2009-04-11

母の“洗脳”

息子をはじめて劇場に連れていったのは、
1歳の誕生日を迎える前のことである。


ベビーカーで赴いた先は、私の恩師のバレエ公演。
もちろんずっと客席にいられたわけではないが、
とにもかくにも彼の劇場初体験であることは確かだ。


その後、息子は3歳で本格的な観客デビューをする。
観にいったのは、かつて私も出演した牧阿佐美バレヱ団の「くるみ割り人形」。


シートにちょこんとおとなしくおさまっているちいさな男の子に、周りのお客さんたちは
「まあ、なんておりこうさんに観てるんでしょう」
としきりに感心してくれた。
口々にほめられて、本人もはにかみながら誇らしそうにしていたものである。


ちいさな彼を連れて、映画にもよく行った。
英語で何をいってるかわからなくても、ストーリー展開についていけなくても、
ちいさな息子はおとなしくスクリーンに見入っていた。


要するに、私と夫が映画を観たかった。ただそれだけのことである。
それにしても息子はぐずりもせず、よく付き合ってくれた。


とはいえ、さすがにお芝居となると話はちがう。
いくら劇場慣れしているとはいえ、
セリフだけの凝縮された時間と空間をもちこたえられるとは思えなかった。


あるとき、高1からファンとしてお付き合いのある俳優座の堀越さんを
息子連れで楽屋に訪ねたことがあった。
(お芝居は観ずに陣中見舞いにだけ行ったのだ)


堀越さんは息子にしんみりいったものである。
「キミも早く大きくなってお芝居観にくるんだよ」


しかしそれからほどなく、
息子は小学3年生でストレートプレイも観客デビューする。
市原悦子さんと江守徹さんのふたり芝居「ディア・ライアー」である。


以来、息子とは数々の舞台をともに観てきた。
私が中2で感銘を受けた「ハムレット」を一緒に観たときには感慨深かった。
奇しくも、息子も中2であった。


そんな息子は、大学で「舞台芸術入門」という科目をとることにした。
きのうがその第1回だったのだが、
帰ってくるなり「すっごくおもしろかった!」と興奮気味。
いままでに自分が観た蜷川幸雄作品やシェイクスピアが話題だったという。


先生も、「男の子でこんなにたくさん舞台を観ているのはめずらしい」
と喜んでいたそうだ。
息子は「母に洗脳されたんです」といったそうだが。


確かに“洗脳”だったかもしれない。
とにかく一緒に楽しみたかったから。


でも、その“洗脳”が功を奏して
ともに舞台について語り合えるようになったことは、このうえない喜びである。

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2009-03-07

舞台は格別

考えてみたら、ちょっと贅沢な10日間だった。
4回も劇場(ひとつは映画館だけど)に足を運んだのだから。


野田秀樹の「パイパー」。
Kバレエカンパニーの「放蕩息子」「バレエ ピーターラビットと仲間たち」。
井上ひさし&蜷川幸雄の「ムサシ」。
そして映画「二十世紀少年 第二章 最後の希望」。


どれも別世界を堪能した素晴らしいひとときだった。
とりわけ、おなじ空間で演者とおなじ時間を共有できる舞台は刺激的だった。
生身の人間が発するエネルギーは、やっぱりすごい。


とくに「パイパー」と「ムサシ」。
芝居にはとてつもなく大きな影響力があることをあらためて実感した。


一流の作家に一流の演出家、そして俳優陣もみな一流。
その一流の舞台人たちの才能のぶつかり合いと融合が
大きなエネルギーとなって劇場全体を埋め尽くす。
私たち観客は、そのエネルギーにのみこまれそうになったり反応したりしながら
舞台そのものと一体化していく。


生身同士だからこその反応。
これがたまらない。


できることなら、客席側ではなく向こう側の舞台に立ちたかったものだ、と思う。
身の程知らずは百も承知。
でも、それが子どもの頃からの憧れだった。


そこに立てるのが選ばれた者だけだということもわかりすぎるほどわかっている。
それでも、ああ、あの舞台に演者として立つことができたなら…!と思ったりする。


劇場全体が興奮に包まれ、ひりひりするような昂揚感が胸を焦がす。


ふとわれに返る。
ここまで人を夢中にさせる舞台はすごい。
あらためてそう思う。


やっぱり舞台は格別。
熱い劇場をあとにしながら、素晴らしい舞台に立ち会えてよかった、と
幸せをかみしめるのである。

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2009-03-06

おもしろかった!

雨の外出はおっくうだ。
靴もバッグも雨にぬれるし、かさの分荷物は多くなるし。
「なんかめんどうだねえ」と息子も浮かぬ顔。
「あそこ遠いしさあ」


「遠いしさあ」という今日の目的地は、彩の国さいたま芸術劇場。
池袋から埼京線で約30分、さらに駅から歩いて7分。
どうしてこんなところに劇場があるの?って感じのところに建っている。
ここに行くのは今日で3度目だが、なぜかいつもお天気が悪い。


観に行くのは、「ムサシ」。
井上ひさし作、蜷川幸雄演出、藤原竜也・小栗旬主演の話題作で
おととい初日を迎えたばかりである。


藤原竜也の宮本武蔵、小栗旬の佐々木小次郎ときたら
絶対に見逃すわけにはいかない。
新作なので筋立ては皆目見当がつかないが、
とにかくどんな舞台になるんだろうと楽しみにしていた。


ただ、上演時間を調べたら、休憩を含めて3時間半だという。
「長い…」
息子がまたまた浮かぬ顔をする。


先週観た「パイパー」の2時間で腰が痛くなった彼である。
悪いことに、風邪をひいて鼻水が止まらないという思わしくないコンディションでもある。
私のほうも、おとといの晩ひさしぶりにめまいの発作を起こして頭痛状態。
どうしてふたりしてこんなときに、といささかうらめしくなったが、
「だいじょうぶ?」「そっちこそだいじょうぶ?」といたわりあいながら出かけた。


ところがしかし!
3時間半の芝居が終わったあとの私たちには力がみなぎっていた。
「なんかさあ、元気になったよ、オレ」
「うん、私も」


「ムサシ」、すごくおもしろかったのである。
これぞ極上のエンターテインメント。
芝居ってこれだからいいよね、と素直に楽しめた。


「これ、DVDになったら絶対、買い!」と1幕が終わったところで息子がいったが、
私とて異論なし。
意外な動きに笑い、ことばのあやに感心し、思いもよらない展開に驚き、
普遍的な真理にほろりとする。


役者たちもみなうまかったし、さすが井上ひさし、さすが蜷川幸雄、と思った。
とにかく、文句なくおもしろかった。


すっかり元気になって劇場をあとにした私たち、
強い雨風をものともせず、今度は有楽町めざしてまっしぐら。
急遽夫と待ち合わせて3人で映画を観ることにしたのである。


有楽町の映画館で今日が最終日の「二十世紀少年 第二章 最後の希望」、
これまたおもしろかった。

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2009-02-25

「パイパー」

すりきれ息子と、ややすりきれ母のリハビリ第1弾。


ひさしぶりにふたりしてよそゆきで出かけた。
向かった先は渋谷Bunkamura。
野田秀樹の新作「パイパー」を観るためである。


「パイパー」情報が最初に耳に入ったのは、確か去年の秋だ。
宮沢りえと松たか子が主演と聞いて、息子は色めきたった。
「ぜぇ~ったい、チケットとってよ!!」


受験で疲れきった心を癒すのに
大好きなふたりの女優が主演とはまさにうってつけだと思った。


さて。
息子は癒されたのかというと、あまりの刺激的な舞台に圧迫感を覚え
疲れを増していた。


確かに癒される芝居ではない。
しかし、すごかった。
豊かな語彙と表現があるなら
その「すごさ」をどれだけのことばで表すことだろう。
だけど、私はただただ馬鹿のひとつ覚えみたいに
「すごかった」と繰り返すことしかできない。


とにかくすごかった。
とりわけ、ふたりの女優が手をつないでひたと正面を見据えたまま
おそろしいほどの速さで掛け合いのようにセリフをいいあうシーンは圧巻だった。


機関銃のように飛び出すおびただしいことば、ことば、ことば。
ことばだけで生々しいまでのイメージを呼び覚ますすごさ。
胸元まで迫ってくる宮沢りえと松たか子の強烈な存在感。
そのすべてを観客に突きつける野田秀樹のすごさ。


圧倒され、わけもわからず涙がこみ上げた。


やっぱりすごい。野田秀樹。
そして、思った以上にすごすぎる宮沢りえと松たか子。


劇場をあとにし、ふたりでお茶を飲んだ。
「私もね、アナタが生き延びるためならあの母親とおなじことをするよ」
母親はわが子のためならどんなことだってするのだ。


息子は「大倉孝二がよかったねえ」といった。


Bunkamuraロビーラウンジのホットチョコレートはやみつきになるほどおいしかった。

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2009-02-08

青臭さとまっすぐさと

はじめてその人を舞台で観たのは、高校1年の終わりだった。
舞台は「マクベス」。
その人が演じていたのは魔女と暗殺者。


なんて妖しい魅力をたたえた人だろう。
それに、踊っている時のえもいわれぬ雰囲気。


16歳の私は、ひと回り上のその人にすっかり引き込まれてしまい、
以後、夢中で舞台を観続けることになる。
その人とは、劇団俳優座の堀越大史さんである。


あの出会いからちょうど30年。
今日、ひさしぶりに堀越さんの舞台を拝見した。
ただし、役者としてではない。
堀越さんの演出家デビューの舞台である。


「夏光線」。
社会人になっても草野球を続けている元高校球児たちの話である。
大人になったいまと、部活に追われていた高校時代と、
時が交錯しながら芝居は進む。


楽しく野球をやりたい補欠組と、
勝つことを何よりの目標にするレギュラー組。
双方の反目は、
どちらも自分たちの立場なりに熱くまっすぐな思いを抱えているだけに
かみ合わないことが見ていてやるせない。


彼らは甲子園に出られるわけでもなく、ましてプロに進めるわけでもなく、
いってみれば野球の神さまには選ばれなかった野球少年たちである。
そのかつての野球少年たちが、さまざまな事情や思いを抱えながら
社会人になってもそれぞれのスタンスで野球に向き合っている。


どうして野球をやっているんだろう?という問いかけ。
お金になるわけでも、誰かのためになるわけでもないのに。


でも、それぞれにそれぞれの思いがあるのだ。
高校時代の青さと熱さを胸に抱えたままに。


青年たちに共感できる芝居だった。
高校生の青臭さとひたむきさも、
大人になってからの痛みを知った優しさとせつなさも、
私自身の中にも息づいていると思った。
それはそのまま、堀越さんのまっすぐな思いでもあるのだと思った。


「なんかなつかしい感じでしょ」
舞台が終わった後、堀越さんは私にそういって笑った。


青春のノスタルジー、ってことですか?
いえいえ、私にとっては青臭さもまっすぐさもいまだに現在進行形です。
「いまも“熱苦しく”生きてますから」
そういって私も笑った。


帰り道、ミスチルを聴きながら自分の青臭さと、青春真っ只中のTAP BOYSを思った。


家にたどり着くと、青春&受験真っ只中の息子が第2戦を終えて帰ったところだった。

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2008-12-27

受験後のお楽しみ

ホリプロオンラインチケットからメールがきた。


「抽選の結果、当選となりました」


よかった!
チケット取れた。
「ムサシ」――来年3月に藤原竜也が主演する新作舞台のチケットである。


4日前にはファンクラブから全く逆のメールがきて愕然としたばかり。
てっきり当選を知らせるものと気軽に開いたら、
「抽選の結果、落選となりました」
とあってびっくり。


ええ~っ、そんなことってあるの?
4年前に「ロミオとジュリエット」ではじめて彼の舞台を観て以来、
ひとつたりとも欠かしたくないと思ってファンクラブに入会したのである。
実際、ファンクラブなら確実にチケットが取れるし、
たいてい驚くほど前のほうの席。
「さすがファンクラブ」と安心していたものだ。


それなのに、第3希望まで出して落選だなんて… 
そんなのはじめて。


幸い、ホリプロオンラインチケットでも抽選予約の受付中だった。
ファンクラブでだめなのに、一般で取れるんだろうか、と思わないでもなかったが、
すがる思いで予約の申し込みをした。
とにかくチケットを手に入れなければ、という一心。
で、めでたく当選したというわけである。


席は1階の後ろから2番目。
オペラグラスは必須だが、とにかく取れただけ良しとしよう。
日時も第1希望が通ったので、よかったよかった。


この舞台、3月初めから4月半ばまでとずいぶん長いこと上演する。
ほんとうは、楽日近くの芝居が熟成した頃に観るのが好きなのだが、
今回は「3月初めに」という息子のたっての希望を聞いたカタチになる。


試験日程がすべて終わって進路が決まったら
しばらく羽を伸ばして遊びたい、と息子はいう。
行きたいところもあちこちあるし、
どんなふうに過ごすかはその時になってみないとわからない。
だから、なるべく予定をまとめて空けておくためにも
お芝居の日程は早めにして、ということだったのだ。


実は、「ムサシ」の前の週には
野田秀樹の新作「パイパー」も観に行くことになっている。
こちらは松たか子と宮沢りえという息子の大好きな女優ふたりが主演で、
受験が終わったら絶対、絶対、絶対観たい! といわれていた。
これもチケットが取れるかどうか心配だったが、
1回目の抽選予約ですんなり取れた。
こちらのほうは、楽日ぎりぎりである。


受験後のお楽しみはすでにふたつ用意された。
晴れやかな気持ちで息子と劇場に行けることを願うばかりである。

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2008-10-25

最後の最後

きのうの「私生活」のプログラムに出演者に向けて24の質問が載っていた。
それぞれの答えが興味深い。


質問は「好きな色」にはじまり、「好きな格好」「好きな情景」…、と
好きなものをあれこれ訊いている。


私だったらなんだろう。


好きな色――ワインレッド、ターコイズブルー。
好きな格好――ジーンズとコットンのカットソー。(内野さんとほぼおなじ)
好きな情景―― …うーん、そうだなあ…


…なんて他愛もなく考えながら(結構考え込んじゃうものだ)休憩に読み進んでいると、
橋本じゅんさんの「好きな絵画」に目がとまった。


「作者は知らないが、水面に浮かぶオフィーリアの絵」。


じゅんさん!
それ、ジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」です!
いま東京に来ています!
わあ、教えてあげたい!


