモン・ボッカネグラ」「アドリアーナ・ルクブルール」。
いま思えば、世界的に有名な錚々たる歌手たちが顔を揃えていたのだが、
当時の私には知る由もなかった。


テレビではじめて観たオペラに私は心をわしづかみにされた。
特に、「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」のプラシド・ドミンゴに。
ドミンゴのふくらみのある声が織り成す劇的なアリア。
涙を流さんばかりに歌う「衣裳をつけろ」に私は衝撃を受けた。


FMで放送されたものは録音し、テレビの再放送は必ず観た。
飽きずに何度も繰り返し聴き、聴く度に感動で胸が震えた。


あの曲でジェフリーがすべるんだ。
彼の叙情性があの曲にのるのかと思うと、楽しみでならない。


ところで、8回にわたって行われた「NHKイタリア・オペラ」の第1期・第2期の映像が
DVDとして発売されているのをはじめて知った。


私が観た第8期公演もDVDにしてくれないかなぁ。
絶対買うのに。

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2007-07-29

芝居は好き

子どもの頃からお芝居が好きだった。


ルーツは、小学校1年生の学芸会だろうか。
演目は「あわて床屋」で、
カニの床屋さんがあわててウサギのお客の耳をちょん、と切り落としてしまう、という
童謡そのままの劇だった。


いまでこそ学芸会はどんな役でも全員参加という風潮だが、
「あわて床屋」は先生に選ばれた児童だけが舞台に立てた。
セリフのある役が確か5名、合唱隊が10名くらい。
選ばれなかったほとんどの子どもたちは観客だった。


先生がどんな基準で選抜したのかわからないが、
私はセリフのある役に選ばれた。
おとなしいけど実は負けず嫌いだった私は、選ばれたことがとても誇らしく、
何より人前で演じられることがうれしかった。


2年生で転校した先の学芸会では、浦島太郎の乙姫様だった。
舞台大好きの私は、小学校3年生でクラブ活動が始まると迷わず演劇クラブに。
その後中学3年まで演劇クラブに所属し続けた。


中学では、全員強制参加のクラブのほかに演劇部も存在していた。
1年の時に文化祭で演劇部の舞台を観たら、主役の3年生のなんと素晴らしいこと。
こんな先輩のいる部なら、と入部した。


しかし、入部してみるとあの素晴らしい3年生は引退した後。
仕切っているのは当然ひとつ上の2年生ということになるが、
これが箸にも棒にもかからないほどへたくそだった。


江守徹さんの「ハムレット」に出会う前ではあったけど、
劇団四季のこどもミュージカルなんかは何度か観ていたから
私なりに「お芝居とは何ぞや」みたいなイメージがあった。
3年生の演技には心動かされたから入部したのに、
2年生の仕切る演劇部は私のイメージから程遠かった。


結局、私はほどなく退部した。


もちろんいまも芝居も映画もドラマも好きだが、へたくそな演者には耐えられない。
現代もののドラマでちょっといい感じの若手俳優が
時代劇に出たらセリフの語尾が息もれしてたりすると、
「ああ、基礎がなってないからなんだよなあ」なんて思って興ざめする。


その点、「風林火山」はうまい人揃いで見ごたえがある。
主演の内野さんがうまいのはいうに及ばずだが、
1回限りの役にもうまい人が配されていて心憎い。
今日は吉田鋼太郎さんが出てきた。
シェイクスピアの舞台そのままの、聞かせるセリフ回しに息子としびれた。


素材感も大事だけれど、演者はやっぱりうまくなくっちゃ。

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2007-07-18

言葉のプロ

ゆうべ、ゴールデンタイムにフィギュアスケートの番組を放映していた。
この季節にフィギュア番組なんて、ひと頃じゃ考えられなかったことだ。
すっかり人気が定着したということだろうか。


息子は、大好きなキム・ヨナが出場しているのでチャンネルを合わせてはいた。
合わせているというか、舘ひろし出演の「ぴったんこカン・カン」と2画面にして
キム・ヨナの登場を待っていた、というのが正しい。


「しゃべってるの聞きたくないし」と息子。
そうだね。
同感。


民放で放映するフィギュア番組は、どうでもいいしゃべりが多すぎる。
なによりうんざりするのは、滑走中の不的確な実況。
息子なんて、いままでにそのせいで何度もテレビに向かってキレている。


正しい情報や的確な表現を間合いをもって伝えてくれるなら
解説者なり実況者なりの存在意義もあるだろう。
でも、そうじゃないから見ている(聞いている)ほうはキレるのだ。
伝えるタイミングにしても語彙にしても、
「ほんとうにことばのプロなのか?」と疑ってしまうアナウンサーが民放には多すぎる。


大体、そんなにしゃべる必要があるんだろうか。
ラジオ中継じゃないんだから、見ればわかるのだ。
余計な解説抜きにじっくりと楽しませてくれてもいいんじゃないの、と思う。


私のiPodにはジェフリー・バトルの映像が何曲か入っていて、
お風呂にゆっくり入りたい時なんかは
湯船に浸かりながらエキシビジョンの「Go The Distance」を見たりする。
でも、解説がじゃまなのが口惜しい。


「悠然と楽しそうに滑ってますねぇ」とおっしゃるが、
ジェフリーの滑りに対して「悠然と」はぴったりだとしても
「楽しそうに」はどうもしっくりこない。
ぴたっとくる表現で伝えてくれないなら、コメントはいらないよ。


折りしもきのうの日経新聞夕刊に
NHKの刈屋富士雄アナウンサーのインタビューが掲載されていた。
刈谷さんは、アテネオリンピックでは男子体操の金メダル獲得と、
トリノオリンピックでは荒川静香選手の金メダル獲得を
名文句で実況したアナウンサーだ。


刈谷さんはおっしゃる。
「伝えるために大切なのはタイミング。
受け手の状況を考え、言葉を吟味する」と。


そのプロフェッショナルとしての心構えこそが、
「伸身の新月面が描く放物線は栄光への架け橋だ」
「オリンピックの女神は荒川静香にキスをしました」
という名文句を生んだのだろう。


概してNHKの実況は聞きやすい。
じゃまにならず、じっくり見ることができる。
他局のアナウンサーも、局のカラーもあるんだろうが、
第一に「受け手(視聴者)の状況」を考えて、プロとして「言葉を吟味」してほしい。
そう切に願う。

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2007-07-09

シェイクスピアの歌

きのうたまたま見た「パパとムスメの7日間」に江守徹さんが出ていた。
復帰なさったんだな、とほっとした。


しばらく前に病気で倒れたと聞いていて、
先月の新国立劇場の「夏の夜の夢」でキャストが変わっていたのも
たぶんそのせいだったのだろう。
江守さんが出るなら観に行こうと思っていたから、とても残念だった。


江守さんを観るなら、ドラマでも映画でもなく、もちろんバラエティーでもなく、
やっぱり舞台に限る。
シェイクスピアならなおのこといい。
(だから「夏の夜の夢」も観たかったのだ)


私にとって、江守さんとの出会いはそのままシェイクスピアとの出会いにつながる。
中学2年に観た江守さんのハムレットは衝撃的だった。
14歳の私はすっかり江守ハムレットのとりこになってしまった。
はじめにいいものに触れたからよかったんだろうな。
以来、シェイクスピアにも興味を持つようになった。


江守さんのセリフは、まるで歌っているようだった。
長く、時に説明的なセリフを一語一句はっきりとよどみなく、
それでいて歌っているかのように聞かせる。
(後に私は、藤原竜也でも同じ感慨を覚えて感激する)


でも、映画「恋におちたシェイクスピア」で原語のせりふを聞いたとき、
これこそほんものの歌だ、と思った。
やっぱりもともとのことばにはかなわないんだな、とも。


ひさしぶりに「恋におちたシェイクスピア」をDVDで観た。
ラブストーリーをほとんど見ない私が、これだけは例外的に好き。
公開時も3回くらい劇場に足を運んだくらい。


シェイクスピアの切ない恋と、「ロミオとジュリエット」が同時進行していく巧みさ。
また、全編にシェイクスピア作品のちょっとしたエピソードがちりばめられていて、
そういうところもたまらない。


以前なら、シェイクスピア役のジョセフ・ファインズにばかり目がいったものだけど、
あらためて見ると、グウィネス・パルトロウのなんと美しいこと。
気品あるたたずまいにも、知的な声にも、ただただうっとり。


そして、歌うようなセリフ。
なんて耳に心地いいんでしょう。


まさに歌だ。

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2007-07-03

偉ぶらない

指揮者のコバケンこと小林研一郎さんが出演した
課外授業~ようこそ先輩~」を見た。


この番組は、各界で活躍する著名人が母校である小学校を訪れ、
後輩(6年生)たちにユニークな授業をする、というもの。


コバケンさんはまず、
いわき市から子どもたちを池袋の東京芸術劇場に招いて
オーケストラのリハーサルを見学させた。
演奏するのは、ラヴェルの「ボレロ」。
この間私たちが家族で聴きにいったコンサートの、
まさにそのリハーサルだ。


「うううううぅぅぅぅぅ~ん」
タクトを振りながら頭を揺らし、うなるコバケンさん。
時折演奏者に向かって要望を伝える。
「~していただけませんか」といういい方で。


イメージした音が返ってきたのだろう、
コバケンさんは「素晴らしいです」と笑顔で答える。
「ありがとう存じます」とも。
演奏者からもふっと笑みがこぼれる。


コンサートにはまだ2回しか行ったことがないけれど、
曲の合い間やアンコールの時のトークに
炎のような指揮とは打って変わった物腰の柔らかさを感じたし、
聴衆にも演奏者にも惜しみなく感謝の気持ちを表す方だと思っていた。


67歳のコバケンさんが
年若い演奏者たちにけっしてことばを崩さない。
年齢に関係なく、演奏者に対する尊敬の思いが見てとれた。


誠実な方だなあ、と思った。
子どもたちにもその誠実さが伝わっていくのを見るのはとてもうれしかった。


ほんとうに素晴らしい人は偉ぶらない。
やっぱりそうなんだな。

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2007-06-04

受験時の支え

最近聴いてる音楽はほとんどクラシック(とTAP BOYSのプログラム)だが、
この前ひさしぶりにフミヤを聴いてみたらやっぱりいいね、フミヤ。


CDは何枚も持ってるのに、iTunesには1曲も入れてなかった。
もったいないよ、と息子に促され、それもそうだとインポート。
iPod専用の防水スピーカーでお風呂に入りながら聴くととりわけいい。
フミヤの独特の声が浴室で反響してきれいに伸びる。


そういえば、フミヤの歌にはずいぶん助けられたっけ。
社会保険労務士受験の苦しい時には特に。


うちの近くに学問の神様で有名な神社があるが、
受験勉強中、一度もお参りには行かなかった。
神頼みする以前に、とにかく勉強するしかないだろうと思っていたから。
社労士の受験勉強はひたすら暗記、暗記、暗記。
「だんだん見えてきた」とか「わかってきた感じ」とかいうのはなくて、
とにかく覚えたか、覚えていないか、ふたつにひとつ。


正直楽しくなかったし、楽しいはずもなかった。
勢いだけで社労士受験に臨むことになったものの、
「乗りかかった船だからあとには引けない」と思うのが私の性格。
とにかく意地でもクリアしようという一心で毎日早朝から自宅学習をした。
(この時ぐらいだね、5:30起きの生活してたのって)


いま思うと拒絶反応だったんだろう、よく顔面がぴくぴくした。
それに精神的にもずいぶん追いつめられていたのか、かなりぴりぴりしていたらしい。
(当時小学3年だった息子によれば「あの時はこわかった」)


そんな私を支えていたのが、家族と、そしてフミヤの歌だった。
それともうひとつ、ノルディック複合の荻原健司選手のポスター。


私の受験勉強時期はちょうど長野オリンピックをはさんでいた。
壁には健ちゃん(なれなれしくもそう呼ばせていただく)のオリンピックのポスターが
でかでかと貼られていた。
それは、健ちゃんのご実家のお店を訪ねた折にお母さまから「持ってく?」と
いただいたものだった。


すこしあごを上げて明日を見据えているような健ちゃん。
そのまなざしには決意と闘志がみなぎっていた。


私もがんばらなくちゃ。
勉強に疲れては、ポスターを見上げて決意を新たにした。
そして、フミヤの曲をがんがん聴いて気合いを入れなおした。
曲は、長野オリンピック・NHKのテーマ曲だった「SHOOTING STAR」。
(正しくは、歌っていたのはフミヤと弟・尚之のユニットで「F-Blood」)。


健ちゃんのポスターを見上げ、フミヤの歌を聴き、勉強した。
私だってきっと乗り越えられるはず、と自分にいい聞かせながら。


なんとか1回でクリアできたのは、健ちゃんとフミヤによるところが大きかったかも。

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2007-05-27

情熱のボレロ

コバケンこと小林研一郎指揮・日本フィルのコンサートに出かけた。
3月にサントリーホールで聴いて感激したのに味をしめ、
家族三人クラシックコンサートは今日が2回目。


プログラムは、「ビゼー:アルルの女」「サラサーテ:カルメン幻想曲」
「サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン」「ラヴェル:ボレロ」と情熱的な曲揃い。


圧巻はなんといっても「ボレロ」だった。
演奏のさまを目の当たりにしながら聴くことがこんなに刺激的だとは。
ベジャール振付の「ボレロ」を観るのと同じくらいの興奮だった。


「ボレロ」はなんたってリズムが命。
小太鼓が一貫して同じリズムを刻み続ける。
ただその小太鼓、音はすれども姿は見えず。
はじめのうち、どこで叩いているのかわからなくて、
オペラグラスで舞台上を何度もなめるように探した。(息子も夫もそうだった)


パーカッションは最後列にいるものだと思っていたのに、
小太鼓ふたりは木管と弦にはさまれたステージの真ん中でリズムを刻んでいた。


向かって左の女性が
表情を変えず職人の手仕事のようにスティックを動かしているのに対し、
右側の男性は対照的だった。
彼は歌っていた。
小太鼓を叩き続ける上体も、表情も、まさに歌っていた。


そこから先はほとんど小太鼓の男性に視線が釘づけ。
同じリズムと同じメロディが延々と繰り返されながら
音楽全体がどんどん高揚していくのと同時に、彼の歌も熱を帯びていく。
それはまさにジョルジュ・ドンの踊りと同じだった。


音を紡ぎだすことと歌うこと、踊ることはみんな一緒なんだな、と思った。
3月にも大感激してそう思ったけど、やっぱりそうだ。


ふと指揮のコバケンさんに視線を戻すと、コバケンさんも情熱的に踊っていた。
比喩でもなんでもなく、踊るようにタクトを振っていた。


コバケンさんの踊りと、ベジャールの振りには通じるようなものがあるな、と思った。
ドンが踊るベジャールのボレロを16歳の終わりに観た時には衝撃的だったけど、
革新的に思えた振付が実は音にとても忠実で素直だったんだ、と
なんだか大発見をした気分にもなった。


素晴らしかったな、オーケストラ。
コバケンさんの人間性あふれる指揮も好きだ。
そしてもちろん、今日のスター、小太鼓の遠藤さんも。

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2007-05-17

ロボとおっかさん

ドラマ「セクシーボイスアンドロボ」がおもしろい。
織田裕二&大竹しのぶの「冗談じゃない!」もいいけど、
「セクシーボイスアンドロボ」のほうが好きかもしれないなぁ。


なんといってもロボを演じる松山ケンイチがいい。
「デスノート」のミステリアスなLもよかったが、
そのLから全く想像がつかないほどのロボのおバカぶりがたまらない。
とにかく「ここまでやる?」と思うほど毎回へんてこりんで、
ひぃひぃ笑わせられる。
(笑ったついでに「マックスビーッムッッ!」とものまねも)


セクシーボイスの中学生・ニコの大後寿々花も存在感があってうまい。
それから、謎の組織の浅丘ルリ子なんて
あらためて「このひと、すごい女優なんだ」と認識させられたりして。
うまい人ばかり出てるのもおもしろさを際立たせてるんだね、きっと。


ドラマは一話完結型で、これまたうまい役者が毎回ゲスト出演する。
(第5話だけは唯一そうでもない気がしたけど)
前回第6話にいたっては、白石加代子がロボの母親役で出てきた。


白石加代子といえば、圧倒的なまでの存在感を放つ「怪優」と呼ぶにふさわしい人。
藤原竜也の舞台デビューとなった「身毒丸」では彼の母親役を演じているが、
DVDを買っておきながら実はいまだに観ずにいる。
白石加代子のおどろおどろしさが怖くて、
体力・気力が充実している時でないとまいっちゃうなぁ、
と思ってるうちにのびのびになっちゃって。


そんな先入観があったので、「ロボの母親!?」とびっくりたまげた。
がしかし。
さんざん笑わせておいて、
「こんなお母さん、理想的!」と思わせてしまうところはさすが。
こういうお母さんいいなぁ、私もこんなふうにありたいなぁ、と思ったものね。


まず、さばさばしてておおらか。
どうだのこうだのいいながら、息子の本質を見抜いて認めてる。
それから、これがいちばんのポイントだけど、肝が据わってる。太っ腹。
おっかさんたるもの、こうでなければね。


こんなおもしろくて、ハートフルなドラマがどうして視聴率低いんでしょ?

