浦島太郎の想像
ホームレスの人が街頭で販売するビッグイシューの最新号、
特集は「自閉症、その不思議と豊かさ」である。
予告を見た前号から楽しみにしていたが、
きのうやっと読むことができた。
実は私、自閉症の弟と42年も付き合っているけれど、
昨今の自閉症を取り巻く状況についてはかなりうとい。
たまに自閉症についての本や記事を読んでも、
そのたびに浦島太郎状態なのだ。
勉強不足の“浦島太郎”の率直な印象としては、
弟が養護学校に通っていた頃に比べると
ずいぶん解明が進んでいるんだなあ、ということ。
また、「自閉症」という障害についてのとらえ方も
かなり変わってきているなあ、と思う。
知的障害を伴わずに自閉症と診断される人が増えていることは
長いこと知らずにいたし。
ただ、そうやって何か新しいことをひとつ知るごとに
そうかそうかと納得する。
そうか、そうなんだ。
納得して、弟のアタマの中、ココロの中、カラダの中を想像してみる。
私たちがふつうに見ているもの、聞いているものが
彼にはどんなふうに見えて、聞こえるのか。
それをどんなふうに感じて、何を思うのか。
弟はそういうことを自分からは表現できないから、想像する。
想像しても決してわかるはずもないけれど、想像してみる。
「森を見て木を見ないのが一般人だけど、
自閉症の人は木は見えるけれど森全体が見えない」
ビッグイシューの記事の中にあったこのことばには
私のつたない想像力が呼び覚まされた。
木は見えるけれど、森全体が見えない。
単語は聞こえるけれど、文脈がつかめない。
この瞬間は見えているけれど、前後のつながりは見えない。
そういうこと、かな。
彼が突然不機嫌になったりパニックを起こしたりするのは、
そういうことだからなのかな。
42年お気楽に付き合ってきた姉は、
いまあらためて弟の中身を想像してみたりするのである。


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