…と、ひとり客席でちょっと興奮。


どなたかがすでに教えてさしあげてればいいんだけど。
ついでに、渋谷まで足を伸ばしてほんものをご覧になってればいいんだけど。


そのジョン・エヴァレット・ミレイ展もとうとう明日で閉会。
きのう、これで最後の最後、と思って見てきた。


ふたたび「オフィーリア」の前に立ち、母のことばを思い出す。


「見ている人みんな、きっと自分に重ね合わせていることでしょうね。自分の純粋さに。
人は誰だって純粋だった時がかならずあるんだから」


純粋さゆえの、繊細さゆえの悲しいまでの美しさに、やっぱり涙がこみ上げる。
どうしてこんなにもせつなくなるかなあ…


でも、惹かれるのだ。
純粋さと、繊細さに。
そして、自分の中の傷つきやすさと不器用さが重ね合わさって。


だけど。
いいのかな。


けっして要領よく小器用になんか生きられないけど、私は私。
それでいいのかな。
そう思った。


4回通ってオフィーリアの前に立って、そう思えた。

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2008-10-24

「私生活」

夏の終わりからゲリラ的どしゃ降りに遭遇する確率のなんと高いことよ。
今日も、私が駅から出た途端にじゃばじゃばと雨が激しくなり、
ついでに風もびゅうびゅう。
おかげでまたもや靴もジーンズも見事なまでにずぶずぶ。


そのずぶぬれのジーンズがやっと乾きかけた夕暮れ。
ほんのすこしだけ小雨が残る中、日比谷のシアタークリエに出かけた。
ずうーっと楽しみにしていた内野さんの芝居「私生活」を観るために。


内野さん、と呼ぶのがいちばんしっくりくる内野聖陽さんの舞台を観るのは
「裸足で散歩」以来9年ぶり。


これまでも彼の舞台は観たい観たいと思いつつ、
なかなかチケットが手に入らなかった。
大河ドラマ「風林火山」を1年間通して見て、やっぱり舞台の内野さんが見たくなり、
で、意を決して(ってほどの大げさなものでもないが)ファンクラブに入会。
今回、前から5番目の席で念願の内野さんとの再会(!)を果たしたわけである。


この芝居、共演陣も実に素晴らしい。


寺島しのぶさん。
  (「ヴェニスの商人」で、映像とは違った芝居の上手さに舌を巻いた)
中嶋朋子さん。
  (「オレステス」で見せた、華奢なからだから発せられるエネルギーは圧巻!)
橋本じゅんさん。
  (「ロープ」での軽妙な演技でファンに)


3人ともたっちゃん(藤原竜也)の舞台で見ていた演技派ばかり。
なんとも贅沢。


さて、舞台。
ものすごく楽しみにしていたその期待感はまったく裏切られることなく、
むしろおつりがくるくらい素敵な舞台だった。
上質なラブコメディである。


どたばたなやりとりに笑い、役者の上手さと色気に見とれ。
ことに、内野さんと寺島さんの歌のデュエットはうっとりするほど。
内野さんの弾き語りときたら絶品。


あんまり素敵で、帰り道は夢見心地。
ああ、きっと今夜はいい夢見られそう…

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2008-09-24

終演後のひととき

きのう、「ゆらゆら」終演後、
劇場を出ると予備校帰りの息子が待っていた。


「だいじょうぶ?」
息子が心配そうに顔をのぞきこむ。
「だめ」
私は息子のそばに寄り、思いきり深呼吸した。


「なに?」と戸惑う息子。
鼻の奥にこびりついた魚の生臭さを早く消し去りたかったし、
なにより人の温かみを感じたかった。


すさまじい舞台だった。
嗅覚も視覚も聴覚も揺さぶられどおし。
そして、悦子さんの凄み。


悦子さん演じる静香に近寄れば
誰だって強力な負のエネルギーでぐちゃぐちゃにされるだろう。
しかし、舞台の悦子さんは
どんなに邪気に満ちていようとしびれるほどにかっこいい。


すこし心を落ち着けて、ふたりで楽屋に伺った。


あ。
悦子さんのなつかしい笑顔。


こわばっていたからだがゆるむ気がした。


「テレビ、見た?」
悦子さんがおかしそうに息子に聞く。
息子がビデオをお借りして見られたと話す。
あったかなやりとり。


ついさっきまで目にしていた毒でいっぱいの怪物はもういない。
目の前には大好きな悦子さん。
でも、私のからだの芯はまだ衝撃の余波でふるえていた。


「さわってもいいですか?」
私は悦子さんの手に触れた。
「おそろしかったでしょ? だいじょうぶよ」
悦子さんはやさしくほほえんだ。


それから私は悦子さんの手に触れたまま、話をした。
悦子さんの手はやわらかで、あったかくて、触れているだけで安心した。
心に刺さったままの破片も、やっと溶けて消えた。


「将来ある身なんだから、三度でも四度でも挑戦したらいいのよ!」
“大学二度目の挑戦”の息子に悦子さんは力強くおっしゃり、記念撮影。
「アナタが真ん中よ」
と息子を真ん中にして。


至福のひととき。


悦子さん。
私たち、また大いなるエネルギーをいただきました。

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2008-09-23

ゆらゆら

闇の中で2時間、ずっと身をこわばらせていた。
鼻腔にこびりついた血なまぐさいにおいに嫌悪しながら。


時にいいようのない感情に襲われて涙があふれる。
闇の中で孤独感にさいなまれながら。


市原悦子さん主演「ゆらゆら」。
今日、拝見してきた。
鐘下辰男氏作・演出の作品は3年前の「ヒカルヒト」に続き、2作目である。


「ヒカルヒト」を観た時、私は「これほど観ていて苦しかった芝居はない」
と感想を残している。
だから今回も覚悟を決めていった。


でも私の覚悟などちっぽけなものだったと、芝居がはじまってすぐに思い知らされた。


38歳の男が犯したことばにするのもおぞましいほどの猟奇殺人を軸に、
その息子をかばう母親、神経症的におびえ続ける父親、
家庭と社会の間で揺れる弟、精神鑑定を行う精神科医が残酷なまでにぶつかり合う。


芝居の冒頭、台の上でぴちぴちと跳ね回る魚がさばかれる。
胴体から切り離されたばかりの頭は、自らの死を受け入れられないかのように
長いこと口をぱくぱくさせてあえいでいた。
それはすさまじいまでの生への執着にも思えた。


それから2時間。
芝居はどんどん激しさを増していく。
救いもなく、出口もなく。


精神の覆いがはがれてしまったとき、人はこんなふうに壊れていくものか。
むき出しの感情の破片が飛び散り、私の心にも容赦なく突き刺さる。


異常なまでに怪物化した母親も壊れている。
しかし、壊れようがひとりぼっちであろうが、彼女は生きることに執着する。
なんのため?
なぜ?


それは人間だから。


そういうことなんだろうか。


いくつもの破片が刺さったまま、私はよろよろと劇場をあとにした。

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2008-09-07

えっちゃま

「メントレG」に市原悦子さんが出ていた。


TOKIOの青年5人を相手に悦子さんがうきうきとても楽しそうで、
テレビを見ている私たちもすごくうれしくなった。
悦子さんはバラエティ番組の類に時々しか出演しないけれど、
いままでに見た中でいちばん和気あいあいとしていたような気がする。
とにかく朗らかによく笑っている“えっちゃま”であった。


私も無性にナマ悦子さんにお会いしたくなった。


実は、今月悦子さんのお芝居を観に行く。
悦子さんの舞台に伺うのはほぼ3年ぶり。
去年もおととしもどうしても日程が合わなくて観に行くことができず
悔しい思いをしていたので、いまからとても楽しみにしている。


「忘れられてるかもよ~」と息子。


ああ、確かにね。


いつもかならず一緒の息子が今回は同行できない。
ちいさい時から観に行っている息子は
ロビーで悦子さんのマネージャーさんにお会いしても
「おお、少年」とすぐわかってもらえて楽屋に連れてっていただけるが、
私ひとりだと思い出していただけないかも。


でも、お芝居を拝見したらやっぱりご本人に直接感想を伝えたい。
といっても、悦子さんを前にするといつもそれだけで胸がいっぱいになるんだけど。


悦子さんにはじめてお会いしたのはちょうど10年前。
「ディア・ライアー」というお芝居の後に、どうしてもご本人に感想をいいたくて
小学3年生の息子と楽屋口でずっと待った末のことだった。


ちいさい頃から母に何度も聞かされた「舞台女優・市原悦子」。
“伝説”をとうとう目の当たりにした衝撃は大きかった。
母の話はほんとうだった。
映像とは違う悦子さんの深みのある存在感にただただ圧倒された。
その感激をご本人に伝えたかった。
ご本人を前にしたら、緊張で口がうまく回らなかったけど。


以来、私たちは悦子さんの大ファンだ。
息子が悦子さんと誕生日が同じということもあり、
楽屋でもあったかいことばをかけていただきいつも感激する。
時に含蓄のある、時におちゃめな悦子さんのことばは
私にとって大切な大切な心の宝物だ。


ああ、ほんとに楽しみ。
悦子さんのひさしぶりの舞台。

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2008-08-14

フェンシング熱

中2の秋に江守徹主演の「ハムレット」を観た。


どこでどう知ったのか、どうして思い立ったのかいまとなっては記憶にないが、
無性に観たくて母に頼み込み、チケットを手に入れてもらったのだった。
(演劇鑑賞会主催の公演で、会員以外が観るのはむずかしかったのだ)


それまでにバレエの舞台はもちろん観ていたし、
劇団四季のこどもミュージカルなんかも観たことがあった。
でも、大人向けのストレートプレイを観るのははじめて。


私はすっかりハムレットの魅力にとりつかれてしまった。


目の前に繰り広げられたのは、バレエとはまた違う魅惑的な世界。
江守さんの流れるようなセリフに14歳の私は酔いしれた。
いまでこそハムレットの揺れ動く心情に思いがいたるけど、
当時は「シェイクスピアの世界」そのものに心を奪われたのである。
印象的な場面を何度も思い出し、繰り返しイメージしては心躍らせた。


その印象的な場面のひとつに、
クライマックスに行われるフェンシングの試合がある。


なんてかっこいいんだろう!
剣を交える時の姿勢にも、剣の重なる独特の音にもしびれた。
うちでも学校でも何度もまねをしたし、やってみたいとさえ思ったほどだ。


高3の文化祭で「ロミオとジュリエット」をバレエでやった時、
マーキューシオとティボルトの決闘はちゃんとフェンシングでやった。
マーキューシオ役の女の子に男子校のフェンシング部の友だちがいて、
剣を貸してもらい、指南も受けたのだった。
(シロウト女子高生に剣を貸してくれるなんて、なんとも太っ腹)


ふたりが剣をカシカシと交わすのを横目で見ながら、
ああ、私もやってみたい、と思ったのはいうまでもない。
でも、私はジュリエットを演じるのと演出・振付に忙しく、
結局フェンシングごっこはできずじまい。
残念至極。


これだけ興味がありながら、
いまままで本格的なフェンシングの試合を見る機会がなかった。
ただ、中2のハムレットとの出会い以来
「フェンシングはかっこいい」とずーっと思い続けてきたし、
スポーツとしてやってみたい、とさえ思っていた。


そのフェンシングで太田雄貴選手が銀メダルを獲得した。
テレビで試合の様子を見たが、かっこいい!
かっこよすぎる!


やっぱりフェンシングはとびきりかっこいい!


日本でもこれを機にフェンシング熱が高まるのではないだろうか。
(私はふたたび高まりました)

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2008-07-04

かもめ

心は誰のものでもない。
誰に縛られるものでも、所有されるものでもない。


誰に恋焦がれようと、何に憧れようと、
心で思うことはその人の自由だ。
心はその人自身のものなのだから。


求めてやまなかったものをつかんだときの心の輝き。
何かに共鳴した時のうち震えるような心のざわめき。
心の高揚が生きる喜びを激しく実感させる。


でも、心は思いもよらない一瞬で変わってしまう。
自分自身にさえ予測できない自由さで、
自分自身も戸惑うような化学変化をおこす。
どうしてそうなったか説明なんてできるはずもない。


自分でさえ自分の心の変化に戸惑うのに、
周りの人間に何がわかろう。
それも、心がふれあえたと思っていた相手ならなおさらに。


どこかずるくなっている大人は心の変化に鈍感かもしれず、
適当にごまかしたりまるめこんだりして
自分が傷つかないよう、相手も傷つけないよう
どうにかこうにか折り合いをつけるすべを知っている。


だけど、純粋で不器用であるほど無惨なまでに傷つく。
傷つくし、傷つけもする。
たとえ相手が傷つくことがわかっていても、残酷なまでに傷つけてしまう。


誰が悪いわけでもないのだけれど。
さっきまで好きだったのに次の一瞬でそうでなくなってしまうのも、
自分を好きでなくなった相手をきらいになれずに思い続けるのも。


栗山民也演出の「かもめ」を観て、そんなことを思った。
交錯してはかみ合うことのない登場人物たちの心。
切ない芝居だった。


席は前から2番目、ど真ん中。
手を伸ばせば届くような目の前に藤原竜也が立っている。
彼の繊細で激しい心のおののきがびりびりと伝わってきた。


ニーナの美波、素晴らしい。
彼女のオフィーリアで藤原竜也のハムレット再演を観たいものだと思った。

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2008-06-26

人気稼業

夫が東海道新幹線を利用して出張すると、誰かしら有名人に遭遇するようだ。
今回も往き帰りで3人の芸能人とおなじ車両になったという。


スターとあだ名されるベテランタレントは金髪で派手、
おバカキャラでブレイク中の若手俳優はスポーツ選手と見まごう体格、
ソフトな雰囲気のマジシャンはご家族連れ、
と見かけるたびに夫は私や息子にメールをくれる。


メールを受け取った私たちは、自分たちの関心が高い有名人なら大騒ぎ。
今回いちばん盛り上がったのはやっぱりおバカキャラの彼だ。


夫はおりる時に彼と目が合ったそうだが、
思いのほかこわい顔つきなので驚いたという。


そんなもんでしょう。
テレビに映っているのは彼の一面でしかないんだろうから。


いくら人気稼業とはいえ、
直接自分に関係のない見ず知らずの人間にまでへらへらしていたら疲れてしまう。
等身大の自分でいられる時間がなかったら窮屈だろう。
人間はいろんな顔を持っていてあたりまえなのだから。


ところで。
私は高校時代バレエ少女であると同時に演劇少女でもあった。
ただし、演じるほうではなくもっぱら観るほう。


友だちと仙台演劇鑑賞会に入会し、
鑑賞会で呼ぶ芝居を好むと好まざるとに関わらず観続けた。
2ヶ月に1本くらいの割合で観ていただろうか。
安い料金でいろんな芝居が観られるのは魅力だった。


さて、演劇少女はまたミーハー女子高生でもあった。
自分の好きな俳優が出演、となれば終演後楽屋口でいつまでも出待ちをしたし、
ちょっと顔見知りになったりすると、なけなしのおこづかいから差し入れを買って
友だちと楽屋口で待った。


あるとき。
テレビの舞台中継を観て大好きになった若手女優が
ブレイク中の人気俳優の相手役として出演することになった。


あの彼女に会える!
すっかり彼女のきらきらした演技に魅了されていた私と友だちは
ケーキを携えて出待ちをすることにした。
生で観る舞台の彼女もいきいきしててほんとうに素敵だった。


楽屋口で待っていると、なんとあの人気俳優が先に出てきた。
コメディタッチで売れていた彼の舞台も、もちろんおもしろかった。
ただ、楽屋口から出てきた彼の態度には
潔癖女子高生の私たち、大いに反応してしまった。


キミたちが待っているのは、当然オレだよね?
サインほしいんでしょ?
ほしいならしてあげるよ。


そうことばにしていったわけではない。
でも、そういう態度がありありだった。


なんだか幻滅した。
純朴なイメージで人気が高かったのに、おごった感じが鼻についた。


申し訳ないけど、私たちが待っているのはアナタじゃありません。
サインも結構です。
私たちは彼から目をそらした。


彼の拍子抜けした表情がちらりと見えた。


彼はいまも味のある芝居で定評のある人気俳優だ。
この間もその芝居のうまさに引き込まれたばかり。
30年近く前のエピソードは、その時すっかり忘れていたけれど。

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2008-06-25

お芝居見物

歌舞伎座に行った。


何しに?
もちろん、歌舞伎を観に。


思いがけなくチケットをいただいたのだ。
六月大歌舞伎夜の部。
開演は4時半。


朝からタイトなスケジュールだし、おまけに夜も予定が入っている。
でもこれは行くしかないでしょう。


ちょいと銀座でお芝居見物(ここは「観劇」じゃなくあくまで「お芝居見物」なのだ)
って風情におしゃれも決めて行きたいのは山々なれど、
とにかく「ひさしぶりに歌舞伎が観られてよかったね」というのがメイン。
そう自分に言い聞かせて出かけた。


歌舞伎座到着は開演5分前。
入り口で切符(「チケット」というより「切符」って雰囲気)を切ってもらい中に入ると、
「もうすぐ開演しまーす」という声があちこちからこだまのように聞こえてくる。


なんとなくレトロな雰囲気の売店を冷やかし半分にのぞきたかったな、
と横目で眺めつつ、2階へと急ぐ。


売店をそぞろ歩いたり、ちょっとしたおみやげを買ってみたり、
お弁当を食べたり、甘いものを楽しんだり、というのも
「お芝居見物」の楽しみにはセットされているんだよね。
それも、「歌舞伎座で」というのがミソ。
そのお楽しみを堪能できなかったのはちょっと残念。


席に着くと、急に暑さを感じる。
上着を脱いじゃうとあとで絶対からだが冷えるから、ここはお扇子。
ぱたぱたとお扇子をあおぐのがなんとなく「お芝居見物」にしっくりくる感じ、
なんて自己満足。