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2007-05-14

Go the Distance

結局観に行くことのなかったフィギュアのジャパンオープン。
あとで息子と好みのスケーターだけ録画で見た。


彼にとっては、キム・ヨナの出場がキャンセルになってしまったので
行かなくて正解だったわけだが、私はガラを観てもよかったかな、とちらり。
どのみち、日程として無理だったんだけどね。


ジェフリー・バトルの「Go the Distance」はほんとうに美しかった。
「もしこの曲で踊るなら、こんなふうに音に気持ちをのせたい」
というイメージをそのまま表現できる人。
からだ全体に詩情があふれていて、実に素晴らしい。


また、曲もいいものね。
「Go the Distance」はとても好きな曲で、日本語でなら空で歌える。
確かディズニー映画「ヘラクレス」の主題歌だったはずで、
日本語版を歌っていたのは藤井フミヤ。
フミヤはいい。
(私が歌う時も、できる限りフミヤっぽく歌う)


同い年のフミヤがチェッカーズでデビューした時は全く興味がなかったけど、
ソロ活動を始めて以降、何かのきっかけで好きになって夢中になった。
CDも買って、毎日聴いて、毎日歌っていた。


ちょうど「Go the Distance」がヒットしていた頃、
息子の通うダンススタジオにブラジルから若いダンサーが来ていた。
まだ少年の面影を残す二十歳そこそこのダンサー。
ちいさかった息子は、彼を慕ってことばが通じないながら心を通わせた。


彼の踊りはしなやかで、繊細だった。
情感にあふれていて、見るものの心をとらえる魅力があった。
私はスタジオの階段の暗い踊り場から飽きることなく彼の踊りを見つめた。


ある時、彼が「フミヤって知ってる?」と私に聞いた。
そして、日本語で「Go the Distance」を口ずさみ始めた。


もちろん。だって私もフミヤは大好きだもの。CD貸してあげる。
CDと一緒にベジャールのビデオも貸した。
ベジャールをはじめて見た彼はとても興奮して
ベジャールの素晴らしさについて語ってくれた。


いまごろ彼はどうしているだろう。
世界のどこかで踊っているだろうか。


「Go the Distance」に久々に出会い、
繊細な魅力にあふれる人たちを思った。

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2007-05-11

憧れた人

この間、友人に「好きなダンサーって誰?」と聞かれ、
とっさに答えられなかった。
最近バレエに関しては「絶対○○の舞台は見逃せない!」
なんてふうに執着していないからかも。


ただ、あとでよく考えてみたら、活躍中のダンサーなら
牧バレエ団の菊地研くんが好きだな。


彼をはじめて舞台で見たとき、ひとめで心を奪われた。
ノーブルでありながらほのかな色気をはなつ彼の踊りは
ほかの誰よりも際立っていた。
ほんとうは彼の舞台、欠かさず観たいと思うくらい。


そういえば、高校時代はミーシャに熱狂してたっけ。
ソ連から1974年に西側に亡命したミハイル・バリシニコフ


この世のものとは思えないダイナミックな跳躍と正確な回転、
そして、なにより彼はたまらなくセクシーだった。
(セクシーさで惹かれたのは後にも先にもミーシャだけ)
純情なバレエ少女は、ミーシャ見たさに何度映画館に足を運んだことか。
彼が踊る「愛と喝采の日々」は何回見ても素晴らしかった。


それほどまでに憧れるミーシャ、できることなら生で観たいと思うのは当然だ。
その夢は10年近く後、1986年に実現することになる。


舞台に立っているのは、まぎれもなくミーシャだった。
とうとう夢がかなって私は感動していた。
しかし一方で、自然とわきおこる別の感情を無理やり押し込めてもいた。


自分では認めたくなかったが、実のところすこしがっかりもしていたのだった。
ミーシャは「愛と喝采の日々」の時のようにはもう跳んだり回ったりしなかったから。


ああ、もうすこし早く生で観たかった。
それが正直な気持ちだった。
跳躍や回転以外の彼の純粋な芸術性に触れるには、私はまだ若すぎた。


同時代に生きながら、全盛期の姿を生で見ることができないほど
残念なことはない。


ジェフリー・バトルはやっぱり生で観なければ。
スケートのシーズンは終わってしまったのに、いま猛烈にそう思いはじめている。
できることなら、カナダに行って観たい。


夢は大きく。

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2007-04-15

切り取られた一瞬の美しさ

ちょっと大きな書店に行くと、
何種類ものバレエ雑誌が平積みになっている。
CDショップに行けば、世界中の有名なバレエ団のDVDが並んでいる。
私の少女時代とは比べものにならない情報量。
隔世の感がある。


バレエ少女だった頃、公演のプログラムは宝物だった。
海外のバレエ団のプログラムは立派な装丁で、
さながら美しい写真集だった。
それを飽きることなく何度も何度も眺めては、
写真のバレリーナと同じポーズをとってみた。


夜寝る前には、写真の中でいちばん美しい手先や爪先を思い浮かべながら
ベッドのライトに手や足をかざして研究した。
壁に映った手先や爪先の影絵がバレリーナのと同じになるように、
横たわったままライトの前で手足をひらひらさせた。


一瞬が凝縮された舞台写真は何度見ても胸が躍った。
それに対して、カメラを意識してポーズをとった写真は
どんなに美しくても子ども心につまらなく感じた。
空中で静止しているかのようなジャンプ、
重力を感じさせないアラベスクの写真は
流れる動きの一瞬を切り取っているからこそ美しいのだった。


こんなことを思い出させたのは
フィギュアスケート選手ジェフリー・バトルの競技中の写真だ。


私はフィギュアスケートのことは詳しく知らないし、
バレエ的視点で楽しんでいるから
優れたバレエダンサーのごとく踊るように滑っている選手が好きだ。
男子ではジェフリー・バトルが筆頭。


彼の音楽性からくる動きのなめらかさには映像を見るたびにため息が出るが、
写真を並べて見てみると、あらためて彼の形の美しさに舌を巻く。


どこを切り取られても、美しい。
腕を上げる角度、顔の向き、足を上げるときのからだの位置、などなど
気持ちがいいほどきれいなのだ。
素晴らしい。


むかし、舞台の後で先生にいわれたことを思い出した。
「アナタは時々きれいなラインになるのよ、時々ね」
先生は笑ってらした。ほめことばだと受けとった。
きれいなラインを「時々」から「いつも」にしたいものだと思った。


ジェフリーは滑っているとき「いつも」美しい。

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2007-04-07

ジャパンオープン?

京劇が6月末から来日する。
京劇西遊記―火焔山―」だって。ご存知孫悟空。


京劇は子どものころにテレビの舞台中継で観たことがある。
役者の身の軽さや動きのキレ、メイクや衣装の鮮やかな色彩、
独特の発声なんかに目を丸くしながらすごくおもしろいと思った記憶がある。


「観に行かない?」と息子に声をかけたが、のってこない。
「んー、そのお金があったらフィギュア観たい」とつれない返事。
でもさ、世界フィギュア観たから思い残すことないっていってたじゃない。
それに、アイスショーは好きじゃないんでしょ。


そしたら、ゴールデンウィークのアタマに「ジャパンオープン」があるという。
なんでも、日本・北米・欧州の3地域対抗戦なんですと。
プロ・アマ問わず、男女2人ずつの計4人で戦う団体戦らしい。
そういえば、去年もやってたっけ。


「ジェフリーが出るよ」


え?ジェフリー・バトルが?
「キム・ヨナもエキシビションで出るんだって」
ほう、キム・ヨナも。


「ジェフリーが出るんだったら観てくれば」と夫。


そうだねぇ、どうする?息子。
キム・ヨナも観たいからエキシビ?


かなり心が揺らいだ私に、けしかけておきながらまたしても息子はつれない。
「でもさぁ、チケット高いんだよね」


あら、ほんと。SS席20,000円、S席17,000円、A席14,000円、…
オペラ聴きに行けちゃうよ。


よくよく心を落ち着けて料金やら出場者やら前後の予定やらを吟味する。
確かにジェフリーは観たいし、エキシビのキム・ヨナも観たい。
でも、ほかの出場選手はどちらかというと好みでない選手のほうが多い。
それに、もしジェフリーが体調不良で出られなくなったら泣くに泣けない。
ジェフリー以外にも好みの選手が何人も出るなら迷わずGOサインなんだけどな…


ん、テレビで我慢することにする。
「そうだね」と息子もあっさり。


仙台の友だちに「東京に住んでるといろんなものが観られていいよね」
とうらやましがられたことがあるが、一概にそうともいえない。
誘惑は多いけど、お財布と相談して涙を呑むことも多いんだから。

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2007-03-29

永久保存版

世界フィギュアを生で観て、
「もう思い残すことなく受験勉強に専念できる」
と静かに宣言した息子。


だがしかし、宣言後も彼は何かと忙しい。
世界フィギュアの録画映像を永久保存版にすべく編集したり、DVDに移したり、
はたまた携帯に移したり、私のiPodに移したり。
自分の携帯の動画と私のiPodの動画を見比べて
「ああ~、やっぱりiPodのほうがキレイだなぁ」とため息ついたり。
(彼のiPodは一世代前なので動画が入らないのである)


努力の甲斐あり、いま彼の携帯の待ち受け画面はキム・ヨナになった。
ショートプログラムのワンショット。
赤と黒と紫のコスチュームに身を包んだ華奢な彼女が妖艶にほほ笑んでいる。


キム・ヨナは鳥肌が立つほど美しかった。
そのキム・ヨナのショートを息子は勉強の合い間に携帯を開いて見入っている。


シーズンはじめは村主さんのフリー、
昨シーズンは真央ちゃんのショートとサーシャのショートがお気に入りで
繰り返し観ていた息子だった。
それがいまやキム・ヨナが取って代わった。


わかる。
キム・ヨナは文句なく素晴らしい。
ちいさい頃からバレエの舞台になじんでいた息子だったら当然そうくる。
私もそうだもの。
(サーシャ・コーエンもバレエ系の人。ただ、今シーズン滑らなかったのは残念)


いいよねぇ、いまは。
こうして映像や画像を自分で保存して楽しめるんだから。
もし私が息子の年代で、同じ手段を持っていたらやっぱり同じことをしただろう。


私だったら、20世紀バレエ団のミシェル・ガスカールだな。
はじめて彼を観て、心をわしづかみにされた「恋する兵士」を永久保存版にする。
そして何度も観ながら真似して踊ってみる。


憧れたなぁ、ミシェルの踊り。
次は男に生まれ変わってミシェルみたいに踊りたい、と本気で思ったほどだった。
(いまはすっかりおぐしが薄くなったミシェル… 時は残酷だ…)


この間、息子がぽつりといった。
「女に生まれてくればよかったかな、とちょっと思う」


聞けば、つまりは私の逆。
キム・ヨナみたいに表現できたらいいのに、と思ってだって。


一瞬ぎょっとした母をお許しください。

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2007-03-27

サインと書くもの

息子は世界フィギュアを観戦に行った時に
アメリカのペア、ジョン・ボールドウィン選手(パートナーは井上怜奈選手)に
サインをもらった。


整氷時間に自販機を探していたら人だかりを発見したのだという。
ん、これは、とピンときた息子、すぐさま人だかりに接近。
手に持った手帳とペンをささっと差し出すと、
ボールドウィンさんにサインしてもらったそうだ。
一緒にいたNちゃんと姪御さんは、
書くものを持参していた息子にいたく感心したらしい。


そう。
バレエでも、お芝居でも、何かを観に行く時はかならず書くもの持参。
それが私たちのお約束。
だって、素晴らしいパフォーマンスを観た後にもしもその演者に会えたら、
やっぱり記念にサインがほしいもの。


思えば、その習慣の歴史は長い。
振り返れば、私の子ども時代までさかのぼり、
その後息子に伝授され、いまに至る。


バレエ少女だった私は、
海外(ほとんどが旧ソビエト)のバレエ団の公演を観終えると
きまって楽屋口で出待ちをしたものだ。
興奮さめやらぬ小学生の女の子が瞳を輝かせてサインをお願いすると
たいていのダンサーはにっこりほほえんでサインしてくれた。


20歳前後の頃には、
現代バレエの巨匠と名高いモーリス・ベジャールに傾倒した。
彼の作品と、彼率いる20世紀バレエ団(現在はモーリス・ベジャール・バレエ団)に
すっかり魅せられ、来日公演は時間とお金の許す限り足を運んだ。


もちろん、ドキドキしながら出待ちをし、憧れのダンサーたちにサインをもらった。
私の永遠のダンサー、ミシェル・ガスカールにも、
デビューからまだ日の浅かったジル・ロマン(いまはベジャールの右腕的存在)にも、
この時にサインをもらっている。


でも、ベジャールその人と、
ベジャール作品の最高の表現者であったジョルジュ・ドン(彼の「ボレロ」は
あまりにも有名)のサインはない。
もらえなかったのだ。


彼らは私の目の前を通り過ぎていった。
とりわけ速かったわけではないし、誰かにガードされていたわけでもない。
サインをお願いします、と声をかけようと思えばできないことはなかった。
ベジャールも、ドンも、威圧的ではなくむしろにこやかでさえあった。


でも私は声をかけられなかった。
なぜなら、私にとってベジャールもドンも神様だったから。


その後ドンは嘘みたいに早く逝ってしまったが、
ベジャールはいまも巨匠として世界に名を馳せている。
もしいま目の前にベジャールが現れ、私に書くものがあったとしても
やっぱりサインはもらえない。

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2007-03-21

美しいスケーター

きのう開幕したフィギュアスケートの世界選手権。
昨シーズンすっかりフィギュアの虜になった息子は
土曜に女子のフリーを観に行く。


私もカナダのジェフリー・バトル(トリノオリンピック銅メダリスト)が絶対に出る、
というんだったら男子を生で観たいと思った。
ジェフリーが出ないならテレビで十分だけど。
結果的にジェフリーは出場することになって、
生で観られたらどんなに感激したことだろう、とちょっぴり残念な気分。


フィギュアスケートを観るのは子どもの頃から好きだ。
でも、むかしからなぜか女子より男子のほうが好き。
どうしてなのか自分でもよくわからない。
それでも無理やり分析してみると、男子の迫力に惹かれてかな。
それと、女子は「バレエのほうがもっとキレイ」と思ってた節があるかも。
(むかしはいまみたいにバレリーナ並みの美しいスケーターって少なかったから)


さて、その男子のショートプログラムをテレビで観た。
注目選手は第一にジェフリー・バトル。
あとはアメリカのジョニー・ウィアーとエヴァン・ライザチェック、
日本の高橋大輔くんと織田信成くん。


たぶん私はフィギュアをスポーツとして観ていなくて、
「このスケーターが氷の上じゃなく舞台の上に立っていたらどうか」
というのが良し悪しの判断基準だ。
だから、ジャンプがじゃかすか跳べても芸術的美しさを感じなければ興味なし。


その点、ジェフリー、ウィアー、ライザチェックの3人は
バレエダンサーとして観てみたい、と思わせる魅力的なパフォーマンスをする。
舞台の上でも彼らはすごく素敵に踊ると思う。