ふと周りを見渡すと、年齢層は非常に高い。
お着物のオバサマやら、老夫婦やらが
思い思いにお茶を飲んだり、お菓子をつまんだりしながら、笑いさざめいている。
ああ、やっぱりいつも観に行く現代モノの芝居やバレエの客席とは趣が違うなあ。


さて、そうこうするうちに拍子木の音。
幕がささーっと引かれ、お芝居のはじまりはじまり。


演目は「義経千本桜―すし屋」。
主役を演じるのは吉右衛門。
染五郎も出ていた。


ああ、脈々と受け継がれてきた伝統芸能。
様式美の世界。
歌舞伎ならではのきまりごとがあるからこその人間の感情の表現。


ひさしぶりに触れてみて、やっぱりおもしろいなあと思う。


「すし屋」の幕が引かれたところで席を立った。
演目はあと三つ残っていたけど、私にとっては時間切れ。
特に幸四郎・染五郎・福助の「生きている小平次」は観たかったけど、仕方ない。


階段を降りていくと、中曽根・元首相がロビーを歩いてらした。
ずいぶんお年を召されたなあ、という印象。


また歌舞伎座、のぞいてみよう。
そう思いながら夕暮れ時の歌舞伎座をあとにした。

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2008-05-15

基本

ゆうべの舞台、1階や2階の真正面から観たら
趣は全然違うんだろうな、と思った。
芝居もそうだけど、
そもそも演出は正面からどう見えるかという観点でされているんだから。


バレエの勉強で仙台から東京に出てきたはたちの頃、
ひとりで歌舞伎を観に行ったことがあった。
一幕見席は1000円ぐらいだったと思う。
その安さで豪華絢爛な歌舞伎の雰囲気を味わえるのは
ほんとうにありがたかった。


しかし、一幕見席からは花道が見えないのだった。
これには心底がっかりした。


役者が出てきた気配。
見得を切ってる気配。
気配はすれども姿は見えず。
次に来る時には絶対花道の見える席で、と心に誓ったものだ。


ゆうべの5階席も若干それに近いところがあった。
席が限りなく右端に近かったので、舞台上手の端は視界からはずれる。
身を乗り出しても、前列の人もおなじように身を乗り出すので結局おなじ。
あ、あそこに王子がいる気配、と気配だけでがまんしなければならなかった。


でも、5階から観ているとダンサーの動きは近い席以上によく見える気がした。
斜め上、という想定外の場所からは
動きのひとつひとつが手にとるように見えるのだ。
ダンサーの躍動感や生々しさ以上に
動きそのものの純粋な美しさが見てとれた。


どんな軸で動いているのか、からだのポジションの入り具合は、などなど。
自分が逆の立場だったら、こんなところから観られたらぼろ丸見えだな、
と思ったほど。


さすがレベルの高いバレエ団で、どのダンサーもお手本さながら。
おお、美しい、なんてむだのない、これでこそプロのダンサー、
と舌を巻いた。


基本。
基本なのだ。
この動きはみな忠実な基本の積み重ね。


もちろん、踊りに対する感性とか音楽性とか身体能力とか
あらゆる条件が折り重なって美しい動きを作り出すわけだけど、
そのもとになっているのはやっぱり基本なのだ。
ダンサーたちの気持ちのいい動きを見ていてそう思った。


やっぱり基本、って大事。




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2008-05-05

マッチ箱の席

あるバレエ団の公演を観に行きたい、と突然思い立った。


思い立ったものの、公演いつだっけ。
確か今月だったように記憶していたけど。
そもそもチケットはあるんだろうか。
超人気バレエ団だからすでに完売の可能性も高い。


とにかく、ダメモトでチケットのサイトを検索してみた。


あった。
来週だ。
でもほとんど売り切れ。
C席だけ「残り僅か」だって。
S、A、B、CのC席。


10日前なのに残ってたほうがラッキーかも。
どれどれ、どこだ、C席。
最近、そこのサイトはシステムが変わって自分で席が選べるようになったと聞いた。
どこが空いてるんだろう。


わ。
5階2列目。
要するに劇場のいちばん高いところ。
それも思いっきり右寄り。


東京文化会館の5階といったら、若かりしころの定番の場所だ。
舞台ははるかかなたの下のほう。
あたかもマッチ箱の中でお人形さんが踊っているのを観るがごとく、なのである。


そうか。
マッチ箱か。
どうしようかな。


でも、ほかのチケットサイトも検索したけど、予想どおり売り切れ。
残っているのはマッチ箱の席ただひとつだけ。


むかし、高い高い5階の席からちいさく見える踊り手をオペラグラスで必死に追いながら、
それでも憧れの舞台を生で観られることに胸打ちふるわせたものだった。


あのころの感動をもういちど、ってことなのかな。
5階マッチ箱の席1枚、申し込みクリック。


白鳥の湖、楽しみである。




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2008-03-20

身毒丸、舞台とDVD

雨のしけ寒い昼下がり。
ひさしぶりにDVDを観た。


「身毒丸 ファイナル」。
ずいぶん前に買っておきながら、今日の今日まで一度も観ていなかったDVDだ。


きのう劇場で観たのは「身毒丸 復活」。
DVDは、藤原竜也衝撃の初舞台映像ではなく、2002年に再演したもの。
劇場に行く前に観よう観ようと思いつつ、結局順番が逆になってしまった。


でも、結果的にそうしてよかったと思った。
おかげで、きのうは何の先入観もなく、まっさらな状態で舞台を観ることができたし、
今日は、舞台の余韻にひたりながらあらためて芝居の輪郭をなぞることができたから。


舞台映像というと、単なる舞台中継という趣のものが多いと思う。
客席後方中央に据えたカメラで淡々と舞台全体を映し、時にアップにする程度の。


ところが、「身毒丸 ファイナル」の映像はちがう。
さまざまな角度から舞台や役者を捉え、
場面によってはあえてピントをずらして幻想的な雰囲気を醸し出し、
DVDそのものが独立した映像作品になっている。


それはそれでいいのだ。
でも当然のことながら、客席から一観客として観るのとはおのずと温度が異なる。


劇場で芝居を観る、というのは日常から切り離された特別な行為である。
閉じられた劇場という空間が、芝居が始まった瞬間から無限の空間に変わり、
凝縮した時間が流れ始める。
目の前に立つ生身の役者からはりつめた波動をびりびり感じる緊張感は、
リビングルームで観るDVDではけっして味わえないライブ感だ。


きのう舞台を観に行けて、ほんとうによかった、とあらためて思った。


ただ、映像だからこそ見逃してしまった19歳の藤原竜也を観ることができるのであって、
DVDには感謝、感謝。
できることなら15歳の伝説の藤原竜也も観たいものだと思った。


それにしても、藤原竜也はすごい。
きのうの舞台でも、今日のDVDでもあらためて感服した。


これからも、彼がどんなふうに演じていくのかひとつたりとも見逃すまい。




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2008-03-19

藤原竜也、身毒丸

藤原竜也は舞台でこそ特別の光を放つ俳優である。


幕開きからほどなくして彼は登場した。
薄暗がりの舞台をさまよい歩く彼が
舞台中央で客席の暗闇をじっと見据えて凛と立ち尽くしたとき、
藤原竜也がどれだけ特別な俳優かを改めて思い知らされた。


今日、彩の国さいたま芸術劇場に「身毒丸 復活」を観に行った。
11年前、弱冠15歳の藤原竜也がロンドンで初舞台を踏んだ作品の
リバイバルである。


藤原竜也が天才的だ、という評判を耳にしていながら
彼の舞台をはじめてこの目にしたのは、2004年の「ロミオとジュリエット」だ。


衝撃的だった。
噂に違わぬ、いやそんなことばじゃ生ぬるい。
魂をわしづかみにされ、激しく揺さぶられた。
舞台上の藤原竜也は想像をはるかに超えていたのである。


それまでの舞台を見逃してきたことをすさまじく後悔した。
以降、彼の舞台は欠かさず観てきた。


歌うような台詞回しのシェイクスピアの藤原竜也も好きだが、
狂気をはらみ、全身全霊で自身を舞台に叩きつけるような激しい役柄も好きだ。


身毒丸の藤原竜也は、まぎれもなく舞台上で激しくいのちの火を燃やしていた。
炎が激しすぎて、彼自身が燃え尽きてしまうのではないかと思うほどに。
強く生きすぎて、いのちがすりきれてしまうのではないかというほどに。


彼は、芝居の神の前に身も心も投げ出しているのだった。
そこには嘘のかけらもなく、ひたすら純粋な魂が舞台に捧げられているのだ。


カーテンコールに出てきた彼は、放心していた。
華奢なからだは、魂が抜けきって寒さに打ち震えているように見えた。
繊細な彼の目が光って見えたのは、涙だったのだろうか。


藤原竜也。
彼はやっぱり特別な舞台俳優である。




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2007-10-21

古典の普遍性

息子が明日からの中間試験を前に熱心に古文を勉強している。
題材は何だろう、とのぞきこむと、「源氏物語」だ。


そういえば、1週間ほど前の日経新聞朝刊に「源氏」の記事が載っていた。
古新聞から探し出し、息子に見せる。


来年2008年は「源氏物語」の名が「紫式部日記」に記された年から
ちょうど1000年に当たるのだという。
その千年紀を前に、源氏の研究がますます深まりそうだという記事だった。


記事には、2001年に「源氏」を英訳したロイヤル・タイラー教授の嘆きのことばが
引用されていた。
偉大な世界文学が「今は『もののけとプレイボーイの物語』というステレオタイプに
成り下がった」と。


たしかに。
というか、私自身そう思っていた。


はずかしいことに、ついこの間まで私は「源氏」のことをよく知らなかった。
高校時代、古文の教科書には出てきたけれど、
学校で断片的に勉強するのみで通して読んだこともないし、
潔癖なティーンエイジャーの女の子としては
「プレイボーイの物語」についてそれ以上知りたいとは思わなかった。


だけど、2月頃ふと思い立って「源氏物語がおもしろいほどわかる本」を読んでから
認識ががらりと変わった。


なるほど。
まず時代背景や価値観がいまとはまるで違うということを念頭に置けば
納得できることの連続。
そうかそうか。


それよりなにより胸を打ったのは、人の心の普遍性。
人が人を想う気持ち、心の揺らぎ、悩みわずらう思いは
1000年の昔もいまも何も変わってはいない。


ちょうど同じことをこの間「ヴェニスの商人」を観た時にも感じた。
400年前のイギリスでも人の心は同じなんだなあ、と。


だからこそ、「源氏物語」にしろシェイクスピアにしろ
長く長く読み継がれ、語り継がれているのだと、あらためて実感した。
そこに思い至ることができたのは、それなりに年を重ねたおかげかもしれない。


そういえば、去年の夏に夏目漱石の「こころ」を読んだ時、
むかし、現代国語の授業で抱いた違和感はなかった。
高校生の時には不可解で気味悪いとすら思った登場人物たちの心情が
いまの私にはわかる気がした。
そうしてみると、年を重ねるのって悪くない、と思った。


さて、千年紀を機に「源氏物語」をちゃんと読んでみたくなってきた。
さすがに原文じゃ厳しいから、現代語訳で。


ああ、その前に司馬遼太郎の「竜馬がゆく」も読みたいんだった。
文庫本はすでに手元に用意してあるのだ。
はじめて読んだ時の熱い思いをまた味わいたくて。


秋は日に日に深まり。
まさに読書の秋。

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2007-09-29

シンプルさの力

高3の終わりに、ある劇団の「ロミオとジュリエット」を観た。


ぶゆぶゆのロミオと、かまととのジュリエット。
実にひどいロミオとジュリエットだった。


このふたりを演じていたのは
当時30くらいのそれなりに名の通った俳優たちだったが、
10代の私からすれば「きもちわるい」のひとことだった。


ジュリエットとのベッドから身を起こしたロミオの
ぶよぶよ贅肉のたるんだなまっちろい上半身なんて、誰が見たいだろう。
興ざめ以外の何物でもなかった。


それよりなにより、ジュリエットの作った少女らしさはもっとたちが悪かった。
鼻にかかった甘え声でしなを作るそのさまのなんときもちのわるかったことか。
ついこの間ジュリエットの年齢を通り過ぎたばかりの私には、
その極端なほどの幼稚な媚態は若さへの冒涜に映った。


3年前、藤原竜也と鈴木杏のロミオとジュリエットを観て、
やっと決定版に出会えたと思った。
若さの情熱で生を駆け抜けていく恋人たちの姿は、
等身大のふたりにぴたりとはまった。


でも、と思う。
ロミオの藤原竜也はそのままに、
ジュリエットは芸の力で見せる女優で見たかった気もする。
たとえば、宮沢りえとか、毬谷友子とか。


その人の存在感や雰囲気、実力によっては
役柄と実年齢のギャップは十分に飛び越えられる。
逆に、年齢を重ね、芸を深めてこそ、
余計なものがそぎ落とされ、感性も研ぎ澄まされた
シンプルな芸の力を見せてもらえるのではないか、と思う。


そんなことを今朝の日経新聞の記事を読んでふと思った。
女優の森光子さんが87歳にして新作に挑戦するという。
いまだに刺激を求め続け、一方でどんどんシンプルになっていく大女優の姿が
そこにはあった。


年を重ねるに伴って余計なものを抱え込んでいくのか、
または自分の軸を見極め、シンプルになっていくのか。


私は後者でありたいと思う。

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2007-09-28

「ヴェニスの商人」に思うこと

「ヴェニスの商人」はずいぶん昔に一度観ている。


ある老舗劇団によるものだが、
どんな舞台だったかほとんど記憶にない。
ひいきの俳優の出番以外は
つぁらつぁらーっと流して観ていたような気がする。


そんなだったから、
大体の筋こそ覚えていたものの
きのうは何の先入観も持たずに劇場に足を運んだ。


一方、一緒に行った息子は
夏の初めぐらいにアル・パチーノ主演の映画で「ヴェニスの商人」を観ている。
ジョセフ・ファインズが出ているこの映画、
いつか観ようと思っていながら息子に先を越されたわけだが、
「なんだかやたら暗い映画だった」というのが息子の感想。


さて、きのう観た舞台。
そもそも正親さんがシャイロックを演じるということからして
おもしろくないわけがない、という期待感はあった。


いやいやなんの。
期待以上の素晴らしさだった。
うまい役者揃い(正親さん、たっちゃんはもちろんのこと、
おなじみの西岡徳馬さんも、すごく好きな横田栄司さんも、
はじめて観た寺島しのぶさんも、みなうますぎる)だったことも大きいし、
独特の解釈がおもしろかったこともあり、非常に堪能した。


それにしても、
「ヴェニスの商人」ってこんなにもメッセージ性の強い芝居だったんだ。
あまりにも強い力で訴えかけられ、時に胸が苦しくなるほど圧倒された。


なぜ人はこんなふうに他者を差別するんだろう。
どうして「違う」ということで人は偏見をもつんだろう。
何の権利があって人は他者の心や魂を束縛しようとするんだろう。


なんて残酷で、なんて悲惨な。
シェイクスピアの時代もいまも変わらない人の性。


誰でも自分らしくありたい、自分らしく生きたいと願う。
それが公序良俗に反しない限り、その願いは守られてしかるべきものだ。


心も魂もその人自身のものであり、誰か他者のものであるはずもない。
心と魂の自由を他人が束縛していいはずなどない。


シャイロックの悲しみが私の胸を突き刺した。

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2007-09-27

「ヴェニスの商人」の藤原竜也

天王洲に「ヴェニスの商人」を観に行った。


市村正親のシャイロック、藤原竜也のバサーニオ、
寺島しのぶのポーシャ、西岡徳馬のアントーニオ。
9ヶ月ぶりの「たっちゃん」の舞台である。


やっぱり藤原竜也は舞台でこそ魅力を全開にする。
それも、シェイクスピアがいい。
私の個人的見解に過ぎないかもしれないが、
藤原竜也はシェイクスピアにはまるなぁ、とつくづく思った。