よく表現力、表現力、といわれるけど、
表現力をもっとも表す叙情性のある腕の動きとか、首の使い方って
天性のセンスによるところが大きいよね。
それと音楽性もそうだろうな。
教わったり訓練したりしてそう簡単に身につくものではないと思う。


そういう意味でも、ジェフリーの美しさは群を抜いている。
今日のショートもそうだったし、いつ観てもため息がもれる。
クラシックでもジャズでも音とひとつになって体現する豊かな音楽性。
何気なく腕を振り上げた時に気持ちよくはまるポーズ。
どこを切り取っても美しい流れるようなフォーム。
彼の表現はもう芸術の域だ。


ジェフリー・バトル、ショートの結果は2位。
結果がよければそのほうがうれしいに決まってるけど(スポーツだからね)、
とにかく彼の美しいスケートが何よりうれしかった。


ほんとうにいいものを観た。

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2007-02-24

時の流れ

3日ぐらい前、テレビに荻原兄弟が出ていた。
ふたりして故郷・群馬の温泉につかって楽しそうだった。
けんちゃん・つんちゃんが揃って出てるのを見るのは
久しぶりのような気がする。


キング・オブ・スキー、荻原健司。
1992年アルベールビルオリンピックで
ノルディック複合団体の金メダルを取って以来、私は彼の大ファンだ。
2年後のリレハンメルオリンピック(夏季大会と開催年をずらすため
ここだけ2年間隔)でふたたび金メダルを取った時は
草津の実家まで押しかけていったほど。


偶然なんだけど、その当時は休暇というとよく草津に行っていた。
草津って健ちゃんの出身地だよね!?と思い、
ホテルで確認すると「実家はご商売をしている」という。
もちろん、どきどきしながらも即!お店へ。
それが縁で、荻原兄弟のお父さん・お母さんとは
今もおつきあいさせていただいている。


アルベールビル、リレハンメルの金メダルで
健ちゃんは日本中の人が知る有名人になった。
その一方で弟の次ちゃんはしょっちゅう健ちゃんに間違われ、
しまいには否定する気にもならず兄・健司のサインをしていたという。


それが、いまや若い世代には次ちゃんのほうが有名のようで、
健ちゃんはそのことに少なからずショックを受けたらしい。
私も息子の友だちに「荻原健司、って知ってる?」と聞いて首を傾げられた時には
これが時の流れか…とちょっと寂しく感じたものね。


それにしても、一卵性の双子なのにこのふたりはほんと違うなぁ、と思う。
むかしから違うと思ってたけど、久しぶりに揃ってるところを見たら
顔も声もますます違ってた。
健ちゃんは顔がお母さんに似てきたし、
次ちゃんにいたってはしゃべり方がお父さんにそっくり。


おもしろいもんだねぇ。
同じ両親から、それも同じ受精卵から生まれてきた双子なのに
こんなに違うなんて。
新しい物好きで社交的な弟と、
修行僧のように黙々と目標に突き進んでいくストイックな兄。
性格もまるで違う。
不思議なものだと思う。


そんなふたりも、すっかり落ち着いた雰囲気になっていた。
これも時の流れね…

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2007-01-23

宣伝活動

ちいさい時に「Shall we ダンス?」で一目ぼれして以来、
ずーっと草刈民代さんのファンである息子は
たまに民代さんとメールのやりとりをしている。
(なんという役得。ちいさな男の子のファンなんて、彼くらいだったからね)
で今回、息子は民代さんから周防さんのアドレスを教えていただいた。


観て、胸に感じ入るものがあれば、直接ご本人に伝えたい。
息子も私も、さっそく「それでもボクはやってない」についての思いをしたため、
メールを送った。


息子にも私にも、すぐにていねいな返信が届いた。
生番組出演後の深夜。お疲れだったろうに、と恐縮した。


「一人でも多くの人に、この映画を見てもらいたい。
今はそれしかありません。」


周防さんはそう綴ってらした。


「仙台にもいらしてたわよ」と母がいうとおり、公開前には周防さん自ら
全国あちこちを宣伝に回ってらしたようだ。
また、アメリカでもプレミア試写会をしたかと思えば、
バラエティ番組に出演して素顔も披露し、
とにかく精力的に宣伝活動をしてらっしゃる。
25日からはイギリスで試写会をするために2泊で行ってくるんだとか。
それもみな、「一人でも多くの人に見てもらうため」だ。


そうだよね。
どんなに熱意を込めて作っても、どんなに素晴らしい作品でも、
見てもらわないことにはないのと同じ。


本だってそう。
手にとってもらわなければ、読んでもらえなければ、
本としての存在意義はない。


自分はどうだったかな。
自分の書いた本をひとりでも多くの人に読んでもらうために
手を尽くしたかな。


私も「ひとりでも多くの人に読んでもらいたい」という思いは強かった。
そのためにいいと思うことはやってみたつもり。


でも、いま思うと必死さが足りなかったかも、とすこし後悔している。
ひとりでも多くの人に読んでもらうためのアイデアを
もっともっとたくさん出して、やれることはやり尽くす!ぐらいに
やってもよかったな。


もし次に本を書いたら必ずそうする。

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2006-12-30

iPodで動画

私のiPodでは動画が見られる。
ただし自分で動画を入れればの話。
(あたりまえだね)


容量が60GBあるから、音楽を入れても入れても余裕しゃくしゃく。
いまのところ3586曲入ってるものの、
(といってもそのうち1/3くらいは音楽以外。英単語とか朗読とか)
空き容量は50GB近く。
この状態なら動画も好きなだけ入れられそう。
(さすがにiPodのちいさな画面で映画1本観ようとは思わないけど)


買った当初から「動画入れればいいのに~」と息子にいわれていた。
(ちなみに彼のは前のタイプだから動画に対応していない)
「空き容量いっぱいでもったいないじゃん」と。


でもね、別に入れたいものもないんだからいいじゃない、と思っていた。
TAP BOYSのDVDができるまでは。


そうだ、TAP BOYSの動画を入れよう。
息子がDVDを作成し、そのDVDを何度も何度も観た後に思った。
いや、入れたい。ぜひ入れなければ。
でも、どうすれば入れられるんだろう?


試行錯誤した。
画像は入れられた。お、なかなかきれいに見られるじゃない。
しかし、DVD→iTunes→iPodはどうすればいいのかさっぱり。
一応ネットで調べてみたが、わからないのとめんどくさいのとでお手上げ。


あー、iPodにTAP BOYS入れたいなぁ。
iPodをささっと出して、「これ、TAP BOYSです」って自慢したいなぁ。
(って誰に? 単なる親バカ、振付師バカ)
ずーっとそう思ってるだけで、時間が過ぎた。


でも、もつべきは息子。
今日息子が入れてくれた。
彼もやり方はわからなかったんだけど、見当つけてやってみたらできたらしい。
やったー。


「今度『消臭プラグ』も入れてあげるね」と息子。
エステー化学「消臭プラグ」のCMを見れば、
どんなに気分がブルーでも大笑いして元気百倍になれる私。
(文学座の今井朋彦さんが殿様姿で歌い踊る、それは素敵なCMなのだ)
息子はそんな私のためにわざわざ録画し、何度も見せてくれるのだが、
今度は自分のiPodで見られるのね。楽しみ。


じゃ、もうひとつ入れてもらいたいものが。
「のだめ」最終回のコンサートシーンもぜひ入れてください。
お願いします。

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2006-12-29

がっかり

村主章枝選手は4位。
フィギュアスケート全日本選手権の結果に息子はがっくり肩を落とした。
3月に東京で行われる世界選手権への切符を彼女は手にすることが
できなかった。


息子はその世界選手権を見に行く。
昨シーズンからフィギュアスケートのファンになって以来、
世界選手権を見に行くのが彼の夢だった。
そして、何より見たかったのが村主さんだったのだ。


昨シーズンは真央ちゃんの「カルメン」が好きだったようだが、
今シーズンのお気に入りは村主さんのフリー「ファンタジア」。
NHK杯の録画を何度も繰り返してみるほどのはまりよう。


今回の村主さんはなんだか冴えなかったよね。
仕方ないよ、調子には波があるから。
まあね、アナタもがっかりだけど、ご本人がいちばん悔しいはずだよ。


「あ~あ、サーシャも出ないし」


そうだね、いちばん大好きなアメリカのサーシャ・コーエンは
世界選手権に出る気まったくないんだものね。それは私もがっかり。
でも、韓国のキム・ヨナは出るでしょ? 
ケガで欠場、なんてことがないように祈ろう。
たとえ出場が決定事項であっても、からだを動かす性質上
思いがけなくそれが取り消されることって起き得るから。
前にもそれで残念な思いしたことあったよね。


3年前のことだ。
草刈民代さんの「眠りの森の美女」を観に行くことにした。
チケットはS席、オーケストラボックスからほど近いど真ん中の席。
バラの花が匂い立つような彼女のオーロラ姫を存分に満喫するには
願ってもない席が取れた。
ところが公演を間近に控えたある日、息子に民代さんからメールが来た。


「ごめんなさい。ケガをして出られなくなったの」


えぇーっ。
あんなに楽しみにしてたのに。


さんざんがっかりした後、思い直した。
ケガをして踊れない民代さんご自身がいちばんつらいはずだよね、と。
気を取り直して劇場に出かけた。
代役は当時新進気鋭で人気急上昇中の上野水香さん。
「んー、彼女がオーロラ?」と実はあまり気乗りしなかったけれど。


さて、ベストポジションで観る上野水香さんのオーロラ姫。
正直ちっとも楽しくなかった。
当時、中性的で無機質な踊りに定評のあった彼女がオーロラを踊ると
バラの香りではなく青竹の匂いがした。
つまんない。
民ちゃんだったらかぐわしいバラの香りで劇場を満たしてくれたはずなのに。


でも、そういうことってあるのだ。
息子よ、村主さんのことは残念だったけど、数々の選手たちの超絶技巧を
生で味わえるのは貴重な体験。
そう思って気を取り直して。

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2006-12-16

距離感のなさ

きのうの「ロープ」のパンフレットに
野田秀樹と中村勘三郎の対談が載っていた。
対談の中で勘三郎氏がある芝居を観に行った時の話をしている。


あまり面白いとも思えないその芝居にお客たちは両手を上げて拍手をしていた。
それを見た柄本明がいったそうだ。
「あの手を鎌で刈ってやりたい…」


激烈。


だがしかし。
野田氏と勘三郎氏は憂えるのだ。
最近は何でもかんでも拍手して立ち上がるようになった、と。


確かにね。
とくに人気俳優が出ていたり、作品そのものに根強いファンがいたりすると
その傾向は強いかもしれない。


前に「レ・ミゼラブル」を観に行った時、
私たち一般客とコアなファンとの温度差を強く感じた。
周りにいた“レミゼ”ファンは、誰が出てきても何を歌っても大喜び。
私自身は、期待が大きかった分思ったほどでないことに落胆していたのに。
単に好みの問題かもしれないとも思ったが、その一方で
「ああ、こんなにまで愛してくれるファンたちにこの舞台は支えられてるのね」
と気持ちは醒めていた。
そういう観方を否定はしないけど。


藤原竜也出演の舞台を観に行くと、その手の観客は多い。
きのう私のとなりにいた中年女性も彼の一挙手一投足に激しく反応していた。
ぐっと身を乗り出したり(前から3番目の席なのに)、
両手で口を覆って息をのんだり。
「藤原竜也命っ!」って感じなんだろうな。


その気持ちはわからないではないし、
お金を払っている以上どんな想いで観ようとそれぞれの勝手だ。
(かくいう私も藤原竜也のファンだし)


だけどね。
なんか違うな、と思うのだ。
それって芝居に対する冒涜じゃないの。
その舞台がいいものであればあるほどそういう観方は邪道じゃないの、と。


野田秀樹がパンフレットの冒頭に書いている。
「距離感のないことが嫌い」で、
「距離を失った熱狂というのは、厄介なもの」だと。


読んでまったく同感だと思った(全文を紹介できないのが残念)。
レミゼならなんでもよくて、藤原竜也ならなんでもOKという距離感のなさは
やっぱりこわいと思うのである。

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2006-12-15

NODA・MAP「ロープ」

野田秀樹が才能ある人だということは
ずっと前から何度も話に聞き、あれこれ読んで知っていた。
彼の主宰していた「夢の遊民社」がどれだけ人気を博していたかも
リアルタイムで知っていた。
でも、実際に観たことはなかった。


今夜、はじめて野田秀樹の舞台を観た。
野田秀樹作・演出「ロープ」。


ただただ野田秀樹の作り手としてのすごさに圧倒された。


2時間電話し続けてチケット取った甲斐があった。
その一方で、20年以上も野田秀樹を観ずにきたことを後悔した。


役者たちの躍動感、とびかう生きたことば、どれもすばらしい。
プロレスのリングが舞台になっているだけに、
彼らの軽々とした身のこなしには目をみはったし、
軽妙なことば遊びでさえ血の通ったセリフになっていたのには
役者たちの力量を感じた。


だがしかし、そのことばを書いたのは野田秀樹だ。
動きの演出をしたのも野田秀樹だ。
観客に問題を突きつけているのも野田秀樹。
目の前で渡辺えり子にこづかれて舞台を転げている野田秀樹なのだ。


――大勢の人間が理性を失って同じ方向に暴走し始めた時に
自分は理性を失わずにいられるだろうか。
冷静に判断する目を持ち続けていられるだろうか。


それが、今夜私自身に突きつけられた問題。


密度の濃い2時間だった。
やっぱり舞台はいい。
だから生の舞台はやめられない。


藤原竜也もやっぱり舞台でこそ真骨頂発揮。
舞台でははじめて観る宮沢りえは、
彼女の人間としての誠実さやまっすぐさが伝わってきて
ますます好きになった。

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2006-11-03

「デスノート the Last name」

今日は映画「デスノート the Last name」の公開初日。
朝8:00上映開始の回で観てきた。
この回、監督・出演者の舞台挨拶つき。
(だからこそわざわざ朝一番なのだ)


TAP BOYSメンバーのKくんと有楽町で待ち合わせたのは7:30。
(「デスノート」の原作はほとんどこのKくんからお借りして読んだ)
Kくんも息子も私も異口同音に「眠いね~」。


でも!
早起きして行っただけのことはあった。
チケット取るのに1時間PCに向かって粘り続けた甲斐もあった。
ずばり、おもしろかった。


なにせ原作12巻のストーリーときたら複雑きわまりなく、
6月に公開された前編でも原作とは違う展開がそれはそれで楽しめたんだけど、
後編では結末も原作とは異なると聞いていたので
どんなふうに料理されるんだろうとそれはもう公開が待ち遠しかった。


さて、その後編の展開と結末。
原作の持ち味はそのままに、よくもうまくまとめたなぁ、という感じ。


「夜神月(やがみライト)」の藤原竜也が相変わらずいい。
彼の映像での演技は舞台に比べて魅力を感じることが少ないんだけど、
ことデスノートに関しては別。
9月に観た舞台「オレステス」の生の迫力に勝るとも劣らぬ迫真の演技。
まさにライトそのもの。


また、ライトの好敵手「L(エル)」の松山ケンイチがこれまたいいんだなぁ。
Lはつかみどころのないかなり変わった役どころなのだが、
彼の演じるLは原作のマンガからそのまま抜け出てきたよう。
前編以上によかった。


デスノートを堪能した後は、気持ちのいい秋晴れに誘われて
3人で銀座の街に。
歩行者天国をぶ~らぶ~らとそぞろ歩き。
山野楽器でおすぎさん(「おすぎとピーコ」のおすぎ)を見かけて
3人でなんだかうれしくなっちゃったりして。


楽しい秋の休日だった。

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2006-10-01

つながった電話

NODA・MAPのチケット、やっとの思いで取った。
厳密にいうと今日はあくまでも予約の段階なので
明日さっそくローソンに行ってLoppiで引き換えてこないと。


ともあれ、ほんと、よかった。取れて。
主演は藤原竜也。
彼の舞台は今後1本たりとも見逃さない、と決めている私と息子にとって
何がなんでも観たい芝居。
それだけじゃない。
共演がなんと、宮沢りえ。
私も息子も大好きっ。