必然的に早口にならざるを得ないたくさんのセリフを
彼は実に聞かせる。
ことばが決して上滑りすることなく、
ひとつひとつがいままさに彼の心から発せられたかのように語る。
詩的なフレーズも、大仰ないやらしさやわざとらしさなどみじんもなく
まるで歌のように聞かせる。


彼が舞台俳優として豊かな才能に恵まれていることを
あらためて実感させられた。


今回の舞台で特に見ものだったのは、
ポーシャに求婚するモロッコ大公とアラゴン大公を
藤原竜也がバサーニオと兼ねて演じていたことだ。


血にはやり剣をぶんぶん振り回す何事も大げさな黒人のモロッコ大公、
歯をがくがくさせながらしゃべるよぼよぼじいさんのアラゴン大公。
そのおかしさといったらなく、
「お願いだからもうこれ以上笑わせないで、いや、もっと笑わせて」
ってくらい笑った。
ここだけ映像をiPodに入れて毎日笑いたいくらい。


やっぱり藤原竜也はいい。
うまい。
「ヴェニスの商人」はできることならもう1回観たかったところ。


DVDにならないかな。

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2007-07-29

芝居は好き

子どもの頃からお芝居が好きだった。


ルーツは、小学校1年生の学芸会だろうか。
演目は「あわて床屋」で、
カニの床屋さんがあわててウサギのお客の耳をちょん、と切り落としてしまう、という
童謡そのままの劇だった。


いまでこそ学芸会はどんな役でも全員参加という風潮だが、
「あわて床屋」は先生に選ばれた児童だけが舞台に立てた。
セリフのある役が確か5名、合唱隊が10名くらい。
選ばれなかったほとんどの子どもたちは観客だった。


先生がどんな基準で選抜したのかわからないが、
私はセリフのある役に選ばれた。
おとなしいけど実は負けず嫌いだった私は、選ばれたことがとても誇らしく、
何より人前で演じられることがうれしかった。


2年生で転校した先の学芸会では、浦島太郎の乙姫様だった。
舞台大好きの私は、小学校3年生でクラブ活動が始まると迷わず演劇クラブに。
その後中学3年まで演劇クラブに所属し続けた。


中学では、全員強制参加のクラブのほかに演劇部も存在していた。
1年の時に文化祭で演劇部の舞台を観たら、主役の3年生のなんと素晴らしいこと。
こんな先輩のいる部なら、と入部した。


しかし、入部してみるとあの素晴らしい3年生は引退した後。
仕切っているのは当然ひとつ上の2年生ということになるが、
これが箸にも棒にもかからないほどへたくそだった。


江守徹さんの「ハムレット」に出会う前ではあったけど、
劇団四季のこどもミュージカルなんかは何度か観ていたから
私なりに「お芝居とは何ぞや」みたいなイメージがあった。
3年生の演技には心動かされたから入部したのに、
2年生の仕切る演劇部は私のイメージから程遠かった。


結局、私はほどなく退部した。


もちろんいまも芝居も映画もドラマも好きだが、へたくそな演者には耐えられない。
現代もののドラマでちょっといい感じの若手俳優が
時代劇に出たらセリフの語尾が息もれしてたりすると、
「ああ、基礎がなってないからなんだよなあ」なんて思って興ざめする。


その点、「風林火山」はうまい人揃いで見ごたえがある。
主演の内野さんがうまいのはいうに及ばずだが、
1回限りの役にもうまい人が配されていて心憎い。
今日は吉田鋼太郎さんが出てきた。
シェイクスピアの舞台そのままの、聞かせるセリフ回しに息子としびれた。


素材感も大事だけれど、演者はやっぱりうまくなくっちゃ。

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2007-07-09

シェイクスピアの歌

きのうたまたま見た「パパとムスメの7日間」に江守徹さんが出ていた。
復帰なさったんだな、とほっとした。


しばらく前に病気で倒れたと聞いていて、
先月の新国立劇場の「夏の夜の夢」でキャストが変わっていたのも
たぶんそのせいだったのだろう。
江守さんが出るなら観に行こうと思っていたから、とても残念だった。


江守さんを観るなら、ドラマでも映画でもなく、もちろんバラエティーでもなく、
やっぱり舞台に限る。
シェイクスピアならなおのこといい。
(だから「夏の夜の夢」も観たかったのだ)


私にとって、江守さんとの出会いはそのままシェイクスピアとの出会いにつながる。
中学2年に観た江守さんのハムレットは衝撃的だった。
14歳の私はすっかり江守ハムレットのとりこになってしまった。
はじめにいいものに触れたからよかったんだろうな。
以来、シェイクスピアにも興味を持つようになった。


江守さんのセリフは、まるで歌っているようだった。
長く、時に説明的なセリフを一語一句はっきりとよどみなく、
それでいて歌っているかのように聞かせる。
(後に私は、藤原竜也でも同じ感慨を覚えて感激する)


でも、映画「恋におちたシェイクスピア」で原語のせりふを聞いたとき、
これこそほんものの歌だ、と思った。
やっぱりもともとのことばにはかなわないんだな、とも。


ひさしぶりに「恋におちたシェイクスピア」をDVDで観た。
ラブストーリーをほとんど見ない私が、これだけは例外的に好き。
公開時も3回くらい劇場に足を運んだくらい。


シェイクスピアの切ない恋と、「ロミオとジュリエット」が同時進行していく巧みさ。
また、全編にシェイクスピア作品のちょっとしたエピソードがちりばめられていて、
そういうところもたまらない。


以前なら、シェイクスピア役のジョセフ・ファインズにばかり目がいったものだけど、
あらためて見ると、グウィネス・パルトロウのなんと美しいこと。
気品あるたたずまいにも、知的な声にも、ただただうっとり。


そして、歌うようなセリフ。
なんて耳に心地いいんでしょう。


まさに歌だ。

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2007-05-17

ロボとおっかさん

ドラマ「セクシーボイスアンドロボ」がおもしろい。
織田裕二&大竹しのぶの「冗談じゃない!」もいいけど、
「セクシーボイスアンドロボ」のほうが好きかもしれないなぁ。


なんといってもロボを演じる松山ケンイチがいい。
「デスノート」のミステリアスなLもよかったが、
そのLから全く想像がつかないほどのロボのおバカぶりがたまらない。
とにかく「ここまでやる?」と思うほど毎回へんてこりんで、
ひぃひぃ笑わせられる。
(笑ったついでに「マックスビーッムッッ!」とものまねも)


セクシーボイスの中学生・ニコの大後寿々花も存在感があってうまい。
それから、謎の組織の浅丘ルリ子なんて
あらためて「このひと、すごい女優なんだ」と認識させられたりして。
うまい人ばかり出てるのもおもしろさを際立たせてるんだね、きっと。


ドラマは一話完結型で、これまたうまい役者が毎回ゲスト出演する。
(第5話だけは唯一そうでもない気がしたけど)
前回第6話にいたっては、白石加代子がロボの母親役で出てきた。


白石加代子といえば、圧倒的なまでの存在感を放つ「怪優」と呼ぶにふさわしい人。
藤原竜也の舞台デビューとなった「身毒丸」では彼の母親役を演じているが、
DVDを買っておきながら実はいまだに観ずにいる。
白石加代子のおどろおどろしさが怖くて、
体力・気力が充実している時でないとまいっちゃうなぁ、
と思ってるうちにのびのびになっちゃって。


そんな先入観があったので、「ロボの母親!?」とびっくりたまげた。
がしかし。
さんざん笑わせておいて、
「こんなお母さん、理想的!」と思わせてしまうところはさすが。
こういうお母さんいいなぁ、私もこんなふうにありたいなぁ、と思ったものね。


まず、さばさばしてておおらか。
どうだのこうだのいいながら、息子の本質を見抜いて認めてる。
それから、これがいちばんのポイントだけど、肝が据わってる。太っ腹。
おっかさんたるもの、こうでなければね。


こんなおもしろくて、ハートフルなドラマがどうして視聴率低いんでしょ?

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2007-05-16

感動の後は

きのうの日経新聞夕刊に思わずうんうんと共感した記事があった。
見出しは「劇場に押し寄せる“異変” 『すぐ立つ観客』感動は本物?」。


ここ7、8年で、幕が下りた途端に熱狂的になる観客が増えた、
と記事にはある。
本当の意味での感動の意思表示ならいいが、
演劇関係者たちは手放しで喜ぶどころか警戒感を隠さない、という。


確かにね。
はじめてスタンディングオベーションに居合わせた時、
私もものすごく違和感を覚えたもの。
「立ち上がっちゃうの?」と。


非常にいい芝居だった。
ほんとうに素晴らしかった。
だけど、うまくいえないけど「何かが違う」と思ったのだ。
立ち上がって拍手している人たちは、役者に酔っているというより
感動して立ち上がっている自分に酔っているような気がした。


私がお芝居を観始めたのは14歳で(文学座・江守徹主演「ハムレット」)、
それ以来ちょこちょことお芝居を観てきた。
バレエはいうまでもなく何度も観ているし、
オペラも清水の舞台から飛び下りるつもりで1回だけ
メトロポリタンオペラを聴きに行ったことがある。


そうした自分の体験を重ね合わせて考えても、
「そんなに簡単に立ち上がっちゃっていいのかなあ?」という疑問を覚える。


記事の中で野田秀樹氏はいっている。
「泣きたい病、感動したい病がまん延して、安っぽい感情で満足されては困る」
スタンディングが常態化している蜷川幸雄氏の舞台だが、氏本人は
「スタンディングが出ても特にうれしいとは思わない」とそっけない。


そういう私も、実は立ち上がったことがある。
自分の気持ちの中ではスタンディングするつもりなどなかった。
だがしかし。
周りがみな雨後のたけのこみたいににょきにょき立ち上がるものだから、
最後までじっくり見ようと思ったカーテンコールの役者が全然見えない。


「見えないね」
「仕方ない。立ちますか」
息子と顔を見合わせ、結局よっこらしょ、と立ち上がるはめに。
関係者たちはこうした「つられ組」の増加がこわい、と記事にあった。
そのとおりだね。


感じ方なんて人それぞれだから、「感動したっ!素晴らしいっ!立ち上がろうっ!」
という人もいるだろう。
でも、私自身の感覚では、ほんとうに感動したら
逆に座席からしばらく立ち上がれなくなっちゃうことのほうが多い。


そういう時は、劇場をあとにする時もことば少なで、
波のようにひたひたと押し寄せる深い感動に静かに身をひたす。
そういうのもいいもんです。

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2007-04-07

ジャパンオープン?

京劇が6月末から来日する。
京劇西遊記―火焔山―」だって。ご存知孫悟空。


京劇は子どものころにテレビの舞台中継で観たことがある。
役者の身の軽さや動きのキレ、メイクや衣装の鮮やかな色彩、
独特の発声なんかに目を丸くしながらすごくおもしろいと思った記憶がある。


「観に行かない?」と息子に声をかけたが、のってこない。
「んー、そのお金があったらフィギュア観たい」とつれない返事。
でもさ、世界フィギュア観たから思い残すことないっていってたじゃない。
それに、アイスショーは好きじゃないんでしょ。


そしたら、ゴールデンウィークのアタマに「ジャパンオープン」があるという。
なんでも、日本・北米・欧州の3地域対抗戦なんですと。
プロ・アマ問わず、男女2人ずつの計4人で戦う団体戦らしい。
そういえば、去年もやってたっけ。


「ジェフリーが出るよ」


え?ジェフリー・バトルが?
「キム・ヨナもエキシビションで出るんだって」
ほう、キム・ヨナも。


「ジェフリーが出るんだったら観てくれば」と夫。


そうだねぇ、どうする?息子。
キム・ヨナも観たいからエキシビ?


かなり心が揺らいだ私に、けしかけておきながらまたしても息子はつれない。
「でもさぁ、チケット高いんだよね」


あら、ほんと。SS席20,000円、S席17,000円、A席14,000円、…
オペラ聴きに行けちゃうよ。


よくよく心を落ち着けて料金やら出場者やら前後の予定やらを吟味する。
確かにジェフリーは観たいし、エキシビのキム・ヨナも観たい。
でも、ほかの出場選手はどちらかというと好みでない選手のほうが多い。
それに、もしジェフリーが体調不良で出られなくなったら泣くに泣けない。
ジェフリー以外にも好みの選手が何人も出るなら迷わずGOサインなんだけどな…


ん、テレビで我慢することにする。
「そうだね」と息子もあっさり。


仙台の友だちに「東京に住んでるといろんなものが観られていいよね」
とうらやましがられたことがあるが、一概にそうともいえない。
誘惑は多いけど、お財布と相談して涙を呑むことも多いんだから。

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2007-03-23

幸せな夜

ベートーヴェンの交響曲第7番を聴いてきた。
期待以上に素晴らしくて、素直に感動した。
ほんと、聴きに行ってよかった。


私にとって生のオーケストラはバレエの舞台ではおなじみだけど、
純粋にオーケストラの音楽を聴くためにコンサートホールに出かけるのは
はじめてといっていい。
場所はサントリーホール。
いつか足を踏み入れてみたいとずっと憧れていたところで、ちょっと感激。


ベートーヴェンの7番は、子どもの頃に父がレコードでよく聴いていた曲だが、
当時はそれが「7番」だと認識しないままにいい曲だと思って聴いていた。
でも、ドラマ「のだめカンタービレ」で思わぬ再会。
以来、メロディなら全楽章通して空で歌えるほど何度も聴いた大好きな曲だ。


オーケストラは日本フィルハーモニー交響楽団。
指揮はコバケンこと小林研一郎さん。
コバケンさんの指揮はそれ自体パフォーマンスだった。


細身のからだでおかっぱ頭を小刻みに振る。
その一種不思議な動きは暗黒舞踏をちょっと連想させる。
しかし頭の振り方が激しくなると、
その髪型の類似性も相まって今度は湯浅弁護士を思い出させた。


フォルテシモでは足を踏み鳴らし、時に飛び上がる。
からだを沈めると同時に唸る。
(実際、何度も唸り声が聞こえた)
歌っている。
そう、コバケンさんは全身で歌っていた。
そして、オーケストラも歌っていた。


そうか。
音楽を奏でるということは、歌うということなんだ。


踊るということも、からだで歌うこと。
歌ってない踊りが踊りに見えないで体操になってしまうのはそういうことなんだ。
思わず踊りのほうにまで思いを馳せた。


何本ものヴァイオリンの弦が同じ動きをし、
何人ものヴァイオリン奏者の上体が前に傾いたり反ったり同じ角度を見せ、
何人ものチェロの奏者が同時に楽譜をめくり、
そうした揃った動きそのものが振りのように見えた。


そうした演奏者たちのリアルな動きによって作り出される音の迫力といったら、
ふだんiPodやiTunesで聴いている音の比ではない。
なんて素晴らしい高揚感。
ずっと聴いていたい!