よく行ってたリフレクソロジーのお店でハンドリフレをしてもらった時、
「宮沢りえさんと同じくらい細い手首」といわれてびっくりしたことがある。
なんでわかるの?と不思議に思ったら、りえちゃん、よく来るんだって。
えぇーっ、うそーっ!
りえちゃんがこのご近所をうろうろしているなんて信じられない!
それを聞いて以来、私も息子もかなりきょろきょろしてるけど
いまだご本人に遭遇してはいない。


いやぁ、それにしてもチケット予約まで長い道のりだった。
藤原竜也オフィシャルファンクラブ会員の先行予約電話受付開始が12:00。
めでたく予約成立となったのが2:00。
電話をかけ続けること2時間。


当然、30分やそこらじゃむずかしいんだろうな、とは思っていた。
1時間で取れたら御の字かな、とも思った。
まさか2時間とは。


音声自動応答で受け付けるというので、親機のほうが操作が楽だろうと
FAX電話の前に陣取って12:00ジャストにダイヤル。
しかし、時すでに遅し。
「ただいま大変込み合っております。しばらくお待ちになっておかけ直しください」
だって。
誰が待ってられますか。待ってるうちにチケットなくなっちゃう。


かけ続けること30分、とうとう電話の前に椅子をもってきて腰かけた。
単調に何度もダイヤルする合い間に、電話機のほこりを拭いせっせと磨いた。
このまま永遠に電話はつながることがないんじゃないか、と何度思ったことか。
しかしひたすら単調作業を続けた。


先にお昼を済ませた息子が1:30に交代してくれて30分。
電話は聞き慣れたメッセージ以外の音声を流し始めた。
ついに電話はつながった。
つながるんだ、この番号。


やれやれ、とにかくこれで観に行ける。
野田秀樹の舞台自体がはじめてなので、すごく楽しみ。

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2006-09-26

どしゃ降りに思うこと

今日の東京はひさしぶりのどしゃ降り。


長靴(ま、レインシューズですね)を履こうかちょっと迷って
結局防水加工の靴で出かけた。
でも、駅に向かう歩道にはいくつも水たまりができていて
レインシューズのほうがよかったかも、とちょっと後悔。
ただし、レインコートをはおったのは大正解だった。


それにしてもこの雨、きのうシアターコクーンの舞台に降った雨と
激しさではいい勝負だね、と息子と話す。


東京の楽日は今度の日曜だから、
役者たち(とくにエレクトラの中嶋朋子とコロスの女性たち)は
あと数日ざぶざぶ濡れるのね。
その後、大阪と名古屋に場所を移してさらにざぶざぶ。


どしゃ降りの下でセリフを言い、
雨があがった後もずぶ濡れの衣装のまま演技を続ける役者たち。
乾いたかと思うとまた容赦なく激しい雨が役者たちを濡らす。


「風邪ひくなってほうが無理だよね」と息子。
「体調管理はどうしてるんだろう」


ほんと。
それでなくても気候も不安定なのに。


ずぶ濡れになるだけではない。役者たちは驚くほど激しく動き回る。
舞台と客席を交互に駆け抜け、壁にからだを叩きつけ、床を転げ回る。
とにかくすさまじいほどの運動量。
とくに藤原竜也のタフさにはいつも舌を巻く。


体調管理はもちろん万全に心がけてているんだろう。
でも、いちばんのポイントは気をゆるめないことではないのかな。
役者たちのはりつめた集中力が舞台上から客席にびしびし伝わってきたけど、
舞台をおりた後も気は抜かないんじゃないかしら。


「つかれた」とひとこと口にしたがために
からだ中の疲れがどっと噴き出すなんてよくあること。


役者たちは楽を迎えるその日まで決してネガティブなことばを口にしない。
単なる憶測だけど、そんな気がする。

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2006-09-25

「オレステス」

渋谷・シアターコクーンで「オレステス」を観た。


はじめてのギリシャ悲劇。
ギリシャ悲劇というと、血なまぐさい内容でどろどろ暗くて重い…
という印象があって、魅力的な役者が出ている芝居でも
いままではなかなか観る気になれなかった。


でも、今回は藤原竜也主演。
「ロミオとジュリエット」で衝撃を受けて以来、
彼の舞台は1本たりとも欠かすわけにはいかない。
どろどろだろうとなんだろうとどんとこい。
とにかく意気込んで劇場に出かけた。


いや、すごかった。
何が、って役者の気迫、演出の凄まじさが。
幕開きからがっ!と心臓をわしづかみにされ、休憩なしの2時間20分、
幕切れまでずっと圧倒されっぱなしだった。


冒頭、真っ暗闇の中、雷鳴に似た打楽器の大音量が鳴り響く(生演奏)。
舞台に照明が入ったかと思うと、そこは土砂降りの雨。
そう、舞台上に雨が降っているのだ。ざぁざぁと。
その雨に濡れながら、雨音にかき消されまいと中嶋朋子が炎のように
セリフを語る。
すごい。


「北の国から」の蛍で有名な中嶋朋子が圧巻。
彼女演じるエレクトラを評して
「外見は女だが、思考は男」といったセリフがあったが
華奢で透明感あふれる外見とはうらはらな闘志と強さにしびれる。
かっこいい。


藤原竜也は待望のギリシャ悲劇初挑戦というが、彼の真骨頂発揮。
憂い、狂気、絶望、熱情を体当たりで演じつつ、長いセリフを実に聞かせる。
そしてすべてが美しい。
やっぱり彼は秀逸。
努力と前進を続ける天才。


幕切れには度肝を抜かれた。
客席に舞い始めた紙吹雪。
それも1枚がA4サイズの。
どんどんどんどん舞い降り、ときおりばさっ!と束で落ちてきて、
みるみるうちに客席は紙吹雪で埋め尽くされた。


濃密な時間と空間だった。
観てよかった。

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2006-08-31

8月の終わりに

今日で8月も終わり。
1年の3分の2が過ぎたことになる。


早い。
暑い、暑いといってるうちに
気がついたら年末になってるんだな、きっと。


いままで夏は苦手なほうだったけど、
今年は自分の生まれた8月が好きだと思えた。
ぎらぎら照りつける太陽も、もくもく浮かぶ入道雲も、
セミの大合唱も、みんなふくめて。


それって、体力がついたことによるところが大きいと思う。
どんなに暑くても、汗をかくことが何より気持ちよく感じられた。
暑い中をどれだけ歩いてどれだけ動いても、
へたばらないことが自信になった。


ふっと空を見上げる楽しみも覚えた。
たとえ都会の真ん中でも、頭の上には空が広がっている。
立ちどまって頭を上げると、思いもよらない空がそこにはある。
この空がどこまでも続いていると考えただけで、
なんだか元気になれた。


明日から9月。
このところの「筋肉バカ」からすこし頭のほうにもシフトするつもり。
読みたい本はすでに何冊か手元にあって、
きっちり勉強したいと思っている。


大好きな市原悦子さんが私と息子に向けておっしゃったことがある。
「やる、と決めたらやる。それだけよ」と。
こうもおっしゃっていた。
「花開かなくてもいい。続けることが大事」


実りの秋に向けて、やりましょう。続けましょう。
からだも頭もバランスよく鍛えましょう。
(息子、キミもね)


あ、でもTAP BOYSの本番まではまだまだ続きます、熱い夏。

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2006-08-29

素敵な偶然

きのうのパーティーで、息子は偶然「永遠のヒロイン」に出会った。


吉本多香美さん
「ウルトラマンティガ」のレナ隊員として、幼い息子の憧れだった人。


パーティー会場のビルに到着したとき、
私たちの前を美しいドレスを身にまとった女性が通り過ぎた。
会場のバーに足を踏み入れたとき、ドレスの女性の横顔が目に入った。
一目で多香美さんだとわかった。


多香美さんはご両親とパーティーに出席していた。
そう、お父さまは初代ウルトラマンの黒部進さん(じゅわっち!)。
多香美さんの妹さんがブランドのスタッフで、
ご家族4人ともステキに着こなしてらした。


息子によれば、「ウルトラマンティガ」はウルトラマンシリーズの中で
いちばん好きだったそう。
1996年9月から1年間放映されており、息子は小学1年生。
V6の長野くんが主人公ダイゴ(つまりウルトラマン)を演じていて、
私も息子と一緒に感情移入して見たっけ。
大人が見てもおもしろいドラマだった。


6歳の息子が憧れた美しいヒロインが、ちっとも変わらぬ姿で目の前にいる。
これはやっぱり声をおかけしたい、ということで
パーティーも中盤にさしかかった頃、やっと私たちは意を決した。
妹さんにお願いして、お話しさせていただくことにした。


「えぇ~っ、ティガ見てたの~? いま何歳? えっ、16? 
うわあ、うれしいっ!」


多香美さんは私たちのほうがびっくりするほど大喜び。
とってもフランクで、とってもチャーミングで、
すぐに打ち解けておしゃべりしてくれた。
ティガの話、多香美さんの大好きなアフリカンダンスのこと、
“踊る”ことについて、などなど
話が弾んでいくらでもお話していられそうだった。


息子がタップをやっているのを知った多香美さん、
「ぜひアフリカンミュージックで踊ってみて!」と目をきらきらさせて息子に勧めた。
ああ、それいいかも。
来年のTAP BOYSはアフリカンに挑戦ね。


ほんとうに素敵な偶然だった。
息子にとってはもちろん、夢見心地なひとときでした。

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2006-08-28

彼女そのもの

東京中の夜景が見渡せるような素敵なバー。
息子とふたりで訪れたその場所で、素敵なかたと出会った。


今夜、そこでは私の大好きなブランドのパーティーが催された。
デザイナー(妻)・オーナー(夫)がお嬢さんを伴ってドイツから来日し、
ファミリーを囲んでのアットホームな雰囲気のパーティーだった。


光栄にもデザイナーに紹介していただき、
通訳を介してお話をすることができた。


彼女は自分の服を着てくれてありがとう、といい、
「第二の皮膚のように居心地よく着てくれたらうれしい」といった。


ここ何年も彼女の服が好きで着続けているけど、
ご本人にはじめてお会いして納得した。
私の好きなこれらの服は、彼女そのものだと。


誠実で、繊細で、正確で。
(特に「繊細・正確」は、ご主人が彼女を評するのにも
使っていたキーワードだった)


彼女の服は奇をてらうことなく、オーソドックスな品の良さを体現している。
そのうえ、女っぽくなりすぎず、むしろ無機質で中性的な雰囲気を醸し出す。
シンプルで、媚びたり極端に主張したりすることはない。
そして、私のからだによくフィットする。


第二の皮膚、か。
そのとおりね。言い得て妙。


デザイナー本人にお会いできたことで、ますます彼女の服が好きになった。
彼女が服をとおしてご自分を表現していることがよくわかった。
そして、いまの私が自分らしさを体現するのに彼女の服が欠かせないことも
あらためて認識した。


ところで、このパーティーではもうひとつ素敵な出会いがあった。
その話はまた明日。

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2006-07-10

オーリとホーリ

蒸し暑い夕暮れ時、私たちは六本木にいた。
六本木ヒルズの展望台に向かう階段で
何層にも重なった人垣のすきまから地上を見下ろしていた。


地面にはレッドカーペット。
オーロラビジョンにはオーリことオーランド・ブルームの横顔。
オーリがどこでインタビューに答えているのかちっとも見えなかったけど、
私たちはオーリがいる雰囲気だけで満足してその場をあとにした。
急がなければ。
お芝居開演の時間が迫っていた。


向かったのは六本木交差点のすぐ向こう、俳優座劇場。
オーリならぬホーリじゃなかった堀越さんのお芝居を観に。


俳優・堀越大史さんの舞台をはじめて観たのは高2の冬。
身のこなしがしなやかで中性的な魅力にすっかりファンになった。
あれから26年。長いおつきあいになる。


今日のお芝居はノーベル文学賞作家・ダリオ・フォーの喜劇、
「主人は浮気なテロリスト!?」。
いろいろな事情でしばらく舞台を離れていた堀越さんにとって久々の主演作。


抱腹絶倒のドタバタ喜劇と聞いていたので笑う気満々で客席についた。
はじめのほうはちょっと肩透かしをくらったように感じたけど、
話が進んだらなんのなんの。
おかしさの連続に笑いが止まらない。
椅子から転げ落ちそうになるは、涙は出てくるは、おなかは痛くなるは、
いやぁ、笑った。1年分くらいまとめて笑った気分。


堀越さんはちっとも変わらないねぇ。
しなやかな身のこなしは、はじめて観た29歳の時と不思議なほどにおなじ。
年を重ねて深みを増している一方で変わらないものがあって。
なんだかうれしいねぇ。


終演後、楽屋を訪ねた。
あとからファンに加わった息子と夫も一緒。
息子は、ちょうど堀越さんにはじめて会った時の私と同じ年頃だ。


「ああ、客席を走ってきたっけねぇ」と堀越さんがおかしそうに笑う。
カーテンコールで花束もって舞台に駆けていったっけ。
若かったなぁ、私。


オーリの雰囲気を味わえて、
ホーリじゃなく堀越さんのお芝居に笑って再会を喜び合って、
今日はほんとうにいい一日だった。

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2006-06-20

エレファント・マン

お芝居との衝撃的な出会いは中2の秋。
江守徹主演、文学座の「ハムレット」だった。


以来、すっかりお芝居の魅力にとりつかれた私は
高校生になると地元の演劇鑑賞会に入会。
その後、仙台を離れるまで好きなもの・そうでないもの取り混ぜて
コンスタントにお芝居を見ることとなる。
(鑑賞会で呼ぶものは必ず観なければならないきまりだったので)


その中に、劇団四季の「エレファント・マン」があった。
主演は市村正親。
すでにミュージカルで圧倒的な魅力を発揮していた彼は、
ストレートプレイにも定評があった。


「エレファント・マン」は、ジョン・メリックという実在の人物がモデル。
畸形に生まれたばかりに数奇な人生をたどった彼をモチーフに
人間の純粋な魂と、それに相反したエゴや欺瞞を描き出している。


美しい姿態の正親さんがしぐさだけで畸形を演じるのだが、
彼の情感が観客の想像力をかきたてる。
ジョン・メリックの魂の痛みに胸がしめつけられる思いがした。
私にとって、思い出深いお芝居の1本だ。


今日、ふたたび「エレファント・マン」を観た。
藤原竜也主演(もちろん舞台)のDVDで。


4年前、彼がエレファント・マンを演じるというニュースが耳に入ってきたのは
おぼろげに覚えている。


へぇ~、エレファント・マンに挑戦するなんてすごい。
若いけど、そんなに上手い役者なのね、彼は。
…などと思ったものだ。


4年越しで観ることができてよかった。
なんて繊細なんだ、彼は。
思いがあまりにもたくさんこみ上げてきて、ことばにならない。


ひとりで1回、家族3人でもう1回観てしまった。
夫と息子も思わず引き込まれていた。


藤原竜也の原点、「身毒丸」のDVDも思わず注文した。
また家族で鑑賞会を開催するつもり。

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2006-06-18

藤原竜也

今朝の日経新聞に「THE NIKKEI MAGAZINE」が入っていた。
折りしも藤原竜也の特集記事が掲載されていた。


やっぱりな、という気持ちで読んだ。
藤原竜也の孤独と苦悩。
やっぱり。


天分に恵まれているうえに、おごることなく努力を重ねる若き天才。


そんな彼の基準の高さに追いつけない者との間には
当然ギャップが生じるだろう。
記事には書かれていなかったが、
しがらみゆえに引き受けなければならない不本意な仕事もあるだろう。


そうした理不尽さを決して天真爛漫に流しているわけではなかったんだな。
むしろピュアなだけに自ら消化することはむずかしいのだろう。


彼の舞台をはじめて観たときの衝撃は忘れない。
すでに天才として名を馳せており、いつかこの目で確かめたいと思っていたが、
もっと早くに見ておかなかったことを悔やむほど彼はすごかった。
天才だという評判は本当だった、と舌を巻いた。


シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」は
下手をすると甘ったるくて嘘っぽくて気はずかしい芝居なのに、
彼は「ロミオならかくあるべし」と思わせた。
英語で聞けば歌のようなシェイクスピアのセリフは
日本語にするとまだるっこしくなるが、
藤原竜也のセリフはまるで歌っているように美しかった。