音楽の魅力にどっぷり浸ってすごく幸せ。

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2007-02-26

若さのパフォーマンス

息子のクラスで、9月の創作展(文化祭のクラス発表)に向けて
活動をはじめることになったという。
1年の時は仕方ないとして、2年でも取りかかりが遅かった彼ら。
さすがに今年は前倒しでやるんだ。受験生だもんね。


年度内に取り組む作品を決めるというが、
オリジナリティあふれる面白いのを期待したいところ。
1年では「走れメロス」、2年では「ラヂオの時間」だった。
メロスは大胆なアレンジもので、ラヂオはコピーの短縮版。


去年・おととしと各クラスの演目を見た感じでは
近年ヒットしたドラマや映画を題材にしているものが多い。
お客を呼び込む際のインパクトを考えると、手っ取り早い方法かとも思う。
ただ、既成の模倣でこじんまりまとめるのもいいけど、
ちょっと羽目をはずしてみても面白いんじゃないのかなぁ、と
ユニークなパフォーマンスで湧かせたかつての高校生は思うのだ。


3年の文化祭に有志で「ロミオとジュリエット」をやったのは
仲間内ではいまも語り草。
プロコフィエフの名曲にのせたバレエで、
ジュリエットの私もみんなも大まじめで踊り、ラストでは観客の涙を絞った。
(舞台前には眉をひそめていた先生たちから
終演後「感動した」「涙が出た」と絶賛の嵐。もちろん生徒たちからも)


しかし、ロミオは小柄でころころした「いなかっぺ大将」。
(1970年から放映されていた人気アニメ。好きだったなぁ)
ニャンコ先生を従え、ほっかむりと柔道着で登場する。
ロミオ役の彼女(女子高ですから)は物まねの名人で、
たくみに先生の物まねを入れながら踊り、そのたびに客席は笑いの渦。


ディスコにはまっていたメンバーにはロックに振り付けてもらって、
ジュリエットに求婚するパリスと舞踏会の客によるビートのきいたナンバーになった。
(彼女は運動部で活躍する硬派だったっけ)


また、大相撲が好きな子たちが「私たちも出たい」というので、
お相撲さんのナンバーを作ってもらった。
(「ヴェローナの町に遠い日本の国からお相撲さんたちがやってきました」
ということで)
花も恥らう18歳の乙女4人がオレンジのジャージに綿を詰め、
回しを巻いてプロコフィエフの音楽で嬉々として四股を踏む。
もちろん客席は大爆笑。


ティボルトとマーキューシオは男子高でフェンシングを教わってきて
華麗な剣さばきを見せたし、
キャピュレット夫人はティボルトの死で狂乱を熱演した。


ほんと、よくやったなって感じ。
やってる私たちもすごく面白かったし、見てるみんなも面白がってくれた。


そういうの見たいよなぁ。

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2007-02-17

目が釘付けなのは…

きのう、「シカゴ」でひとりのダンサーに目が釘付けになった。


彼女の存在に気がついたのはオープニングから3曲目のナンバー、
6人の女囚による「Cell Block Tango」。
どうして自分が男を殺すはめになったのか、それぞれが迫力満点で歌い踊る。
彼女はその中のひとりだった。


私は驚きに目を見張った。
「どうしてそんなにおなかがぶゆぶゆなの!?」と。


そう、セクシーな魅力に同性ながらめまいがした、とか
あまりのダンステクニックにあいた口がふさがらなかった、とか
そういうのじゃない。
私の目は彼女の脂肪たっぷりのおなかに釘付けになったのだった。


上半身は黒いブラに透けるボレロ、下はローライズの黒いショーツとタイツ。
胸の下からおへその下まで完全に露出したその部分には
腹筋などこれっぽっちも見えず、ぽってり。
正面を向いた時、何かに似てるなぁと思ったら
そうだ、キューピーちゃんのおなかにそっくり。


同じダンサーとはいえ、ミュージカルの(殊に海外の)ダンサーたちと
バレエダンサーとではからだつきが違う。
そのことはおととし舞台間近で「シカゴ」を観た時に痛感させられた。


バレエの場合はとにかく華奢のひとこと。
みんな筋肉はきちんとついているけれど、すべてが細い。
一方、「シカゴ」のダンサーたちは締まるところは締まって出るところは出てる。
「コーラスライン」で、踊りはバツグンなのにからだつきが貧相なために
受けるオーディションすべて落ちてたダンサーが
整形で胸とお尻にシリコン入れたら合格しちゃった、というナンバーがある。
劇団四季の舞台でその歌詞を聞いたときには「えぇ~っ、そういうもんなの?」と
信じられない気がしたけど、「シカゴ」のダンサーを見てやっと納得。
バレエとはダンサーとしての価値基準が違うってことだね、と。


だけど、彼女はそういう問題じゃないんだ。
明らかにおなかがたるんでる。ついでにいうと、お尻もゆるんでた。
ダンスはプロフェッショナルなのに。


パンフレットの写真を見ると、おなかすっきり。
撮影の時に必死でおなかを引き上げてたのかな。
それとも、日本に来ておいしいものばっかり食べて太ったのかな。


息子も当然彼女のおなかに気がついたかと思ったのに「全然」だって。
逆に「よくそんなとこばっかり見てるよね」などといわれてしまった。
いや、だって、気になりますもん、ダンサーのボディ。やっぱり見ちゃうよ。

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2007-02-16

2度目の「シカゴ」

息子とTAP BOYSのメンバー・Kくんの3人で
日比谷の日生劇場に「シカゴ」を観に行った。


おととしの9月に家族3人で観た時は前から2番目だったが、
今回は2階席の前から2番目、ほぼ真ん中。


前回は迫力満点ではあったものの
舞台に近すぎて全体像が見えなかったのが残念だった。
ダンサーたちの息遣いを感じられる点では貴重な席だけれど、
目の前に迫る肉感的なボディと刺激的な衣装(黒い下着と網タイツって感じ)には
私でさえ目のやり場に困ってくらくらした。


その点、今回は全体が見渡せてベストポジション。
セクシーなコスチュームも2階席から見るとちょうどいい。


それにしても、やっぱり生はいい。
映像なんかとは比べ物にならないくらい迫力が違う。
人間ってこんなことができちゃうんだな、とひたすら感動する。


頭のてっぺんからつま先まで神経の張り詰めた肉体が織り成すダンスにも、
劇場いっぱいに響き渡る歌声にも、
素直に感動して、一生懸命拍手する。
いいよ、舞台は。


3人して「すっごくよかったね~」とうきうきしながら劇場をあとにした。
しあわせだね、こういう気分。


ところで、今回の鑑賞はいろいろ参考にする心積もりもあった。
次のTAP BOYSで帽子とステッキを小道具にするつもりなので、
どんなふうに使ってるのかよく見とかないと、と。


かっこいいよねぇ、帽子とステッキ。
超絶技巧に走らなくても、立ち姿と間合いで見せられるんだな、と改めて認識。
私自身、帽子とステッキを持って踊ったことがないので、用意して練習しようっと。


(帽子、「コーラスライン」を観た時に憧れました。
帽子の代わりに洗面器を頭にかざして踊りましたっけ)

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2006-12-16

距離感のなさ

きのうの「ロープ」のパンフレットに
野田秀樹と中村勘三郎の対談が載っていた。
対談の中で勘三郎氏がある芝居を観に行った時の話をしている。


あまり面白いとも思えないその芝居にお客たちは両手を上げて拍手をしていた。
それを見た柄本明がいったそうだ。
「あの手を鎌で刈ってやりたい…」


激烈。


だがしかし。
野田氏と勘三郎氏は憂えるのだ。
最近は何でもかんでも拍手して立ち上がるようになった、と。


確かにね。
とくに人気俳優が出ていたり、作品そのものに根強いファンがいたりすると
その傾向は強いかもしれない。


前に「レ・ミゼラブル」を観に行った時、
私たち一般客とコアなファンとの温度差を強く感じた。
周りにいた“レミゼ”ファンは、誰が出てきても何を歌っても大喜び。
私自身は、期待が大きかった分思ったほどでないことに落胆していたのに。
単に好みの問題かもしれないとも思ったが、その一方で
「ああ、こんなにまで愛してくれるファンたちにこの舞台は支えられてるのね」
と気持ちは醒めていた。
そういう観方を否定はしないけど。


藤原竜也出演の舞台を観に行くと、その手の観客は多い。
きのう私のとなりにいた中年女性も彼の一挙手一投足に激しく反応していた。
ぐっと身を乗り出したり(前から3番目の席なのに)、
両手で口を覆って息をのんだり。
「藤原竜也命っ!」って感じなんだろうな。


その気持ちはわからないではないし、
お金を払っている以上どんな想いで観ようとそれぞれの勝手だ。
(かくいう私も藤原竜也のファンだし)


だけどね。
なんか違うな、と思うのだ。
それって芝居に対する冒涜じゃないの。
その舞台がいいものであればあるほどそういう観方は邪道じゃないの、と。


野田秀樹がパンフレットの冒頭に書いている。
「距離感のないことが嫌い」で、
「距離を失った熱狂というのは、厄介なもの」だと。


読んでまったく同感だと思った(全文を紹介できないのが残念)。
レミゼならなんでもよくて、藤原竜也ならなんでもOKという距離感のなさは
やっぱりこわいと思うのである。

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2006-12-15

NODA・MAP「ロープ」

野田秀樹が才能ある人だということは
ずっと前から何度も話に聞き、あれこれ読んで知っていた。
彼の主宰していた「夢の遊民社」がどれだけ人気を博していたかも
リアルタイムで知っていた。
でも、実際に観たことはなかった。


今夜、はじめて野田秀樹の舞台を観た。
野田秀樹作・演出「ロープ」。


ただただ野田秀樹の作り手としてのすごさに圧倒された。


2時間電話し続けてチケット取った甲斐があった。
その一方で、20年以上も野田秀樹を観ずにきたことを後悔した。


役者たちの躍動感、とびかう生きたことば、どれもすばらしい。
プロレスのリングが舞台になっているだけに、
彼らの軽々とした身のこなしには目をみはったし、
軽妙なことば遊びでさえ血の通ったセリフになっていたのには
役者たちの力量を感じた。


だがしかし、そのことばを書いたのは野田秀樹だ。
動きの演出をしたのも野田秀樹だ。
観客に問題を突きつけているのも野田秀樹。
目の前で渡辺えり子にこづかれて舞台を転げている野田秀樹なのだ。


――大勢の人間が理性を失って同じ方向に暴走し始めた時に
自分は理性を失わずにいられるだろうか。
冷静に判断する目を持ち続けていられるだろうか。


それが、今夜私自身に突きつけられた問題。


密度の濃い2時間だった。
やっぱり舞台はいい。
だから生の舞台はやめられない。


藤原竜也もやっぱり舞台でこそ真骨頂発揮。
舞台でははじめて観る宮沢りえは、
彼女の人間としての誠実さやまっすぐさが伝わってきて
ますます好きになった。

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2006-10-18

チケット完売

意を決して(!)タカラヅカの舞台を観にいこうと思っていたのに、
お目当ての公演のチケット、すでに完売。
残念。


無理もないか。
雪組トップ・朝海ひかるの引退公演だものね。


彼女・朝海ひかるさんとはかつて同じ舞台に立ったことがある。
私は18歳で、彼女が小学生だった昔々のこと。
仙台のバレエ学校の発表会で「くるみ割り人形」。


細くて背が高くて、いつも無邪気に稽古場を駆け回っていたけど、
踊りで目立つ子じゃなかったなぁ。
まさかこんなふうに人気絶大のタカラヅカスターになるとは
夢にも思わなかった。


ところで、その発表会には東京・本校の上手い子たちが数人賛助出演していた。
で、その中のひとりが草刈民代さん。


いま考えるとすごい舞台。
バレエ界のスターと、タカラヅカのスター、そして私(うわっ)の夢の共演。
みんな若かった(というか、ひとりは幼かった)けどね。


朝海さんとは旅行先のクラブメッドサホロでばったり会ったことがある。
本名で呼んだらすごくびっくりされた。
子どものころの無邪気さはすっかりなりをひそめ、
毅然とした雰囲気をたたえていたのがとっても印象的だった。
男役、といっても清潔感漂う少年といった風情だった。


これを逃すと朝海さんのタカラヅカでの舞台は金輪際観られないってことね。
もっと早いうちに観ておけばよかったかな。
せっかく観る気になっていた息子(彼女と誕生日が同じ)もがっかり。


まあね、引退公演でもあることだし、
劇場はコアなヅカファンたちで埋め尽くされるのでしょう。
(想像だけど、かなり異様な熱気に包まれるんだろうな)


ネットオークションあたりに結構チケット出回ってるんじゃないの、と
興味本位でのぞいてみた。


宝塚大劇場(東京じゃないほう)も含めて、出品数363点。
やっぱりね、というか予想以上の多さ。
ほとんどがお金儲け目的?
この分、正規で入手できる枚数が減っちゃうのに。


それにしても、ついている値がすごい。
10万円以上が9件。
ちょっと高すぎやしませんか?


でも、最高値を見てもっとびっくり。
さ、389,000円ですって。
ゼロ間違えてません。38万9千円です。


加熱しすぎというかなんというか。
しょせん興味本位の私たちが入り込む余地などなかったということかも。

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2006-10-13

ミュージカル観劇

息子が学校の芸術鑑賞教室で
劇団四季の「ライオンキング」を観てきた。


行く前は「『オペラ座の怪人』のほうがいいのになぁ」なんていってたが、
はじめて観る「ライオンキング」、なかなかよかったそうだ。
ただ、学校の貸切ではなく一般客として観たかったなぁ、とも。
観劇中にくだらないコメントをするヤツがいてうるさかったんだって。


「8時だよ!全員集合」を見に行ったお子ちゃまじゃあるまいし。
そりゃ怒りたくもなるよね。
いいトシしてはずかしいよ、○○くん。


観劇の費用は学年積立金からの支出で、ひとり7000円なり。
結構贅沢。
ま、普通にチケット買ったらS席10000円以上だから、お徳か。
(息子はクラスの関係で真ん中ブロックの前から2番目。当然S席)


それにしても劇団四季ってすごい。
全国9ヶ所もの劇場で違う作品を上演してるんだものね。
息子たちが行ったのは四季劇場【春】だが、
おとなりの【秋】では「コーラスライン」を上演中だったそう。


「『コーラスライン』も観たい気がするんだけどねぇ…」と息子。
最近「コーラスライン」よく聴いてるんだって。ブロードウェイの初演版。


「~だけどねぇ…」っていうのは、日本語の歌詞で聴きたくないってこと?


「うん。『ライオンキング』も歌詞がかなり字余りっぽかったし」


その気持ち、わからなくはない。
いままで観た日本版「アニー」にしろ「レ・ミゼラブル」にしろ、
歌はCDで聴く原詞のほうがしっくりくるものね。
(とくに「レ・ミゼラブル」は全編歌だったので、観てる間中ずっと
違和感が続いたのは残念だった。なにせ原詞で聴き慣れていたから)


ただ、海外もののミュージカルの翻訳はずいぶん苦労するんだという。
限られたメロディーの中で原詞の意味とニュアンスを盛り込むんだもの。
大変だと思う。


でも、四季の「コーラスライン」は私も観たい気がするなぁ。
実は1979年の四季の初演を観ていて、あの時はものすごく感激した。
踊るのはなにもバレエの世界だけじゃない、とはじめて思った瞬間で、
その後四季のオーディションを受けたいと考えたこともあったほど。


あの時夢中で覚えた日本語の歌詞、いまでも歌えるよ。
だから、コーラスラインは原詞でも日本語でもOK。私は。

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2006-10-01

つながった電話

NODA・MAPのチケット、やっとの思いで取った。
厳密にいうと今日はあくまでも予約の段階なので
明日さっそくローソンに行ってLoppiで引き換えてこないと。


ともあれ、ほんと、よかった。取れて。
主演は藤原竜也。
彼の舞台は今後1本たりとも見逃さない、と決めている私と息子にとって
何がなんでも観たい芝居。
それだけじゃない。
共演がなんと、宮沢りえ。
私も息子も大好きっ。


よく行ってたリフレクソロジーのお店でハンドリフレをしてもらった時、
「宮沢りえさんと同じくらい細い手首」といわれてびっくりしたことがある。
なんでわかるの?と不思議に思ったら、りえちゃん、よく来るんだって。
えぇーっ、うそーっ!
りえちゃんがこのご近所をうろうろしているなんて信じられない!
それを聞いて以来、私も息子もかなりきょろきょろしてるけど
いまだご本人に遭遇してはいない。


いやぁ、それにしてもチケット予約まで長い道のりだった。
藤原竜也オフィシャルファンクラブ会員の先行予約電話受付開始が12:00。
めでたく予約成立となったのが2:00。
電話をかけ続けること2時間。


当然、30分やそこらじゃむずかしいんだろうな、とは思っていた。
1時間で取れたら御の字かな、とも思った。
まさか2時間とは。


音声自動応答で受け付けるというので、親機のほうが操作が楽だろうと
FAX電話の前に陣取って12:00ジャストにダイヤル。
しかし、時すでに遅し。
「ただいま大変込み合っております。しばらくお待ちになっておかけ直しください」
だって。
誰が待ってられますか。待ってるうちにチケットなくなっちゃう。


かけ続けること30分、とうとう電話の前に椅子をもってきて腰かけた。
単調に何度もダイヤルする合い間に、電話機のほこりを拭いせっせと磨いた。
このまま永遠に電話はつながることがないんじゃないか、と何度思ったことか。
しかしひたすら単調作業を続けた。


先にお昼を済ませた息子が1:30に交代してくれて30分。
電話は聞き慣れたメッセージ以外の音声を流し始めた。
ついに電話はつながった。
つながるんだ、この番号。


やれやれ、とにかくこれで観に行ける。
野田秀樹の舞台自体がはじめてなので、すごく楽しみ。

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2006-09-26

どしゃ降りに思うこと

今日の東京はひさしぶりのどしゃ降り。


長靴(ま、レインシューズですね)を履こうかちょっと迷って
結局防水加工の靴で出かけた。
でも、駅に向かう歩道にはいくつも水たまりができていて
レインシューズのほうがよかったかも、とちょっと後悔。
ただし、レインコートをはおったのは大正解だった。


それにしてもこの雨、きのうシアターコクーンの舞台に降った雨と
激しさではいい勝負だね、と息子と話す。


東京の楽日は今度の日曜だから、
役者たち(とくにエレクトラの中嶋朋子とコロスの女性たち)は
あと数日ざぶざぶ濡れるのね。
その後、大阪と名古屋に場所を移してさらにざぶざぶ。


どしゃ降りの下でセリフを言い、
雨があがった後もずぶ濡れの衣装のまま演技を続ける役者たち。
乾いたかと思うとまた容赦なく激しい雨が役者たちを濡らす。


「風邪ひくなってほうが無理だよね」と息子。
「体調管理はどうしてるんだろう」


ほんと。
それでなくても気候も不安定なのに。


ずぶ濡れになるだけではない。役者たちは驚くほど激しく動き回る。
舞台と客席を交互に駆け抜け、壁にからだを叩きつけ、床を転げ回る。
とにかくすさまじいほどの運動量。
とくに藤原竜也のタフさにはいつも舌を巻く。


体調管理はもちろん万全に心がけてているんだろう。
でも、いちばんのポイントは気をゆるめないことではないのかな。
役者たちのはりつめた集中力が舞台上から客席にびしびし伝わってきたけど、
舞台をおりた後も気は抜かないんじゃないかしら。


「つかれた」とひとこと口にしたがために
からだ中の疲れがどっと噴き出すなんてよくあること。


役者たちは楽を迎えるその日まで決してネガティブなことばを口にしない。
単なる憶測だけど、そんな気がする。

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2006-09-25

「オレステス」

渋谷・シアターコクーンで「オレステス」を観た。


はじめてのギリシャ悲劇。
ギリシャ悲劇というと、血なまぐさい内容でどろどろ暗くて重い…
という印象があって、魅力的な役者が出ている芝居でも
いままではなかなか観る気になれなかった。


でも、今回は藤原竜也主演。
「ロミオとジュリエット」で衝撃を受けて以来、
彼の舞台は1本たりとも欠かすわけにはいかない。
どろどろだろうとなんだろうとどんとこい。
とにかく意気込んで劇場に出かけた。


いや、すごかった。
何が、って役者の気迫、演出の凄まじさが。
幕開きからがっ!と心臓をわしづかみにされ、休憩なしの2時間20分、
幕切れまでずっと圧倒されっぱなしだった。


冒頭、真っ暗闇の中、雷鳴に似た打楽器の大音量が鳴り響く(生演奏)。
舞台に照明が入ったかと思うと、そこは土砂降りの雨。
そう、舞台上に雨が降っているのだ。ざぁざぁと。
その雨に濡れながら、雨音にかき消されまいと中嶋朋子が炎のように
セリフを語る。
すごい。


「北の国から」の蛍で有名な中嶋朋子が圧巻。
彼女演じるエレクトラを評して
「外見は女だが、思考は男」といったセリフがあったが
華奢で透明感あふれる外見とはうらはらな闘志と強さにしびれる。
かっこいい。


藤原竜也は待望のギリシャ悲劇初挑戦というが、彼の真骨頂発揮。
憂い、狂気、絶望、熱情を体当たりで演じつつ、長いセリフを実に聞かせる。
そしてすべてが美しい。
やっぱり彼は秀逸。
努力と前進を続ける天才。


幕切れには度肝を抜かれた。
客席に舞い始めた紙吹雪。
それも1枚がA4サイズの。
どんどんどんどん舞い降り、ときおりばさっ!と束で落ちてきて、
みるみるうちに客席は紙吹雪で埋め尽くされた。


濃密な時間と空間だった。
観てよかった。

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2006-07-10

オーリとホーリ

蒸し暑い夕暮れ時、私たちは六本木にいた。
六本木ヒルズの展望台に向かう階段で
何層にも重なった人垣のすきまから地上を見下ろしていた。


地面にはレッドカーペット。
オーロラビジョンにはオーリことオーランド・ブルームの横顔。
オーリがどこでインタビューに答えているのかちっとも見えなかったけど、
私たちはオーリがいる雰囲気だけで満足してその場をあとにした。
急がなければ。
お芝居開演の時間が迫っていた。


向かったのは六本木交差点のすぐ向こう、俳優座劇場。
オーリならぬホーリじゃなかった堀越さんのお芝居を観に。


俳優・堀越大史さんの舞台をはじめて観たのは高2の冬。
身のこなしがしなやかで中性的な魅力にすっかりファンになった。
あれから26年。長いおつきあいになる。


今日のお芝居はノーベル文学賞作家・ダリオ・フォーの喜劇、
「主人は浮気なテロリスト!?」。
いろいろな事情でしばらく舞台を離れていた堀越さんにとって久々の主演作。


抱腹絶倒のドタバタ喜劇と聞いていたので笑う気満々で客席についた。
はじめのほうはちょっと肩透かしをくらったように感じたけど、
話が進んだらなんのなんの。
おかしさの連続に笑いが止まらない。
椅子から転げ落ちそうになるは、涙は出てくるは、おなかは痛くなるは、
いやぁ、笑った。1年分くらいまとめて笑った気分。


堀越さんはちっとも変わらないねぇ。
しなやかな身のこなしは、はじめて観た29歳の時と不思議なほどにおなじ。
年を重ねて深みを増している一方で変わらないものがあって。
なんだかうれしいねぇ。


終演後、楽屋を訪ねた。
あとからファンに加わった息子と夫も一緒。
息子は、ちょうど堀越さんにはじめて会った時の私と同じ年頃だ。


「ああ、客席を走ってきたっけねぇ」と堀越さんがおかしそうに笑う。
カーテンコールで花束もって舞台に駆けていったっけ。
若かったなぁ、私。


オーリの雰囲気を味わえて、
ホーリじゃなく堀越さんのお芝居に笑って再会を喜び合って、
今日はほんとうにいい一日だった。

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2006-06-20

エレファント・マン

お芝居との衝撃的な出会いは中2の秋。
江守徹主演、文学座の「ハムレット」だった。


以来、すっかりお芝居の魅力にとりつかれた私は
高校生になると地元の演劇鑑賞会に入会。
その後、仙台を離れるまで好きなもの・そうでないもの取り混ぜて
コンスタントにお芝居を見ることとなる。
(鑑賞会で呼ぶものは必ず観なければならないきまりだったので)


その中に、劇団四季の「エレファント・マン」があった。
主演は市村正親。
すでにミュージカルで圧倒的な魅力を発揮していた彼は、
ストレートプレイにも定評があった。


「エレファント・マン」は、ジョン・メリックという実在の人物がモデル。
畸形に生まれたばかりに数奇な人生をたどった彼をモチーフに
人間の純粋な魂と、それに相反したエゴや欺瞞を描き出している。


美しい姿態の正親さんがしぐさだけで畸形を演じるのだが、
彼の情感が観客の想像力をかきたてる。
ジョン・メリックの魂の痛みに胸がしめつけられる思いがした。
私にとって、思い出深いお芝居の1本だ。


今日、ふたたび「エレファント・マン」を観た。
藤原竜也主演(もちろん舞台)のDVDで。


4年前、彼がエレファント・マンを演じるというニュースが耳に入ってきたのは
おぼろげに覚えている。


へぇ~、エレファント・マンに挑戦するなんてすごい。
若いけど、そんなに上手い役者なのね、彼は。
…などと思ったものだ。


4年越しで観ることができてよかった。
なんて繊細なんだ、彼は。
思いがあまりにもたくさんこみ上げてきて、ことばにならない。


ひとりで1回、家族3人でもう1回観てしまった。
夫と息子も思わず引き込まれていた。


藤原竜也の原点、「身毒丸」のDVDも思わず注文した。
また家族で鑑賞会を開催するつもり。

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2006-06-18

藤原竜也

今朝の日経新聞に「THE NIKKEI MAGAZINE」が入っていた。
折りしも藤原竜也の特集記事が掲載されていた。


やっぱりな、という気持ちで読んだ。
藤原竜也の孤独と苦悩。
やっぱり。


天分に恵まれているうえに、おごることなく努力を重ねる若き天才。


そんな彼の基準の高さに追いつけない者との間には
当然ギャップが生じるだろう。
記事には書かれていなかったが、
しがらみゆえに引き受けなければならない不本意な仕事もあるだろう。


そうした理不尽さを決して天真爛漫に流しているわけではなかったんだな。
むしろピュアなだけに自ら消化することはむずかしいのだろう。


彼の舞台をはじめて観たときの衝撃は忘れない。
すでに天才として名を馳せており、いつかこの目で確かめたいと思っていたが、
もっと早くに見ておかなかったことを悔やむほど彼はすごかった。
天才だという評判は本当だった、と舌を巻いた。


シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」は
下手をすると甘ったるくて嘘っぽくて気はずかしい芝居なのに、
彼は「ロミオならかくあるべし」と思わせた。
英語で聞けば歌のようなシェイクスピアのセリフは
日本語にするとまだるっこしくなるが、
藤原竜也のセリフはまるで歌っているように美しかった。


もっと昔に彼をテレビで見たとき、アイドル系のタレントなのかと思ったものだ。
それほどに彼の容姿は際立って目を引いた。
たとえていうなら、少女漫画に出てくる王子様的存在。


役者としての才能と、群を抜いて美しいその容姿は
本来なら「天はニ物を与えた」といわれるべきもののはず。
しかし、彼のもつ天分よりも
容姿に惹かれて騒ぎ立てているファンも多いのではないかと思う。


どんな理由でファンになろうと、それはそれぞれの勝手だけれど
彼ほどの逸材が容姿だけでオバサンにきゃーなんていわれていると
ちょっと悲しくなったりする。


「THE NIKKEI MAGAZINE」の中で彼はいっている。
海外で本格的に演技の勉強がしたい、と。


雑音を振り切ってそうすべし、と思う。
写真集出してにっこり、なんていう藤原竜也ではなく
世界で評価される藤原竜也を見たい、と心から思う。

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2006-04-04

ライフ・イン・ザ・シアター

市村正親と藤原竜也の二人芝居「ライフ・イン・ザ・シアター」を観てきた。


たっちゃんの舞台ははおととし「ロミオとジュリエット」を観て以来、
1本も見逃すまじ!とこれが4作目。
一方、正親さんを生で観るのは確か20数年ぶり。
劇団四季時代の舞台は好きでよく観たし、サインもいただいた。
正親さんは若かりし私の憧れの舞台俳優だった。


新旧の「魅せる」役者が揃い踏み、なんとも贅沢な企画だと楽しみにしていたが、
期待以上におもしろい舞台だった。


ストーリーはない。
ベテラン俳優と若手俳優の劇場での様子をオムニバスで綴る。


正親さんがうまい。
「うまい」という表現がまさにぴったりだった。
若者のきらめく才能と、ベテランの熟成した味わいが交錯する。
役者としてどちらも甲乙つけがたく魅力的。


老境に差しかかった俳優と、前途洋々の俳優との時にかみ合わない会話には
ずいぶん笑わされた。
笑いすぎてのどにひっかかり、咳が止まらなくなってあわてたほど。


でも、二人の間にすこしずつ広がっていくギャップには切なくなった。


老いゆく者の押しつけがましいほどの教えたがりと、
若者の無神経なまでの傲慢さと。
若さを失った者が感じる羨望や哀しさと、
若さの只中にいる者が感じるうっとうしさと。


どちらもわかるなと思った。
自分がそういう位置にいるんだとあらためて感じた。

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2006-02-18

座席の価値

舞台(とくに芝居)というのは、
真ん中の席で観るのがもっとも都合いいようにできている、
と最近つくづく思う。


1年前、蜷川幸雄演出・藤原竜也主演の「ロミオとジュリエット」を
2回観た。
1回目は東京・日生劇場の2階・上手寄りの席で。
2回目は仙台市民会館の1階・中央の席で。


2回目に真ん中の席から観たとき、
「えぇっ? この場面ってこんな演出だったの?」と何度も驚いた。


舞台中央が扉になっているのは知っていたが、
開く時に劇的な演出が施されていたのだ。
真ん中から観ればこそわかるんであって、
2階の限りなく上手に寄った席からではまったく見えず、
知る由もなかった。


それだけ見え方が違うのに、1階・真ん中の席も、2階・上手寄りの席も
同じ「S席」扱いというのはおかしい。


きのう観た「レインマン」の場合は、見え方の偏りがもっと顕著だ。


もともと東京グローブ座は舞台を半円形に取り囲んでいるような客席。
最も上手と下手に寄っている席は、中央の席に対して完全に垂直だ。


「レインマン」は回り舞台で時間と場所の流れを表現していたのだが、
回り舞台の止まる位置によっては、舞台装置の関係もあって
役者の演技が真ん中からしか見えない(であろう)場面が多々あった。


きのう劇場には息子の仲良し(TAP BOYSのメンバー)も来ていた。
彼とお父さまは2階・上手寄りの席。
案の定、問題の場面は「声はすれども姿は見えず」だったそうだ。


演出も演技も、演出家と役者の意図するままに享受できる中央の席と、
時によって意味不明に見えなくなってしまう席とが同じ「S席」だなんて。


絶対おかしい。
それぞれの座席の価値に合った料金設定をするべき。
もっとお客の身になってよ。

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2006-02-17

舞台「レインマン」

東京グローブ座で「レインマン」を観た。


自閉症の兄をダスティン・ホフマン、弟をトム・クルーズが演じ、
アカデミー賞を受賞したあの名作の舞台化(「世界で、初」だそう)。
兄レイモンドを橋爪功、弟チャーリーを椎名桔平が演じた。


映画「レインマン」がヒットした時、
「これでひとりでも多くの人に自閉症を正しく理解してもらえる!」
と、なによりそれがうれしかった。
それだけあの映画は自閉症を正しく忠実に描いていた。


舞台化に関しては期待半分、不安半分。
「映画に劣らない完成度でありますように」という期待と、
「安っぽいお涙頂戴のお芝居だったらどうしよう」という不安。


結論からいうと、そのどちらでもなかった。
役者はうまかったし、照明も舞台装置も美しかった。
音響も抜群の効果をあげていた。
なかなかいい舞台だったと思う。


でも。
大変残念ながら、自閉症を正しく描いてはいなかった。
役者の問題ではない。橋爪さんはよかった。
ひとえに、脚本家と演出家(同一人)の自閉症に対する理解不足。


例を挙げればきりがないけど、
自閉症は(というか、少なくとも「レインマン」に描かれているレイモンドは)
自分の気持ちや考えを論理立てて述べたりしない。
(というより、できない)
だから、会話の中で接続詞は使わない。
セリフのひとつひとつに違和感を覚えた。


自閉症を正しく理解してきちんと描くことをしないなら、
あえて自閉症という障害を持ち出す必要なんかないのに。
わざわざ自閉症を引き合いに出さなくても、
「家族の絆」は表現できるよね。


演出家にうちの弟を1週間くらいお貸ししたかった。
本物の自閉症(弟とレイモンドにはかなり共通点がある)に接していたら
もうすこし違ったものになったんではないだろうか。
もしくは、レイモンドのセリフを私に校正させてほしかったな。
とにかく、不自然だった。


グローブ座からの帰り道、「よかったね~、感動した」という声を
何度も耳にした。


ああ。
そうだよね。
いい舞台だっただけに、もったいないと思う。詰めが甘いというか。


みなさーん、いまいちど映画「レインマン」を観て。
コミュニケーションをとることがこのうえなくむずかしい自閉症の兄と、
紆余曲折の末、兄を次第に理解するようになる弟の、
心が触れる本当の瞬間が見えるから。