もっと昔に彼をテレビで見たとき、アイドル系のタレントなのかと思ったものだ。
それほどに彼の容姿は際立って目を引いた。
たとえていうなら、少女漫画に出てくる王子様的存在。


役者としての才能と、群を抜いて美しいその容姿は
本来なら「天はニ物を与えた」といわれるべきもののはず。
しかし、彼のもつ天分よりも
容姿に惹かれて騒ぎ立てているファンも多いのではないかと思う。


どんな理由でファンになろうと、それはそれぞれの勝手だけれど
彼ほどの逸材が容姿だけでオバサンにきゃーなんていわれていると
ちょっと悲しくなったりする。


「THE NIKKEI MAGAZINE」の中で彼はいっている。
海外で本格的に演技の勉強がしたい、と。


雑音を振り切ってそうすべし、と思う。
写真集出してにっこり、なんていう藤原竜也ではなく
世界で評価される藤原竜也を見たい、と心から思う。

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2006-06-17

DEATH NOTE

話題の新作映画「DEATH NOTE」を観てきた。


うむ。
おもしろかった。
今日観たのは【前編】なので、11月公開の【後編】が非常に楽しみ。


息子はこのところ原作の人気コミックスにすっかりはまっていた。
クラスメートから借りてきては、毎晩勉強そっちのけで読みふけっていた。


息子いわく「原作とはかなり違うね」


まあ、そんなものでしょう。
原作知らないけど、映画として単純におもしろかったよ。


主人公・夜神月(やがみライト)を演じるのは、藤原竜也。
いい演技だったねぇ。


私は彼のファンだけど、厳密にいうと彼の舞台が好きなのであって
映像でいいと思ったことは少ない。
天才・藤原竜也の魅力は舞台でこそ十二分に発揮されると思っている。


でも、夜神月の藤原竜也はよかった。
月の底知れなさがぎりぎりまで抑えた演技によって真に迫る。
一変して感情を高ぶらせるシーンでは舞台での姿を彷彿とさせる。
まさに彼の真骨頂。


11月公開の【後編】も原作とは違った終わり方をするらしい。
でも原作、俄然読んでみたくなった。
息子の友だちにお借りするとしよう。


今日は公開初日ということで、監督・出演者の舞台挨拶つき。
【後編】も舞台挨拶の回に観よう、と息子と約束する。

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2006-05-05

美しいひと

うちの息子は小さい時から面食いだ。


初恋の相手は、クラブメッド・サホロの看護婦G.O.(スタッフ)。
目のパッチリした明るい美人だった。
彼女の前で明らかに舞い上がる幼い息子に、
はじめてそっちのけにされた母親としてはちょっと複雑な気分だった。
3歳ぐらいの時かな。


6歳で彼は衝撃的な一目ぼれをする。
圧倒的な美しさで幼心をノックアウトしたのは、バレリーナの草刈民代さん。
映画館で「Shall we ダンス?」を観た彼は、すっかり彼女に心を奪われる。
「ぼく、この人に会いたい」と映画を観終えるなりきっぱりいった。


えぇ~っ。
確かにきれいな人だよ。
むかしから輝くばかりにきれいだった。
でもね、この人こわいよ。


「でも、会いたい」と息子。
彼のあまりの熱意に押され、じゃあ公演観に行きましょうと劇場へ。
終演後、楽屋口で待ってホンモノを目の前にした息子はすっかりコチコチ。
だけど、やさしく声をかけてくれた民代さんに大感激。
「ママのうそつき。やさしい人だったよ」


そうだね、よかったね。
でも、むかしはこわかったんだよ。


20歳のころ、私は1年ほど彼女と同じレッスンを受けていた。
稽古場で見る彼女は、3つ年下なのに威圧感があってこわかった。
バレエ団の舞台で同じパートを踊ることになって
「ライン、揃えてくださいねっ」と注意された時はほんとうにこわかった。


その民代さんがさっきテレビに出ていた。
「私、よく怒ってるように見えるらしいんです。気にしないでね」と
アナウンサーににっこり笑う彼女。


そう。素顔の彼女はとってもさばさばしてて気取りがない。
でも、よそゆきの顔はつんつんしてて思いきり気取った感じ。
そのギャップがかなり大きくて、そこがまた彼女の魅力。


息子も民代さんとの出会いから10年。
いまは彼女の前でコチコチになることはないけど、
美しい人が好きなのはいまも変わっていない。

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2006-04-05

偉そうな人

昨日の「ライフ・イン・ザ・シアター」のプログラムに
たっちゃん(藤原竜也)のインタビューが載っていた。


その中で彼がいっている。


俳優のしていることは、世の中を動かすわけでもなく、小さいことだと。
偉そうにしている俳優を見ると
「俺たちのやってることって、ちっぽけなのにな」と思うようになった、と。


なおも彼はいう。


稽古で気づいたり学んだりすることが山ほどあって、
「ああ、ちっちゃい、ちっちゃい」と思う、と。
「もっと勉強しなきゃな」と。


うらやましいほど才能に恵まれた若い彼の、
いやらしさのない謙虚さを好ましく思った。
彼を教え導くいい大人にも恵まれているんだろうな。


また、「偉そうな俳優」に対する冷静な見方にも共感。


実際、「偉そうな」人に偉い人がいたためしがない。
いばってれば偉く見えると思うんだろうけど、
逆に中身の小ささをみずから露呈するだけだ。


ことさら自分を大きく見せようとしなくても
品格のある人はおのずとそれがにじみ出る。
そういう人が真に「偉い人」=「尊敬される人」なんだと思う。

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2006-04-04

ライフ・イン・ザ・シアター

市村正親と藤原竜也の二人芝居「ライフ・イン・ザ・シアター」を観てきた。


たっちゃんの舞台ははおととし「ロミオとジュリエット」を観て以来、
1本も見逃すまじ!とこれが4作目。
一方、正親さんを生で観るのは確か20数年ぶり。
劇団四季時代の舞台は好きでよく観たし、サインもいただいた。
正親さんは若かりし私の憧れの舞台俳優だった。


新旧の「魅せる」役者が揃い踏み、なんとも贅沢な企画だと楽しみにしていたが、
期待以上におもしろい舞台だった。


ストーリーはない。
ベテラン俳優と若手俳優の劇場での様子をオムニバスで綴る。


正親さんがうまい。
「うまい」という表現がまさにぴったりだった。
若者のきらめく才能と、ベテランの熟成した味わいが交錯する。
役者としてどちらも甲乙つけがたく魅力的。


老境に差しかかった俳優と、前途洋々の俳優との時にかみ合わない会話には
ずいぶん笑わされた。
笑いすぎてのどにひっかかり、咳が止まらなくなってあわてたほど。


でも、二人の間にすこしずつ広がっていくギャップには切なくなった。


老いゆく者の押しつけがましいほどの教えたがりと、
若者の無神経なまでの傲慢さと。
若さを失った者が感じる羨望や哀しさと、
若さの只中にいる者が感じるうっとうしさと。


どちらもわかるなと思った。
自分がそういう位置にいるんだとあらためて感じた。

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2006-03-28

「奥さん」

19年前の新婚旅行で。
おみやげやさんに私は「奥さん」と声をかけられた。
ところが自分のこととは夢にも思わず、しらんぷり。
おみやげやさんは夫に「奥さん、なんですよね…?」と確認したそうだ。
自分がそんなふうに呼ばれるとは思ってもいなかったうら若き頃の思い出話。


「『奥さん』って呼ばれてみたい!」といった独身の友人がいて、
そんなものかなと思った。
奥さん。
プライベートで呼ばれるのはまったく気にならないし、
いまや呼ばれ慣れてもいるけれど、仕事でそういわれるのはちょっと…、だ。


「だって、事実じゃん」と息子はいう。
確かに。
夫とふたりで仕事に出かけていく。
そして、私が夫の「奥さん」であることにまちがいはない。


でもね、名刺お渡ししてるのよ。
先方もそれ見てるのよ。
でも、「奥さん」。
私の名刺、いらないじゃない。


このところ同じことが立て続けに4回もあったからちょっと、ね。
結構こだわるものなのよ、こういうこと。


この間、石田衣良さんのサイン会で衣良さんと息子と3人で写真を撮る時に、
てっきり私は衣良さんに「おかあさん、こちらにどうぞ」といわれると思っていた。
でも、衣良さんはいわなかった。
「どうぞ、こちらに」とていねいに手招きしてくれた。


そのことが私はなんだかとってもうれしかった。
そんなもんなんです。

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2006-03-21

WBC優勝おめでとう!

いやぁ~、すごかった、WBC決勝戦。
大塚投手が最後のバッターを三振で沈めた瞬間、
「うぉ~っ!」と雄叫びを上げてしまった。


ふだん野球はめったに見ない。
選手で知ってるのは一部の超がつくほど有名な人だけ。
ただ野球にほとんど興味はないけれど、イチローは好き。


いつも冷静沈着で、決して軸がぶれず、前だけを見据え、
周囲に流されることなく、信念にのっとってやるべきことをやる。
コツコツ前進あるのみ。
そうした彼のあり方にはおおいに共感を覚え、そうありたいと憧れる。
インタビューでのクールな語り口もいい。


そのイチローが日本代表のリーダーとしてチームに参加するというので
興味を持った。
こんなにもイチローが日本のために熱くなるなんて、と
はじめはすこし意外な気がしたけれど、
ちょっと想像力を働かせれば当然のことだったかも、と思ったのは
あとになってから。


決勝戦を見たのは途中からだったけど、思わず引き込まれた。
試合開始から見ていた夫は、動きがあるたびに(たぶんCM中)
部屋に来て経過を教えてくれたが、私は「へぇ~」「あそう」と聞き流しながら
自分のデスクで作業を続けていた。
でも、お昼食べながら見てたらやめられなくなっちゃった。


はじめのうちは「イチローはコワイ顔でもかっこいい」とかなんとか
ミーハーチックに見ていたのが、
そのうちハラハラドキドキの局面で点が入ったりすると
思わず「よっしゃぁ!」と手をパシン。
「お、めずらしく興奮して」と息子。


いやぁ、ほんとうにすばらしかった。
シロウトの私でもおもしろい試合だったうえに、優勝しちゃったんだから。
いいものを見せてもらった、という感じ。


優勝インタビューでのイチロー、カメラに向けての決めポーズはかっこよかった。
何をやってもさまになるね。

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2006-03-17

衣良さんのサイン会

息子とふたりで石田衣良さんのサイン会に行った。
初エッセイ集「空は、今日も、青いか?」の刊行記念。


私も息子も衣良さんのファン。
サイン会に参加するにはその新刊を買って先着100名の整理券を
もらわなければならない。
よっぽど2冊買ってふたりして並ぼうかとも思ったけど、1冊分のチャンスを
息子に譲ることにした。
自分の好きな表現者にじかに会う感激を感性のみずみずしい時にこそ
味わってほしいと思ったから。


でも、私もお会いできたのだ。思いがけなく。
緊張しました。どきどきしました。笑顔が引きつりました。


衣良さんのサイン会では写真撮影も構わないと聞いたことがあったので
一眼レフデジカメを持参していた。
実際、衣良さんも「写メールでもデジカメでもどんどん撮ってください」と
会の冒頭に挨拶していた。


撮影するのは出版社のスタッフらしい若い男性。
受付スタッフが参加者からカメラを預かり、撮影担当者に渡す。
息子が一眼レフを差し出した時、受付の人はちょっとだけひるんだ。
そして、脇にいた私に顔を向けると「お撮りになりますか?」。


というわけで、私も衣良さんの前に立つことができたのだ。


「じゃ、3人で撮りましょう。どうぞ真ん中へ」と衣良さん。
遠慮する私にあくまでも真ん中を勧め、息子には「腕を組んで」。
私は右側の衣良さんの左腕と、左側の息子の右腕に自分の腕をかけた。
「こんなのもいいでしょう?家族写真」と衣良さんはほほえんだ。


本には、息子の名前と「思いきり遊ぶ 石田衣良」というサイン。
勉強が一生懸命がんばれるようなメッセージを、という息子の要望に
「いま何歳ですか?…16歳?・・・ん~、いまは思いきり遊んで、
10年後にやりたいことが見つかったら一生懸命がんばればいいよ」
といって、書いてくださったもの。


息子も私も、とってもあったかい気持ちを胸に池袋を後にした。

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2006-03-12

子どもの心に寄り添う人

朝、NHKの「課外授業 ようこそ先輩」を途中から見た。
この番組、「各界の第一線で活躍する人々が出身校である小学校を訪ね、
その専門とする世界と自らの人生について授業し、後輩の子どもたちに
熱いメッセージを送る。」(NHK・HPより)というもの。


今朝の「先輩」は、小説家の石田衣良さん。
私は彼の書くものが好きで、考え方に共感するところが多い。


はじめから見られなかったのが残念だったけど、
途中からでも石田さんが子どもたちひとりひとりと向き合うさまは
見ることができた。


ふわりとそばにきて、子どものことばにそっと耳を傾ける。
「熱心に」でも「ぐんと身を乗り出して」でも「熱く」でもなく、
さりげなく子どもに寄り添って、心の声に耳をそばだてる。
暑苦しくなく、押しつけがましくなく、心地よい距離感と温度で子どもに向き合う。


ある子どもが今まで誰にもいえなかった小さいころのつらい思い出を
石田さんに淡々と話し始めた。
じっと石田さんは黙って聞いていた。
しばらくの間があって、石田さんの目のふちが赤くなりだした。
そしてつっと立ち上がり壁の前に立つと、「まいったな…」と目をこすった。


授業の後に、数人の子どもたちがインタビューに答えた。
その中につらい話をした男の子もいた。
「話が通じないかと思っていたけど、そんなことなくてよかったです」


他の女の子はこんな話をした。
「情熱的。わたしたちのことを一生懸命考えてくれていて」


石田さんの静けさの中に秘めた熱いものを子どもはちゃんと感じとっていた。

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2006-02-26

バレエとフィギュア

子どものころ、稽古場にフィギュアスケートをやっている子がいた。
というより「フィギュアのためにバレエを習っていた」というほうが正しい。
彼女は目を引いてバレエが上手いわけではなかったけど、
発表会にもちゃんと出て一生懸命稽古していた。


彼女がリンクでどんなふうにすべるのか見てみたいなぁ、と思った。
頭の中で想像すると、
彼女とジャネット・リン(札幌オリンピック銅メダリスト)が重なった。
(結局見るチャンスは訪れなかったけれど)


そもそも、フィギュアスケートとバレエは切っても切れない間柄。
とくに近年は(…って薀蓄が語れるほど見てるわけじゃないけどね)
日本でもバレエ的な動きがきれいな選手がふえてきて
うれしく思っていた。


ただ、ポジションやフォームがバレエとイコールになることはなく、
見ていて戸惑うことが多い。


「そのフォームはバレエ的に美しくない」とか
「ポジションが甘くてきもち悪い」とかぶつぶついいながら見ていると、
家族に「これはバレエじゃないんだから!」と注意されてしまう。


そっか。
そうだよね。
バレエじゃなくフィギュアだもんね…
仕方なく自分にそう言い聞かせて見ることにした。


でも、いた。
バレエとフィギュアをイコールにする選手が。
ずばり、銀メダリストのサーシャ・コーエン。


彼女のショートプログラムを見たときには衝撃が走った。
素晴らしい。美しい。見ていて気持ちいい。
バレエの観点から見て完璧。


スケート靴をバレエシューズに履き替えても彼女ならやっていける。
きっと魅力的なダンサーとしても活躍できるはず。

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2006-02-24

素晴らしかった!!

今朝は早起きしたかいがあった。
荒川静香さん、金メダルおめでとう!


5:00に目覚ましが鳴るまで、ずっと夢を見ていた。
それもフィギュアの中継を見ている夢。
絶対5:00に起きなくちゃ!と
かなりプレッシャーがかかっていたみたい。
(そんなことプレッシャーに感じてどうするんだ…?)