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2005-12-10

ヒカルヒト

下北沢・本多劇場で市原悦子さん主演の舞台を観た。
鐘下辰男作・演出「ヒカルヒト」。


1974年に起きた甲山事件をモチーフにした芝居。


きっと身につまされるんだろうと覚悟して行ったのに
こんなにつらいと思わなかった。
これほど観ていて苦しかった芝居はない。


知的障害児施設で園児が死亡したいわゆる甲山事件で
当時22歳の保母が容疑者として逮捕された。
彼女の無罪が確定するのは事件発生後25年もの後だ。


悦子さん演じる「瀬川静子」は、無罪を勝ち取った後
ふたたび知的障害児施設で働き始める。


休憩なしの2時間、物語は時間を行き来する。
静子は現在から過去へ、また現在へ飛び、
かと思うと被害者の母親へと移り変わる。


重く暗い芝居だった。
笑うところなどすこしもなく。


でも、終演後の観客の顔は開演前となんら変わりなく見えた。


私はつらくて何度も泣いた。
障害児施設での生々しいせりふが胸に突き刺さった。
障害をもつ弟と、母が重なった。

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2005-12-01

大学病院で

息子の検査の結果を聞きに1週間ぶりの大学病院。


先週の検査直後には
白血病などの深刻な病気でないことがはっきりしただけ
ほっとした。
でも、その時点で肝心の病気のもとはわからなかった。


はてさて、息子を苦しめたウィルスはなんだったのか。
今日は興味津々で病院に行ったのだが、
今回の検査ではウィルスが特定されなかったとのこと。
つまり、代表的なウィルスではなかったということらしい。


「まあ、ウィルスはたくさん蔓延してますから」と医師。


ふーん。
名もないウィルスのせいでこんなに苦しい思いをするんだなぁ。
でも、命にかかわる病気じゃなくてほんとうによかったね、
と診察室をあとにし、会計へ。


会計カウンター前は順番待ちの患者でいっぱい。
なんとか空いてるソファーを見つけ、私と息子もしばらく待った。


ぼーっとカウンターに並ぶ人たちを見るともなく見ていたら
黒ずくめですっと姿勢のいい男性が目にとまった。
私より年上だと思うが、たたずまいがかっこいい。
まるで舞台俳優の市村正親さんみたい。


少々疲れ気味だった私は、なおもぼーっとしながら
正親さんに似てるなぁ、なかなか素敵だなぁと思っていた。
すると、男性は会計を済ませ、こちらの方に歩いてきた。


うわっ。
市村正親さんだ。
ご本人だ。


息子も後ろ姿を見ながら、似てるなぁ、でもまさかなぁ、
と思ってたんだそうだ。


「本人だったね」と思わずうきうきする息子と私。
来春、彼と藤原竜也の二人芝居を観に行く予定を入れたばかり。
思わぬ偶然。

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2005-10-18

あまきものっ(ヘヘィ)

いま息子とはまってる歌がある。


「あまきものっ(ヘヘィ)
ちゃちゃらちゃらちゃらちゃらちゃらちゃらら」


もとの歌詞がよくわからないもんだから
替え歌にして、合いの手入れて、振付つけて、
腰をふりふりバカみたいに歌っている。


これ、「あまきもの」という「天保十二年のシェイクスピア」の劇中歌。
歌うのは藤原竜也。


そもそも「天保十二年」はシェイクスピアのパロディー。
だからというわけじゃないけど、
私たちはたっちゃんのパロディーで歌ってる。


彼の歌と踊りはご愛嬌だったな~。
もともといい声だし、身体能力も高いから期待したんだけど、
残念でした。
「いい声=歌がうまい」「運動神経バツグン=踊りがうまい」
という方程式が成り立たないのはよくわかってたはずなのに
「彼は天才だからなんでもうまいかもしれない」と思い込んだのね。


どうしても踊りに対しては見る目が厳しくなっちゃって。
習性です。


私たちのバカ歌、
劇場に来てた藤原竜也ファンに知れたら袋叩きにされちゃうな。
とにかく彼の人気は大変なもので、
彼が舞台に出てくると客席の温度がぐっと上がる感じがするほど。


私たちの真後ろに座っていた50、60代のオバサマたちなんて
たっちゃんの一挙手一投足に
「ぐふっ」とあからさまな声をあげてたもの。


私も息子もそうなんだけど、「すべてがいいっ!」と神様みたいに
あがめるファンではないんだな。
「ロミオとジュリエット」「近代能楽集」のたっちゃんは好きだけど、
映像はどうもなぁ、とか。


ただ、なんでも新しいことにチャレンジするのは大切。
役者だってそう。
私たちファンも食わず嫌いをせずに、若い俳優の挑戦を見守りつつ
成長を楽しみたいものです。

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2005-10-16

To be or not to be

本棚を探したらあった。
「シェイクスピアより愛をこめて」。
シェイクスピア翻訳で有名な小田島雄志氏の本。


買ったのは高校生のときだと思う。
1200円は当時の私にはとても高くて迷ったけど、
それでもほしくて思い切って買ったように記憶する。


ページをめくるとやっぱりあった。
ハムレットの有名な独白「To be, or not to be」の
代表的な日本語訳。


最初の訳は明治7年、イギリスの通信員によってなされた
「アリマス、アリマセン、アレハナンデスカ」。


笑っちゃうよね。
ハムレットが深刻な顔して「アリマス、アリマセン」って。


実は、きのうの「天保十二年のシェイクスピア」で
明治から昭和にかけてさまざまに訳された「To be, or not to be」を
言い分けるシーンがあったのだ。
演じたのは「きじるしの王次」の藤原竜也。


つくづく思った。
「To be, or not to be」って奥が深いのね。
訳し方によって伝わり方が全然違ってくる。


そしてさまざまな「To be, or not to be」の最後を飾ったのが
「アリマス、アリマセン」。客席は笑いの渦。
笑いながらあれ、私これどっかで読んで知ってたな、と思ったのだった。


それにしても、「To be, or not to be」のような正統派の芝居でこそ
藤原竜也は光るなと思った。
はじめて観る彼の歌と踊りを結構期待してたんだけど、
う~ん、天はニ物を与えずというか。


出演者すべてが芸達者だった中で、特に印象的だったのが毬谷友子。
オフィーリアとジュリエットのモチーフを演じたんだけど、
これぞ!というはまり役。繊細で、うまい。
ぜひ全幕通しての両役を観たいものだと思った。

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2005-10-15

天保十二年のシェイクスピア

井上ひさし作・蜷川幸雄演出「天保十二年のシェイクスピア」
をシアター・コクーンで観た。


シェイクスピアの全37戯曲を盛り込んだこの作品、
休憩含めて4時間の長さ。
1974年の初演版は5時間かかったらしく、
今回作者自らが手を入れ、短くしたんだとか。


今公演は、蜷川氏の70歳の誕生日を記念しての
いわばガラ・コンサート。
(ちょうど今日がその誕生日だったそうで
夜の公演後舞台上でお祝いがあったらしい。
私たちが行ったのは昼公演。残念)


顔を揃えたのは唐沢寿明、藤原竜也、篠原涼子、夏木マリ、
高橋惠子、白石加代子などなど豪華メンバー。
いやはや贅沢。


下総の国、清滝という宿場町を舞台に、芝居は繰り広げられる。
旅籠の老親分と三人の娘たちの話は「リア王」、
その長女はのちに「ハムレット」の母・ガートルードになり、
次女はマクベス夫人になったかと思うと「オセロ」のデズデモーナになり、
三女はジュリエットになって、たぶん他の何かにもなってたんだろうな。


中学から高校時代にかけてけっこうシェイクスピアが好きだったので
そこそこ有名なところは知ってたつもりだけど、
全作品は知らないし、忘れちゃったのもいっぱいあるし、
全部わかってたらもっと楽しめたかも。


でも、知らなくたってじゅうぶん面白かった。
よくもまあこんなにシェイクスピアで遊んだものだと
まず井上ひさし氏に脱帽。
(終演後にお見かけし、息子が声をかけた。
気さくに応じてくださり、「こんな若い人も観てくれたんだ」
と喜んでらした。
父にとっては仙台一高の先輩、仙台の誇りです)


70になっても衰えるどころかますますパワーアップしている
蜷川氏のエネルギーにも感服する。


井上氏も71歳で、間近で拝見してもとても若々しかった。
70代ってこんなにもパワフルなんだと認識を新たにした感じ。

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2005-09-02

ロキシーのバラ

05-9-2これ、ロキシー・ハートからもらったバラ。


ロキシー・ハートって、
愛人撃って、監獄入れられて、
でも最後にはスターになっちゃうヒト。
そう、「シカゴ」の主人公。


今夜わが家三人は前から2番目の席で「シカゴ」を観た。


バラは、幕切れ近くで華やかに歌い踊ったロキシーとヴェルマが
客席めがけて投げたもの。


ふたりとも3本ずつ投げたのかな。
そのうちの1本。


夫はロキシーと何度も目が合ったといい、
バラも自分に投げたのだという。


だけど、私の手にふわっと落ちたのよ。


それにしても前から2番目はド迫力だった。
眼前に迫る肉感的なダンサーのボディにたじたじ。


でも、何度も鳥肌が立つほどの ダンスと歌の素晴らしさ。


魅せられました。
上質のエンターテインメントに大満足。

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2005-07-19

ちゃんとわかりたい

きのう「プロデューサーズ」を観て強烈に思ったことがある。


「ああ、英語がわかりたいっ!!」


舞台両袖の電光掲示板には字幕が流されていたけれど
この字幕を追うのが結構大変。


役者の動きや表情は見逃したくないし、
さりとて何を言ってるのかちゃんと知りたいし。
舞台中央と舞台端とをひっきりなしに眼球を動かす。


だんだん疲れてきたので、
細かいところはわかんなくてもいいや、舞台に集中しよう、
と思いつつ、ちらっと電光掲示板に目をやると
とんでもなくおかしな字幕が飛び込んでくる。


ああ、やっぱり字幕も見逃せない。
結局おしまいまで眼球をせわしなく動かし続けた。


耳だけでも大体はわかる気がするのね。なんとなくは。
でも、もどかしい。「ちゃんと」はわからないことが。
「ちゃんと」わかりたいのよ、「ちゃんと」。


それには努力をするしかないんだろうね、やっぱり。
ローマは一日にして成らず。


思い返せば、ちいさいころから夢見ていた。
英語を聞き取りたい。
英語を話したい。
ぺらぺ~らになりたい、とずっと憧れ続けていた。
ああ、それなのにそれなのに。


できることなら大好きな映画も字幕なしで楽しみたいじゃない。
翻訳されてフィルターをとおったことばじゃなく、オリジナルのことばで。


いまからでも遅くないよね…?

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2005-07-18

プロデューサーズ!

05-7-18 ブロードウェイミュージカル「プロデューサーズ」を観てきた。
その名のとおり、ブロードウェイのパフォーマーたちによる来日公演。


これが、期待以上に素晴らしかった!
幕開き早々口があんぐりあいちゃって、そのままずっとあきっぱなし。


さすがブロードウェイのミュージカルってハイレベル。
ダンスも歌もすごいっ。ひたすら圧倒されっぱなし。


日本のミュージカルのレベルだって高くはなっているんだけど、
醸し出される雰囲気というか、そういうどうにもならないところで
差がついちゃうんだろうなぁ。


昔からそうなんだけど、日本の舞台を観ると
「私だってあそこに立ってたかも!」と(身の程知らずにも)思うのだが、
今日の舞台はただただ脱帽。おそれいりました。


次から次と思いも寄らない仕掛けが登場するのもすごかった。
どうしたらこんなアイディアが思いつくんだ!?とそのたびに大笑い。


とにかく素晴らしいのひとことです。
たっぷり堪能して、幸せのあまりカーテンコールで涙ぐんだ私です。

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2005-06-03

近代能楽集

三島由紀夫・作、蜷川幸雄・演出の「近代能楽集」を観てきた。


この作品は「卒塔婆小町」と「弱法師」の二本立てで、
7月半ばまで国内公演をした後、ニューヨークで公演をする。


私も息子も1週間分の寝不足を抱えたまま客席に身をうずめた。
退屈な舞台だったらふたりとも「意識不明の重態」状態になる可能性大。
開幕前に眠気覚ましのフリスクを口にほうりこむ。


しかし、それは杞憂に過ぎなかった。


じわじわと劇場内の空気が濃密になってゆき、
どんどん舞台にひきこまれるうち
やがてまばたきさえ惜しいほどに集中していった。


美しい日本語を、なんて美しく話すんだろう。
そして、なんて豊かに想像力をかきたてるんだろう。
役者のことばと表情からイメージははてしなくひろがり、
舞台の上に見えている以上の美しい絵が目に浮かぶ。


脚本と、演出と、役者の三位一体がなせるわざ。
どれかひとつが欠けてもこうはいかない。


われらの藤原竜也は「弱法師」に主演、
あまりの圧倒的な存在感に打ちのめされそうになるほど。
彼が演じるのは、5歳に戦火で目を焼かれ盲目になった青年・俊徳。
汗をほとばしらせてのた打ち回る彼の後ろから、
無数の人々の阿鼻叫喚が聞こえてくるような気がした。


舞台中央に俊徳ひとりを残したまま背景の幕すべてがざん!と
落ちる幕切れは、ひとりで客席に座っていられないほどの
いいようのない恐怖を感じた。


こんなことはじめて。
その感覚は息子も同じだったらしい。
ふたりとも、しばらく客席から立ち上がれなかった。

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2005-05-20

江守徹さん

江守徹さんは最近すっかりバラエティ番組の常連と化している。
テレビをつけたら、さっきも売れないお笑い芸人が
江守さんを「バラエティタレント」呼ばわりしていた。
29年来のファンにすれば、許しがたい侮辱! 
でも、ご本人はちっとも意に介していないようだった。


江守徹という俳優は、日本の演劇界が誇る天才だと私は思っている。
その力があますところなく発揮されるのはなんといっても舞台だ。
主演に演出にと精力的に活躍しているのをあの芸人、知らないのね。
バラエティはその合間に出てるんだぞ、きっと。


江守さんには何度かお目にかかったことがある
(サインをもらったり、記念写真を撮ったり、という程度だけど)が、
感激するほど気さくで、テレビで見たままの方。


高1のとき、旅公演で仙台に来ていた江守さんを街で見かけた。
14歳に江守さんのハムレットを観て以来、私にとっては憧れの存在。
もちろん、ドキドキしながら声をかけた。
翌日、舞台の楽屋を訪ねると「おお、きのうお会いしましたね」。
覚えててくださるわ、こころよく写真撮影に応じてくださるわで
ますますファンになった。


7年前、市原悦子さんとのふたり芝居「ディア・ライアー」を
観に行ったときのこと。
当時小学校3年生だった息子が楽屋口で江守さんに声をかけると
「えぇっ、(こんなにちいさい)キミが観たの!?」とびっくり。
でも、息子の背まで腰をかがめ、カメラに向かってにっこりしてくださり、
これには息子も感激。
息子の小さい顔の隣で、お顔の大きさが際立って見えた。


そういえば、「ディア・ライアー」の客席で息子は隣のご婦人に
声をかけられた。
「ぼうや、江守さんの息子さん?」
えぇっ、どうしてそんなふうに思ったんですか?
いくらなんでも、それって年齢的にちょっと…


たしかに客席に子どもの姿はほとんど見当たらなかったから
ふしぎに思われたのかもしれないけど…

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2005-05-09

見逃した舞台

映画の「オペラ座の怪人」、終わっちゃったかと思ったらまだ日劇でやってる。
よかった。
どうせ観るならやっぱり映画館のでっかいスクリーンで観たいもんね。


映画って、いつでも観に行けると思っているうちに終わっちゃってて
がっかりすることが多い。
ま、いいや、DVDで観れば、とも思うけど、DVDで観ていい映画だったりすると
ああ、無理してでも映画館に行って観ればよかった、と
後悔することになるのよね。


とはいえ、映画の場合、DVDで観られるからまだいい。
舞台の場合は、見逃したらもう二度とそのチャンスはめぐってこない。


いままでにも見逃して後々まで後悔した舞台は数多い。
その当時、その舞台に興味がなかったり、知らなかったりするなら仕方ない。
そうじゃなく、観に行こうかどうしようかさんざん迷ったのに行かず、
そのうえ、後でその舞台の評判がものすごく高かった、
なんていうのがいちばん後悔のもと。


江守さんのひとり芝居「審判」しかり。
これまた江守さん出演の「アマデウス」しかり。
そして最近もっとも後悔したのが藤原竜也の「ハムレット」。


この「ハムレット」、WOWOWで放映したビデオを
貸してくださる方がいたのがせめてもの救いだけど。
(地獄に仏ってこのこと。感謝!)


今月半ばから新国立劇場で上演される
井上ひさし・作、内野聖陽・主演の「箱根強羅ホテル」、
これはどうしても観たいと思っている。
チケットがなかなか手に入らずくじけそうだけど、当日券、って手もある。


これも見逃すと後悔しそう、という予感があるんだよね。

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2005-05-07

終演時刻

綾小路きみまろは、年間200回の公演をするんだそうだ。
1回の公演時間は1時間。
1時間たつと腕時計のバイブレーションが知らせてくれるんだって。


でも、時を知らせるのは腕時計だけじゃないという。
45分たつと(40分だったかもしれない。不確か)
カツラ(そうです、ご本人が「カツラ」だとおっしゃってました)から
汗がひとすじ流れ出し、50分たつとだーっと滝のように流れてきて、
時間の経過がわかるんだそう。


本人いわく、「カツラはそういう意味でも役に立ってるんです」。


なるほど。
アタマがあせもだらけになる前にちょうど終演。
時間を守る、って大切だ。


時間、といえば、おとといのレ・ミゼラブルは美しいまでに時間ぴったりで
終わった。
ロビーで確認した終演時刻は8:15。
これにカーテンコールが加わると8:30くらいになるなぁと思っていた。


案の定、終演後拍手は鳴りやまず、
数え切れないほどのカーテンコールが繰り広げられた。
客席に明かりが入り、満足しきった観客たちが帰り支度を始めたときに
時計を見ると8:15ジャスト。


ということは、はじめからカーテンコールの分を見越してたってわけ?


う~ん、売店といい、計算された終演時刻といい、
おそるべし、帝国劇場。

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2005-05-06

帝劇ロビーの売店

きのうの帝国劇場で驚いたのは、休憩時間の長さ。
1幕と2幕の間に30分!
アナウンスで聞いた途端、
「えぇーっ!? なんでそんなに長いの?」
と3人で顔を見合わせた。


周りのお客さんたちはおもむろにお弁当を広げてぱくつき始める。
えぇーっ、客席で食べていいの? とまたまたびっくり。
「いいんだろうね、『上演中のご飲食はお断りします』って
アナウンスしてたから、休憩中ならいいんでしょ」と夫。


せっかくだから息子とロビーの探検に行く。
夫は分厚いプログラムを眺めるといって客席に残った。


30分の休憩か。
どおりで2階ロビーに喫茶室があるはずだ。
軽い食事メニューもあるみたいで、30分もあれば十分おなかは満たせるものね。


それにしても、売店の数がすごい!
ふつう劇場のロビーって、飲み物と軽い食べ物を出すカウンターと
プログラム売場ぐらいで、せいぜいあってオリジナルグッズコーナー。


それが帝劇ときたら、まるで高速のパーキングエリア状態だ。
豚まん、アイス、チュロスなどファーストフーズをはじめ、
ミュージカル饅頭、ミュージカル煎餅等おみやげ品も各種取り揃えております、
って感じ。
レ・ミゼラブル扇子には驚かなかったけど、さすがに漬物の試食にはたまげた。
レ・ミゼラブルの合い間に漬物、だよ…?


うろうろするうち合点がいった。
そうか、なるほど。
休憩30分は、舞台上で必要な時間ではなくて要するにショッピングタイムって
ことなのね。


サービスっていうか、商魂たくましいっていうか。
私たちはプログラム以外にほしいものがなかったけど、
ロビーはごった返してにぎわっていたから、売れてはいるのかな。

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2005-05-05

レ・ミゼラブル

05-5-5 夫、息子と「レ・ミゼラブル」を観に行った。


舞台で観るのははじめてだけど、
うちにあるインターナショナル・ベスト・キャスト・アルバムの
ハイライトCDは私の愛聴盤。
(同世代の島田歌穂が唯一の日本人として参加していて、
しびれんばかりの素晴らしい歌声を聞かせている)


そのCD、すりきれるほど(レコードじゃないからすりきれないけど)聞いていて、
有名なナンバーはそらで歌える(サビの部分だけね)。


3月から上演している帝国劇場でのうわさを聞くにつけ
矢も楯もたまらなくなり、なんとか追加販売でチケットを手に入れることができた。


英語版のCDで聞き慣れているから日本語だと違和感あるかなーと思ったが、
いえいえ。
なにより生の迫力に圧倒された。


生身の人間のすごさ。
人間の表現する力の強さ。


これだから舞台はやめられないのだ。
観るほうも、立つほうも。


だからこれからもせっせと劇場に足を運ぶつもり。
生まれ変わったら今度こそ「立つほう」に回るつもりだけど。

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2005-04-13

モノはどんどん進化する

ついに念願のHDD・DVD・ビデオ一体型レコーダーを買った。
これ、HDD(ハードディスク)にもDVDにもビデオにも録画ができるシロモノ。


なにがいいって、相互にダビングができる。
ああ、これでおびただしくたまったビデオが整理できるのね。
いちいちビデオの残量を気にすることなく録画できるし。


それにしても、モノの進歩っていうのはすごい。
「うちにビデオデッキがある」というクラスメートが
ぽつぽつ現れ始めたのは高校時代、25年以上前のこと。
いまじゃ時代遅れになりつつあるビデオデッキも当時は高嶺の花。
とてもとても気軽に買える時代じゃなかった。


そんなころ、NHKで木村光一演出・江守徹主演の「ハムレット」が放映された。
私が中2のときにであった運命の芝居だ。
上演から1、2年たっての舞台中継だった。


いまなら「即・録画→永久保存版」となるところだけど、
当時は録画の手立てそのものがない。
とにかく、放映開始時刻に居ずまいを正してテレビの前に座った。


その後、高校の国語担当の先生がカセットテープに一部始終を録音したと
聞きつけ、ダビングしてもらった。
学校から帰ると毎日カセットデッキでテープを聞いた。
聞くたびに江守さんのハムレットが脳裏によみがえった。


そのテープ、いまも大事に持っている。
だけど、テープを再生するものがないのよねぇ。


今度専門業者に頼んでCD-Rにダビングしてもらわないと。

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2005-03-30

オーディション

夕刊に演劇ワークショップの募集記事を見つけた。
ただのワークショップじゃない。
蜷川幸雄によるワークショップだ。


応募資格は15歳から23歳、演劇経験不問。


「おもしろそうだよ、ダメモトで応募してみたら?」と声をかける。
「えぇ~、そうだけど… なんだかこわいなぁ」と息子。


若いんだもん、もし興味があるならチャレンジしてみたらいい。
そんなことを考えていたら、むかし劇団四季のオーディションを本気で受けたいと
思ったことがあったのを思い出した。


いまから20年前。
劇団四季が初めて全国各地でオーディションを開催する、という記事。
地元・仙台でも行われるんだって。
胸がざわついた。
私も受けたい。


踊り。
バレエなら踊れる。ジャズは踊れないけど。
歌。
学校の音楽以外、人前で歌ったことない。
でも、ボイストレーニングすればなんとかなるっていうよね。
芝居。
小学校のころからずっと演劇クラブ。


ドキドキして応募用紙を取り寄せた。
私も憧れの「コーラス・ライン」の一員になれるかも!?
きらびやかな衣装に身を包み、「ONE」を歌いながらにこやかに脚を上げる私を
思い浮かべた。


でも、オーディション当日、私は店でちゃんと仕事していた。
店長としてシフトに穴をあけるわけにはいかなかった。


それに、そもそも応募用紙も出していなかった。
出さなかった、のかな。出せなかった、のかな。
どっちだろう。
いまとなってはどちらもいっしょだけど。

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2005-02-25

ロミオとジュリエットふたたび

息子の受験が終わったらいちばんにしたいことといえば
「藤原竜也の『ロミオとジュリエット』を観る」ことだった。


運良くチケットが手に入り、今夜息子と私は仙台の劇場にいた。
念願かない、ふたたびあの「ロミオとジュリエット」の客席に。
それも、12月4日から始まった長い長い公演の千秋楽という特別な舞台の。


東京で観たときには2階最上手。
今回は前から5列目ほぼ真ん中。
観る位置から芝居はまったく違ったものに見える。
舞台装置中心の扉からもれる照明の色なんて、上手からじゃ全然見えなかった。
やっぱり真ん中で観るのが王道なんだな、と実感。


それに、前のほうだと役者の息づかいまで感じられる。
表情の細かな変化も手に取るようにわかる。
役者の汗を間近で見られるのは前位置の観客の特権だ。


12月とはまったく違うものを観たような気分にさせられたのは
位置のせいばかりではない。
今夜は2ヶ月半練りに練り上げた末の千秋楽。
これでおしまいという感慨。
それまでの舞台とは空気が変わって当然ではないだろうか。


濃密な3時間はあっという間。
若さを駆け抜けていったロミオとジュリエットのようだった。


千秋楽のカーテンコールがまたとりわけ感動的だった。
舞台上に花火が上がり、役者たちは涙ぐみながら互いに抱き合い、
客席には紙ふぶきが舞い、舞台と客席は興奮に包まれた。


舞台って、生身の人間の生なエネルギーが感じられるから好きだ。
役者たちの涙を見て、私も泣いちゃったよ。

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2005-01-08

自分へのご褒美

このところ息子の家庭教師業がのってる私。
「受験が終わったらまず何したい?」と夫に聞かれた。
それって「自分にご褒美」ってこと?


うーん、何だろう…


「藤原竜也の『ロミオとジュリエット』が観たい」
「…」


チケット売り切れで手に入らないもんね。無理でした。
息子の入試が終わった直後に仙台で最後の公演があるんだけどね。
実家のすぐ近くの劇場なんだけどね。
無理です。


今日の日経新聞「NIKKEIプラス1」に「働く女性 自分へのご褒美」ベスト10が
載っていた。
私だったらどれかなぁーと眺めたけど、どれもあてはまらない。
1位のアクセサリー? ちがうねぇ。
2位のバッグ? 別にほしくない。
3位以下、服・海外旅行・国内旅行・有名スイーツ・腕時計・エステ…と並ぶが、
全部ひとごと。


物欲ないんだなぁ、いま。


入試が終わったら、うちの中のいるもの・いらないものの整理大会して、
うち中をぴかぴかに磨き上げて、うんときれいになった部屋で
好きなだけDVDを観る。
それがいい。


だけど、きっとそんなひまないんだよなぁ…

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2004-12-24

我が家のメリー・クリスマス

ボーイズ・エアー・クワイアのクリスマスキャロルと
昨夜のロミオとジュリエットのCDを交互に日がな一日聴いている
クリスマス・イヴ。


ロミオとジュリエットのCDは劇中音楽をまとめたもので、
劇場で息子がプレゼントしてくれた。


音楽を聴いては昨日の感動の余韻に浸る。
場面を思い出すたびにロミオとジュリエットの若さが胸に突き刺さる。


ほんとうに素晴らしい舞台だった。
特に藤原竜也は私が見た舞台俳優のベスト3に入る。間違いなく。


息子の受験勉強が追い込みの時期にもかかわらず
この3週間、家族3人で3回も舞台に出かけたけれど、
かけがえのない時間を過ごせた。


同じ時間、同じ空間を共有しながら3人で心震わせるものに触れた。
感じることはそれぞれに少しずつ違うけれど、自分の感動に立ち会ってもらえて、
また自分も誰かの感動に立ち会えて、そういう気持ちの共有がうれしい。


今夜はリーデルのいいグラスを出してワインを思う存分楽しんだ。
息子は今日で2学期終了。おつかれさま。
ほろ酔いでいい気分。我が家がいちばん落ち着く。


しあわせに感謝して、メリー・クリスマス。

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2004-12-23

藤原竜也のロミオ

今日の日記は、藤原竜也のロミオとジュリエットについて書く、
とずーっと前から決めていた。
楽しみにしていた彼の舞台、今夜初めて観てきた。


でも、何をどう書いたらいいのか。ことばが浮かばない。
あまりに、あまりにも衝撃が大きすぎて。


シェイクスピアの詩的なセリフは、日本語に訳されて役者の口にのぼると
どうしてもわざとらしくしらじらしく聞こえてしまう。
原語だとこんなにも美しい歌のように聞こえるんだと知ったのは、
アカデミー賞映画「恋におちたシェイクスピア」を観たときだ。


でも、名優・江守徹はシェイクスピアのセリフを歌うようにしゃべる。
多感な14歳の私は、すっかり江守徹のハムレットに魅せられ、
シェイクスピアが好きになった。
それからいくつか日本の俳優が演じるシェイクスピアを観たけれど、
江守さん以外にシェイクスピアのことばが自然に聞こえる役者には
出会えなかった。
今夜までは。


藤原竜也はロミオそのものだった。
若さの歓喜にあふれたロミオ。駆け抜けるロミオ。
彼のロミオを観てしまったら、もう他のロミオは絶対考えられない。


ロミオとジュリエットがこんなにもうそっぽくなく、こんなにも悲しいなんて
今夜初めて知った。


藤原竜也。
おそろしいほどの才能。
あまりの衝撃に息をするのも忘れてしまいそうになるほど。

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2004-09-15

千秋楽

市原悦子さんという女優は、なんて奥が深いのだろう。
観るたびに、あらためてそう思う。


7月9日に全国ツアーの幕を開けた「市原悦子ロードショー・あらしのよるに」。
今日はその千秋楽。
初日に観た私と息子は、再び舞台に足を運んだ。


初日では、自分に重ね合わせて胸がつまったんだっけ。
今日は、チェチェンやイラク、世界を思って涙がこみ上げた。


どうしていつも悦子さんの舞台では胸がいっぱいになるんだろう。
魂、だろうか。
悦子さんのピュアな魂の波動に共鳴するから…?
きっとそういうことなんだろうな。


終演後、息子は
「初日と千秋楽に観るなんて、玄人ね」と悦子さんに言われてた。
「また大きくなったわね。こーんなに小さかったのに」とも。
初日には頬を紅潮させてらした悦子さん、今日はほっとしたご様子。
おつかれさまでした。
そして、素晴らしい舞台をありがとうございます。

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2004-09-04

ロミオとジュリエット

藤原竜也のチケット、どうにかこうにか確保。
イープラスのプレオーダーで2回とも抽選にもれちゃったので
あんまりいい席は取れないかも… と思いつつ、一般発売開始の今日を待った。


ところが、なかなかサイトにアクセスできない。
やっとアクセスできたと思ったら目当ての初日は売り切れ。
日程が合って、なるべくいい席で、と試行錯誤を重ねた結果、12月23日に取れた。
家族三人分、横に並んでちゃんと。


これでやっと藤原竜也の舞台が観られる…!
去年「ハムレット」を見逃しちゃったのは痛恨のミスだったもんね。
「ぼくは行きたいって言ってたのに、どうしてチケット取らなかったんだよ!」
と何度息子に責められたことか。


だってさ、ハムレットといったら、私にとっては江守さん。
去年の秋に観た萬斎さんのハムレットだって
「ちょっとちがうなぁ…」と思ったくらい。
江守さんを超えるハムレットはそうそういないと思ってるんだもん。
中学2年に観た江守さんのハムレットは、それだけ衝撃的だったんだから。
ただ、あとから藤原竜也のハムレットの評判を聞くたびに
「失敗した…!」と悔やまれてならなかったよね。


それにつけても、チケットが取れてよかった。
今回のキャスティングがなかったとしても、
いまいちばん観たいロミオは文句なく藤原竜也だ。
ほんと、楽しみ。
息子よ、それまでしっかと勉強しているのだぞ。

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