安藤美姫さんの滑走からテレビの前に座り込むと、
あとは片時も画面から目が離せなかった。
眠気なんてあっという間に吹っ飛んだ。


それにしても、荒川さんの演技は余裕だったなぁ。
これっぽっちも危なげなく、安心して見ていられた。
胆力、っていうのかなぁ。


うつむく横顔が他人とは思えない村主さんは
あと一歩でメダルに手が届かず、ほんとうに残念。
彼女の涙顔を見て、他人事でなく私も悔しかった。


美姫ちゃんにとっては、何にも代えがたい
大きな経験だったんだろうなぁ、と思う。
たくさん経験をして、強くしなやかに成長することを期待したい。
無責任な大人たちが彼女をいじめませんように。


サーシャ・コーエンが転んだのはショックだった。
彼女の動きはひとつひとつが完璧なバレエのようで実に素晴らしい。
彼女のアラベスクはほんとうに美しくて、見るたびに唸ってしまうくらい。
(そのたびに息子ににらまれたけど)


こんなに完璧な演技をする人も転んでしまうんだなぁ…
(それはスルツカヤもしかり)
彼女たちの物哀しげな目が印象的だった。


さて、今度はエキシビジョンが楽しみ。
でも、今夜はぐっすり眠って寝不足解消。
明日録画でゆったり楽しみます。

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2006-02-12

ライブで見たい!

トリノオリンピック開幕前、
息子が「フィギュアの時は早起きしないと」などといいながら
テレビガイドを丹念にチェックしていた。


結果を知ってから録画で競技を見るのはいやなんだって。
できるかぎり生中継で見たいものだ、と。


アンタ、そんなこといったって学校あるのよ。
それに、学年末試験前なのよ。


…といいたいところだったけど、
本人もさすがにそれはわかってるみたい。
生で見るのはできる時間、見られる範囲で、ということらしい。


私はいいや。
そんなに情熱もてないの。


…とうそぶいていたけれど、早くも撤回。
ノルディック複合もハーフパイプも見ちゃった。
それに、息子が録画していたモーグルもフィギュアのペアも全部見た。


すごいなぁ。
ただただすごい。
オリンピックに出るだけでもすごいことなのに、
その中でも世界の頂点を極める選手たちの高度なテクニックには
ひたすらおそれいるばかり。


現地で見るとこれまた臨場感に圧倒されるんだろうなぁ。
ま、さすがにトリノに行きたいとは考えないけど。
(寒いし)


でも、長野は行きたかった。
国内だもの。
近いもの。
そんなチャンス、生きてるうちにそうそうめぐってくるわけじゃない。
息子の学校休ませても行く価値大ありだと思った。


というか、健ちゃん(荻原健司・元選手)の勇姿を
間近で見たかったのよね。
寒いのがまんしてでも応援したかったよなぁ。


あれから8年もたつのね。
振り返れば早いけど、
選手にとって4年の月日というのは長いんだろうなぁ、
とあったかい部屋でぬくぬくしながら思う。

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2006-02-11

オリンピック開幕

いよいよトリノオリンピックが開幕。


オリンピック、というだけで
普段あまり興味のない競技さえもついつい見てしまうし、
世界のトップアスリートたちの競い合いには
思わず引き込まれてしまう。


さっき見てたノルディック複合もそう。
もうわれらの健ちゃんは出ていないけど、素晴らしい試合だった。
とくに後半の距離が。


健ちゃんとはキング・オブ・スキー、荻原健司(元)選手。
アルベールビルで団体金メダルを取り、
明るいキャラクターとパフォーマンスで日本中をあっといわせた。


彼の出現以来、リレハンメル、長野、ソルトレークシティと
私にとって冬季オリンピック最大の関心事はノルディック複合だった。
だけど、ソルトレークシティを最後に彼が引退してからは
ノルディック複合への関心も次第に薄れていった。


でもね、さっきライブで後半のクロスカントリーを見始めたら
やめられなくなった。


「雪の状態とスキーのワックスが合ってないと
スキーがうまく滑らないっていうよ。そういう調整も大事なんだって」
などと、むかし聞きかじった知識を披露すると
「お、結構詳しいじゃない」
と息子が感心する。


必死で闘う選手たちに、一生懸命応援した健ちゃんの姿が重なる。


1位争いのラストスパートには息をのんだ。
1位を守り抜いたヘティッヒにも、
11番スタートから首位争いまで追い上げたゴットワルトにも
鬼気迫る迫力を感じた。


う~ん。
やっぱりおもしろいね、オリンピック。

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2006-02-09

村主さん

クイズ$ミリオネアに
フィギュアスケートの村主章枝さんが出ていた。


私は彼女の叙情性あふれる表現と、華奢な体型が好き。
彼女のスケートはバレエそのものです。


さて、みのさんと対峙した村主さん。
画面に彼女のアップが映ってぎょっとした。


わたし…?


似てない?
私に。


リンクで華麗に舞う村主さんを自分に似てると思ったことは
一度もない。


ただね、ロッテチョコレートのCMでは私に似てると思ってた。
うつむき加減の横顔とか。
息子も同意。
「腰振って踊ってるところなんか似てるよね」


いやいや、それにしてもミリオネアの村主さん。
なんだか自分を見てるみたいで気持ちが悪いくらい。
(いえ、ま、年が全然違いますから、
お肌のことなんかはこの場合おいといて)


「ちょっとうつむいてみてよ」と息子。
ふむ、とうつむく私。
「あー、ほんとだ、似てるねぇ」


頬やまぶたがややふくっとしてるところとか、ね、ね。


いや~、びっくりした。
村主さんに親近感覚えました。
トリノ、応援します。

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2006-01-30

人生の長者

きのう、大阪から帰る新幹線で
見覚えのあるお顔と同じ車両に乗り合わせた。


日野原重明先生。
90歳を越えてなお現役で活躍なさるお医者さま。
大阪で私たちと反対側から乗ってらして、3列後ろのお席。


なんだかうれしくて、母に携帯のメールで知らせた。
ほどなく母から返信。


「なんたる僥倖!
ぜひ、お声をかけて、人生の長者に敬意を表してくださいませ」


それから東京へ着くまでの2時間半、
なんてお声をおかけしよう…とずっと考えていた。


ちらちらっと後ろの先生を窺うと、熱心にご本を読んでらっしゃる。
新幹線の中でも勉強してらっしゃるんだわ。
さすが。


先生の脇を通ってお手洗いに立った時は、
どうやらお医者さんとおぼしき男性ふたりが
通路にしゃがみこんで先生のお話を伺っていた。
(大阪で学会でもあったらしい)


お手洗いから出ると、年配の女性がドアの前で待っていた。
そして、次に待っていたのはなんと日野原先生。


よっぽどそこでお声をおかけしようかと思ったけど、
お手洗いを待っている時になんて、あまりに無粋。
軽く会釈をして席に戻った。


結局お声をかけられないまま東京に到着。
あまりに畏れ多くて…


先生、おひとりで大きなボストンバッグと、手提げと、紙袋と、
三つもお荷物を持って東京駅の雑踏に消えていった。


頭が下がります。

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2006-01-28

イタイひと

深夜のバラエティー番組で
バレリーナの草刈民代さんが女性お笑い芸人らに
バレエを指導するという企画があった。


なんでも笑いをとりたい芸人にとって
素で懸命に取り組んでいる姿を見せることには照れがあるのか、
民代さんに注意されると逆にふざける場面も。


それに対して民代さんは一喝。
「緊張してできないんだったら、カメラ止めてもらうように頼むよ!」


怒って当然。
いくら芸人でも、おちゃらけていい状況じゃないもの。
笑いをとるにはとるなりの絶妙な間合いが必要でしょ。


大勢が集まったところで自己紹介や発言をするとき、
ウケを狙って失笑を買う人っている。


ネタがうわすべりしてシラけたり、あまりにも不謹慎だったり。
たまたま笑ってくれる人なんかがいてますます調子に乗ったりすると
目も当てられない。


お笑い芸人でもない限り、
あからさまなウケ狙いは品がないなぁと思う。
とくに、場をわきまえないそういった言動は見聞きしててイタイ。


もっとイタイのは、本人に自覚がないこと。


たまにそういう人に遭遇する。

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2006-01-10

セロ

夕食が終わるころ、息子がテレビのチャンネルを変えたら
セロが出ていた。


セロ。
日本人の父とフランス人の母をもつ美しきマジシャン。


少し前からマジックがブームになっている。
どのマジシャンも素晴らしいマジックを見せてくれるけど、
セロの右に出る者はないと思っている。


セロのマジックはまさに魔法。
きっとタネがあるはずなのに、魔法としか思えないほど
彼のマジックは華麗で美しい。


明日の朝早いんだよ~。さっさと引き揚げようと思ってたのに~。
次から次へと繰り広げられる魔法に目が離せず、
思わず最後まで見てしまった。


実は、夫はセロのマジックのお相手に選ばれたことがある。
なんと、セロと夢の共演。


あれは「ハリー・ポッター」の朗読CD発売イベント。
江守徹さんの朗読あり、翻訳の松岡祐子さんのお話あり、
それだけでも十分楽しいひとときだったのだが、
最後にセロのマジックショーが始まった。
集まっていたハリーファンはびっくり。


ステージ上でひとしきりマジックを披露すると、
セロはアシスタントを探しに客席に下りてきた。


そこで白羽の矢が立ったのが夫。
女性と子どもばかりのハリーファンの中で、
マスクをした中年男性がめずらしかったからかもしれない。


ライトきらびやかなステージに引っぱり出され、
呪文を言わされたり、目隠ししてくるくる回されたりする夫。


私と息子がセロのマジック以上にはらはらしたのはいうまでもない。

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2005-12-11

悦子さん

きのうのお芝居は観ててほんとうにつらかったけど、
ひさしぶりの悦子さんとの再会はうれしかった。


前回お目にかかったのは去年の9月。
「きっと『また大きくなったわね』っていわれるね」
といってたら、悦子さん、ほほえんで
「大人になったわね」


そして息子に
「はいっ、大人になったところで感想をひとこと述べて帰るっ」


その言い方といい、言葉遣いといい、うちの母にそっくり。


お芝居のことやら息子の高校進学のことやら話すうち
私が家庭教師をしてたことが話題にでると、
悦子さん、息子におどけて
「んまぁ~、あなた、いいわねぇ~。
そういうことがいつまでも続くと思うなよ!」



またまたうちの母にそっくり。


まだ小さかったころ、息子は悦子さんを前にすると
緊張でこちこちになって口がきけなかったものだ。
それがいまではふつうに会話できるようになった。
きのうはとくにリラックスしてたよう。


「なんかね、『ばば』に重なっちゃって」
「ばば」とは私の母、つまり彼の祖母のこと。


2年前にお目にかかったときは
いつも緊張する夫がまるで人が変わったみたいに
悦子さん相手にぺらぺらしゃべって私たちをびっくりさせた。


「いやぁ~、なんだかお義母さんとしゃべってるような錯覚に
陥っちゃってさぁ」


悦子さん、ほんと大好きです。

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2005-12-10

ヒカルヒト

下北沢・本多劇場で市原悦子さん主演の舞台を観た。
鐘下辰男作・演出「ヒカルヒト」。


1974年に起きた甲山事件をモチーフにした芝居。


きっと身につまされるんだろうと覚悟して行ったのに
こんなにつらいと思わなかった。
これほど観ていて苦しかった芝居はない。


知的障害児施設で園児が死亡したいわゆる甲山事件で
当時22歳の保母が容疑者として逮捕された。
彼女の無罪が確定するのは事件発生後25年もの後だ。


悦子さん演じる「瀬川静子」は、無罪を勝ち取った後
ふたたび知的障害児施設で働き始める。


休憩なしの2時間、物語は時間を行き来する。
静子は現在から過去へ、また現在へ飛び、
かと思うと被害者の母親へと移り変わる。


重く暗い芝居だった。
笑うところなどすこしもなく。


でも、終演後の観客の顔は開演前となんら変わりなく見えた。


私はつらくて何度も泣いた。
障害児施設での生々しいせりふが胸に突き刺さった。
障害をもつ弟と、母が重なった。

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2005-12-04

見知った人

若いころ、仙台の繁華街を歩いていると
誰かしら見知った顔に会うものだった。


それだけ仙台が狭いということかもしれないし、
友人・知人と行動範囲や行動パターンが
似通っていたということかもしれない。


いまは、時々仙台に帰って街をぶらぶらしても
知ってる人にばったり、なんてことはまずない。
期待して歩くんだけど、残念。


ところで、高校生のころ、
仙台の街で江守徹さんを見かけたことがある。
劇団のお芝居で仙台入りしていたのだが、
ふつうにひとりで歩いてらしたのでびっくりした。


中2から大ファンの私、もちろん声をおかけした。
翌日、舞台を拝見したあとに楽屋を訪ねると
「おっ、あなた、きのうお会いしましたね」
と覚えていてくださり、またまた感激した。


さて、おととい仙台での仕事が終わり、
食事をしようとホテルで家族と待ち合わせをした。


ホテルには私のほうが先に着いた。
ロビーを見渡すが、父も母も弟もまだ来ていない。


しかし、見知った人を発見した。
向こうは私を知らないけど。


サッチーこと野村沙知代さん。
どうして仙台にいるんだろう?
でも、間違いなくご本人。


あとで知ったことだけど、野村監督が仙台入りしてらしたのね。
楽天の新監督ということで。


サッチー、テレビで拝見するイメージより小柄な方でした。

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2005-12-01

大学病院で

息子の検査の結果を聞きに1週間ぶりの大学病院。


先週の検査直後には
白血病などの深刻な病気でないことがはっきりしただけ
ほっとした。
でも、その時点で肝心の病気のもとはわからなかった。


はてさて、息子を苦しめたウィルスはなんだったのか。
今日は興味津々で病院に行ったのだが、
今回の検査ではウィルスが特定されなかったとのこと。
つまり、代表的なウィルスではなかったということらしい。


「まあ、ウィルスはたくさん蔓延してますから」と医師。


ふーん。
名もないウィルスのせいでこんなに苦しい思いをするんだなぁ。
でも、命にかかわる病気じゃなくてほんとうによかったね、
と診察室をあとにし、会計へ。


会計カウンター前は順番待ちの患者でいっぱい。
なんとか空いてるソファーを見つけ、私と息子もしばらく待った。


ぼーっとカウンターに並ぶ人たちを見るともなく見ていたら
黒ずくめですっと姿勢のいい男性が目にとまった。
私より年上だと思うが、たたずまいがかっこいい。
まるで舞台俳優の市村正親さんみたい。


少々疲れ気味だった私は、なおもぼーっとしながら
正親さんに似てるなぁ、なかなか素敵だなぁと思っていた。
すると、男性は会計を済ませ、こちらの方に歩いてきた。


うわっ。
市村正親さんだ。
ご本人だ。


息子も後ろ姿を見ながら、似てるなぁ、でもまさかなぁ、
と思ってたんだそうだ。


「本人だったね」と思わずうきうきする息子と私。
来春、彼と藤原竜也の二人芝居を観に行く予定を入れたばかり。
思わぬ偶然。

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2005-11-23

まんが日本昔ばなし

10月から「まんが日本昔ばなし」が
ゴールデンタイムに放映されている。


「ぼうや~よい子だねんねしな」のなつかしいメロディ。
市原悦子さんと常田富士男さんのあったかい語り。
またテレビで見られるのはうれしい。


今夜のお話は「かもとりごんべえ」と「座頭の木」。
夕食の準備中、息子がソファーに横たわりながら
テレビを見て笑っていた。


「病気の身には刺激が少なくていいよ」と息子。
ごんべえにあははとまた笑う。


「まんが日本昔ばなし」は息子にとってもなつかしい番組。
小さいころ、早朝の放送をビデオに録っていて
気に入ったお話は繰り返し見たものだ。


亡くなった祖母も好きだったなぁ。
土曜というと夜の放映を楽しみにしていたっけ。


この番組が始まったのは中学1年だった1975年。
土曜の夜はバレエの稽古で帰宅が遅かった。
だから、祖母の楽しみをよそに
私自身はほとんど見ることができなかった。


ちゃんと見られるようになったのは母親になってから。
ちいさな息子と一緒に欠かさず見た。


絵が素朴でいいし、
悦子さんと常田さんの語りはほんとに味わい深い。


来週は「牛若丸」と「たのきゅう」だって。
「たのきゅう」、おもしろそう。

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2005-11-20

Qちゃん復活

Qちゃん復活はうれしかったな~。
素晴らしいレースだった。


自分自身走るのは好きじゃないし、
マラソン競技も「欠かさず見なきゃ」ってほど関心が高いわけでもない。


ただただQちゃんが走るからテレビの前に座っていた。
そういう人多いんじゃないかなぁ。
彼女の明るさや前向きな魅力に惹かれて、っていう人。


テレビに映る彼女の筋肉はとても美しくて
ほぉーっと見とれていたら
夫が「健ちゃんの筋肉も美しかったよなぁ」といい出した。


健ちゃん、とは荻原健司さんのこと。
ノルディック複合のキング・オブ・スキー。


冬の観戦は寒くてつらい。
でも健ちゃんの勇姿は間近で観たい。
で、観に行ったのが5年前の9月、白馬のサマーコンバインドだった。


選手たちは、雪はないけどちゃんとジャンプ台から飛び、
クロスカントリーの代わりにコースを延々とランニングした。


すぐ目の前を走っていく健ちゃんの汗に光る筋肉は
ため息がもれるほど美しかった。


このサマーコンバインドの当日、
遠いシドニーでQちゃんがいちばんにゴールした。


健ちゃんもQちゃんも、けっしてつらさを表に出さない。
あきらめず、くさらず、感謝を忘れず、前に進み続けたアスリートたち。


Qちゃんの空白の2年間、
きっと他人にはうかがい知ることのできないつらさがあったことだろう。
だけど、それすらも
「前に進むためのステップだった」と笑顔で語るQちゃん。


よかった。ほんとうによかった。
おめでとう、Qちゃん。

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2005-10-26

連載小説

産経新聞の連載小説・宮部みゆき氏の「楽園」に
水野真帆さんが挿絵を描いている。


私の本「不安な気持ち・いやな気分がラクになる本」に
絵を描いてくださったのは真帆さん。
彼女の描くアリス、私は大好き。
(私の本の中で笑ったり泣いたりしています)


この間久々に彼女のHPをのぞいて連載のことを知った。
見なくちゃ、産経新聞!
ということで、さっそくとなりのサンクスで買ってきた。


どこだ、どこだ、連載小説。
うちでとってる日経は最終面に小説があるので
ぴらっと開けば否が応でも(見たくなくても)目に入るけど、
他紙は違うのね。


がさがさ探してやっと見つけました。
あー、真帆さんの絵。
やわらかでやさしいタッチ。
真帆さんのほわんとした笑顔が目に浮かぶ。


1年の連載っていうのは長丁場だと思うけど
毎日すてきな絵を読者に届けてほしいな。


小説のほうもおもしろそう。
1回分読んだだけで前後が読みたくなった。
単行本になったら読んでみたいけど、真帆さんの挿絵入りかなぁ。


ところで、うちで取ってる日経新聞。
否が応でも、見たくなくても、毎朝目に入る連載小説はひどいシロモノ。
どぎつい挿絵に苦笑させられることもしばしば。
もううんざり。


日経も産経みたいに面白くてすてきなの、連載してよ。

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2005-10-18

あまきものっ(ヘヘィ)

いま息子とはまってる歌がある。


「あまきものっ(ヘヘィ)
ちゃちゃらちゃらちゃらちゃらちゃらちゃらら」


もとの歌詞がよくわからないもんだから
替え歌にして、合いの手入れて、振付つけて、
腰をふりふりバカみたいに歌っている。


これ、「あまきもの」という「天保十二年のシェイクスピア」の劇中歌。
歌うのは藤原竜也。


そもそも「天保十二年」はシェイクスピアのパロディー。
だからというわけじゃないけど、
私たちはたっちゃんのパロディーで歌ってる。


彼の歌と踊りはご愛嬌だったな~。
もともといい声だし、身体能力も高いから期待したんだけど、
残念でした。
「いい声=歌がうまい」「運動神経バツグン=踊りがうまい」
という方程式が成り立たないのはよくわかってたはずなのに
「彼は天才だからなんでもうまいかもしれない」と思い込んだのね。


どうしても踊りに対しては見る目が厳しくなっちゃって。
習性です。


私たちのバカ歌、
劇場に来てた藤原竜也ファンに知れたら袋叩きにされちゃうな。
とにかく彼の人気は大変なもので、
彼が舞台に出てくると客席の温度がぐっと上がる感じがするほど。


私たちの真後ろに座っていた50、60代のオバサマたちなんて
たっちゃんの一挙手一投足に
「ぐふっ」とあからさまな声をあげてたもの。


私も息子もそうなんだけど、「すべてがいいっ!」と神様みたいに
あがめるファンではないんだな。
「ロミオとジュリエット」「近代能楽集」のたっちゃんは好きだけど、
映像はどうもなぁ、とか。


ただ、なんでも新しいことにチャレンジするのは大切。
役者だってそう。
私たちファンも食わず嫌いをせずに、若い俳優の挑戦を見守りつつ
成長を楽しみたいものです。

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2005-10-16

To be or not to be

本棚を探したらあった。
「シェイクスピアより愛をこめて」。
シェイクスピア翻訳で有名な小田島雄志氏の本。


買ったのは高校生のときだと思う。
1200円は当時の私にはとても高くて迷ったけど、
それでもほしくて思い切って買ったように記憶する。


ページをめくるとやっぱりあった。
ハムレットの有名な独白「To be, or not to be」の
代表的な日本語訳。


最初の訳は明治7年、イギリスの通信員によってなされた
「アリマス、アリマセン、アレハナンデスカ」。


笑っちゃうよね。
ハムレットが深刻な顔して「アリマス、アリマセン」って。


実は、きのうの「天保十二年のシェイクスピア」で
明治から昭和にかけてさまざまに訳された「To be, or not to be」を
言い分けるシーンがあったのだ。
演じたのは「きじるしの王次」の藤原竜也。


つくづく思った。
「To be, or not to be」って奥が深いのね。
訳し方によって伝わり方が全然違ってくる。


そしてさまざまな「To be, or not to be」の最後を飾ったのが
「アリマス、アリマセン」。客席は笑いの渦。
笑いながらあれ、私これどっかで読んで知ってたな、と思ったのだった。


それにしても、「To be, or not to be」のような正統派の芝居でこそ
藤原竜也は光るなと思った。
はじめて観る彼の歌と踊りを結構期待してたんだけど、
う~ん、天はニ物を与えずというか。


出演者すべてが芸達者だった中で、特に印象的だったのが毬谷友子。
オフィーリアとジュリエットのモチーフを演じたんだけど、
これぞ!というはまり役。繊細で、うまい。
ぜひ全幕通しての両役を観たいものだと思った。

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2005-10-15

天保十二年のシェイクスピア

井上ひさし作・蜷川幸雄演出「天保十二年のシェイクスピア」
をシアター・コクーンで観た。


シェイクスピアの全37戯曲を盛り込んだこの作品、
休憩含めて4時間の長さ。
1974年の初演版は5時間かかったらしく、
今回作者自らが手を入れ、短くしたんだとか。


今公演は、蜷川氏の70歳の誕生日を記念しての
いわばガラ・コンサート。
(ちょうど今日がその誕生日だったそうで
夜の公演後舞台上でお祝いがあったらしい。
私たちが行ったのは昼公演。残念)


顔を揃えたのは唐沢寿明、藤原竜也、篠原涼子、夏木マリ、
高橋惠子、白石加代子などなど豪華メンバー。
いやはや贅沢。


下総の国、清滝という宿場町を舞台に、芝居は繰り広げられる。
旅籠の老親分と三人の娘たちの話は「リア王」、
その長女はのちに「ハムレット」の母・ガートルードになり、
次女はマクベス夫人になったかと思うと「オセロ」のデズデモーナになり、
三女はジュリエットになって、たぶん他の何かにもなってたんだろうな。


中学から高校時代にかけてけっこうシェイクスピアが好きだったので
そこそこ有名なところは知ってたつもりだけど、
全作品は知らないし、忘れちゃったのもいっぱいあるし、
全部わかってたらもっと楽しめたかも。


でも、知らなくたってじゅうぶん面白かった。
よくもまあこんなにシェイクスピアで遊んだものだと
まず井上ひさし氏に脱帽。
(終演後にお見かけし、息子が声をかけた。
気さくに応じてくださり、「こんな若い人も観てくれたんだ」
と喜んでらした。
父にとっては仙台一高の先輩、仙台の誇りです)


70になっても衰えるどころかますますパワーアップしている
蜷川氏のエネルギーにも感服する。


井上氏も71歳で、間近で拝見してもとても若々しかった。
70代ってこんなにもパワフルなんだと認識を新たにした感じ。

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2005-09-25

うれしい再会

息子は今日まで行事代休・5連休。
私もそれに合わせて東京を脱け出し、小休止&充電。
おかげで「また明日からがんばるぞ」とやる気満々だ。


気力十分なのは、宿泊先でうれしい再会があったからでもある。


「ねぇねぇ、来て来て!」と夫が息せき切って駆け寄ってくるので
何事!?と思うと、彼が指差すほうに見覚えのある後姿。
急いで追いかけ回り込んだら、やっぱり!
マルヤマさんだ。


「あれぇっ、偶然だねぇ!」とマルヤマさんもびっくり。
私たちもびっくりです。


マルヤマさんとの出会いは、さかのぼること4週間にも満たない。
8月の終わり、北海道のクラブメッド・サホロに滞在中のことだ。


気心の知れたG.O.(クラブメッドのスタッフ)たちとおしゃべりしていた時
マルヤマさんは現れた。
時刻はちょうど夜中の12:00。
「いやぁ~、さすがにニュージーランドから直行は疲れたよ」


G.O.によれば、マルヤマさんは日本とニュージーランドを
行き来している歯医者さんだという。
ニュージーランドから北海道まで、か。そりゃ疲れそうだ。


ところが。
翌朝見かけたマルヤマさんは
汗びっしょりでバスケットボールをしていた。


そのあとに見かけたときも、これまた汗びっしょりでサッカーしてた。
前日の長旅の疲れなんてみじんも感じさせない。


ひぇ~。
踊ってたとき「気力は人一倍」、でも「体力は人並み以下」だった私には
信じられないほどタフ。
すごいです。


金髪&焼けた肌、と独特の風貌のマルヤマさんは
実にオープンマインドでもある。
飾らず自然な語り口で旧知の仲のように話しかけられ、
あっという間に私たちはマルヤマさんと親しくなった。


9月から心機一転、
アグレッシブなほどアクティブにカラダを動かしているのは
多分にマルヤマさんの影響だ。


さあ、明日からがんばるぞ。

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2005-09-16

ジェットコースター

いまの世の中、危険だらけ。


エスカレーターだって回転扉だってあぶない、あぶない。
ホームで電車待ってても、知らない誰かに突き落とされかねない。
飛行機はこのところトラブル続きで、安心して乗ってられない。
うちにいたって、いつ大地震に襲われるかしれない。


いまや、どこに行っても「絶対安全」はありえないんだろうな。


と思ってたら、富士急ハイランドでジェットコースターが
地上60m地点で停車したというニュース。


ち、地上60m?
そんなところで止まっちゃうなんて、滑り落ちるよりこわいじゃない!?


乗客はレール脇の階段を歩いて降りたんだとか。
おそろしい!


「ジェットコースターなんて、絶対乗らない!」
ラクーアのサンダードルフィンを見上げながら私はきっぱり言い放った。


サンダードルフィンは、約80mの高さから約80度で落ちる
ラクーア目玉のジェットコースター。
うちの息子は大好き。


「いくらかお金もらったら乗る気になる?」と夫。
――100万円なら考えてもいいけど、それ以下なら絶対ダメ。


「じゃ、藤原竜也が『一緒に乗りませんか』っていったら?」


――乗ります。


即答。


自分でもあきれるほどのミーハー。


ま、絶対にありえないけど。
万一あったとしても、一緒に乗って喜ぶのは同じくファンの息子だろうな。

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2005-07-31

尊敬するわが恩師

毎年この時期、恩師からお招きをいただいて
調布に出かける。


先生は私にバレエの基礎と「プロ意識」を築いてくださった
もっとも尊敬する恩師。
その先生のスタジオ公演を拝見するために
例年息子を伴って伺うのだ。


先生には9歳から17歳まで教えていただいたが、
ほんとうにこわかった。


口数は少ないけれど、けっして妥協を許さない。
小柄なからだはいつも威厳に満ちていて
稽古はほんとうに厳しかった。


9歳ではじめて先生のレッスンを受けたとき、
あまりのこわさに縮み上がった私はこっそり泣いた。
カルチャーショックだった。


「あらぁ、大きくなったわねぇ!
そのうち見上げるようになるんじゃない?」
開演前、劇場のロビーで1年ぶりにお目にかかった先生は
息子を見て相好を崩された。


この年になってやっと
先生と向き合っても緊張せずに話ができるようになった。


稽古場を離れれば、先生は笑顔がチャーミングで、
時々お茶目で、実はとっても優しい方なんだと
わかってきてはいたけれど、
それでもやっぱりおそれ多くてまともに口がきけない私だった。


こわいけど尊敬する大好きな先生。


「そういうのって、いいねぇ」
と息子がうらやましそうにいった。

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2005-07-28

おでん三吉

「今度仙台に帰ったら『おでん三吉』のとうふが食べたい!」
と息子がいうので、望みをかなえるべくおでん三吉に行った。


息子を三吉にはじめて連れて行ったのは、4年前の七夕まつり。
「えぇ~っ、夏におでん!?」としぶしぶ入った彼だったが
なぜか夏のおでんにはまってしまった。


その晩、カウンター席には面白いお客さんたちが揃っていて、
知らないもの同士旧知の仲のように話がはずんだ。
とりわけ息子は初対面の方におこづかいをいただくという
めずらしい体験をした。


息子はどぎまぎして困っていたんだけど
三吉のおやじさんに「もらっとけ」と言われ、
ありがたく頂戴することにしたのだった。


三吉ののれんをくぐるのはどれくらいぶりかな。
カウンター席に座るとおやじさんはすぐに気づいて
「おお、ひさしぶり! 大きくなったなぁ」と声をかけてくれた。


私が三吉にはじめて行ったのはたぶん高校生のころだ。
たしかお芝居の帰りかなんかに母に連れられて入ったんだと思う。
寒い冬の夜で、やっぱりカウンター席だった。
おやじさんはまだ元気だった先代のほうだったんじゃないかなぁ。


さて、今夜の息子は好物のとうふを4つも食べて満足。
以前一晩に8つ食べたことがあるが、今日はバランスよく食べた。


店内のテレビは楽天イーグルスの試合を映していて
イーグルスのバッターが塁に出るたびにお店の人もお客さんもわく。


そういえば、イーグルス関係のニュースでは
きまっておやじさんと息子さんの顔が映ってたっけ。
いつも大勢の市民の先頭で盛り上がってた。


「おじさんの顔、東京でもテレビで何度も拝見しましたよ」
と声をかけると、おやじさん、うれしそうに笑った。

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2005-07-27

私には神様だけど

TAP BOYSの少年たちにイメージをふくらませてもらうため
ダンスのビデオを見せた。


1本は「リバーダンス」。
いわずと知れたアイリッシュのタップ・ダンス。


1曲はこのイメージで振付けているので
お手本としてしっかり見てもらった。
彼らも「かっこいい…!」とため息。


もう1本は20世紀・21世紀を代表する振付家、
モーリス・ベジャールのボレロ。


こちらはからだの伸びを知ってもらうために
見せたんだけど…
少年ふたりの反応を予測するのを忘れてた。


ひとりは「この人、きもちわるい…」とぼそり。
もうひとりは「なんかおかしい、あははははは」と
ソファーでひっくり返って笑いころげてる。


これ以上見せてもしょうがないや、と悟った私、
「とにかくこんなふうにからだを伸ばしてねっ!」
と訓示をたれてさっさと終わらせた。


よくも私の尊敬するジョルジュ・ドンを笑ったな~!
いまは亡きジョルジュ・ドンのボレロだぞ!
「愛と哀しみのボレロ」で一世を風靡したボレロだぞ!
ミーハーな私が、目の前を通ってったのに
緊張のあまり声をかけられなかったジョルジュ・ドンだぞ!
くぅ~っ!


「あのふたりにいきなりボレロは無理だよ」
と息子。
「あれはさ、バレエ上級者向けだよ」


そっかぁ。


ベジャールもドンも私にとっては神様みたいな存在だけど、
それを彼らに押しつけちゃいけないね。

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2005-06-30

彼はいま…?

お昼を食べながら「笑っていいとも!」を見ていたら、
初代仮面ライダーの藤岡弘、が出ていた。
(この方、お名前のあとに「、」を打つのです。変わってます)


ひさしぶりに拝見したけど、若いなぁ~。
仮面ライダーの頃とさして変わりないような印象すら受ける。
ネットで生年月日を調べてびっくり。59歳ですって。見えない。


タレント(特にかつてスターとして華々しかった人)の中には、
むかしの若々しいイメージに固執するあまり
がんばりすぎてかえって痛々しい印象を与える人もいる。


その点、藤岡さんはちっとも無理してる感じがなく、自然体。
そのうえ若い。理想的。


ふと、いまマーク・ハミルはどんなふうになってるだろうと思った。
私の永遠のヒーロー、「スター・ウォーズ」のルーク・スカイウォーカー。


「スター・ウォーズ」シリーズ以降ヒットに恵まれず、
すでに「あの人はいま」的な存在かもしれないけど、
現在52歳、まだまだ活躍してほしいと思うのがファンの心情。


ネットで検索すると、今回の「スター・ウォーズ/エピソードⅢ」の
プレミアに出席したマーク・ハミルの画像がいくつも出てきた。


…!


見ないほうがよかったかも…


…いや、見なかったことにしよう。


15の夏に心ときめかせてくれた
「まっすぐなまなざしのルーク・スカイウォーカー」のまま、
この胸にしまっておくことにする。

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2005-06-23

父からのおみやげ

母と弟が東京にやってきた。


05-6-23「これ、パパから」と母に手渡された新聞の切り抜き。
なんと、藤原竜也のインタビュー記事。


「ええ~っ、じじ、わかってるんだぁ!?」と息子がおどろく。
ちょっとびっくりしちゃうのも無理はない。
父と直接たっちゃんについて語り合ったことないもんね。


だけど、受験直後にわざわざたっちゃんの千秋楽を観るために仙台に帰ってるし、
この間さいたまに観に行ったのも母経由で知ってるし。
娘と孫息子が藤原竜也のファンだってこと、父にとっては百も承知か。


だけど、すごくうれしいよね。
父が新聞を読んでるときにふと気をとめて、
私たちのためにわざわざ切り抜いてくれたことが。


父ってむかしからそういうところあった。
私が熱を上げたりはまったりしてることをさんざんけなすんだけど、
思いも寄らないときに情報提供してくれたりして。


ちゃんと見ててくれてる、っていうのがうれしい。


ありがと。

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2005-06-22

ちがうんだけどなぁ

朝の主婦向け情報番組「はなまるマーケット」に
藤原竜也が出るというので、録画して夜に家族で見た。


彼がトークで出演しているのをいくつか見た印象だけど、
お母さんが好きなんだねぇ。
よく話題にお母さんが出てくるもの。
(ただ、「お母さん」って言っちゃうのはちといただけないぞ。
「母」って言おうね、たっちゃん)


今回も、先日ニューヨークにお母さんを連れて行ったことを
うれしそうに話していた。
1週間の滞在中、仕事はニューヨーク公演の記者発表だけ、
残りの6日間はずっとお母さんと一緒だったとか。


「ほんとに仲がいいんだねぇ」と夫が感心してつぶやいたのとほぼ同時に
司会の薬丸裕英が「えらいですねぇ」と言った。


「『えらいですねぇ』?」
すぐさま聞きとがめたのは息子。
「ちがうだろ。わかってねぇなぁ」


そうだね。私も違和感覚えた。
たぶんたっちゃんは仲良し親子のありのままを話していて
彼にとっては自然なことだったんじゃないかと思う。


でも、やっくんには
「23歳・年頃の男の子がお母さんに1週間もお付き合いする=『えらい』」
というありがちな図式が思い浮かんだんだろう。


むかし私が年頃の娘といわれていたころ、
自閉症の弟を連れてふたりで出かけると
「えらいわねぇ」「けなげねぇ」なんてよく言われたもんだ。


ちがうんだけどなぁ… 
ま、いっか。
…なんて思ったものでした。

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2005-06-03

近代能楽集

三島由紀夫・作、蜷川幸雄・演出の「近代能楽集」を観てきた。


この作品は「卒塔婆小町」と「弱法師」の二本立てで、
7月半ばまで国内公演をした後、ニューヨークで公演をする。


私も息子も1週間分の寝不足を抱えたまま客席に身をうずめた。
退屈な舞台だったらふたりとも「意識不明の重態」状態になる可能性大。
開幕前に眠気覚ましのフリスクを口にほうりこむ。


しかし、それは杞憂に過ぎなかった。


じわじわと劇場内の空気が濃密になってゆき、
どんどん舞台にひきこまれるうち
やがてまばたきさえ惜しいほどに集中していった。


美しい日本語を、なんて美しく話すんだろう。
そして、なんて豊かに想像力をかきたてるんだろう。
役者のことばと表情からイメージははてしなくひろがり、
舞台の上に見えている以上の美しい絵が目に浮かぶ。


脚本と、演出と、役者の三位一体がなせるわざ。
どれかひとつが欠けてもこうはいかない。


われらの藤原竜也は「弱法師」に主演、
あまりの圧倒的な存在感に打ちのめされそうになるほど。
彼が演じるのは、5歳に戦火で目を焼かれ盲目になった青年・俊徳。
汗をほとばしらせてのた打ち回る彼の後ろから、
無数の人々の阿鼻叫喚が聞こえてくるような気がした。


舞台中央に俊徳ひとりを残したまま背景の幕すべてがざん!と
落ちる幕切れは、ひとりで客席に座っていられないほどの
いいようのない恐怖を感じた。


こんなことはじめて。
その感覚は息子も同じだったらしい。
ふたりとも、しばらく客席から立ち上がれなかった。

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2005-05-27

「ドン・キ」、そしてスペシャルDVD

息子の中間テストも無事(っていったら皮肉?)終わり、
民代さんの「ドン・キホーテ」を観てきた。


民ちゃん、絶好調!
もともと「ドン・キ」のキトリは彼女の当たり役。
なんたってキュートでキレのある町娘ぶりが魅力的。
麗しのノーブルなお姫様もいいけど、
ハッキリした感じの役どころだとこれまた冴える。


「ドン・キ」は肩が凝らずに楽しめていい。
質の高いダンサーたちによるものなら文句なし。
日頃の疲れも吹っ飛び、ああ、私もがんばろう、って元気がでた。


さて、民代さんの舞台のときは、客席でご主人の周防さんを探し出す。
いつもならあたりさわりなくごあいさつするだけなんだけど、今日は違ってた。


この前買った「Shall we ダンス?」のDVDにサインをお願いしたら周防さん、
途端に相好を崩されて。
思わず話がはずんでしまった。
(周防さん、息子に「(試験は)終わっちゃえばいいんだよー」)

05-5-27
終演後、民代さんにもサインをいただく。
「ふたりでこうしてサインするの、めずらしいよねー」ですって。


こうして「Shall we ダンス?」は
ジャケットサイン入り・スペシャル・プレミアDVDと相成りました。

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2005-05-20

江守徹さん

江守徹さんは最近すっかりバラエティ番組の常連と化している。
テレビをつけたら、さっきも売れないお笑い芸人が
江守さんを「バラエティタレント」呼ばわりしていた。
29年来のファンにすれば、許しがたい侮辱! 
でも、ご本人はちっとも意に介していないようだった。


江守徹という俳優は、日本の演劇界が誇る天才だと私は思っている。
その力があますところなく発揮されるのはなんといっても舞台だ。
主演に演出にと精力的に活躍しているのをあの芸人、知らないのね。
バラエティはその合間に出てるんだぞ、きっと。


江守さんには何度かお目にかかったことがある
(サインをもらったり、記念写真を撮ったり、という程度だけど)が、
感激するほど気さくで、テレビで見たままの方。


高1のとき、旅公演で仙台に来ていた江守さんを街で見かけた。
14歳に江守さんのハムレットを観て以来、私にとっては憧れの存在。
もちろん、ドキドキしながら声をかけた。
翌日、舞台の楽屋を訪ねると「おお、きのうお会いしましたね」。
覚えててくださるわ、こころよく写真撮影に応じてくださるわで
ますますファンになった。


7年前、市原悦子さんとのふたり芝居「ディア・ライアー」を
観に行ったときのこと。
当時小学校3年生だった息子が楽屋口で江守さんに声をかけると
「えぇっ、(こんなにちいさい)キミが観たの!?」とびっくり。
でも、息子の背まで腰をかがめ、カメラに向かってにっこりしてくださり、
これには息子も感激。
息子の小さい顔の隣で、お顔の大きさが際立って見えた。


そういえば、「ディア・ライアー」の客席で息子は隣のご婦人に
声をかけられた。
「ぼうや、江守さんの息子さん?」
えぇっ、どうしてそんなふうに思ったんですか?
いくらなんでも、それって年齢的にちょっと…


たしかに客席に子どもの姿はほとんど見当たらなかったから
ふしぎに思われたのかもしれないけど…

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2005-05-12

きもの入門

急にきものを着てみようと思いたったものの、きもののことを何も知らない。
母がいろいろ教えてくれても、それが何を意味するのか
わからないこともしばしば。


ということで、「きもの入門」という本を買った。
きれいな写真がふんだんで、見てわかりやすい。
帯(もちろん本のオビ)には「初心者に必携の1冊」。
ほんと、まさに私向き。


自分が興味を持ちはじめたせいかもしれないけれど、最近きものがよく目につく。
新聞やテレビでは、「いま、きものブーム」なんていってるし。


本屋さんでもきもの関係の本が思った以上に多くて驚いた。
とくに若い世代を意識した本がずいぶん出ていた。


若い女性のきもの姿といえば、
成人式か初詣、卒業式くらいしかお目にかからないけど、
藤原竜也の「ロミオとジュリエット」を観に行ったときには
客席で何人ものきもの姿の女性を目にした。
12月の東京公演でも、2月の仙台公演でも。
なんでだろう? 単なる偶然とも思えない。


よーく見ると、彼女たち、着慣れていないのがしろうと目にもわかる。
ヤクザ映画の渡世人みたいにばっさばっさと豪快な外股もいれば、
すっかりぐずぐずに着崩れちゃったお嬢さんもいて、
どうしてわざわざきものなのかふしぎ。


そういえば、公演前のトーク番組で藤原竜也が「和服の女性が好き」
って言ってたっけ!? 
なるほど、そういうことか。夫・息子とともに納得。


う~ん、でも彼の真意は「和服のたたずまいの美しいひと」って意味だよね、
きっと。


きものにはきものらしいたたずまいやしぐさが求められるもの。
そういってる私も、正座が苦手なの思い出した…

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2005-05-09

見逃した舞台

映画の「オペラ座の怪人」、終わっちゃったかと思ったらまだ日劇でやってる。
よかった。
どうせ観るならやっぱり映画館のでっかいスクリーンで観たいもんね。


映画って、いつでも観に行けると思っているうちに終わっちゃってて
がっかりすることが多い。
ま、いいや、DVDで観れば、とも思うけど、DVDで観ていい映画だったりすると
ああ、無理してでも映画館に行って観ればよかった、と
後悔することになるのよね。


とはいえ、映画の場合、DVDで観られるからまだいい。
舞台の場合は、見逃したらもう二度とそのチャンスはめぐってこない。


いままでにも見逃して後々まで後悔した舞台は数多い。
その当時、その舞台に興味がなかったり、知らなかったりするなら仕方ない。
そうじゃなく、観に行こうかどうしようかさんざん迷ったのに行かず、
そのうえ、後でその舞台の評判がものすごく高かった、
なんていうのがいちばん後悔のもと。


江守さんのひとり芝居「審判」しかり。
これまた江守さん出演の「アマデウス」しかり。
そして最近もっとも後悔したのが藤原竜也の「ハムレット」。


この「ハムレット」、WOWOWで放映したビデオを
貸してくださる方がいたのがせめてもの救いだけど。
(地獄に仏ってこのこと。感謝!)


今月半ばから新国立劇場で上演される
井上ひさし・作、内野聖陽・主演の「箱根強羅ホテル」、
これはどうしても観たいと思っている。
チケットがなかなか手に入らずくじけそうだけど、当日券、って手もある。


これも見逃すと後悔しそう、という予感があるんだよね。

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2005-04-18

ゴキゲンな民代さん

周防監督の「Shall we ダンス?」、DVDになればいいのにね~、
と息子と話してたらたんに私たちが知らないだけだった。


05-4-18なんとなくAmazonで検索してみるとなんと、
今月はじめに出たばかり。
さっそく注文し、今日届いた。


特典映像がいくつもあるなかで真っ先に見たのは民ちゃん、
いえ民代さんのインタビュー。
(※私たちはご本人に対して畏れ多くも「民ちゃん」などとなれなれしく呼んだりはしません。
ただ、周防さんがそう呼んでらしたのでひそかにまねしているだけ)


インタビューの民代さん、はじめは椅子に深く腰掛け、ことばを選んでいる様子。
でも、話すうちにだんだん興がのってきて
身は乗り出すわ、目は見開くわ、早口になるわ、大笑いするわ、
たいへんな盛り上がりよう。
「民ちゃんがこわれちゃったよ~!」
と見ている私たちも盛り上がる、盛り上がる。


Shall we ダンス?の美しく、誇り高く、気品あるイメージとはうらはらに
民代さんは気さくで陽気な一面ももつ。


ゴキゲンな民代さんも素敵です。

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2005-04-13

モノはどんどん進化する

ついに念願のHDD・DVD・ビデオ一体型レコーダーを買った。
これ、HDD(ハードディスク)にもDVDにもビデオにも録画ができるシロモノ。


なにがいいって、相互にダビングができる。
ああ、これでおびただしくたまったビデオが整理できるのね。
いちいちビデオの残量を気にすることなく録画できるし。


それにしても、モノの進歩っていうのはすごい。
「うちにビデオデッキがある」というクラスメートが
ぽつぽつ現れ始めたのは高校時代、25年以上前のこと。
いまじゃ時代遅れになりつつあるビデオデッキも当時は高嶺の花。
とてもとても気軽に買える時代じゃなかった。


そんなころ、NHKで木村光一演出・江守徹主演の「ハムレット」が放映された。
私が中2のときにであった運命の芝居だ。
上演から1、2年たっての舞台中継だった。


いまなら「即・録画→永久保存版」となるところだけど、
当時は録画の手立てそのものがない。
とにかく、放映開始時刻に居ずまいを正してテレビの前に座った。


その後、高校の国語担当の先生がカセットテープに一部始終を録音したと
聞きつけ、ダビングしてもらった。
学校から帰ると毎日カセットデッキでテープを聞いた。
聞くたびに江守さんのハムレットが脳裏によみがえった。


そのテープ、いまも大事に持っている。
だけど、テープを再生するものがないのよねぇ。


今度専門業者に頼んでCD-Rにダビングしてもらわないと。

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2005-03-06

胸がすくほどの悪さ

周防正行監督の「Shall we ダンス?」でバレエファン以外にも一躍有名になった
草刈民代さん。
あの映画を観て当時6歳だった息子は美しい民代さんにひとめぼれした。


以来、彼女の舞台は息子とともに時間の許す限り観に行っている。


実は、私が文化庁の国内研修員で橘バレエ学校に1年在籍していた時、
彼女とは同じクラスだった。
最初で最後のバレエ団の公演でも、「花のワルツ」で同じパートを踊っている。


民代さんは10代半ばの当時から圧倒的な存在感を醸し出していた。
それに対し、いなかから出てきたばかりの“でぶまっしぐら”だった私は
「彼女のような“選ばれた人”こそが真にバレエをやるべき人なんだな」
と悟り、打ちのめされたものだ。


今日、彼女の出演する「三銃士」を観てきた。


剣士ダルタニヤンと、アトス・アラミス・ポルトスの三銃士が大活躍の
胸躍るエンターテインメント。
「もう一度観たい!」と思うほどおもしろかった。


民代さんが踊るのは、王妃の侍女で実はスパイのミレディ。
このミレディ、実に悪いヤツなのだ。
ふつう、仮面の下に悪を忍ばせ…という展開になりそうな